ナタリー PowerPush - 岡村靖幸
ファンから岡村靖幸へ53の質問 おしゃべりエチケット特別編
オリジナルな音楽スタイルの確立
小倉 そうやって音楽活動を続ける中で、自分のスタイルが確立したのはいつ頃?
岡村 ずいぶん後ですね。高校1年か2年くらい。いろんな音楽を聴いて、例えばブラックミュージックを聴くようになったり、フュージョンみたいなのも聴いたりして、それを自分の中で蓄積していって、自分のものにして、かつ自分らしいものとして出すみたいなことが、ある程度できるかなって思ったのが高校2年生くらいなので。ただ、こう論理的な感じじゃなくて、なんか熱に浮かされているように夢中になってやってたみたいな感じでしたけど。
小倉 そのときに、自分だけの音楽はこれだ!と感じた?
岡村 それは中学2年生くらいのときからありましたけど。でも自分の中ではグッときてましたけど、人に聴いてもらってどう思われるかみたいのはまた別な話なので。
小倉 人に聴いてもらえる機会はなかったですか?
岡村 ありましたよ。高校生のときのバンドで、たまにコンテストに出たり。
小倉 成績はどうでした?
岡村 ポプコン(ヤマハポピュラーソングコンテスト)の地方の決勝くらいまでいったんじゃないですか。
小倉 すごく独自のスタイルの音楽でデビューするわけだけど、当時からバンド仲間は見つけにくかったんじゃないですか?
岡村 見つけにくかったですね。
小倉 それもあって、マルチプレイヤーとして自分で演奏をして、プロデュースもするようになる?
岡村 それもあります。でも僕が自分で全部曲を作ってアレンジし、演奏すること自体を奇異に思う人もいると思いますけど、僕が子供の頃はスティーヴィー・ワンダーやポール・マッカートニーがいて、普通にやってるわけですよ、全部自分で。特別なことではなく、あの時期の頂点の人たちが普通に何気なくやってるわけです。とてもいい音楽を作ってる人は自然とそうしてる。僕にとってはとても自然なことですね。
作曲家として活動を開始
小倉 デビューのきっかけはなんだったんですか?
岡村 バンドで地方のコンテストに出て、いいところまで行くんですけど決勝までは行けなくて。
小倉 その頃はどこに住んでたんですか?
岡村 新潟に住んでました。で、そのときのコンテストの審査員の人に「決勝に行けない。どうしたもんかな」みたいに相談したら「東京に遊びに来い」「居候させてあげるよ」って言われて。居候中に自分でデモテープを作ってレコード会社に送ったら気に入ってもらえて。
小倉 それが何歳のとき?
岡村 17、18歳くらいですね。当時そのレコード会社に新人の歌手がたくさんいたのでその人たちに曲を書いてみませんかっていう話になりました。
小倉 最初に認められて人に提供した曲っていうのは?
岡村 渡辺美里さんだったと思います。その次が吉川晃司さん、鈴木雅之さん、ですかね。
小倉 作曲で評価されたのはいいけど、自分自身がすぐにデビューできないことには焦らなかったですか?
岡村 焦りはしなかったですけど、作曲家として自分が書いた曲について「自分だったらこう歌うのに」「自分だったらこう演奏するのに」というフラストレーションはありましたね。その曲を最終的にどう仕上げるかについては自分はイニシアチブを持ってないわけですから。
小倉 ほかの人の手が加わってアレンジも歌い方も変わっちゃうし。
岡村 最終的にどんな作品になったかについて一喜一憂してたところは、プロフェッショナリズムが薄かったというか、そういうところがかわいらしい、いかにも10代の若い青年だったのかなって思いますけどね。
初めての作詞で四苦八苦
小倉 さて、その後いよいよデビューして、自分のレコードが作れるようになるわけですけど。どうでした?
岡村 いろんな出来事がありましたね。まず、僕は作曲でデビューしたので、自分は曲と歌を売りにしてやっていくと思っていたんですけど、その当時のレコード会社の方が「詞も自分で書け」と。それは自分では全く予定にはなかったので。
小倉 そうなの?
岡村 ええ。僕はその当時ユーミンさんや松本隆さんがすごく好きだったので、ああいう方に詞を書いていただいたらすごく素敵なんじゃないかと思ったんですが。それを提案したら「そんなつもりなら歌わなくていい」みたいな感じで言われて。
小倉 じゃあ作っていたデモテープも歌詞はなくてメロディだけだったんですね。
岡村 そうです。僕は詞には全然こだわりなくて、自分がその当時いい詞を書くっていう自信もなかったし。
小倉 じゃあそこから作詞に取り組み始めるわけだ。
岡村 取り組まざるを得ない。でもまあ四苦八苦しましたね。それまで膨大に書き溜めていたわけでもなく、詞を書くための訓練をしたわけでもなく、自分の中で指針があったわけでもない。あるときにボーンと「書け」っていう話になったわけですから。
小倉 そこで新たに詞の重要性を認識し始めて。
岡村 そこは元々認識してます。僕、歌謡曲とかたくさん聴いてますし、詞がこうバツンと入ったときに音楽ってなんて強いものになるんだっていうのはわかってますから、詞がいかに重要かってことはわかってます。ただそれを自分が書くかどうかっていうのは別の話で。自分の心の内を発表するんだみたいな心づもりは全くなかったので、あるとき急にやることになってからの四苦八苦はありました。
アルバム制作におけるストレス
小倉 実際アルバム制作の作業に入ってからはどうでしたか?
岡村 楽しいこともありましたし、混乱することもありました。
小倉 例えば何に混乱するんだろう?
岡村 自分ですべてのイニシアチブを管理できるときとできないときがあって、自分のレコードなので最終的なイニシアチブは僕が持つんですけど、ミキサーがいたり、演奏する人がいたり、ストリングスアレンジする人がいたりして。難しかったですね。
小倉 自分の思いどおりにできなかった?
岡村 もちろんできましたけど、そこまで持っていく過程にストレスはありました。「こうやってください」「ああやってください」といちいち説明するわけです。
小倉 新人のミュージシャンなのにいろいろ注文をつけたわけですね。
岡村 そうです。「余計な演奏はしないでください」とか「そのエフェクター使わないで僕が持ってきたやつ使ってください」とか。僕のレコードだし、僕は妥協しないので言いたいことは全部言いますけど。でも「なるほど」っていい顔は絶対されないわけですよ。そのときのストレスはありますよね。
小倉 2枚目のアルバムからはプロデュースもアレンジもすべて自分でやるようになりましたが、それはどうでしたか?
岡村 自然なことです。ストレスがなくなって楽になりましたね。
シングル曲を自分で選んだことはない
小倉 デビューシングルは、あれは自分のチョイスですか?
岡村 いえ、レコード会社が。
小倉 そのことについては?
岡村 なんとも思いません。僕、今までシングルっていうのは自分でチョイスしたことないですから。
小倉 それは理由があって?
岡村 客観的な目があるほうがいいと思うからです。自分は音楽を全部作る代わりに「どれをシングルにする」とか「どれがキャッチーだと思う」みたいなものは第三者の目でチョイスしてもらったほうがいいと思ってて。
小倉 シングルよりも、アルバムを作ることに焦点を当てて?
岡村 「いいものを作る」ってことに焦点を当ててますね。何をシングルにして、何をアルバムに収録するかっていうのはポピュラリティがある、ないの違いであったり、時代性に沿ってる、沿ってないの物差しだと思いますけど。僕はそこを判断する才能が薄い。「これをやると売れる」とか「この時代にこれを出しとくべきだ」みたいな才能が、残念ながら薄いと思います。
ライブはエンタテインメント性を重視
小倉 岡村さんは"シンガーソングライターダンサー"としても有名で、つまりライブの面白さっていうのは評判になりましたね。ライブパフォーマンスについての自分のイメージっていうのは強く持っているんですか?
岡村 そうですね。僕は妥協をしないで自分の音楽を全部作っている分、パフォーマンスやライブに関してはわかりやすく、エンタテインメント性は高くしたいなと思ってます。それでバランスをとりたいなと。
小倉 でも振り付けを考えたりして、自分でいろいろやっていくっていうのは努力が必要ですよね。それは苦じゃなかったですか?
岡村 いえいえいえ。楽しいことですよ。仕事や音楽のことに関して苦しいことは何ひとつないですね。人と接する際の軋轢はありますけど、それ以外では何も苦はないです。
小倉 創作していくことが、自分にとって刺激的だし楽しいことであると。
岡村 はい。音楽やってる人はみんなそうだと思いますよ。
新作で心がけたのは「ポップであること」
小倉 じゃあ、いよいよ今回のアルバムについていろいろ紹介していただきたいんですけど。タイトルの「エチケット」ってあの「エチケット」?
岡村 そうです、そうです。
小倉 なんでまたそういう……?
岡村 なんかかわいらしいと思いましたし、なんかこう、僕らしいと思いましたし。「マナー」とかじゃなく「エチケット」っていう、その、なんとも言えない、ティーンエイジャーの頃とか思春期の頃にそういう言葉を聞いた覚えがあって。今回なんとなくそういうふうにしました。
小倉 新曲ではなく旧作のリメイクというお話なんですけど、そうなった経緯というのは?
岡村 僕、ライブをやるたびにアレンジを変えてやっているので、それをどうにかして発表したいなと思ってて。
小倉 それはライブアルバムという形ではなく?
岡村 いや、もちろんライブアルバムという形でもよかったんです。最初はライブアルバムを出そうかなと思ってたんです。でもやっていくうちに手直しとかスキルアップが必要だなと思って、それならリテイクみたいな感じで出したほうが面白いなってことでそうなりました。
小倉 でもセルフカバーってすごく難しいでしょう?
岡村 難しいですね。
小倉 特に定番的な曲は新しく変えるばかりじゃなく、見せるところは見せる、聴かせるところは聴かせるっていう。葵のご紋というか……。
岡村 わかります、わかります。そこのバランスが難しいですよね。
小倉 じゃあ今回心がけたのは?
岡村 「わかりやすくすること」ですね。楽曲の選択やアレンジも、知らない人でも入門編として聴いていただけるように「ポップである」っていうことを心がけました。
岡村靖幸アルバム再発記念「岡村靖幸アルバム・ライナー・ノーツ」募集企画
- 応募締め切り:2011年12月10日(土)※郵送の場合は締め切り日必着
- 入賞作品(対象アルバム各タイトル1作品、計6作品)は、2012年2月発売予定の再発盤アルバムのブックレットに掲載されるほか、副賞としてサイン入り特製楯を贈呈
- 応募要項は特設サイトにてご確認ください
岡村靖幸アルバム6タイトル再発 / 2012年2月発売予定
岡村靖幸LIVE TOUR2012「エチケット+(プラス)」
- 2012年1月10日(火)
東京都 SHIBUYA-AX
OPEN 18:00 / START 19:00 - 2012年1月11日(水)
東京都 SHIBUYA-AX
OPEN 18:00 / START 19:00 - 2012年1月13日(金)
宮城県 仙台市民会館
OPEN 18:00 / START 19:00 - 2012年1月15日(日)
北海道 Zepp Sapporo
OPEN 17:00 / START 18:00 - 2012年1月19日(木)
愛知県 Zepp Nagoya
OPEN 18:00 / START 19:00 - 2012年1月22日(日)
広島県 広島アステールプラザ
OPEN 17:00 / START 18:00 - 2012年1月24日(火)
福岡県 Zepp Fukuoka
OPEN 18:00 / START 19:00 - 2012年1月27日(金)
新潟県 新潟りゅーとぴあ劇場
OPEN 18:00 / START 19:00 - 2012年2月1日(水)
大阪府 なんばHatch
OPEN 18:00 / START 19:00 - 2012年2月2日(木)
大阪府 なんばHatch
OPEN 18:00 / START 19:00
岡村靖幸(おかむらやすゆき)
1965年生まれ、神戸出身のシンガーソングライター。作曲家としての活動を経て、1986年にシングル「Out of Blue」でデビュー。R&Bやソウルミュージックを昇華したファンキーなサウンド、青春や恋愛の機微を描いた歌詞などが支持され、熱狂的な人気を集める。90年代以降は作品発表のペースを落とし表舞台から姿を消すが、他アーティストへの楽曲提供やプロデュース活動は継続する。2004年には約9年ぶりのアルバム「Me-imi」をリリースし、全国ツアーも開催。2011年8月にニューアルバム「エチケット」を2枚同時リリース。野外フェス「SWEET LOVE SHOWER」でライブ活動を再開し、同年9月に東名阪ツアー「エチケット」を実施した。
2011年11月10日更新