グラミー賞受賞経験を持つシンシア・エリヴォとアリアナ・グランデがダブル主演を務める映画「ウィキッド ふたりの魔女」が3月7日に全国で公開される。ミュージカル「ウィキッド」を原作にした本作では、魔法と幻想の国オズにあるシズ大学で出会った、
本作の日本語吹替版の音楽プロデューサーを務めているのが、「SING/シング」「SING/シング:ネクストステージ」「キャッツ」と音楽が主軸を担う作品の吹替版にも携わってきた蔦谷好位置。映画の公開にあわせて、音楽ナタリーでは蔦谷に映画「ウィキッド ふたりの魔女」の音楽的な魅力、吹替版でエルファバを演じた高畑充希、グリンダを演じた清水美依紗ら吹替版キャストとのエピソードを明かしてもらった。
取材・文 / 中野明子撮影 / YOSHIHITO KOBA
映画「ウィキッド ふたりの魔女」吹替版本予告 公開中
これは大変だぞ……
──まずは映画「ウィキッド ふたりの魔女」をご覧になった感想からお伺いできますか?
吹替版の音楽プロデューサーのお話をいただいてから観たので仕事モードで鑑賞したんですが、まずこれは大変だぞ……と(笑)。完成度が高すぎる! 「ウィキッド」の舞台版は過去に拝見していて、好きなミュージカルだったので「依頼をいただけてうれしい」という気持ちと、「多くの人に愛されている作品なので本当に慎重に丁寧に、自分を疑いながら作業しないといけないな」という思いが同時に湧きました。
──映画の中で印象的だったポイントは?
まず161分と映画としては長めの作品なんですが、それを感じさせない展開であること。あとストーリーがわかりやすいなと思いました。シンシアとアリアナの配役も、歌唱も演技も、衣装もすべて含めて素晴らしくて。特にグリンダとエルファバの対比がいいんです。グリンダのポップさ、明るさ、陽気さが際立てば際立つほど、エルファバが輝く。恋心を抱くエルファバのどんどん変わっていく表情、“悪い魔女”であるウィキッドになる瞬間とか、同じ人が演じているのに声の出し方が場面ごとに全然違う。同時にアリアナ・グランデのタレント性というか、画面から放たれるパワーに、彼女がスーパースターであることを実感しましたね。超一流、世界最高峰のトップアーティストの表現力はすごいなと。
──監督のジョン・M・チュウは、オフブロードウェイで上演されていた「イン・ザ・ハイツ」を2021年に映画化するなど、ミュージカルを映画化して成功させた実績があります。チュウ監督が挑まれた映画ならではの表現、という点で蔦谷さんが気になったところはどこでしょうか?
「ウィキッド ふたりの魔女」はミュージカルがベースではあるけど、舞台版と一番違うのは、俳優の人たちがお客さんに向かって歌う必要がないところですね。例えば、ささやくように歌うシーンでは、遠くに語りかけるようなヘッドボイスではなく、マイクを使うことでいろんな声色の表現が可能になる。カメラも広角も望遠もいろいろ使い分けられるし、セットのバリエーションもつけられる。
──より「ウィキッド」の世界に没頭できる仕掛けがある。
そこがミュージカル映画のいいところですね。チュウ監督もそういう表現を目指しているのかなと思いました。ミュージカル映画だけど、ミュージカルとはまったく違うものを目指しているというか。舞台において生でお客さんに歌や演技を届けるためにはすごい技術が要されるし、伝統もあるけど、お客さんがいることで表現ができないこともある。その“表現できないこと”を可能にするのが映画なんだと感じましたね。
鉄則は「僕の視点は絶対に入れない」「オリジナルをコピーする」
──「ウィキッド ふたりの魔女」の日本語吹替版キャストはオーディションで決まっていったと伺っています。蔦谷さんはどのタイミングで関わり始めたんでしょうか?
キャストを決めるのはアメリカ本国のユニバーサル・ピクチャーズの担当者ですが、僕もオーディションから関わっていました。日本のスタッフの意見も取り入れつつ、僕が「この人とこの人だったら、この曲を歌えると思いますよ」と提案して、通った方にオーディションを受けていただいた感じですね。全員に同じ曲を歌っていただき、それを録音して本国ユニバーサル・ピクチャーズのスタッフに確認してもらうという形で進めました。
──オーディションを経て、どのように吹替版の制作はスタートしたんでしょうか?
まずは日本語歌詞の制作ですね。「SING/シング」「SING/シング:ネクストステージ」でもタッグを組んだいしわたり淳治くんに訳詞をつけてもらうところから吹替の作業は本格的に始まりました。映画の吹替では映像で観たときのリップシンクが大事になってくる。それと、言葉の意味と響き。映画のストーリーが明確に伝わるような言葉選びが歌のパートにも求められるんです。
──気が遠くなりそうな作業ですね。
リップシンク、言葉の意味と響き。この3つすべてをクリアする、針の穴を通すような作業を、いしわたりくんは瞬時にやってくれるんです。しかも毎回何パターンも作ってくる。その後、いしわたりくんが書いてくれた歌詞をもとに全パターンの仮歌のレコーディングをしていきます。今回はコーラスでも吹替版に参加してくれたメロディー・チューバックさんと吉岡悠歩くんに、女性パートと男性パートそれぞれの仮歌を歌ってもらって。そこで音の響き、リップシンクを確認しました。
──実際にキャストの方が吹替収録に入るまでにいろんな過程があるんですね。
はい。そして録った仮歌を本国に送り、たくさんダメ出しをもらうわけです(笑)。そのダメ出しを受けて、またいしわたりくんに調整をお願いして……そうするといしわたりくんは3時間後に新しい歌詞を何パターンも送ってくるんですよ。
──3時間! すごいスピード感ですね。
で、我々は新しい仮歌を録りつつ「やっぱりこっちのほうがいい」「いやさっきのほうがよかった」とトライアンドエラーを繰り返しながら日本語歌詞を固めていく。ここらへんは「SING/シング」や「キャッツ」の吹替版の制作と変わらないところですね。今回は本国でチェックに入ってくれたほうが「SING/シング」でもご一緒していた人で、比較的信頼していただいていたのか、「好位置が言ってるんだったらこれでOK」と言われることもたまにありました(笑)。
──吹替版をプロデュースするうえで心がけていることは?
どの作品でも共通しているのは、「僕の視点は絶対に入れない」「オリジナルをコピーする」ということですね。例えば英語版で韻を踏んでいるところは必ず吹替版でも踏むようにするとか。洋楽の楽曲を日本語の歌詞にしたときに、韻やリズムが失われることが往々にしてあって、それがもったいないなと僕は思っていたんです。とは言え、ただ韻だけを踏んでいたら、歌詞の意味がわからなくなったり、聴きづらい日本語になったりしてしまう。いしわたりくんとは日本語歌詞をつけるうえでそのバランスに一番気を付けるようにしましたね。
──普段蔦谷さんが作られてる音楽とは違う視点が求められる?
求められますね。自分のクリエイティビティを表現するとか、そんな生ぬるいことは言っていられない。素晴らしい完璧な作品をいかに日本語で、子供が観ても楽しめるようわかりやすく、そして忠実に形にできるかというのが大事になる。
高畑充希と清水美依紗に伝えたこと
──これまで携わられた作品と比べて「映画『ウィキッド ふたりの魔女』の吹替作業はここが違った」と感じたところは?
まず「SING/シング」シリーズに関しては、ミュージカル映画というよりはポップスの名曲を通してストーリーをつないでいく流れがあったので、曲の“あり方”が違う。「キャッツ」はミュージカルがベースではありますが、オリジナルが1930年代に生まれた作品なので、それと比べると「ウィキッド」は比較的新しい作品になるわけです。だから譜割りがポップスに近いものが多いという印象ですね。「キャッツ」にももちろん面白いリズムの曲はあるけど、どちらかと言うとトラディショナルな作曲方法を取り入れていた。あとは、「ウィキッド ふたりの魔女」はキーがとにかく高い曲が多い!
──確かに、グリンダはオペラ的な歌い方を求められるシーンがありました。
もちろんグリンダのキーも高くて歌唱力を求められるんですが、僕はエルファバもかなり高度なことを求められているなと感じました。エルファバ役のシンシアが地声で歌う「ディファイング・グラヴィティ」のクライマックスは、ちょっと異次元的というかすごいんですよ。
──「ディファイング・グラヴィティ」は物語のキーになる人気曲で、確かにエルファバのスイッチが切り替わるように感じて、圧巻という表現がふさわしかったです。
吹替版キャストの高畑さんにはレコーディングには3日かけてもらって。最終日にものすごいテイクが録れたんです。あれは神がかってました。
──そのテイクが劇場で聴けると。
はい。当初、高畑さんの歌は2日目でほぼ完成していたので、そこで終わる予定だったんですが、本国からNGが出たらやり直さなきゃいけないという状況で。そのときに高畑さんが「もうちょっといけます」と言ってくれたので、我々も「ここは動きがあるシーンなので、オリジナルもこんなにスムーズに歌ってないはず。少し動きがある感じで歌いましょう」と提案したり試行錯誤して収録しました。で、3日目の音源を本国に送ったら、ほぼ一発OKでしたね。清水さんも異常なほど歌がうまくて。ミュージカル「レ・ミゼラブル」の本番のあとにレコーディングに来て、歌ってくれたりして。常にウォーミングアップの必要がない状態でした。おふたりとも本当に素晴らしくて、一緒に仕事できて最高でした。
──蔦谷さんがおふたりとご一緒するのは初めてですよね? ディレクションをするうえで心がけたことは?
オリジナル版に忠実にはしたいけれど、声色や音量までオリジナルキャストの真似する必要はないとは伝えました。例えば清水さんにはアリアナのモノマネではなくて、自分が考えるグリンダを思い浮かべながら、アリアナの表情で歌ってみようとか。映像の中でこういう表情をしているから、それに近付けて歌おうとか、そういったディレクションは共通してやっていたことですね。ただ、ふたりとも舞台に立って俳優として活躍されているので、演技的なディレクションはあまりしていないんです。ひと言伝えればすぐ理解してくれる。高畑さんについては、ある曲を歌うシーンで歌唱指導の高城奈月子さんと「ここはエルファバが“悪い魔女”になる瞬間なんで、迫力いっぱいで。怖いエルファバでお願いします」と言ったら「わかりました」と。その次の瞬間に高畑さんの演技が怖くなるんですよ。あのときは「高畑充希、すげえ」ってなりましたね。
──(笑)。清水さんはこの「ウィキッド ふたりの魔女」が初めての映画の吹替だと伺いました。ディレクションをする中で印象的だったことはありましたか?
僕に決定権があるわけではないんですが、オーディションでたくさんの方がグリンダ役に応募されてきた中で、歌声を聴いたとき「もう清水さん以外、グリンダはいないな」と思うくらい素晴らしかった。映画のオープニングで歌う「ノー・ワン・モーンズ・ザ・ウィキッド」に出てくるハイトーンを一発でやってのけて、一緒に聴いていた高城さんとびっくりしたくらい。グリンダがメインで歌う「ポピュラー」という曲はかなりリズム感が求められるんですが、清水さんの歌い方がすごくて。声がいい、ピッチがいい、発声もよくてリズム感もあって、滑舌もいい。歌手としての身体能力が高いんですよ、彼女は。グリンダを演じるうえですべてがそろってるわけです。
──そんな清水さんですが、もともとアリアナ・グランデが大好きだったそうですね。
そうらしいですね。
──そんなエピソードをお伺いすると、選ばれるべくして選ばれたのかなと。
僕もそう思います。
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人の歌により敏感になる吹替作業