バニラビーンズ ラストインタビュー|兄貴分・掟ポルシェが聞く解散の真相

アイドルシーンを中心に11年にわたり活動を続けてきたバニラビーンズが、9月18日にT-Palette Recordsよりラストシングル(タイトル未定)を発表し、10月6、7日のライブをもってユニットを解散する。

「北欧の風に乗ってやってきた、清楚でイノセントな雰囲気を持つ女の子のユニット」として、レナとリカの2人で2007年にデビューしたバニラビーンズ。翌2008年にはリカの脱退を受けてリサが加入し、以降10年にわたって2人で活動を続けてきた。スウェディッシュポップなどの流れを感じさせるさわやかでポップな楽曲と、モデル並にすらりとしたスタイル、見た目や音楽性とはギャップのある抜群のトーク力で多くのアイドルやアーティストに愛されたバニビが、ついに解散を決意した。音楽ナタリーでは彼女たちの最後の言葉を届ける聞き手として、2人が兄のように慕っていた掟ポルシェ(ロマンポルシェ。/ ド・ロドロシテル)を迎えてインタビューを行った。

取材 / 掟ポルシェ 文 / 臼杵成晃 撮影 / 曽我美芽

ついに来たか……という気持ち

レナ なんか「徹子の部屋」みたい(笑)。

バニラビーンズ

リサ ポルシェの部屋(笑)。今日は「ニコラ」(2008年5月に発売されたバニラビーンズの2ndシングル。このシングルからレナとリサの2人体制となった)の衣装で来ました。

左からレナ、リサ、掟ポルシェ。

掟ポルシェ CAですよね、これ。北欧からやって来た設定だから、飛行機に乗ってきたってことだ。最初の頃は設定にあわせてわけのわかんないプロモーションをいっぱいやってましたよね。デンマークのサッカーチームを応援したり。

リサ ワールドカップの日本対デンマークで、非国民だと言われて(参照:里帰りバニラビーンズ、W杯は日本の敵国デンマークを応援)。

バニラビーンズ
バニラビーンズ

 その結果、デンマークが負けるという(笑)。いやいや、ついにこの日が来ましたか。解散するという話になったのはいつなの?

レナ 日付は5月30日です。夕方の6時に事務所に集合ということで、テレビの仕事のあと事務所に戻って、なんのミーティングかと思ったら……でもまあ、近々そうなるのかなあとは思ってました。一番つらかったのは「やついフェス」ですね。あのときはもう解散が決まっていて、私たちはいつも「また来年会いましょう!」と言ってたんですけど、今年は言わなかったんですよ。

 解散については、事務所のほうから何か匂わせる雰囲気が以前からあったんでしょうか?

レナ それはなかったですけど、社長のほうからスッパリと「フラワーレーベルを終了する」と。

 フラワーレーベルは発足当初からバニラビーンズのために立ち上げられたようなものですよね?

レナ いや、最初は北欧雑貨の輸入販売がメインなんですよ(笑)。私たちはそれの音楽部門。北欧の文化を発信するうえで、音楽を通して北欧文化を伝えるために結成されたんです。

 「解散だ」と言われて、率直にどう思いましたか?

レナ 「来たか……」って。でも私たちはデビューしたあとから常に綱渡りだったので。デビューした直後に相方がいなくなるし(参照:バニラビーンズがメンバーチェンジ!5月に新曲発売)。レコード会社も3社渡り歩いて、毎回「これが最後の曲だ」と思いながらレコーディングに挑んでいたので、それがついに来たか……という気持ちです。

「ヌルヌルと続けていけるのかな」という少しの希望はありました

 いずれこういう日が来るだろうなと。でも、11年もやりましたからね。

レナ
リサ

レナ ヌルヌルと。言い方は悪いですけど(笑)、「ヌルヌルと続けていけるのかな」という少しの希望はありましたね。私たちのスタイルだと、一般的なアイドルの寿命とは関係ないかなとは思ってたんですけど、やっぱり事務所的にはそうじゃない。年齢的にはあれから11年、歳を重ねてきたわけで。

リサ 私は「なんだっていつかは終わりは来る」と思っているから、にしては続いたほうなのかなと思います。本当はもっと早くに辞めさせられていたかもしれないし、ここまで続いたんだなって振り返るとそんな気もしていて。2014年の12月にLIQUIDROOMでライブをしたとき(参照:バニラビーンズ、100%ホームのLIQUIDROOMで歌とトークの2時間半)は、ここが埋まらなかったらもう終わりかなという話もあったんです。でも、あれが成功か失敗かという話もなくフワッと続いていったから、このまま続いていくのかなあ……みたいな。

レナ 解散危機しかなかったですよ、私たち。相方が3カ月でいなくなって解散危機だったし、初めてのベストアルバム(2010年9月発売「VaniBest」。参照:バニラビーンズ「VaniBest」特集|トラック? 火ばさみ? ワキ丸出し!? ちょいワル社長と振り返るバニビ史)が出たときも「ああ、よくあるベストアルバム=解散だな」って。そこからT-Palette Recordsに拾ってもらったけど、「有頂天ガール」(2014年11月発売のシングル)の頃にまた「どうするんだ」って話し合いがあって、avexに移ったときは例の解散ノルマがあって(参照:バニラビーンズ8周年、再メジャーデビューで解散賭けた試練)。

 最後のシングルが2万枚売れたら解散撤回とかはないの?

レナ ないです(笑)。最後は自分たちの好きなように作っていいって。楽曲に関しては私が見て、衣装やジャケットに関してはリサが考えています。

アイドルシーンの活性化とバニビの役割

リサ
レナ

 いい会社だと思いますよ。商売だけを考えてたらそんなに続けさせないですもん。作品も11年の間にとんでもない枚数出てますよ? アルバム5枚、ミニアルバム1枚、シングル14枚、配信限定楽曲11曲、ベスト盤2枚。立派なもんですよこれ。2人とも、もっと誇りに思っていいよ。

リサ わお。

 綱渡りと言いながら、普通はこんなに出せないから。2人は自分たちの楽曲について、最初どう思ってましたか?

レナ 自分の趣味と合わないなあって(笑)。私は子守唄がTHE YELLOW MONKEYだったので、ロックバンドが好きだったし、ほかはヒップホップが好きだったので、全然色が違っていて最初は戸惑いました。服の趣味も違う。でもやっぱり11年もやってると、バニラビーンズのコンセプトというのが染み付いてくるものですね。Aラインのワンピースが似合う体に変わってきましたもん(笑)。最初は着させられてる感がすごかったですけど。

リサ 私はそもそも「モデルの仕事だ」って言われて来たのに、なんで曲を渡されるのかわかんなくて(笑)。とにかくCDが出るからと言われて「ああ、そっか」と。曲については何も考えてなかったです。なんでボイトレ? なんでライブ? みたいな。

 でもバニラビーンズはアイドルだという意識はあったでしょ?

リサ アイドルだとも言われなかったんです。「ファッションの仕事とか、いろーんなことをやる2人組だから、最初にまず歌ってみて。このあと雑誌とか行こうね」って。

 露骨に騙し入りましたね(笑)。

リサ 私は箱入り娘なところがあったから、途中まで気付かなかったんですよ。勘のいい子は最初の段階で気付いたと思うんです。

 トラック生活(参照:バニラビーンズ、ガラス張りトラックで都内を爆走)とかアイドルの仕事とかけ離れてますし、モデルの仕事じゃないのは確かですけど(笑)。

リサ それにあの頃はまだそこまでアイドルが盛り上がってなくて、途中からアイドルのイベントによく出るようになったんですよ。

 T-Palette Recordsや「TOKYO IDOL FESTIVAL」を通して、少しずつアイドルのお姉さん的ポジションができあがってきましたよね。

レナ 2010年に「TIF」が始まったのは大きかったですね。

 企画でトークを回せる人がほかにいなかったし。そんなとき、なまじセンスがあったからこそアイドルシーンでその役割を果たすことになって。でも、最初は全然しゃべれなかったですよね。2008年に徳間ジャパンの方から「Perfumeの次に出す2人組ユニットなので観てください」と誘われて観にいったんだけど、MCになると、お客さんのほうを見ずに2人で向き合って「な、何をしゃべればいいんだろうね」ってあたふたするだけで。

レナ しゃべれないし、しゃべらなかった。しゃべりたくなかったですもん(笑)。

レナ

 「北欧の風に乗ってやってきた、清楚でイノセントな雰囲気を持つ女の子のユニット」という大まかな設定があったから、ガチガチでしゃべれてなかった。

レナ その大まかな設定しかなかったですからね。それ以外はよくわかってなかった。設定だけしっかりあって……私たち、ずっと現場入りも衣装でしたからね。

 俺は長いことお二人と仕事してますけど、ヅラを取ったところを見たの、本当に活動初期に2回ぐらいしかないですもん。

レナ マネージャーですら数回しか見たことない人もいますよ。

 打ち上げとかレコーディングでもヅラ装着してて徹底してましたね。トークはもともとセンスがあったんだと思いますけど、やっぱ場慣れですかね。

リサ 放置されてたからこうなったというのもあると思います。台本が渡してもらえないから。ほかのアイドルの子は人数が多かったりするからかもしれないけど、MCの台本がちゃんと用意されていて。私たちは放置!って感じだったから、それで成長した部分はあると思います。