茂木欣一(フィッシュマンズ)×髙城晶平(cero)|20年後の闘魂伝承

僕だけだと「魚の骨 鳥の羽根」の発想は出てこない(髙城)

──茂木さんはceroのことはそれ以前から意識していたんですか?

茂木 3年ぐらい前に音楽関係の人と食事をする機会があって、そのときに「今、気になるバンド」として2つ教えてもらったんですね。それが「Obscure Ride」を出した頃のceroと、デビュー前のSuchmos。音源を聴いてみたら、どっちもすごかった。「Summer Soul」(「Obscure Ride」収録曲)は「こんなの好きに決まってるじゃん!」って感じだったしね。佐藤くんがいた頃のフィッシュマンズでスチャダラパーやTOKYO No.1 SOUL SETと一緒にやってた時期のことを思い出したな。

髙城 すごくうれしいですね。

茂木 でもさ、考えてみると「Obscure Ride」と「POLY LIFE MULTI SOUL」は同じバンドのアルバムだとは思えないぐらい振り幅が広いんだよね。フィッシュマンズも「空中キャンプ」(1996年2月発売)を出したときに「これがデビューアルバムですか?」とよく言われたんだ。

──それぐらい初期のアルバムと「空中キャンプ」の印象が違うということですよね。

左から茂木欣一、髙城晶平。

茂木 そうそう。ceroの2枚のアルバムも一緒だと思うんだよね。「Obscure Ride」も好きだったけど、「POLY LIFE MULTI SOUL」みたいな音楽を僕は聴いたことがなかった。特に「魚の骨 鳥の羽根」。今日はあの曲のベースになった音楽がいったいなんなのか、髙城くんに聞いてみようと思って(笑)。

──じゃあ、聞いてみましょうか。髙城さん、いかがですか?

髙城 日本の音楽ってコードや旋律のような上に乗っているものが多くて、そういうものに対してフェティシズムを持っている人はたくさんいるけど、リズムの深層について主題が置かれることは少ないと思うんですね。そこにフォーカスを当てる中で最初にできたのが「魚の骨 鳥の羽根」だったんです。「POLY LIFE MULTI SOUL」というアルバムはキーボードの荒内くん主導で始まってるんですけど、彼はアフリカのルーツ音楽とジャズのような都会的な音楽を結び付けて考えていて、最終的な出口としてはポストパンク的なものを目指していました。Lounge Lizardsやアート・リンゼイ的な方向性のものに日本語が乗っている、そういうものというか。

茂木 なるほどね。「POLY LIFE MULTI SOUL」がすごいのは、それでも音楽的にわかりにくくないというところだね。

──ポップですらある、と。

茂木 そうそう。わかりにくいものを作るのは逆に簡単だからね。「ポップなフィールドに落とし込むぞ」という気迫みたいなものすら感じられた。

髙城 そうですね。そこはすごく考えていました。

茂木 フィッシュマンズとceroの共通項があるとしたら、そのへんなのかなとも思う。フィッシュマンズでいうとさ、ベースの(柏原)譲なんかはすごく実験的なことをやるんだけど、譲の言うことばかり聞いてると絶対にポップにならない(笑)。

髙城 バンドってそういうものですよね(笑)。僕と荒内くんの関係性もまさにそういうもので、僕はポップ志向というか、荒内くんのアイデアの落としどころを考えるほうで。ただ、僕だけだと「魚の骨 鳥の羽根」の発想は出てこないんですよね。

茂木 お互いに必要としてるんだよね。

佐藤くんと「終わらない音楽を作りたい」って話していた(茂木)

髙城 あと、ceroとフィッシュマンズの共通点でいえば、ロック的なフォーマットを取りながらも、非ロック的な文脈に乗っているところもあると思うんですよ。僕にとってフィッシュマンズが衝撃的だったのは、ドラムのフィルの最後にシンバルが叩かれないことで。

茂木 おお!

髙城 それまで僕は拍の頭にバシャーンとシンバルを叩くドラムしか知らなかったので、フィルの終わりにハイハットを叩く茂木さんのドラムが不思議なものに聴こえたんです。でも、それってレゲエのスタイルに端を発したものであり、ダンスミュージック的なものでもあるんですよね。ceroの「POLY LIFE MULTI SOUL」もダンスミュージック的な継続していくグルーヴを目指していたんです。終わりがなくて、歩いているようなリズムというか。それもまたフィッシュマンズから影響を受けた部分でもあるんですよね。

左から茂木欣一、髙城晶平。

茂木 なるほどね。佐藤くんの言葉もドラムのフィルみたいなもので、「こういうことなんです」と終わらせるんじゃなくて、「こう思ってるんだけどね……」と結論を言わないものになっていくんだよね。それこそ「WALKING IN THE RHYTHM」(1997年発売のアルバム「宇宙 日本 世田谷」収録曲)じゃないけど、歩き続ける感覚が言葉にも表れていた。だから、シンバルを叩きようがなかったんだよね(笑)。

──なるほど。

茂木 そういうことを佐藤くんと話していたのを思い出したな。「終わらない音楽を作りたい」って。その発想から「LONG SEASON」(1996年に発表されたトータル35分16秒の組曲)に向かっていくんだよね。

髙城 「LONG SEASON」のような形でExtended(拡張)できる言葉だったということでもあるんでしょうね。普通の言葉じゃ、ああいうふうにはExtendedできないと思う。フィッシュマンズの言葉と音にはそもそもそういう要素が入っていたと思うし、そこにこそ僕らは影響を受けたんです。

何にも似てないんだけど、踊れる……それが一番カッコいい音楽(茂木)

──今回復活させる「闘魂」についてもお聞きしたいんですが、このライブシリーズは1990年代後半当時、どのような意識でやってたんでしょうか?

茂木 もうずいぶん前の話だねえ……。

──ちょうど20年前ですもんね(笑)。

茂木 昔のフィッシュマンズはライブの筋力が弱かったんだよね。それで3枚目のアルバム(1993年発売「Neo Yankees' Holiday」)を出したあとから、対バンライブを毎週やるようになったの。

髙城 毎月じゃなくて、毎週ですか? 極端ですね(笑)。

茂木 そうなんだよね(笑)。その時期に発見がたくさんあって、自分たちの演奏がどういう方向に向かっていきべきか、はっきりしたところがあって。その後も対バンライブは続けていたんだけど、1997年に「闘魂」という名前を付けて新たに始めたんだよね。もともと佐藤くんはプロレスが大好きでさ……。

──猪木イズムの継承者ですもんね(笑)。

茂木 そうそう(笑)。表面には出さないんだけど、佐藤くんはすごく熱いんだよ。「絶対負けねえ」というスタンスは人一倍強かった。今の僕はコラボをしまくってるまったく真逆のバンドにもいるけど(笑)、フィッシュマンズってほかのバンドとコラボすることがほとんどなかったのね。1997年にソウルセットと野音で「ナイトクルージング」と「LONG SEASON」を一緒にやったんだけど、そういうふうにコラボしてみたいという思いも出てきて。それが「闘魂」という形になったんだろうね。

左から茂木欣一、髙城晶平。

──その「闘魂」を今回20年ぶりに復活させるわけですが、それはどういう思いから?

茂木 1990年代に「闘魂」でやっていたような刺激的なことをフィッシュマンズの名前でやりたかったということだね。ライブが一番大事であり、ライブでこそ自分たちの伝えたいことを表現できる場だという考えは佐藤くんがいた頃からあったから。2005年にフィッシュマンズを復活させて以降の流れでそういうことをもう1回やってみたくなったの。

──では、その相手としてceroを選んだのはどういう理由からだったんですか。

茂木 やっぱり「POLY LIFE MULTI SOUL」を聴いちゃったというのが大きいよね。さっき髙城くんが背景にLounge Lizardsやアフリカ音楽があったと話してたけど、◯◯風という感じがまったくしない。何にも似てないんだけど、踊れる……それが一番カッコいい音楽だと僕も思ってるからね。「いろんな人の中にそれぞれのリズムがある」ということを音に落とし込んでいることにすごく感動したの。これをポップにできるのはすごい発明だなと思って。

髙城 まさにそういうことを考えて作った作品なので、ここまで伝わってるというのは本当にうれしいです。

──髙城さんはフィッシュマンズから「闘魂」への出演オファーが来たときにはどう思いました?

髙城 高校生で「ナイトクルージング」の弾き語りをして、大人たちに「10年早い」と言われた頃のことを考えると、びっくりを通りすぎて不思議というか。あの頃の大人たちにも観に来てほしいですよ(笑)。

茂木 観に来てほしいよね!(笑)

フィッシュマンズ presents “闘魂 2019”
  • 2019年2月19日(火) 東京都 Zepp Tokyo
    OPEN 17:30 / START 18:30
    出演者 フィッシュマンズ / cero
フィッシュマンズ
フィッシュマンズ
1987年に佐藤伸治(Vo, G)を中心に結成されたロックバンド。1991年に小玉和文(ex. MUTE BEAT)のプロデュースのもと、シングル「ひこうき」でメジャーデビューを果たす。当時のメンバーは佐藤、小嶋謙介(G)、茂木欣一(Dr)、柏原譲(B)、ハカセ(Key / 後のHAKASE-SUN)。ライブではzAkがPAで加わるなどして、徐々に独自のサウンドを作り上げていく。小嶋、ハカセの脱退を経て、1996年にアルバム「空中キャンプ」をリリース。レゲエを軸に、ダブやエレクトロニカ、ロックステディ、ファンク、ヒップホップなどの要素を取り入れた、独特の世界観で好評を博す。その後も木暮晋也(G / Hicksville)、ダーツ関口(G / ex. SUPER BAD)、HONZI(Key, Violin)をサポートメンバーに迎え、音源リリースやライブ活動を展開。1998年末をもって柏原がバンドを脱退し、その後の動向が注目される中、1999年3月に佐藤が急逝。これによりバンドは活動休止を余儀なくされるが、バンドは2005年夏に「RISING SUN ROCK FESTIVAL 2005 in EZO」で、ゲストボーカルを迎える形で復活。その後も単独ライブやイベント、フェスなどで不定期にライブを行っている。
cero(セロ)
cero
2004年に髙城晶平(Vo, Flute, G)、荒内佑(Key, Sampler, Cho)、柳智之(Dr)の3人により結成された。2006年には橋本翼(G, Cho)が加入し4人編成となった。2007年にはその音楽性に興味を持った鈴木慶一(ムーンライダーズ)がプロデュースを手がけ、翌2008年には坂本龍一のレーベル・commmonsより発売されたコンピレーションアルバム「細野晴臣 STRANGE SONG BOOK-Tribute to Haruomi Hosono 2-」への参加を果たす。2011年にはカクバリズムより1stアルバム「WORLD RECORD」を発表。アルバム発売後、柳が絵描きとしての活動に専念するため脱退し3人編成になった。2015年5月には3rdアルバム「Obscure Ride」、2016年12月には最新シングル「街の報せ」をリリース。2017年4月には2度目の東京・日比谷野外大音楽堂ワンマン「Outdoors」を成功に収めた。2018年5月に4thアルバム「POLY LIFE MULTI SOUL」をリリース。