THE YELLOW MONKEYメジャーデビュー30周年記念特集|音楽ライター15人がつづる「私が聴いた『30Years 30Hits』」 (2/2)

秦理絵

おすすめの1曲:「Changes Far Away」

この仕事をしていると、子供の頃にテレビで観たアーティストにインタビューをするという夢のような機会をいただけることがある。私がTHE YELLOW MONKEYに初めて取材をしたのは、再集結後のアルバム「9999」をリリースしたときだった。忘れもしない2019年2月24日。THE YELLOW MONKEYには長年バンドと共に歩んできた先輩ライターも多い中、私などが取材をしてもいいのだろうかと、そんな気持ちで向かったワーナーミュージックの会議室で4人に会った。インタビューを終えて思ったのは、骨の髄まで、流れる血の1滴1滴までロックバンドな人たちだな、ということ。そして、噂以上に仲がよかった。ひさびさに4人でスタジオに入って音を鳴らしたというエピソードを聞いたときに、「なんだかバンドを組みたての10代みたいですね」と言ったら、うれしそうに笑ってくれたのをよく覚えている。

レビューの原稿だというのに、個人的な話で300文字も使ってしまって恐縮なのだけれど、今回は「特におすすめの1曲」を挙げてほしいということだったので、あえて再集結後の楽曲から「Changes Far Away」を選んだ理由を、まず最初に書いておきたかった。やはり「9999」には特別な思い入れがある。そのアルバムの7曲目に収録されている「Changes Far Away」は、のちにTBS系の報道番組「news23」のエンディングテーマとして使用されたことで記憶に残っている人も多いかもしれない。ゆっくりと地面を踏みしめて歩くようなテンポ。ピアノの伴奏が寄り添うシンプルなバンドサウンド。憂いを帯びたメロディ。そこに漂うロンドンの匂い。「過去に光るのは誇り高きラプソディ」と紡がれる歌詞は、吉井さんがアルバムの制作タイミングで「ボヘミアン・ラプソディ」を観て、フレディ・マーキュリーの歌でボロボロに泣いてしまったことが影響していると言っていた。「それで、今はもうストレートに愛を歌ってもいいと思った」と。この歌のサビにある「愛だけを支えにして 答えを探してドタバタ生きる」というフレーズがとても好きだ。特に「ドタバタ」という表現が。ああ、私のことだな、と思う。振り返れば、THE YELLOW MONKEYは、どんな時代にも、不確かな愛に足掻き、生きる意味を探し続ける、そんな弱くて小さな人間の在り様を痛いほど音楽に託してきたバンドだと思う。それは決してこれからも変わらないということ。「Changes Far Away」には、そんなバンドの静かな決意が込められているようで、ライブで演奏されるたびに胸が熱くなる。この「30Years 30Hits」という作品は、リリース順ではなく、なんらかの意志をもって楽曲が並べられている。前半はバンドの代表曲が多く、後半はファンの間で人気の高い楽曲が多い印象だ。その最後に「Changes Far Away」があることは、今再び4人で歩むことを選んだバンドが示す揺るぎないメッセージなのだと思う。

蜂須賀ちなみ

おすすめの1曲:「パール」

THE YELLOW MONKEYは私が生まれたのと同じ月にデビューしたバンドだ。2004年以前の活動はリアルタイムで追えておらず、THE YELLOW MONKEYの音楽をちゃんと認識したのは解散の数年後、好きなバンドのボーカリストがカバーした「Tactics」を聴いたとき。そこから彼らの音楽を知っていく中で、私が思春期に聴いていた日本語ロックバンドはTHE YELLOW MONKEYの血を間違いなく受け継いでいたことを知った。また、そんなTHE YELLOW MONKEY自身もユーモアとともにオマージュを採り入れるなど、ほかのバンドに憧れ、楽器を鳴らしている人たちであることも知った。言い換えると、私にとってのTHE YELLOW MONKEYはロックとは継承の文化であることを教えてくれた存在だった。

「30Years 30Hits」はグラムロックに歌謡曲的なメロディを掛け合わせるというTHE YELLOW MONKEYの発明、そしてのちに日本語ロックの1つの王道となっていったスタイルを存分に味わせる作品だ。私のように、このバンドが時代をどのように熱狂させ愛されるようになったか、その空気を知らない世代にこそ聴いてほしい。30曲あるため、音楽性の変遷やトライアル、葛藤も垣間見える。たとえ歴史の教科書を読む感覚で入ったとしても、このバンドは確かに生きているのだと感じられるため、聴いているうちにTHE YELLOW MONKEYをより身近に、そして愛おしく感じられるようになっているはずだ。

「特におすすめの1曲」は、この30曲がそれぞれどの時期にどのような背景から生まれたのかをあえて調べずに選んでみた。選んだ「パール」はこのアルバムの中でもっとも短い曲で、閃光のような存在感がカッコいい。吉井和哉の艶やかなボーカルやフロントマンとしての華やかさはTHE YELLOW MONKEYの魅力の1つだし、「パール」でもそれは発揮されているが、“ボーカルが主旋律なんて誰が言った?”と言わんばかりにギターもベースもドラムも主張しているのが好きだ。あとから調べたところ、「パール」が発表されたのは活動休止直前の2000年とのこと。バンド内の空気がよくなかったであろう時期に、しかしロックバンドの魔法を信じながら、最高な夜をもう一度迎えられればもしかしたら何かを変えられるんじゃないかと心のどこかで思いながら、制作された曲だと想像する。そんなロマンから生まれた泥臭さにおそらく私は惹かれたのだろう。

平山雄一

おすすめの1曲:「SUCK OF LIFE」

80年代のバンドブームが終わり、ブームではなく今につながる日本のロックシーンが形成されつつあった92年にTHE YELLOW MONKEY(以下、イエモン)はデビューした。その後、J-ROCKと呼ばれる口当たりのいいバンド群が勢ぞろいする中で、イエモンは明らかに異彩を放っていた。洋楽テイストのバタ臭さに和風の耽美主義をマッチさせようという吉井和哉の破天荒なアイデアは、バンドシーンの中で完全に浮いて見えた。それは一般化を図るほかのバンドとは一線を画す異形の美意識に貫かれていたからである。

その頃、僕はhideのソロプロジェクトのデビュー楽曲制作のアドバイザリースタッフとしてスタジオワークに参加していた。92年末にスタートした制作は93年初頭から佳境に入っていた。4月、イエモンの日本青年館ライブがありスタジオ作業と重なっていたので相談すると、僕がイエモンを好きなことを知っていたhideは、「平山さん、今日はもう仕事はいいから、ライブに行っておいでよ」と言ってくれた。唐突な申し出に、僕は面食らいながら、「いいの? ありがたいけど、どうして?」と聞いた。するとhideは、「俺もあのバンド、好きなんだ。だからどんなライブやってるのか、観てきてよ」と言ってにっこり笑った。hideはソングライティングに非常に関心があり、当時リリースされたばかりのアルバム「EXPERIENCE MOVIE」を聴いて吉井の狙いにこだわるライティングセンスをとても褒めていた。ライブ帰りにスタジオに直行し、オープニングで吉井が両手を縛られたヌードの女性を伴って登場したことを報告すると、hideは「やるなあ」と笑った。「俺もいつかそういう演出をやってみようかな」とも。

イエモンの初期作品は、鋭利なエッジにばかり目を奪われてしまいがちだが、その後にブレイクするポップな要素を確かに含んでいる。「EXPERIENCE MOVIE」収録の「SUCK OF LIFE」はその代表例だろう。猥雑な歌詞と、ロマンティックなピアノの不敵なバランスは、その頃のバンド群の中で唯一無二の妖しい光を放っていた。今聴いても当時のドキドキ感がフラッシュバックする。

「30Years 30Hits」は、イエモンが誕生の時から持っていた魅力が開花していくドキュメントでもある。収録曲の中から、彼らの初期の痕跡を見つけてみるのも、楽しみ方のひとつだろう。

増田勇一

おすすめの1曲:「Changes Far Away」

THE YELLOW MONKEYがいわゆるアンダーグラウンドな世界からメジャーの領域に這い出してきた頃、メディアや売り手側は困っていた。このバンドの音楽をすっきりとカテゴライズできる言葉が存在していなかったからだ。ノスタルジックな一面を持ちながらもどこか斬新で、趣味性が高いうえにコマーシャル。つかみどころがないわけではなく、むしろそれがありすぎて、同時に突っ込みどころも多い。そんな彼らの音楽が、2020年代の現在においては王道的、普遍的なものとして広く認知されているという現実にはとても興味深いものがある。

歴史を彩ってきた30曲をこうして聴きながら改めて実感させられるのは、彼らの音楽は最初から王道的であったにもかかわらず各時代においては「オルタナティブ」だったのだな、ということ。日本語に置き換えにくいこの言葉の意味を、かつて吉井和哉が「ひねくれた王道」と説明していたことがあった。彼らが突き進んできたのはまさにそういう道だったように思う。しかもオルタナティブというのは「反主流」ではなく「もう1つの主流」というか、世の流れ方1つでメインストリームに転じることがあるもの。90年代前半にグランジ / オルタナティブという新たな流れが時代の本流と化していった事実がまさしくそれを裏付けている。

そして、かつて旧態依然としたロックに対抗するものと見られていたグランジ / オルタナティブを象徴していたNirvanaをはじめとするバンドたちの音楽が約30年を経てクラシックロックの仲間入りをしているのと同様に、今やTHE YELLOW MONKEYのそれもまた日本ならではのクラシックロックとして熟成されてきているのだと僕は解釈している。

しかも再集結後の彼らは、そうした現実を踏まえつつも同時に新たな試みを重ねている。だからこそ僕自身が今現在一番魅力を感じる彼らのオリジナルアルバムは最新作の「9999」(2019年)ということになるし、「30Years 30Hits」から1曲選ぶとなれば、ヒット曲ではないどころかシングルにすらなっていない同作収録曲「Changes Far Away」ということになる。ブライアン・メイを思わせるギターの響きが印象的なこの楽曲には、これまでの長い時間経過とそこでのさまざまな変遷に思いを馳せるかのような郷愁の匂いが漂い、しかも現在の彼らが「新たなスタンダード」を生み出す創造性に満ちていることを証明している。1989年の春、このバンドが生まれた当初は、まさか彼らがこんな存在になるなんて思ってもみなかった。彼らと同じ時代の音楽を背景に持ちながら同じ時代を生きてこられて、本当に幸運だったと思う。

三宅正一

おすすめの1曲:「パール」

自分にとってのTHE YELLOW MONKEYは、ずっと縁遠い存在という感覚がある。記憶が正しければ、イエモンについて何か書くということもこれが初めてだ。しかし、本作「30Years 30Hits」の収録曲にはいくつかの個人的な記憶が紐付けられている。

写真家・梅川良満の代表的なシリーズである「Incarnations」の作品が使用された本作のメインビジュアルを目にしたとき脳内を駆け巡った音と画は、筆者が現時点でイエモンのライブを生で目撃した最初で最後のもので、今思えばあれは唯一、イエモンと自分が交差した時間だったのではないかと思う。

それは、「ROCK IN JAPAN FES.2000」のステージだ。茨城県・国営ひたち海浜公園にて初回を迎えた「JAPAN FES」の2日目。台風の接近に伴い朝から曇天だった空模様はNUMBER GIRL、KING BROTHERS、奥田民生、スピッツとライブが進んでいく中で霧雨が会場を覆うようになり、THE YELLOW MONKEYのライブ中に豪雨となった。

イエモンにとっての“台風による豪雨とフェス”といえば、この3年前に富士天神山スキー場で初開催された「FUJI ROCK FESTIVAL」におけるステージが、メンバーにとっても記憶に新しかったはず。「フジロック」の初日にイエモンはRage Against The MachineとRed Hot Chili Peppersに挟まれる形でトリ前に登場し、土砂降りの中で行ったライブがコアなセットリストなども含めて物議を呼んだことは現場にいなかった自分も知っていた。さらに初回の「フジロック」が、荒天が引き金となり惨状と化してしまった(2日目は中止)ことはインターネット黎明期にあっても伝説のように広まっていたし、ロックフェス=危険というイメージがまだ根強く残っていた時代でもあった。

しかし、「JAPAN FES」のイエモンは、最悪の天候もドラマティックな演出に思えてしまうほど紛うことなきロックスターとしての圧倒的なステージを見せてくれた。その最後に披露されたのが当時シングルとしてリリースされたばかりの「パール」だった。あのときの「イエモンがこんなにストレートなロックンロールを鳴らすのか!」というインパクトは今でもはっきりと覚えているし、荒天を完全に味方に付けたパフォーマンスは求心力の塊だった。

イエモンのライブ終了後、主催者は中止を判断。AJICOとこれが初ライブとなる予定だった中村一義のアクトは幻となった。つまり、「パール」が、「ROCK IN JAPAN FES.2000」の最後に鳴り響いた曲となった。

鮮烈で、どこか不穏なゆえに妙に惹き付けられる色彩と形状をまとったスモークが立ち上がる「30Years 30Hits」のメインビジュアルが、あのときの「パール」の記憶を呼び起こしてくれた。

森朋之

おすすめの1曲:「楽園」

“日本のロック”という言葉には、暗い歴史、正視したくない状況、複雑に絡み合う葛藤などが渦巻いている。すべての始まりは1945年の敗戦だ。その直後になだれ込んできたアメリカのカルチャーによって、日本の文化状況は一変。その象徴がコカ・コーラとロックンロールであり、自由を手にした気分になっていた当時の若者は完全にヤラれてしまった。熱狂と憎しみとともに。

その後、ロックンロールはもともと日本にあった歌謡と結び付き、独自としか言いようがない進化を遂げる。その最初のムーブメントが50年代のロカビリーであり、それは60年代後半のGSブームへとつながった。沢田研二、矢沢永吉から細野晴臣まで、戦後すぐに生まれた世代は間違いなく、“アメリカの音楽とどう向き合うか”というテーマと向き合わざるを得なかったはずだ。そしてTHE YELLOW MONKEYは、歪(いびつ)なまま発展した“日本のロック”と向き合い、その本質——歴史的背景や日本人が無意のうちに抱えているコンプレックスを含めて——をあらわにし続けた。熱狂的に支持するファンが多く存在する一方、“イエモンはどうも苦手”という人がいるのは、我々が見て見ぬふりをしている何かをこのバンドが表現しているからだろう。

コロナ禍以降、日本と世界でさまざまな問題が前景化したわけだが(価値観の違いによる分断とか経済的格差とか、この国のダメさ加減とか)、それはずっと前から存在していたものであり、「何を今さら」という話でもあるなと、サブスクリプションベストアルバム「30Years 30Hits」を聴いて実感してしまった。我々は自由でもなんでもなく、白人文化へのコンプレックスは消えることがなく、鬱屈とした気分を刹那的なエンタメで晴らしているにすぎない。しかし、だからこそ、どこかにあるはず“楽園”への憧れを捨て去ることもできないのだ。そんな大げさなことを言われても、と思われるかもしれないが、筆者はロックという音楽に対して、“たとえ一瞬であっても、この世界から解き放ってくれる”という機能を期待している。愛と勇気と希望を両手いっぱいに抱えたまま、自由な聖地を目指す。「Make you free 永久に碧く」。そんな幻想を与えてくれることもまた、THE YELLOW MONKYの魅力なのだと思う。

もりひでゆき

おすすめの1曲:「JAM」

おそらく95~96年のことだと思うが、当時よく利用していた駅前の大型看板で4人に出会った。グラムを想起させる佇まいとインパクトのあるバンド名が強く印象に残ったのを記憶している。そこから彼らの音楽は有無を言わさず耳に飛び込んでくるようになった。テレビの音楽番組やラジオではヘビープレイされ、友人とカラオケに行けば彼らの楽曲が次々とリクエストされていく。興味を持って過去のアルバムをさかのぼり、そのルーツを知ることにもなる。が、彼らに対してのイメージは“ポップさを併せ持ったロックバンド”という薄っぺらなものであったような気がする。バンドの上澄みだけをすくい取っていた、ライトリスナーにすぎなかったということだ。お恥ずかしい話。

今回、「30Years 30Hits」を聴いて思ったのは、バンドとしての揺らぎないポップセンスは間違いなく存在するということ。だが、それ以上に表現の幅、奥深さを痛感させられることにもなった。どの楽曲にも生々しいほどの人間臭さが満ち満ちていて、根底にはダークな感情が渦巻いていたりもする。それは初期の楽曲はもちろん、ヒットを連発していた――いわゆる筆者がポップさを感じていた時期の楽曲であっても、再集結したあとの曲でも変わっていないところだと思う。そういったバンドとしての根幹は変わらないものとして存在させ続けながらも、それをアウトプットする手法、各楽曲のアートフォームを常に模索し、新たなスタイルを提示していることも明白に伝わってくる。音楽的なトレンドに左右されない音楽性を軸としつつも、その時々で時代が求める音や言葉をしっかりとキャッチし、楽曲に落とし込むことも忘れない。それこそが彼らの比類なき魅力であり、デビューから30年を経てもなお求められ続けている理由だろう。

また、この30年という時間は彼らが日本語をいかにロックに乗せるかという命題と戦ってきた歴史でもあるような気がする。日本語が日本語として最良の形で流れていくメロディライン。それを最高の形で響かせるバンドアンサンブルとボーカリゼーション。「30Years 30Hits」に収録された30曲を聴いていると、そのスタイルが活動を重ねる中で研ぎ澄まされ、彼らならではのオリジナリティに昇華されていく様が見えてくるはずだ。

「30Years 30Hits」から1曲ピックアップするならば、迷わず「JAM」だ。26年前にこの曲のメッセージが与えた衝撃は色褪せないし、2022年の今だからこそよりリアルに、鮮烈に迫ってくるものでもある。THE YELLOW MONKEYが現役でいてくれることは、この曲が未来に向けて歌い継がれていくことを意味する。その奇跡を30年という節目にしっかりと噛みしめたいと思う。

プロフィール

THE YELLOW MONKEY(イエローモンキー)

1989年に吉井和哉(Vo)、菊地英昭(G)、廣瀬洋一(B)、菊地英二(Dr)の現メンバーで活動開始。ハードロックとグラムロック、歌謡曲を融合させた独自の音楽性で人気を集める。1995年1月にリリースされたシングル「Love Communication」 がスマッシュヒットを記録し、その名を一気に広めた。「JAM」「楽園」「LOVE LOVE SHOW」「BURN」といったヒットソングを次々と送り出すも、2001年1月の東京ドーム公演「メカラ ウロコ・8」を最後に活動休止状態に。そして2004年7月に解散を発表した。解散後のメンバーはそれぞれソロで活躍していたが、2016年1月に再集結を発表。5月よりアリーナツアー「THE YELLOW MONKEY SUPER JAPAN TOUR 2016」を開催した。2019年4月に19年ぶりのアルバム「9999」を発表し、全国アリーナツアー「THE YELLOW MONKEY SUPER JAPAN TOUR 2019 -GRATEFUL SPOONFUL-」を開催。2019年末にスタートした結成30周年記念の東名阪ドームツアーは新型コロナウイルス感染拡大の影響により途中で中止を余儀なくされたものの、2020年11月に東京・東京ドーム公演のリベンジ開催を果たしている。

※記事初出時、本文に一部誤りがありました。お詫びして訂正いたします。

2022年4月9日更新