2019年1月に始動したザ・リーサルウェポンズはアメリカ生まれのサイボーグジョー、彼を“発明”した日本人プロデューサー・アイキッドからなる日米2人組ロックバンド。1980〜90年代のカルチャーを背景にした楽曲や、日常をユーモアたっぷりに表現した楽曲で注目を浴び、2020年8月にシングル「半額タイムセール」でソニー・ミュージックレーベルズからメジャーデビューを果たした。
音楽ナタリーでは8月からの3カ月連続リリース企画を記念して、サイボーグジョーとアイキッドの2人にインタビュー。令和の時代に異彩を放つザ・リーサルウェポンズが誕生した背景や、2人のルーツ、新曲について語ってもらった。また撮影は結成のきっかけである東京都中野区の古書店・ブックマート都立家政店を中心に行った。
取材・文 / 田中和宏 撮影 / 宇佐美亮
2人の出会いは奇跡
──ザ・リーサルウェポンズはブックマート都立家政店でのつながりがきっかけで結成されたバンドですが、改めて結成の経緯を聞かせてください。
アイキッド 都立家政の青角という居酒屋で、ブックマートの店長さんにサイボーグジョーを紹介してもらったのが初めての出会いでした。僕が当時アニメを作っていて、それを翻訳できる人を探していたんです。そこからはダラダラと、そんなにしょっちゅう会うわけじゃないけどたまに飲むという関係性でした。ジョーは日本が五郎丸フィーバーで沸いていた2015年に東京に来て、出会ったのは2016年です。ある日、ブックマートの店長さんが「ブックマートの曲を書いてほしい」と言ってきて、気が進まないままイヤイヤ書いたら「ボーカルもやってよ」と言われて。でも僕は歌えないし、歌うつもりもないんで、じゃあほかにいい人いるかな?と思ったらジョーがいた。
サイボーグジョー はい。そうね。
──サイボーグジョーさんはなぜブックマートの店長さんと知り合いだったんですか?
ジョー 東京に来たときに隣の鷺宮に住んでて、携帯電話の電波がなかったから、めっちゃ道迷った。急に都立家政駅が見えて「あれ! これ鷺宮じゃないよ!」と思って。面白そうな店だと思ってブックマートに入ったら、店長さんが2時間もいろいろなジャパニーズ文化を話してくれてすぐ仲良くなった。でも実は道迷ったから助けてくれよと言ったら「OKOK、フォロミーして」って言われたので助かりました。そこから友達になった。
──ブックマートの店長からはどんな日本文化を教わったんですか?
ジョー ブックマートの店内でいろいろなものを見せてもらったら、THE BLUE HEARTSのCDを見つけて「あ、これはブルーハーツじゃないか!」って。「なんでブルーハーツ知ってるの?」と言われてからめっちゃジャパニーズ音楽とか映画の話をして、店長さんからメニーメニー質問されて……アメリカ人はアニメ好き多いけど、私あまり好きじゃない。「黒澤(明)とかは大好きだよ」と話しました。
──アイキッドさんとブックマート店長さんの出会いは?
アイキッド 僕は2014年に仕事を辞めて、板橋区からなんの用もなく中野区に引っ越してきたんです。ある日、野方の音楽が流れるバーでANTHEMの曲が流れてきて「あ、ANTHEMだ!」と言ったとき、隣の席にいた兄ちゃんがブックマートの店長だったんです。そこで「なんでAHNTHEM知ってるの?」「メタル好きです」みたいな会話をして、「僕、ブックマートっていう古本屋をやっていて、いつもメタルを流してるんだ」と。変わってる人がいるなあと思いました。そのあとずっと会ってなかったんですけど、僕のアパートの前の植え込みに文芸雑誌が捨ててあったんですよ。野ざらしでボロボロだったんですけど、都立家政のブックマートに売りに行ったら「これは無理です」って(笑)。でもそのときに「そういえばあなた、いつかバーにいた人ですよね?」という話になり、飲み仲間になった。
──アイキッドさんはザ・リーサルウェポンズ結成前から長年の音楽キャリアがありますが、当時も何かやっていたんですか?
アイキッド 音楽の隣接業でしたね。音響だったり、録音だったり、数年に1回ももいろクローバーに楽曲提供する、みたいな大きめの案件を引き受けている感じですけど、普段はまったり生活費だけ稼ぐ生活でした。
──ちなみになぜ店長さんはお店の曲を作りたかったんでしょう?
アイキッド 目立ちたがり屋なんですよ、あの店長(笑)。「自分の店にレガシーがほしい」みたいなことを言って。そもそも経営が厳しかったと本人も言ってますけど、ザ・リーサルウェポンズのプロモーションビデオの効果で、今Googleで都立家政って調べると、予測ワードに「ブックマート」が出てきますからね。あれは完全にザ・リーサルウェポンズの功績ですから(笑)。
──今やザ・リーサルウェポンズのファンが訪れる聖地のような場所になってますよね。
アイキッド そうなんですよ。そのくせ地元のケーブルテレビでは店長が「自分が作った」とか言ってました(笑)。番組で紹介されたときの字幕に「店長自ら都立家政ブックマートのPVを」って。さすがにあのときは殴り込みに行きました(笑)。
──仲のよさがうかがえます(笑)。
ジョー それに都立家政のブックマート、僕がPRで歌ったのに割引してくれないよ!
アイキッド そうね(笑)。これだけ貢献してるのにいまだに定価で買ってます。
──バンド結成のきっかけはブックマート都立家政店ですが、結成の地は高田馬場のゲームセンターらしいですね。
アイキッド そうですね。そこに至るまでの話があって、ブックマートのPVを作ったときは、努めて楽しくやるようにしたんですよ。1回ポッキリだから思い出作りで楽しんだほうがいいかなって。集まった人たちみんな楽しそうで、ジョーからは「あれの続きやろうよ!」「また映像作ってよ!」みたいに言われて。でも曲も映像も作るのは全部自分だし、実際すぐにはできないから断りました(笑)。だけどジョーは1年後、日本語がペラペラになってたんです。「あれ? 普通にコミュニケーション取れるから音楽もできるのかな」と思うようになったし、あとは人間性もわかってきて、一緒にバンドができるなと思えて。ジョーがたまたま高田馬場のゲーセンで遊んでたからそこまで行って、「バンドやるぞ」と伝えたら「うん、いいよ」ってゲームしながら軽いノリで返されて(笑)。僕はその時点で、CDや映像を出す計画をある程度立て始めていました。
90年ぶりのバートン・クレーン
──最初にジョーさんから誘われたときは断ったけど、1年後に考え直したんですね。
アイキッド 人間性がわかったから。日本人同士で仕事すると言葉がきつくなりがちなんですが、彼は私のきつい言葉のニュアンスがわからないからちょうどいいです(笑)。
ジョー その真面目さは感じている。僕は日本人でないからOKね(笑)。
アイキッド それでいいのよね。それが非常に助かった。
ジョー ブックマートのPVを作ったとき、アイキッド先生の真面目さはダウンしていて、楽しそうだった! でもバンドがスタートしたら超キツかった。めっちゃ真面目な音楽の作り方! ストイック!
アイキッド よくある空手教室のダイエットコースとプロ志望コースの違いです(笑)。
ジョー 「なんでやねん」って曲を最初に作っているときに「おーやっぱり。センスがバッチリ」と思ったし、そういう真面目さがわかった。
アイキッド ちなみに僕が最初にこのバンドでイケると確信したのは、彼がAメロで「漫才 like a hurricane」って発音したときで、「漫才」も含めて本物の英語に聴こえたんですよ。これは洋楽でも邦楽でもない新しいものだ、と思いました。僕自身はJ-POPを作っているわけですけど、いつもレコーディングのとき大笑いしてました。なんで日本語の部分も英語の発音になるんだって(笑)。
ジョー だからたまにアイキッド先生が「日本語うますぎだよ。もっとカタコトで言っていいよ」って言う。
──日本での生活が長くなって、ジョーさんの日本語がだんだん流暢になってるんですね。
アイキッド 粗削りが面白かったのに(笑)。イメージ的には、戦前にバートン・クレーンっていう日本語を歌う歌手がいて、「酒が飲みたい」って歌っていたあのキャラクターをジョーにやってもらう感じ。90年ぶりにバートン・クレーンのような存在が復活する感じにしたかったんです。
ジョー 僕はそのキャラ、知らんけど。
──ザ・リーサルウェポンズを始めるにあたって、当初はどんなコンセプトを考えたんですか?
アイキッド コンセプトはバートン・クレーンのイメージと説明しているんですけど、要するに面白いアメリカ人がいるバンドにしたかったんです。マーティ・マクフライ(映画「Back to the Future」の主人公)に似た感じのジョーを通じて、80年代のカルチャーをルックスとフィジカルで表現できたらなと思って。楽曲のテーマに関しては自分の半径50m以内のことばかりですね。僕は自分の知ったことや経験したこと、日常しか書けないので。そこはブレずにずっとやっていくのかなと思います。ザ・リーサルウェポンズは奇跡的な組み合わせなんですよ。僕の音楽スタイルは30年くらい変わってないんですけど、80年代っぽい昔のフレーズを打ち込みで作るスタイルの僕の近所に、ジョーというマイケル・J・フォックスみたいな人が来たんですから。
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サプライズ人生