新型コロナウイルス感染拡大の影響により全国で緊急事態宣言が発出された2020年4月、1組の音楽ユニットが誕生した。当時大学生だったたか坊(Vo)、拓まん(G)、アルフィ(DJ)の3人はステイホームの最中にTENSONGを結成し、音楽活動を開始。まだアーティストに利用される機会の少なかったTikTokを積極的に活用し、ティーンを中心に着実にリスナー層を拡大させてきた。
彼らは子供の頃からアーティストへの憧れがあったわけでもなく、バンド活動を行っていたわけでもない。音楽的なルーツもなく、活動を始めた動機も「やることがなかったから」。しかしTENSONGは積極的にオリジナルソングを制作し、TENSONGならではのスタイルを獲得していく。2023年に入ってからは全国47都道府県を回る対バンツアー「~JUST FOR FUN 2023~」を開始。そして8月19日、神奈川・KT Zepp Yokohamaで初のワンマンライブに挑む。
「アーティストミマン(未満)」と題されたワンマンライブで、彼らはどのようなステージを見せてくれるのか。音楽ナタリーでは3人にインタビューを行い、結成からこれまでの流れを追った。
取材・文 / 西廣智一撮影 / 臼杵成晃
ルーツのない3人が「何かを伝えたい」と考えるようになるまで
──最初に、皆さんの音楽的ルーツや音楽活動を始めたきっかけを教えてください。
たか坊(Vo) 僕には、音楽のルーツがないんですよ。
──といいますと?
たか坊 学生時代はずっとラグビーをやっていて、歌うことは単純に好きでした。だから、学生時代も文化祭に出るためだけに曲をカバーをしたり、本当にそれくらいで。ただ、大学生になってコロナウイルスが蔓延してからは、急に暇になってしまって。それでこの3人が集まって、音楽をやってみることになったんです。そういう意味では、このメンバーとの出会いが僕の音楽的ルーツかもしれません。
拓まん(G) 僕もルーツらしいルーツはなくて。高校時代、単純にモテたいからギターを始めたんですけど、男子校で周りに男子しかいなかったから、結局あんまり意味がなかったんです。で、大学に入って彼らと出会ったんですけど、気付いたら彼(たか坊)からモテていたという。
──(笑)。ギターを弾くうえで影響を受けたプレイヤーは?
拓まん 彼らから「本格的にやろうか」と言われるまではコードを弾けるぐらいで、最近になっていろんな人を意識するようになりました。例えば、日本だとAssHさんというYOASOBIのサポートを務めている方から影響を受けていますし、海外だとジョン・メイヤーさんとかは最近フレーズを真似したりしています。
アルフィ(DJ) 僕は楽器とかまったく触ったことがなくて、中学生のときに動画サイトでボイスパーカッションを知って、それを真似するようになったくらい。で、大学に入ってから趣味でDJをやるようになって、EDMとかに興味を持ち始めた頃に彼らと出会って、一緒にやることになったんです。最初はボイパで参加していたんですけど、やれることに限界があったのでDJとしても参加するようになりました。
──ちなみに、お互いの最初の印象はどうでしたか?
たか坊 拓まんは今こそめちゃくちゃ真面目で、僕とは真逆な性格なんですけど、出会った当初は「イカれてんな」っていう印象でした。だって、坊主頭でピアスをガンガン付けて、夜でもサングラスをかけてるんですよ?(笑) それが今ではこんなに丸くなって。で、アルフィは今も昔も何を考えているかまったくわからない(笑)。
──拓まんさん、アルフィさんから見たたか坊さんはどうですか?
拓まん 昔も今も変わらず欲望のままに生きている、ただのアホですね(笑)。
アルフィ その通り(笑)。
たか坊 だって、欲望のままに生きたいじゃないですか!
──否定しないんですね(笑)。TENSONGはパンデミックが本格化し始めた2020年4月に結成されたわけですが、当時はどんなことを考えていましたか?
たか坊 最初は今とは別のユニット名で活動を始めたんですが、多くの人に出会い「もっと真面目に音楽をやっていこう!」と決めたタイミングでTENSONGに改名しました。当時、チームでSNSを使っていろんな人に知ってもらおうという目標を掲げていましたが、僕はSNSには抵抗があったので路上で活動していきたいと考えていて。ただ、当時のご時世では路上でやっても人は集まらないし、SNSを使ったほうがたくさん広まるでしょ?と論破されて、TikTokを始めてみたんです。あの頃のTikTokはまだ音楽系ユーザーがめちゃくちゃ少なかったので、知ってもらうためにとにかくカバー曲を投稿し続けて。その中で、単に「有名になりたい」というライトな視点から「ちゃんと人に何かを伝えたい」という考えに変わっていき、オリジナル曲を作り始めました。
──たか坊さんはなぜSNSに抵抗があったんですか?
たか坊 誹謗中傷とか何を言われるかわからないのが嫌で(笑)。そもそも歌に対しての自信もなかったから、知らない人に聴かせることに恐怖感もあったんです。いざ始めてみるとその不安は考えすぎだったことにも気付かされましたが。今、僕らは47都道府県ツアーをやっていますけど、思いやメッセージをダイレクトに届けられるのはやっぱり生=ライブだなと感じています。ライブは人の顔を見ながら届けるという経験を積めば積むほど手応えも大きくて。とはいえSNSにもまた違ったよさがあるので、これからもうまく活用していけたらと思っています。
音楽をやるってことは、覚悟というより運命に近い
──拓まんさんはTENSONGを始めた当初、どんなモチベーションで活動と向き合っていましたか?
拓まん 当初はただ有名になりたいだけだったので、ギターがうまくなろうがなかろうが、有名になれたらすべてよし、という思考で。SNSのフォロワーが増えていく、でも自分の技術は上がらない、だけど満足はしているという状態でした。その思考が明らかに変わったのは1年半ぐらい前、就活問題と向き合ったとき。就職しないことを決めたときに、グループの結果だけじゃなくて個人の結果を出さないとダメだと考えを改めたんです。
──そうか、趣味の延長でやっていて、最終的には就職という保険もあったから。
拓まん ですね。大学を卒業したら就職して、そこでスパッと辞めてしまえばよかったので。
アルフィ 僕も就活を考えたときに、「このまま進むには将来が不安だ」とメンバーに話しました。親も音楽活動には否定的でしたし。でも、それでも続けたいという気持ちが心のどこかにあった。実は2年前の冬に一度「就職するからTENSONGを辞める」とたか坊に伝えたんです。
たか坊 そのときは「お前が辞めるんだったら、俺も辞めるわ」と答えたんですけど、そうしたら拓まんも「俺も辞める」と言い出して。結局、みんな「続ける!」と前言撤回して、続けることになったんです。
アルフィ それで親を説得したら、「そこまで言うなら」と納得してくれて。そこからTENSONGとしての将来を本気で考えるようになって、本気でやろうと覚悟できました。
拓まん こいつ、仮にTENSONGを辞めていたとしても、就活はできなかったですよ。だって単位がめっちゃ危なかったので(笑)。続けると決めたから卒業できましたけどね。
たか坊 そういう意味では、ちょうど2年くらい前が人生の分岐点だったのかな。僕も就活していましたし、インターンにも行っていましたから。
──では、楽曲制作やメッセージを届けることにおいて、意識が変わったタイミングはいかがでしょう?
拓まん そういう意味でのターニングポイントは、間違いなく「纏-まとい-」(2021年7月配信)という曲かな。その頃から全員の意識が変わったと個人的には感じていて。制作においてプロデューサーが付くようになったのがこの曲からで、歌詞の内容やメロディ、アレンジを初めて自分たち以外の人と一緒に詰めていったんです。この曲がTENSONGとしての真の第一歩だったと自分は思っています。
たか坊 僕も一緒ですね。
アルフィ 僕は個人的に、「Bye Myself」(2021年11月配信)がターニングポイント。TENSONGの中でDJをやるようになったのが、この曲からだったんです。
拓まん 時期的に2021年後半ってことだね。
──タイミング的にも、就活をやめてTENSONG一本に絞った時期と重なりますよね。確かに、「纏-まとい-」や「Bye Myself」あたりから、楽曲のクオリティも高くなった印象がありますし。そして2022年春、大学卒業と同時に活動拠点を東京に移します。これは音楽で生活していくという覚悟の表れなのでしょうか?
たか坊 最近そこについて考えたんですけど、「俺にはこれしかないんだ!」という覚悟があるのかと聞かれたら、正直自分でもわからなくて。音楽をやるってことは、自分の中では覚悟というより運命に近い気がするんです。覚悟が決まったかと言われると、正直、はっきりとは答えられません。でも、今この3人が一緒にいることは運命なんだと。そういう意味では、自分は今アーティストになれていないし、今後もなれなくてずっと“アーティストミマン(未満)”のままなんじゃないかな。「だったら自分は等身大のままでいい」と、最近考えるようになりました。ステージ上でお客さんと一番近い距離で、アットホームにやれる存在もいいんじゃないかなって。お客さんと横並びで輪になる、そういうスタンスもいいなと思うようになったんです。
──その考え方、素敵じゃないですか。
たか坊 本当は背伸びしたかったんですけどね(笑)。せっかく音楽をやるんだったら、天才やカリスマと思われたいじゃないですか。でも、そういうわだかまりがやっとなくなってきたのが最近かもしれないです。もちろん、志は高く持っているべきだとは思うんですけど、ありのままで人前に堂々と立つというのはなかなかできないことだからこそ、普通の人と同じ感覚を忘れずにいたいと思っています。
──TENSONGは楽曲リリースやライブ活動、SNSへの動画投稿以外にも、ハンディキャップを抱える人たちとコラボする企画「十人十色プロジェクト」という活動も行っています(参照:TENSONG、動画とクラファンでエイズ孤児支援団体を応援)。このプロジェクトに取り組もうと思ったきっかけは?
たか坊 正直な話、最初は自分たち発信で始めたことではなかったんです。でも、周りの人たちからの提案で始めてみたら、ジェンダーフリーの方や障害を持っている方、もっと言えば殺処分される犬や猫にも自分たちが光を当てられるんじゃないかなと思うようになって。自分たちがスポットライトを浴びるのではなくて、自らが光になればいいんだ。それが「十人十色プロジェクト」をやる意味になるんじゃないか……今はそういう気持ちで、このプロジェクトに取り組んでいます。と同時に、ここからは自分たちで何か行動を起こすことが今後の課題だなとも思っていて。1つのことに取り組んだから終了ではなくて、そこから新しい課題を見つけていくことがこのプロジェクトにおいては重要なのかなと、最近気付き始めたところです。
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素直に、欲望のままに生きたら、こういう歌ができました