Technics「忘れられない風景と音楽」|クリープハイプ尾崎世界観が思い出の地・国立へ

Hi-Fiオーディオブランド・Technicsの完全ワイヤレスイヤホン「EAH-AZ80」と連動した春のプロモーション「忘れられない風景と音楽 プロジェクト」がスタートした。

「忘れられない風景と音楽」は、思い出の音楽を聴くことで当時の風景と記憶を再生し、自分自身の心を取り戻すというコンセプトのプロジェクト。新生活シーズンの春に第1弾として、SNSで思い出の楽曲と写真・エピソードを募集している。音楽ナタリーではこのプロモーションとのコラボインタビュー3本を掲載する。

第1弾に登場するのは尾崎世界観(クリープハイプ)。尾崎がメジャーデビュー前から2013年まで住んでいた東京都国立市の思い出スポットを巡り、当時の生活ぶりや、そのとき暮らしていた部屋で生まれたクリープハイプの楽曲について明かしてもらった。さらに、「EAH-AZ80」の聴き心地や最新曲「喉仏」の制作エピソードも語っている。

取材・文 / 天野史彬撮影 / 須田卓馬

忘れられない風景と音楽 プロジェクト

忘れられない風景と音楽 プロジェクト

Technicsの完全ワイヤレスイヤホンが4月22日に開始したプロジェクト。多くの人が疲れやストレスを感じやすい新生活シーズンの春に第1弾として、SNSで思い出の楽曲と写真、そのエピソードを募集するほか、六本木や下北沢、渋谷の駅構内でポスター広告を掲出する。また、マルチクリエイター深根がプロジェクトのために書き下ろした新曲「あの空とおく」を使用したコンセプトムービーや音声広告では、ナレーションをたかはしほのか(リーガルリリー)、歌人の木下龍也が担当している。

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Technics「EAH-AZ80」シルバー / ブラック

Technics「EAH-AZ80」

TechnicsがHi-Fiオーディオ機器の開発で長年培われた音響技術の粋を注いだ完全ワイヤレスイヤホン。10mmドライバー×アルミニウム振動板が搭載されており、低域から高域まで再現性の高いクリアな音を楽しむことができる。ノイズキャンセリングの性能は業界最高クラス。長時間の使用でも疲れにくい“コンチャフィット形状”を採用しているほか、業界初の3台マルチポイント接続にも対応している。

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新生活を始める人へ

──今日は尾崎さんとゆかりの深い国立駅周辺で撮影をしながら、Technicsの完全ワイヤレスイヤホン「EAH-AZ80」で音楽も聴いていただきました。ちなみにTechnicsはこの4、5月に「忘れられない風景と音楽」をテーマにしたプロモーションを実施しています。まず“新生活”と言われたとき、尾崎さんには心に浮かぶ思い出などはありますか?

そういうことに影響を受ける仕事をしていないので、あまりないです。出ていた番組が終わることはたまにあるけれど、それでもやることは変わらないし。4月はフェスが少ないので、どちらかと言うと制作している時間が長い時期です。入学や卒業も、自分の中ではそこまで重要なものという感覚はなくて。強いて言うと、4月にライブをすると「行けない」という声がよく挙がるんです。環境が変わるから予定を立てるのが難しいらしくて。それだけ4月っていろいろ変わるんだと、お客さんの反応を見て感じます。

国立をひさびさに訪れた尾崎世界観。

──そんな尾崎さんが、新生活に対して不安を抱いている人にアドバイスをするとしたら、どのような言葉をかけますか?

決まった以上はどうにかしなければいけないですもんね。自分だったら、あまり考えないです。「もう仕方がないことなんだ」と受け入れる。自分も一緒に仕事をしていた担当の方が異動になったりすることもあって。寂しいことではありますが、「仕方がないことだ」と思います。

国立周辺を歩く尾崎世界観。
国立周辺を歩く尾崎世界観。

国立で暮らし、バンドとして活動する意味を考えた

──ロケではかつて尾崎さんが住んでいた家の近くや駅前の大学通りを回りましたが、クリープハイプがメジャーデビューした少しあとくらいまで、国立に住まれていたんですよね?

2013年の7月まで国立に住んでいました。最近は来られていなかったので、今日はいい機会かなと思って。来たのは2年ぶりくらいですね。

国立周辺を歩く尾崎世界観。

──国立にはどのようなイメージを持っていましたか?

もともとは「四月物語」という映画を観ていたときに「景色がいい場所だな」と思って調べたら、それが国立だったんです。忌野清志郎さんも好きだったので、最初は清志郎さんや「四月物語」のイメージが国立にはありました。昔、500円で売っている東京の小さい地図を持っていて、その地図を読んでいたときにも国立の街の雰囲気がよさそうだと思って、遊びに来ました。それが国立に来た最初だったと思います。その頃は住み始めた頃とも違って、駅はまだ三角屋根でした。そのあと、21歳のときに国立に引っ越しましたが、住み始めると街をまったく見なくなってしまって。一番好きな街に引っ越してきたのは失敗だったとあとから気付きました。生活と結び付くと、いいと思っていたものもそう感じられなくなってしまう。

──なるほど。今日、ひさびさに国立の風景の中に立ってみて、いかがでしたか?

ひさしぶりに来て、いい街だなと思いました。やっぱり客観的に見ることができないと、街の魅力はあまりわからないですね。街を出てから10年くらい経って、やっと外から見ることができるようになるのかなと、今日思いました。

国立の風景。
国立の風景。

──国立で生活されていた頃のご自分を今振り返ると、どんなことを感じますか?

何も形にならなくて、メンバーすらも固定せず、どうしたらいいかわからずにダラダラとバンドを続けていました。バイトをするのが本当に嫌で、必要最低限のシフトしか入らないので常にお金がない状態で。でも、ただ“ない”という感覚があっただけで、今に比べて不幸だったかというと、そうでもない気もします。当時はそのときなりの楽しみ方をしていた。視点が変わっただけで、根本的には“自分は自分”なんだと、改めて国立の街を歩いてみて思いました。明らかに街を見る角度は変わっているけれど、そのズレにさえ気付くことができれば、当時の目線に戻すこともできるので。

──国立で暮らしていた頃の記憶で、強く覚えていることはありますか?

2011年の東日本大震災があったときに、今日撮影で通った道を歩きながら、「自分がバンドをやっている意味はなんだろう?」と考えていたことを覚えています。ちょうどクリープハイプのCDがお店に並ぶようになり、自分のCDを試聴機で聴いている人たちを直に見るようになり始めた時期だったんですが、「別に自分の音楽なんて世の中にとっては意味がないものなのかもな」と感じて。特に、その頃は計画停電で電気も使いづらかったし、さっき歩いた道は夕方でも真っ暗でした。あの道を通って吉祥寺のスタジオまで歩いたときの感覚は今でも覚えています。すごく心細かったし、それでも「何か意味のあるものになりたい」とも強く思った。国立で暮らし始めてしばらく経っていましたが、2011~2013年は、いろんな状況も相まって、自分にとって大きな3年間だったと思います。

店先で見つけたクリープハイプの写真「あれはうれしかったですね」

──事前に国立時代の思い出の曲もピックアップしてもらいました。挙げていただいたのは「イノチミジカシコイセヨオトメ」「手と手」「NE-TAXI」「ボーイズENDガールズ」です。すべて国立に住んでいる頃に作った曲ですよね。

そうですね。どれも今は作れない感じの曲です。

国立駅付近のベンチに座って音楽を聴く尾崎世界観。

──この4曲は国立の景色と重なりますか?

国立の景色というよりは、あの頃住んでいた部屋ですね。曲を作っているときはあまり外の景色とは結び付かないです。もっと閉じた感覚で作るものなので。「イノチミジカシコイセヨオトメ」は、どんな状況で作ったのかも思い出せます。あのときは次の日ライブがあって、眠れなくてギターを弾いていたらなんとなく歌詞まで出てきて、そのまま最後まで作りました。一気にできた曲でしたが、そういう曲ってほとんどないんです。あとから振り返ってもどう作ったか説明できない。歌詞も言葉としておかしなところもあるけれど、正しいか正しくないかを考える前に完成させることができた曲です。

──この曲ができたことは尾崎さんにとって大きな出来事でしたか?

そうですね。音楽だからこそ書けた文章だと思います。基本的に、歌詞って恥ずかしいものなんですよ。言葉として変だし、足りていないし、聴き手がちゃんと聴いてくれないと成立しないものばかりで。だからこそ、自分が納得できているかどうかはすごく大事です。「イノチミジカシコイセヨオトメ」はそういう意味でも、自分を納得させることができた曲だと思います。当時はバンドメンバーがいなかったので、完成した翌日のライブでは弾き語りで歌いました。「イノチミジカシコイセヨオトメ」を作ったことで、疾走感のある楽曲のイメージが浮かんで、その流れで「手と手」のような曲も作ることができました。

国立の風景を眺める尾崎世界観。

──選んでいただいた曲の中で、「NE-TAXI」のスピード感は、国立の穏やかな雰囲気というよりは、むしろ新宿のような都心部のざわついた空気感も含まれているように感じました。

リハーサルや練習で使うスタジオは新宿が多かったですね。新宿から中央線で国立に帰ってくるような日々だったので、都会のイメージもあったのかもしれません。でも、あの当時は1歩外に出てしまうと、外の景色を作品に影響を与えるものとして捉えることはできていなかったと思います。ただ、家に帰るための道というだけで。そうなってしまったことも寂しかった。家から駅も遠かったし。さっき撮影をした階段からさらに歩くんですよ。つまらない道なんです、本当に(笑)。とにかく退屈で仕方がなかった。

──その退屈な道を歩くときに、音楽は聴いていましたか?

ポータブルCDプレイヤーで聴いていました。どのCDを持って行くかを毎日悩んでいて、近所にあるレンタルCDの店で古くなったCDを買ったりもしていました。今、自分のCDをレンタル落ちで買われると落ち込みますけど。

──(笑)。

でも当時は自分がそれをやっていました(笑)。店先には、新作CDの宣伝のために、選ばれたアーティストの写真が張り出された看板が出ていて。いつもそれを見ながらお店に入っていたんですが、引っ越す直前の2013年7月に、その看板に「吹き零れる程のI、哀、愛」というフルアルバムの宣伝のために自分たちの写真が張り出されていて、すごくうれしかったですね。いつもはもっとメジャーな人たちの写真が出ているはずなのに。

好きなのは「世に出ようとする人たちの作品」

──当時、ポータブルCDプレイヤーで聴いていた音楽はどんなものでしたか?

一緒にライブをしていたバンドの曲が多かったです。アマチュアバンドが自分たちで作っているCDや、ツアーで行った地方で知り合ったバンドと音源を交換して、よく聴いていました。自分たちと一緒で、世に出ようとしている人たち。小説を読むときもそうですが、新人賞でデビューしたばかりの人の小説を読むのが好きです。これから世に出る人たちの作品に触れるほうが刺激を受ける。それは当時から変わっていないですね。

国立周辺を回る尾崎世界観。

──尾崎さんが国立で暮らされていた期間は、尾崎さんの最初の小説「祐介」に書かれている時期と重なる部分も多いと思うんですけど、最初におっしゃっていたように今振り返るとそこまで悪い思い出ばかりでもない、ということですよね。

そうですね。「祐介」は悪い部分をしっかりと思い出して書きましたが、あの小説を書いているときも、「けっこういいこともあったよな」と思い出していたんです。うまくできているんですよね……思うようにいかなくて嫌な思いをする時期も、それをどうにかかわしてやっていく。当時、密かに“護送車”と呼んでいた、くすんだ色のバスで工場に行ってそこでバイトをしていたんです。今思うと「違法じゃないか?」と思うような時給で(笑)。でも、その工場に集まった人たちの人間関係を見ていると、すごく勉強になりました。朝早く起きて、夕方帰ってきて……そうだ、思い出した。「君の部屋」も国立で作ったんです。

国立の風景。
国立の風景。

──「君の部屋」はその後再レコーディングもされていますが、もともとは2009年にタワーレコード限定でリリースされた「mikita.e.p」に収録されていたんですよね。「mikita.e.p」には今回選んでいただいた「ボーイズENDガールズ」も収録されていました。

あと「猫の手」という曲が入っていて。「mikita.e.p」のCDジャケットは、さっき歩いていた道の先にある、当時住んでいた部屋で撮りました。あの写真のぶら下がっている洗濯物は、実際に工場で使っていた軍手です(笑)……思い出してきた。あの当時すごく痩せてたんだよな。つらかったもんな。