クラシックに取り入れられたブルースのフィーリング
──「3つの映画音楽」は、「ホゼー・トレス」「黒い雨」「他人の顔」という3つの映画音楽の曲を組曲にしたものです。それぞれまったくタイプが違う個性的な曲ですね。「ホゼー・トレス」では躍動感あふれるストリングスやリズムを刻むコントラバスに黒人音楽からの影響を感じました。
ブルースのフィーリングですね。「ホゼー・トレス」というのは実在した黒人ボクサーのドキュメンタリーなんです。だからブルースのフィーリングが必要だった。試合が終わったボクサーの虚脱感や、休息を取っているときの雰囲気が非常によく出ていますよね。数年前にこの曲をN響でやったときはちょっと大変だったんです。真面目な感じになってしまって(笑)。N響ではブルースなんてあまりやらないから。
──クラシックにブルースの要素を入れるというのは、この楽曲が発表された1959年当時にしてはとてもモダンなアプローチですね。
武満さんはとてもモダンな人でしたよ。最先端のものが好きでね。新しいテレビゲームが発売されると、「忠さん、やろうよ!」と持ってくるんです。それで勝つまで帰らない(笑)。だから、わざと負けてあげたりしていましたね。
──そういうお茶目なところもあったんですね(笑)。原爆によって人生を変えられた家族を描いた「黒い雨」は重厚でシリアスな曲です。
この曲から伝わってくるのは反戦の思いです。武満さんは反戦を貫いた人でした。彼の作品に「弦楽のためのレクイエム」という死を題材にした曲がありますが、「黒い雨」とよく似た雰囲気があります。
──「他人の顔」は「ホゼー・トレス」と同じく勅使河原宏監督の作品です。武満さんは勅使河原監督の作品も、何作も手がけられていましたね。
勅使河原さんの映画って独特の世界を持っているじゃないですか。それを、こういうワルツで表現するというのがすごいですね。普通の作曲家には思い付かないと思う。しかも、きれいなところとシニカルなところがあって天才的ですね。「3つの映画音楽」という、まったく性格が違う楽曲で構成された組曲を通じて、武満徹という作曲家がいかに多彩で多感な人だったのかがわかると思います。
「欲しい音」が頭の中に明確にあった
──最後に収録された「波の盆」は武満さんのサントラ作品の中でも、とりわけ人気がある曲ですね。
「波の盆」というドラマは、日本からハワイに移民した2世の人たちのかわいそうなお話でしたね。この曲のメロディは、今まで僕がやったオーケストラの人たちみんなが「きれいだ」と言います。英国のオーケストラの連中が演奏旅行でこの曲をやりたいと言うので、僕が5分くらいに短くカットして演奏したんです。どこに行っても喜ばれましたね。「誰の曲だ?」と聞かれて「武満だ」と教えると、武満さんの名前を知っている人は、「彼がこんな美しいメロディを書くのか!」と驚いていました。やっぱり、現代音楽のイメージが強いんでしょうね。だから「これが武満のもうひとつの顔なんだよ」と教えてあげたんです。僕が以前出したアルバムに、この曲を収録したことがありましたが、ヨーロッパでけっこう売れたんですよ。
──2001年に札幌交響楽団の演奏で発表された「Takemitsu・Hosokawa・A.Otaka」ですね。そのとき、バイオリン奏者の方が「波の盆」を演奏して涙を流したとか。
ファーストバイオリンで気難しそうな顔をした人がいて、どんな曲を演奏してもうれしそうな顔をしないんです。多分もともとそういう顔立ちなんでしょうね。その人が「波の盆」を演奏して泣いたんです。「すごくきれいですね」って。周りの楽団員は、みんな驚いちゃって。それくらい、人の心を打つメロディなんです。
──武満さんは作曲だけではなく、楽器や音色にも強いこだわりを持っていたそうですね。
そこはものすごく大事でね。彼の作品には、ハーモニカとかアコーディオンとか、いろんな楽器が出てくるんです。多種多様な楽器に精通していて、このパートにはこの楽器、という強いこだわりを持っていた。弦楽器で倍音奏法というのがあって、弦を薄く押さえることで倍音が出るんです。その倍音の出し方にも、いろんなやり方がある。そういうことにも武満さんは精通していました。武満さんの曲をN響でやったとき、楽団員が「この譜面通りの倍音は出ない」と言ってきたんです。武満さんはご存知なかったのかもしれない、と思って武満さんに伝えると、「出ます! ここをこう押さえて、こうやればほら」ってご自分で演奏された。武満さんは演奏家が知らない奏法も勉強して知っていたんです。
──自分の作りたい音楽を実現するための、いろんな勉強をされていたんですね!
「欲しい音」というのが頭の中に明確にあったんでしょうね。とてもはっきりした性格の方で、練習中に彼の顔を見ると、どれだけ演奏に満足しているのかすぐわかりました。すぐ顔に出るタイプなんですよ。「今日は不愉快そうな顔をしているな」と思ったら、たいてい前の晩、阪神タイガースが負けていた(笑)。武満さんはタイガースの大ファンでしたから。
オーケストラの醍醐味をたっぷり味わえる作品
──今回、改めて武満作品と向き合ってみて、どんな感想を持たれましたか?
幸せでした。2日間で録音をしたんですけど、最初は2日で足りるかな?という心配もあったんです。でも、非常にいい仕上がりになりました。最近のオーケストラ作品は、経済的な問題もあって、ほとんどがお客さんを入れたライブ録音なんです。でも、僕が若い頃は必ずセッション録音でした。セッション録音は、録音したあとにミキサールームで聴いてみて、良し悪しを判断したうえで録り直しができる。だからライブ録音よりいいものができるんです。それに今回は、映画のサントラを録音するときよりも大人数の編成で演奏したのでサントラより音がいい。
──サントラ盤で聴くのとは違った迫力や味わいがありますね。
今、いろんなオーケストラに「もっといろんな人にオーケストラを聴いてもらえる機会を作ったほうがいい」と言っているんです。そのためには、アニメの音楽をオーケストラでやったらいいんじゃないかって。アニメは今すごく人気があるじゃないですか。アニメの音楽はシンセとか小さな編成のオーケストラでやっている。それを大きな会場で、100人くらいのオーケストラで、電気を使わずにやったら、オーケストラのすごさに気付いてくれるんじゃないかと思うんですよね。そういう取り組みをする必要があるんじゃないかと思っていて。N響がアニメの曲をやったら、みんなびっくりすると思いますよ。
──それはぜひ聴いてみたいですね!
今回のアルバムでも、オーケストラの醍醐味をたっぷり味わってもらえると思います。武満さんにも、聴いてほしかったですね。
プロフィール
尾高忠明(オダカタダアキ)
1947年生まれ。国内主要オーケストラへの定期的な客演に加え、ロンドン交響楽団、ベルリン放送交響楽団など世界各地のオーケストラにも客演している。これまでに「1991年度第23回サントリー音楽賞受賞」を受賞するほか、1993年にウェールズ音楽演劇大学より名誉会員の称号、ウェールズ大学より名誉博士号、1997年に英国エリザベス女王より大英帝国勲章CBE、1999年に英国エルガー協会より日本人初のエルガー・メダルを授与されている。現在はNHK交響楽団正指揮者、大阪フィルハーモニー交響楽団音楽監督、BBCウェールズナショナル管桂冠指揮者、札幌響名誉音楽監督、東京フィルハーモニー響桂冠指揮者、読売日響名誉客演指揮者、紀尾井ホール室内管弦楽団桂冠名誉指揮者として活動するほか、東京藝術大学の名誉教授、相愛大学と京都市立芸術大学の客員教授、国立音楽大学の招聘教授も務めている。