今年で没後25年を迎えた作曲家・武満徹の楽曲を新録したアルバム「波の盆 武満徹 映像音楽集」がリリースされた。
生前にテレビドラマや映画など数々の作品のサウンドトラックを手がけ、「タケミツ・トーン」と呼ばれる独特の音色で世界中の演奏家や音楽好きから愛された武満。このたびリリースされたアルバムには、尾高忠明指揮のもとNHK交響楽団によりセッションレコーディングされた6曲が収録されている。本作の発売を記念して、音楽ナタリーは尾高にインタビュー。生前の武満とのエピソードや、尾高から見た武満の楽曲の印象などを語ってもらった。
取材・文 / 村尾泰郎撮影 / 須田卓馬
映像より音楽のほうが勝ってしまうことがある
──武満徹さんといえば日本を代表する現代音楽の作曲家ですが、映画音楽やポップスなどさまざまな作品を手がけています。尾高さんにとって武満さんはどのような存在ですか?
武満さんが1967年にニューヨーク・フィルで「ノヴェンバー・ステップス」を初演したとき、僕はN響(NHK交響楽団)の研究員でした。憧れのニューヨーク・フィルハーモニックとやるなんてすごいなあ、と思いましたよ。当時、武満さんは僕にとって神様みたいな存在でしたね。武満さんの曲は、小澤(征爾)先生級の指揮者じゃないと指揮できなかった。その後、僕は指揮者としてデビューして東京フィルハーモニーの指揮をするようになったのですが、武満さんの作品はやりませんでした。畏れ多くてできなかったんです。
──雲の上の存在だったわけですね。初めて武満さんの作品で指揮をとられたのはいつ頃だったのでしょうか。
1980年の「民音現代作曲音楽祭」で武満さんの「Far calls. coming, far!」(「遠い呼び声の彼方へ!」)という素晴らしい作品を初演することになったんです。僕はその音楽祭で指揮をしていたので、初めて武満さんの曲をやることになりました。その曲はバイオリン協奏曲で、アイダ・カヴァフィアンというバイオリン奏者と武満さんと3人で打ち合わせをすることになったんです。僕がアイダさんとリハーサルをしている間、武満さんは何もおっしゃらないんですよ。それが怖くて「何か気に入らないのかな」と思ったりして、もう疑心暗鬼。それで休憩に入ったときに、「ここまでいかがでしたか?」と恐る恐るたずねたら、「こんなに勉強してくださってありがとうございます。何も言うことはないです」とおっしゃられたんですよね。お世辞にしても、そこまで言われたら気持ち悪い(笑)。それが武満さんとの最初の出会いでした。
──それ以来、尾高さんは武満さんの曲を指揮するようになり、武満さんと交流を深めていきます。武満さんの曲の魅力はどんなところでしょう。
まず、武満さんの素晴らしい人間性が伝わってきますね。音楽性というのは人間性そのものだと僕は思っているんです。武満さんのクラシック作品は、普段クラシックを聴き慣れていない人には、ちょっととっつきにくいところがあります。でも、難しく思える中に、とってもきれいなところがあるんです。武満さんの心の清らかさを感じさせる美しさが。そういう美しさは、映像作品のサウンドトラックに如実に表れていますね。
──確かに、オリジナル作品より映像作品のほうが親しみやすいかもしれませんね。
武満さんは、たくさんの映像作品の音楽を手がけています。僕らから見たら武満さんはクラシックの人ですが、映画関係の人から見れば「武満さんってクラシックも書くの?」と思われるかもしれない。それくらいさまざまな作品を手がけていて、いろんなタイプの曲を書かれているんです。台本を読んだ瞬間にイマジネーションが湧くんでしょうね。武満さんが音楽を手がけた映画を観ていると、ときどき映像より音楽のほうが勝ってしまうことがある。映像以上に観客の感情を喚起させるんです。
濃密なロマンティシズムを感じさせる「タケミツ・トーン」
──武満さんは映画のサントラを手がけるときは、監督と細かく打ち合わせをして物語を理解したうえで、録音からミックスまですべての行程に関わられたそうですね。
彼はとにかく映画が好きで、映画音楽を作るのをとても楽しんでいたと思います。ただ、監督と合わないときが大変で、黒澤明監督の「乱」をやったときは揉めに揉めた。武満さんは「もう絶対、黒澤さんとはやらない!」と憤慨されて。
──クラシック好きの黒澤監督から「マーラーのような曲を書いてくれ」と言われたとか。黒澤監督はクラシックが大好きで、音楽のイメージを具体的に持っていただけに、作曲家としては作風を限定されてやりにくかったでしょうね。
武満さんはいろんな引き出しを持っていた方でしたからね。彼の対談集を読むと、違うジャンルの人たちとも話が広がる。どうやってあれだけの知識を得ていたんだろう、と思うくらい幅広い分野に興味を持っていた人だったんです。もともと武満さんはシャンソンが好きで、現代音楽の世界に入ったのはジョン・ケージとの出会いでした。そういう難解なところからスタートして、クラシックを勉強していった。僕が武満さんの作品をやるようになってしばらくたったとき、武満さんが「今、ブラームスを勉強しているんだよ」とおっしゃっていました。彼は現代音楽から入って、どんどんロマンティックな音楽に興味を持つようになった。それとともに作品もロマンティックになっていって、晩年はサントラとそれ以外の作品の差があまりなくなっていました。昔は難解な音が入っていないといけないと思われていたのかもしれませんが、年を重ねるにつれて解脱されていった。「音楽は美しくければいけない」というのが晩年の彼の持論でした。
──武満さんの作品が持つ独特の美しさは「タケミツ・トーン」と呼ばれているそうですね。それはどういったものなのでしょう。
ドイツ系じゃなくてフランス系の音ですね。フランス系のオーケストレーションで、ラベルやドビュッシーの作風に通じる濃密なロマンティシズムが出ているのが「タケミツ・トーン」です。20世紀近くになると、クラシックという果実が熟して“腐る寸前”みたいな美しさを持った音楽が生まれる。そういった音楽に通じるものが「タケミツ・トーン」にはありました。一時期のN響は「タケミツ・トーン」を表現するのが本当にうまかった。独特の音を出すことができたんです。僕が最初に外国で武満さんの作品をやったときは、その音を出すのが大変で。楽団員が武満さんのことを知りませんからね。そこで僕が「武満さんはこういう人だから」と説明するんですよ。「こんな性格の人で、こんな顔をしている人だ」って。そうするとできるようになるんですよね。「あなたの音を大きく」「あなたの音を小さく」とか、そんなふうに言ってもダメなんです。オーケストラの場合、作曲家がどんな人物かを説明した方が曲の理解につながるんです。
サウンドトラックから伝わってくる映画への愛情
──今回リリースされる「波の盆 武満徹 映像音楽集」は、「タケミツ・トーン」に精通しているN響の演奏です。収録曲は武満さんの代表曲ばかりですね。1曲目の「夢千代日記」から憂いを帯びた美しいメロディに惹き付けられます。
「夢千代日記」は僕が最初に惚れたNHKのドラマです。子供の頃に原爆で被爆した夢千代という芸者さんがヒロインで、吉永小百合さんが演じていました。すごくいいドラマで、音楽も素晴らしいなと思っていたんですよ。当時は武満さんがやられていたのを知らなくて、あとで武満さんから「あれ、僕だよ」と教えてもらって驚きました。とても美しい曲なので、ぜひ今回収録したいなと思ったんです。
──「太平洋ひとりぼっち」は一転して、おおらかなメロディと表情豊かなオーケストラサウンドが楽しめますね。
この曲は芥川也寸志さんと武満徹さんの共作です。芥川さんは芥川龍之介さんの息子さんで、有名になる前の武満さんの面倒を見られていたんですよ。芥川さんもすごい方で、日本とロシアの間に国交がなかった頃、ロシアの作曲家に自分の作品を見てもらいたくて1人でロシアに行ったんです。そこで(アラム・)ハチャトゥリアンとかいろんな作曲家と出会って、それがきっかけで彼の作品が海外でも評価されるようになった。芥川さんも映画音楽をいっぱい書かれていますが、僕はこの曲は共作じゃないような気がするんですよ。
──それはどうしてですか?
最初に譜面を見たときは、「ここは芥川さんだな」「ここは武満さんだな」と思っていました。でも、映画を何度も観て、楽譜を何度も見て、そしてN響でやってみて、かなりの部分を武満さんが書かれたのではないかと思うようになりました。曲の骨組みは芥川さんで、細かいところを武満さんがやられたんじゃないかな。
──ハーモニカが効果的に使われていますよね。
素晴らしいですよね。今回はセッション録音だからハーモニカの音をちゃんと録れたけど演奏会だと難しい。ハーモニカの音は小さいですからね。それをPAで大きくすると原曲の感じが出ない。「太平洋ひとりぼっち」を指揮したのは今回が初めてなんですけど、最初に出てくるメロディは譜面に書いてあるテンポより遅くしたんです。そして、次第に速くなる。というのも、ヨットはいきなり走り出しませんからね。風を受けて少しずつスピードが出る。映画でもそういうテンポでやっているんです。
──尾高さんが監督のように音楽を演出されているわけですね。
実は僕は映画監督になりたかったんですよ(笑)。もしかしたら、武満さんもそうだったのかもしれない。彼が手がけた映画音楽を聴くと、映画への愛情が伝わってきますから。今回のN響の録音は映画のサントラよりもいい音ですよ。まさに大海原という感じで。
次のページ »
クラシックに取り入れられたブルースのフィーリング