TAEYO|“日本の音楽を背負う”新鋭ラッパーがメジャーへ行く意味

弱さを見せてなんぼ

──この流れで「Let me down」の話を聞きたいのですが、僕が面白いなと思ったのは、曲名が「Let me down」なのに、歌詞では「Don't let me down」と歌っているところなんですよ。

そうそうそうそう。そうなんですよ。プロデューサーのChaki(Chaki Zulu)さんのアイデアです。特に深い意味はないんですけど、「Don't let me down」だとあんまりパンチがないっていうか、「Let me down」のほうが感覚的にスッと入ってくるっていうのはありますね。

──Chakiさんはサウンド面だけじゃなく、リリックのアイデアも出してくれたんですね。

Chakiさんと一緒に作ってると、「プロデューサーの仕事ってマジこういうことだな」って実感します。音作りだけじゃなくて、楽曲全体の世界観やリリックに関してもすごい提案してくれるんですよ。トラックだけポンと投げられてそこにラップを乗せるのも、一緒にブラッシュアップしていくのも好きなんですけど、ChakiさんとかBL(BACHLOGIC)さんとガッツリ一緒に作るのはやっぱ楽しいですね。お二人は心の底からリスペクトしてるんで、何を言われても嫌じゃないし(笑)。Chakiさんとは前にも仕事したことはあるんですけど、ガッツリ一緒にやったのは「ASHURA」が最初かもしれないです。

──「ASHURA」について、今振り返ってみてどう感じますか?

改名するちょっと前ぐらいに作ったんで、まだけっこうTaeyoung Boyノリなんですよね。今回の「Let me down」から完全にTAEYOになったかなと思います。

──「Let me down」のメロディはどのように?

完全にChakiさんと2人でアイデアを出し合って作りました。俺が考えたメロディで歌って、「いやー、それは違うんじゃない?」みたいに直されて、「ここはこのへんまでいっちゃったほうがいいと思うよ」「いや、そこまでは……まだ心の準備ができてないっす」「えー? ここまで突き抜けないと!」みたいな会話をしながら(笑)。俺の気持ちも理解してくれるんで、「そっか、まだテヤンはここまで行けないか。じゃあこのへんかな」って。自分なりに「Let me down」はだいぶ振り切ったつもりなんですけど、できあがってみると、まだまだ行けるって思えてきた。

──僕は振り切った印象を受けましたよ。例えば「世界の中心はいない 強いて言うなら俺じゃない 何度もそう言い聞かせた日 lyricは真逆で強がり」と弱さを吐露したヴァース2のリリックとか。

リリックはそうですね。Chakiさんは「弱さを見せてなんぼだから」とか、そういう指示をしながら「プレイヤーとして」みたいなちょっと人生的な話もしてくれるんですよ。それで自分のマインドもどんどん引っ張られて、無理なく弱い歌詞が書けるようになったというか。

──すごいな。素直に弱みをさらけ出せるような空気を作ってくれたんですね。

マジ先生ですよ、Chakiさん。しかもクサくならない音作りもしてくれるし、もう頭が上がらないです。

自分をうまいと思ってる

──「弱さを見せてなんぼ」と言われたということは、ふだんはカッコつけているほうなんですか?

超仲いい友達からは「マジでスカしてる」とか言われます。親にも言われるんで、「そっか、スカしてんのか」と思ってますね。実際スカしてなくはないですけど、死ぬほどカッコつけてるわけでもないとも思ってます。自分では。

──お話ししていて素直な印象も受けるので、本人は普通に振る舞っているのに、周りにはスカしているように見えるというパターンなのでは……とも思うのですが。

俺もそう思います。カッコつけてるように見えるんですよ。逆に音楽をやってなかったときは本当にめちゃめちゃスカしてたんですけど(笑)、音楽やり始めてからはわりと素だと思ってます。

──もともと日本のヒップホップのファンだったわけではないそうですね。

全然知らなかったです。家がラジオ家庭で、テレビはあんまりついてなくて朝から晩までずっとJ-WAVEが流れてたんです。日本のヒップホップはほとんどかからないから耳にする機会がなくて、流れたとしてもRIP SLYMEやKICK THE CAN CREWとかで、ポップスとして聴いてました。最初に好きになったのはローリン・ヒルやwyolica、LOVE PSYCHEDELICOで、ヒップホップはThe Black Eyed Peasから聴き始めました。小5、6くらいのときめっちゃ流行ってたんです。ファーギーのことを世界一かわいいと思ってましたね(笑)。あとDef Techにもドハマりして、今もよく聴いてます。そのあとにR&Bが好きになって、近所のCDショップでR&Bのコンピレーションを買って、リアーナやニーヨ、アッシャーを聴いて……みたいな。普通でした。

──日本語ラップとの出会いは20歳過ぎてからなんですよね。

全然遅いですね。スケボーを始めてから、パークの近くでサイファーしてる人たちを見かけて興味を持って、一緒に遊ぶようになったんです。Fla$hbackSを知って「日本人でこんなやついるの? しかも同い年かよ!」と驚いて、ラップやりてえなと思うようになって。なぜかできそうだなと思ったんですよね。その友達とライブを観に行ったらQNくんが出てて、めっちゃカッコよかったんで「レーベルに入れてください」って話したら「じゃあ曲作ってみてよ」と言われて、友達んちで作り始めたのがスタートです。

──最初の曲には満足できなかったそうですが……。

TAEYO

普通に「自分の声、キモ」って思いました(笑)。そのあともなんとなく作り続けてたら、「これならあんまりキモくない」という形が見つかりました。当時SoundCloudがめっちゃ好きで毎日ディグってたんですけど、そこで知って気に入っていたSoulectionのトラックにラップを乗せたらうまくハマったんです。「こういうチルでジャジーな感じのトラックに、ゆったり系のラップだったらいけるな」と思って、QNくんに聴かせたら「いいじゃん」ってトラックをいっぱいくれて……みたいな。そのあとはJ-POPみたいな曲とか強めなラップとか、いろいろやりましたけど、始まりはそのスタイルでした。

──「これでやっていこう」という感覚が固まってきたのはいつ頃ですか?

超最近かもしれないです。1年前とかは「大谷翔平選手がいい」とか言ってたんですよ。二刀流というか、ラップも歌もどっちもいけるっていう。今でもそう思ってるっちゃ思ってるんですけど、自分の強みを生かしたほうが早いし、刺さる数も多いなって。強さとかカッコよさを追い求めてないわけではないんですけど、そっちの方向はまだ試行錯誤中です。

──以前はラップと歌の二刀流を追い求めていたと。

俺、自分でラップはうまいと思ってるんですよ。普通に。だからかもしれないです。歌はまだまだですけど。うまいラッパーが超好きで、一番好きなのがリトル・シムズっていうUKの人なんですけど。USだとJ.I.Dとか。自分で言うのもなんですけど、日本語のラップについても、うまさがなんなのかわかってると思ってるんです。早く乗せるのがうまいわけじゃなくて、ゆるく乗せていてもうまいやつはめちゃくちゃうまいんですよ。日本語をちゃんとわかってて、言葉の分解の仕方とか、意味の通し方、遊び方で決まると思います。うまいラップが好きで、自分もうまいと思ってるからこそ、「負けたくない」という気持ちがあるんです。ヘタだと思われたくないし、ラッパーにリスペクトされるラッパー、アーティストでありたいです。

俺なら変えられる

──少し話が戻りますが、日本の音楽を背負うという感覚を持ったのはいつ頃から?

最初にDroittteと一緒にアルバムを作ったときに(2018年4月発表の「SWEAR」)、「俺なら変えられる」って思ったんですよ。でも全然甘々で、何も変わらない……何もってことはないですけど、自分の身の周りくらいしか変わらなくて(笑)。ただ、その繰り返しだと思うんですよね。いきなり1を100に変える力はまだないけど、作り続けることでスキルや武器をどんどん蓄えていって、いつの間にか100に変わってるくらいの感覚でいいかなって。気付いたら10ずつ変えていた、みたいなイメージです。

──自分の周囲をちょっとだけ変える。それを繰り返していくと、成長して影響力を手にすると共に変わる規模も大きくなりますね。

そうですね。別に1曲でクッソバズりたいとか……もちろん流行ったらうれしいですけど、そういうことじゃないのかもしれないです。

──ありがとうございました。次回もよろしくお願いします。ところで「ORANGE」のレコーディングはもう終わったんですか?

終わりました! 昨日かな。振り切ってる感はあると思うんで、ぜひ聴いていただきたいですね。