作詞家・湯川れい子が敷いた「ランナウェイ」発の道しるべ
──シャネルズはアマチュア時代からライブハウス「新宿ルイード」をホームグラウンドに活躍されていました。
僕たちのルイードデビューは、1977年に「スネークマンショー」のプロデューサーだった桑原茂一さんに頼まれて、ピラニア軍団で知られていた俳優の川谷拓三さんのバースデーライブのバックバンドを務めたとき。同時に桑原さん、僕たちをものすごく評価してくれて「フィル・スペクターのクリスマスアルバムみたいなのを、シャネルズとプラスチックスでやるのはどう?」と言ってくれてね。その翌年、エピックのスタッフから「ルイードってライブハウス知ってる? あそこで腕磨いていくのはどう?」と言われて毎週末、定期的にやるようになるんだ。1ステージ1時間半から2時間。それを2ステージだから1日60曲ぐらいドゥーワップをやってたよ。最初はコアな男性ファンのお客さんが30、40人の世界。当時、権藤陽一郎って人がOKAMA研究会の名前で「Treasure Chest of Musty Dusties」というドゥーワップのミニコミ誌を出してたの。それを蒲田のえとせとらというレコード屋で見つけて、投稿コーナーに「シャネルズってグループやってます」と送ったら仲よくなって。そういう人たちがライブには来てくれてたね。そのうち業界で噂になって、井上忠夫(井上大輔)さん、宇崎竜童さん、楳図かずおさん、イラストレーターの湯村輝彦さん、永井博さん……いろんな人が観に来るようになったんだ。湯村さんはものすごく応援してくれて、イラストレーターの雑誌で対談させてもらってアマチュアのシャネルズの絵を描いてくれた。そうしてるうちにパイオニアのラジカセ「ランナウェイ」のCMソングの話が来て、1コーラスだけ作ったらものすごく好評で、これをデビューシングルとして出すのはどう?という話になっていくんだ。
──1980年2月25日にリリースしたシャネルズのデビューシングル「ランナウェイ」はミリオンセラーの大ヒットに。作詞は湯川れい子さん、作曲は井上忠夫さんが手がけました。
今度のツアーのパンフレット用に湯川さんと対談したんだけど、初めて深い話をしたね。もちろん毎年ライブに来てくれて会ってはいるんだけど。僕たちはアマチュアだったから「ランナウェイ」のCMの話が来たときの制作の裏側なんて知らないわけ。井上さんから「アメリカンポップス風の曲をやるなら作詞は湯川れい子さんで」というご指名だったみたいな話をいろいろ聞いてさ。湯川さん、1965年にリリースしたエミー・ジャクソンの「涙の太陽(Crying in a Storm)」の詞が作詞デビュー作で、今年が作詞家活動60周年なんだ。それを去年お会いしたときに聞いていたから、湯川さんへのサプライズプレゼントでDISC 3「Doo Wop Mania」の最後に「Crying in a Storm」を収録したんです。湯川さん、とても喜んでくれたよ。
──素晴らしいプレゼントです。DISC 1「Original Mania」には「ランナウェイ」のCMサイズと、井上さんのボーカルバージョンも収録されています。
カセットテープって音質的にも保存的にも一番いいんだよね。アニバーサリーアルバムのたびにレーベルスタッフから秘蔵音源を期待されるから、そういう音源、僕はカセットでいっぱい保管しているんです(笑)。今回は井上さんが1人でコーラスやって歌ってるCMバージョンをボーナストラックとして、さりげなく入れたいなと思った。CMからデビューシングルとして楽曲を制作することになって、エピックのアーティストルームで、ギター1本で「ランナウェイ」を聴かせてくれて。アレンジに引っ張られないから、井上さんのメロディを受け取る意味で解釈しやすかったよ。CMは井上さんが1人であの音源まで作って、Bメロの「ひとりさまよい 傷ついた」というフレーズからは僕を参加させて「こんな感じで作っていくけど、どう?」と一緒にコーラスワークを作りながら現場を体験させてくれた。
──1980年に「ランナウェイ」が大ヒットしたことで、ドゥーワップという言葉も話題になりました。
ただ「ランナウェイ」がドゥーワップかというと、ちょっと違う。湯川れい子、ブルー・コメッツの井上忠夫という60年代ポップスの金字塔を打ち立てた2人が、シャネルズにオリジナルを歌わせるとこういう形になるぞっていうアメリカンポップステイストなんだ。もちろん下敷きにベン・E・キングの「Stand By Me」があったりするけど、井上さんが提示してくれたのは限りなくアメリカンポップスの要素であり、湯川さんもそこはわかってた。そうすると“ランナウェイ”というラジカセのタイトルも、湯川さんにしてみればデル・シャノンの「悲しき街角」(原題「Runaway」)なんだ。だから湯川さんは次のシャネルズの曲も“街角”つながりで「街角トワイライト」という曲の歌詞を書いてくれた。
──なるほど。
だけど当時20代の僕は「街角トワイライト」を聴いたとき、「えっ、アメリカンポップスじゃないの?」って思いが強かったんだよね。だからメジャーコードの「トゥナイト」って曲──あれはThe Velvetsの「My Love」があって、こういう感じでやりたいんですと井上さんに提示した。そしたらドゥーワップテイストでビート感がある楽曲になって、そっちが2ndシングルに採用されたんだけど、湯川さん的には「街角トワイライト」で行きたかったんだね。「ランナウェイ」に出てくる2人の仲が「街角トワイライト」でだんだん危うくなり、「ハリケーン」で彼女が自分から離れていって、最後に和製三連バラードのドゥーワップ「涙のスウィート・チェリー」で過ぎた日々を回想して締める……というストーリーを考えてくれてたんだ。だから湯川さんは「『涙のスウィート・チェリー』で私がシャネルズにやれることは全部出し切った」と言ってくれて。湯川さんが敷いてくれた道しるべは僕たちのオリジナリティって意味ですごく大きかったね。「ランナウェイ」のB面「夢見るスウィート・ホーム」は、僕が78年の「EastWest」でも歌ったThe Coastersの「That Is Rock and Roll」っていうジャンプナンバーのドゥーワップが下敷きになってるんだけど、詞の世界は昼間仕事してる20代の僕たちを反映したワークソングなんだ。仕事で疲れてるけどがんばって彼女に会いに行ってデートする──そういうところも湯川さんは意識して書いてくれてたね。
微妙なピッチの悪さもシャネルズらしさ
──ドゥーワップ曲のカバー集であるDISC 3「Doo Wop Mania」に収録された楽曲を検索してオリジナルバージョンに触れてもらえたら、さらに楽しそうですね。
ドゥーワップというものを知らない人たちはいっぱいいるし、そういう人たちにとって入門編的なものになってくれてもいいかな。今回ライブ音源をボーカルだけ録り直して、オーディエンスの声も全部消してレコーディングスタジオで録ったように置き換えたテイクを入れてるのは、あえてなんだよ。
──「THE ROOTS 2025 Ver.」として収録されている「Zoom」「Sh-Boom」「Chapel of Dreams」ですね。
あれは「THE FIRST TAKE」みたいな気分で歌い直してみたんだ。45周年にちなんでということで僕自身も楽しませてもらったよ。オリジナルアルバムを作ることも全然やぶさかじゃなかったけど、それより今まで作ってきたものプラス、カバーで好きに自分がやれるものにしたくて。例えば「Silhouettes」(1957年にリリースされたThe Raysの楽曲)はシャネルズの1stアルバムにもドゥーワップバージョンで収録してるけど、今回のはちょうど僕たちがデビューした1980年にThe Futuresというスウィートソウルグループがカバーしたバージョンなのね。それを「ブルーノ・マーズとアンダーソン・パークのSilk Sonicだったらこんな感じで歌うだろうな」みたいな感じで入れてみたり、思いっ切り遊ばせてもらった。
──2008年に配信限定でリリースされたGOSPE☆RATSの「禁煙スウィング」でニュージャックスウィングを取り入れたのに続いて、今回も時代に合わせたアップデートをされたんですね。
「禁煙スウィング」を発表したのは「禁煙音頭」30周年のときだったね。ゴスペラーズの村上てつやに「『禁煙音頭』をニュージャックスウィングにするのはどう?」と提案して。そういう遊び心を彼らに植え付けたのは、やっぱり大瀧さん譲りなんだ。今回2025年バージョンで収録した「星空のサーカス ~ナイアガラへ愛を込めて編~」は2006年に制作したとき、曲の途中に「スパイス・ソング」を入れて、大瀧さんに「ウッフン」という声も入れてもらったけど、それは“つなげていく”意味で大瀧さんにゴスペラーズを紹介したかったのもあるし、僕の役目だと思ったんです。
──初回生産限定盤付属のBlu-rayには「REAL TIME THE FIRST TAKE」が収録されています。この映像は出身中学の校歌は歌うわ、質問コーナーはあるわで遊び心満載ですね。
「THE FIRST TAKE」で校歌歌うやつ、いないでしょ(笑)。佐藤善雄は中学から一緒で、桑野信義なんて幼稚園から一緒だからできることでね。Blu-rayには副音声も収録したけど、全然関係ない話しかしてない(笑)。それも幼馴染だからこそ。なかなかそこまでやれるやつはいないと思うから、あえて僕はやっちゃうんだ。佐藤善雄は最初バンドに加入したとき、こんなに低音を出せるとは思わなかった。練習スタジオに遊びに来て暇そうにしてるから、「これを来週までに完コピしてきたらシャネルズのメンバーに入れてやる」って言ったら、根が真面目だから本当に完コピしてきて。だからSha Na Naの低音担当、バウザー(ジョン・バウマン)のようになりなさいって言って、同じパフォーマンスを全部やってもらったんだ。それまで山本山で海苔を売って店長候補だった男が、黒のTシャツ、黒のデニム、黒のコンバース履いて、首から鎖をかけてバウザーになりきってたからね。そうすると、あいつがThe Coastersのウィル・ダブ・ジョーンズっていう低音担当の節回しをコピーし始めるもんだから、僕も面白くなってThe Coastersの曲をレパートリーに取り入れたりして。メンバーは桑野以外は譜面が読めないから「この人の音域はお前が歌って」と僕が全部録ってカセットで渡して覚えさせて。そのうちみんなも音楽ってものが自分の中の生活の一部になって本当に好きになって──しかも耳で覚えるから絶対忘れない。ニュアンスで覚えている微妙なピッチの悪さすらもシャネルズらしさになっていったんだ。