Spotify特集 田中宗一郎インタビュー|会話自体がエンタテインメントになり得るポッドキャストの可能性

この組み合わせ、最強では?

──もちろん「誰と話すか」も重要だと思うのですが、「POP LIFE」では音楽ジャーナリストの柴那典さん、映画および音楽ジャーナリストの宇野維正さんがレギュラーのような形で出演しています。

まずは音楽やポップカルチャーについて書いている人に出演していただきたかった。そもそも作家というのは正解を提示する特権的な立場だという神話があるじゃないですか。でも、僕はオーディエンス、観客こそが最も偉いし、誰よりも責任があると思っている。オーディエンスというのは受動的な傍観者ではなく主体的な当事者だという僕自身の考え方からすると、ポップカルチャーの書き手たちは専門家であると同時にオーディエンスの代表なんです。ただ、それとは違うサブコンテクストもあるにはあって。番組ではゲストの方々を「POP LIFEアベンジャーズ」というバカみたいな名前で呼んでるんですね(笑)。映画「アベンジャーズ」ではヒーローたちがケンカばかりして、全然まとまらないじゃないですか。ポップカルチャーの書き手にも同じようなことが起こっていて、しかも彼らの読者がどこか互いに派閥化していたりもする。でもそんなの文化的損失以外の何者でもない。だから、それを「アベンジャーズ」よろしくアッセンブルしたかった。例えば、今では映画作品をモチーフにした回ではほぼレギュラー状態の映画・音楽ジャーナリストの宇野維正くんと映画・音楽ライターの木津毅くんの2人って、ほんの数年前まではどこか互いに疑心暗鬼な関係だったんですね。少なくとも彼ら2人の読者はまったく交わってなかった。でも今では番組のオーディエンスも本人たちもどこか「この組み合わせ、最強では?」と感じるようになってきている。そうやって、分断した文化的な磁場を横断することでより広げていきたい、というコンセプトもあるんです。

──さらにOKAMOTO'Sのオカモトレイジさん、indigo la Endの佐藤栄太郎さん、元シャムキャッツの夏目知幸さんらもゲスト出演していて、毎回「この人がどんな話をするんだろう?」という期待感があります。

田中宗一郎

彼らの共通点は音楽家という立場からの発言はもちろんのこと、市井のオーディエンスとしての立場からも言葉を紡ぎ出すことができることですよね。あっこちゃん(あっこゴリラ)なんてまさにそう。でもこれって案外難しいんですよ、特に番組というオフィシャルな場所では。公の場所だと、人って誰に頼まれたわけでもないのに役割を演じてしまうじゃないですか。だからこそ、面白い会話を導き出すためには、出演者同士の距離感や組み合わせから生まれるケミストリーを利用することで、それぞれの役割、アイデンティティを流動的な状態に持っていくことがとても重要なんです。ホストの(三原)勇希ちゃんも番組が始まる当初は「私はそんなに知識がないから、ゲストの話を聞くことに徹したい」と言っていたんですね。でも、知的であることの定義は、知識の総量ではありませんよね。自らが無知であるという自覚と、それがゆえに常に自分自身を成長させていこうという意思や好奇心、そしてそのプロセスを楽しむ能力こそが知性だと思う。そういう意味で彼女はまさに知的で聡明な人で、逸材なんです。

──三原さんがいないと「POPLIFE」は成立しない、と考えられているとか。

はい。彼女、当初はどこかお行儀のいいホストという役割に徹しようとしたところがあったんですが、今は三原勇希という個人として発言しています。それってすごくしんどいことでもあるんだけど、それと同時に、ときに世代を代表したり、ジェンダーを代表したり、ホストという役割に立ち返ったりすることもある。最近では自分が興味のない話題になると落書きしてますからね。そんな番組のホストいないでしょ(笑)。そうやって出演者全員の役割を流動的にすることはとても重要だと思います。そもそも社会的な役割やアイデンティティというのは与えられるものではなく自ら選び取るものだし、常に流動的なものであり、常にあらゆる可能性に開かれている。実は、そのこと自体がこの番組からのメッセージでもあるんです。おそらくそれは出演者、オーディエンスにも伝わっていると思います。

音声メディアの未来はポッドキャストが切り開く

──チャイルディッシュ・ガンビーノ、ザ・ウィークエンドからサザンオールスターズ、大友克洋、コロナ禍におけるエンタテインメントまで幅広いトピックも魅力ですが、テーマ選びの基準はあるんですか?

重要視しているのはテーマよりも取り上げる作品かもしれないです。何故ならポップカルチャーを語ることがそのまま社会や時代を語ることにつながるから。作品選びさえ間違っていなければ、どんなテーマも話せてしまうんです。ただ常に意識しているのは、不特定多数の大衆に語りかけること、と同時に文化的なマイノリティを鼓舞すること。その相反する2つのベクトルを持つことですね。例えばサザン、J-POP、映画「天気の子」などをモチーフにすれば、オーディエンスの母数から考えて、英語圏のコンテンツにまったく興味のないような不特定多数の人々に語りかけることにつながるかもしれない。それと同時に、日本だとほぼ知られていなかったHBO製作のテレビシリーズ「ウォッチメン」のような作品を大々的に取り上げることも必要だと思っています。オーディエンスからは「ファッションや小説、ゲームを早く取り上げてくれ」という声ももらうんですが、大事なのはやはり作品のチョイスと、それを語る座組が穏やかなグラデーションを持っていることなんですよね。例えばゲームの場合、専門家の方をお呼びして、正解を聞き出すようなエピソードはすぐにでもできなくはない。でも、やはりそれじゃ面白くない。なので、今もその組み合わせを考えながら準備を進めているところです。もう1つのポイントは、継続ですね。

──続けることが大事だと。

と同時に、各エピソードに連続性があることですね。ゲストやモチーフが違っても、どのエピソードもすべてつながっているんです。どれも今の時代と社会について語られている。そこからオーディエンスの中に、同じ興奮や喜び、乗り越えていかねばならない問題意識を自分たちも共有しているというコミュニティの感覚も育まれてくる。実際、オーディエンスの毎週のデータを見ると、ありがたいことに最新エピソードを聴いている人が2/3で、あとの1/3はアーカイブされてた過去のエピソードを聴いてくれているんですよ。ラジオ番組やソーシャルメディアのように流れていってしまうのではなく、いつでも過去の音声に簡単にアクセスできるのはSpotifyのポッドキャストの強みですよね。気になるテーマの回を探して聴いてもらえるし、それぞれのエピソードのキャプションを読んでもらえる可能性もある。実は各エピソードのキャプションを書くのに毎回4時間以上かけてるんですよ(笑)。しかも、そこにはおびただしい数のいろんな作品へのリンクが貼ってある。過去や、さまざまな文化に一瞬にしてアクセスすることができる無限の扉のような存在にしたいんです。この番組を5年、10年と続けることができれば、より文化的な価値が出てくるかもしれないですね。

──Spotifyは2019年に“オーディオ・ファースト”という言葉を掲げ、ポッドキャストのコンテンツの拡充を示しています。今後のポッドキャストの可能性についてはどう捉えていますか?

実はポッドキャストのニーズは日本に一番あるような気がします。もっともっと広がっていくんじゃないかな。日本にはAMラジオという独自の文化がある。黎明期からの「オールナイトニッポン」がまさにそうですけど、番組を聴いているオーディエンスが秘密結社的なコミュニティの一員になるという感覚に親しみがありますよね。それは、北米圏だとミレニアム前後に各地のローカルFM局が1つに統合されたことによって失われてしまったものでもある。だからこそ、英語圏ではラジオからポッドキャストへと覇権が移行することになった。しかもポッドキャストの場合、時間も自由に設定できるし、更新するペースもフレキシブルに調整できる。通勤、通学や仕事中、そうした隙間の時間にもフィットします。あとは先ほど話したように、ホストが専門家に聞くということではなく、会話自体がエンタテインメントになり得るということですね。

──コンテンツの内容に関しても、いろいろなトライができそうですね。

どんなマイナーな内容に特化することもできるし、しかも誰でも配信できますからね。もはや何かしらの声を届けることが特権的な時代ではないんです。識者やセレブリティの話よりも、市井の人たちの会話のほうが面白いという場合も多々ある。ポップ音楽の世界では、1970年代のパンクロック、1990年代のローファイ、2010年代のラップにしろ、プロフェッショナリズムの対極にあるアマチュアリズムこそが新しい価値を生んできたという歴史もあります。ポッドキャストにもそれと同じようなことが起きる可能性があるんじゃないか。リスナーとして楽しむのはもちろん、友人と一緒に番組を作る人が増えればカルチャーとしてのすそ野が広がり、起爆剤になるかもしれない。間違いなく音声メディアの未来はポッドキャストが切り開いていくことになると思います。

田中宗一郎

※記事初出時、人名に誤りがありました。訂正してお詫びいたします。


2020年8月21日更新