スカパー!フェス特集 TOSHI-LOW(BRAHMAN、OAU)×鹿野淳(「VIVA LA ROCK」「MUSICA」) 対談 アーティスト、オーガナイザー、メディアそれぞれの視点で語る コロナ禍のフェスの在り方 / 今後のビジョン

30年後のフェスがいいものでありますように

──「ビバラ」をはじめとした春フェスが開催され、少しずつフェスの開催が増えている一方で、7月には「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」の開催が中止になり、「京都大作戦」も2週目が中止になったりと、まだまだ流動的な状況が続いています。これからのフェスの在り方について、どのような展望をお持ちでしょうか?

鹿野淳

鹿野 フェスは2000年代中盤くらいから1つのシステムになったんですよね。47都道府県全部でフェスができるようなシステムがいつの間にかこの国にできて、それがマーケットとしても有益なものだったから、主催者側も出演する側もそれをうまく活用して、10年くらいやってきた。でも、音楽シーンは何かが盛り上がると今度はそれが仮想敵になって、カウンターで違うものが出てくるというのを60年代からずっと繰り返してきて、コロナの前からフェスに対してちょっとアゲインストの風が出てきていて。

TOSHI-LOW それはどういうこと?

鹿野 フェスに出ることがダサいとか、フェスで盛り上がるために作る楽曲がダサいとか。まあ、いつだってそうやって現状を否定して次のシンボルが出てくることによって新しいムーブメントが生まれるんだけど、コロナによってフェスの在り方自体が一旦ゼロになって、もう一度イチを構築しなくちゃいけなくなった。それこそTOSHI-LOWたちが東北をツアーで回るための拠点を作ったりして、バンドマンが1年を旅して過ごすシステムもこの10年でできあがったと思うけど、今はそれも点が線にならない状況だと思う。しかも、みんながワクチンパスポートを持ったら前の状況がすぐに戻ってくるかって、そんなことは誰も思っていない。

TOSHI-LOW うん、全然思ってない。

鹿野 だからやっぱりフェスにしても、ライブハウスツアーにしても、「ゼロからイチ」がもう1回必要なんです。「FUJI ROCK FESTIVAL」初年度のようなマジックがもう一度必要なんだと思う。それがなんなのかはほとんどの人がわかっていないし、まだ僕も全然わからないけど、でもそれをやらないとダメだなと気付かされた。音楽を守っていきたいと思う心ある人たちが、ステージとフロアで熱いコミュニケーションを続けている、2021年はそういう年なんじゃないかと思います。

──TOSHI-LOWさんはいかがでしょうか?

TOSHI-LOW

TOSHI-LOW 門戸を広げるフェスがある一方で、俺らみたいに客を選んで、逆に狭めてるフェスがあったり、どっちもあるから成り立ってるんだと思うの。「ビバラ」に行ってたお客さんに子供ができて、ロックフェスにはなかなか行けないけど、キャンプだったら行けるなって「ニューアコ」に来たり、そういう大きな循環だと思っていて。こういうインタビューは「来年のフェスはどうなると思いますか?」と聞きたいんだと思うけど、目の前ばっかり見るんじゃなくて、もうちょっと大きく見ないといけないと思っていて。

──というと?

TOSHI-LOW 「このフェスはどうやったら生き残れるか?」という話じゃなくて、「海をきれいにしよう」とか「山を汚すな」とか、それくらいの話だと思うの。今来てくれてるお客さんも大事だけど、もっと先の顔の見えない誰かのために、こういう場所があることが役に立てばいいなって考え方じゃないとダメだと思う。フェスってものを目の前の利益だけのためにやる時代はもう終わったんじゃないかな。だって突然中止になったりするし、フェスをやるには覚悟が必要だってこともみんなわかったわけじゃん?

──そうですね。

TOSHI-LOW それでもなんでやるのかって、自分たちがガキの頃に得たロックに対する衝動みたいなものを伝えて、1つ先、2つ先の世代も音楽に対して心が動くような世の中であってほしいと思うからやるわけで。フェスを続けることはそのための種植えで、それが1本の大きな幹になるところが見れなくても俺はいいと思ってる。目の前ばっかり見てるとどうしてもギスギスしちゃうから、理想を高く持って30年後のフェスがいいものでありますようにという、それくらいの考えでいいんじゃないかと思うな。

思い出の1枚

──最後に、スカパー!ではフェスを振り返る写真投稿キャンペーン「#フェス思い出写真館」をTwitterおよびInstagramで展開中です。お二人にも思い出の写真をお持ちいただきましたが、まずはTOSHI-LOWさんのこれは……。

「RUSH BALL 2018」のバックエリアで撮影された1枚。左からKj、TOSHI-LOW、細美武士。

鹿野 出た! いつでもどこでもこれやってるじゃん(笑)。

TOSHI-LOW 普段写真なんて撮ってないから、みんなが出してほしいのはこれかなって。

──いつの写真ですか?

TOSHI-LOW 2018年の「RUSH BALL」みたいなんだけど……そんなことすら覚えてない。でもこの写真って、世代が被ってるから仲よくなかったDragon AshのKjがいて、世代がずれてしまって年は近いのに交流がなかった細美武士がいるわけで。フェスは裏側でミュージシャンが仲よくなれる、それを象徴する写真ではあるなって。

鹿野 もはや名物だよね。これをフェスのバックエリアでやってると周りも盛り上がって、これを撮るためのオーディエンスが集まってくる(笑)。でも、これを撮り続ける限り体をなまらせられないよね。

TOSHI-LOW Kjはすごいがんばってる。俺はフェスないからあんまりがんばってないんだけど(笑)。

「VIVA LA ROCK 2021」の終演後に規制退場を行う鹿野淳。

──いずれまた夏フェスに3人がそろって、この写真が撮られた際にはTOSHI-LOWさんの体に注目しようと思います(笑)。そして、鹿野さんの写真は「ビバラ」ですよね?

鹿野 今年の「ビバラ」で、僕が規制退場をやってるところなんです。1日1万人で、毎日25分くらいかけて退場してもらいました。ヘッドライナーが最高のライブをやって、最高のメッセージを出して「やっぱりフェスっていいな」という気持ちになったのに、それを帰りの待ち時間で冷ましたくなかったんですよね。なので、よくわかんない人が規制退場をアナウンスして送り出すよりも、顔が見えてる僕がやった方がいいと思って。毎日ハッシュタグを変えながら、みんなに感想とか改善点をツイートしてもらって、マイク越しに会場全体で会話し合ってコミュニケーションを取りながらやりました。それがすごく楽しかったし、でもこんなことは今年だけにしたいっていう思いもあって、何とも言えない気持ちになる1枚なんです。

TOSHI-LOW(トシロウ)
BRAHMAN、OAUのボーカリスト。1995年にBRAHMANを結成し、1996年に初めての作品として「grope our way」をリリースする。1998年に発表した1stアルバム「A MAN OF THE WORLD」はトータル60万枚以上のセールスを誇り、90年代後半に1つの社会現象になったパンクムーブメントにて絶大なる人気を集める。バンド結成25周年となる2020年9月には25時間におよぶ配信番組「BRAHMAN 25TH 25HOUR TV」を実施し、ILL-BOSSTINO(THA BLUE HERB)とのコラボレーションシングル「CLUSTER BLASTER / BACK TO LIFE」をリリースした。OAUは2005年にOVERGROUND ACOUSTIC UNDERGROUND名義で活動をスタート。2006年に1stアルバム「OVERGROUND ACOUSTIC UNDERGROUND」にてデビューし、2010年からは野外フェス「New Acoustic Camp」のオーガナイザーを務める。2020年には結成15周年を記念したベストアルバム「Re:New Acoustic Life」を発表した。
鹿野淳(シカノアツシ)
音楽ジャーナリスト。「ROCKIN'ON JAPAN」での副編集長を経て「BUZZ」「ROCKIN'ON JAPAN」の編集長を歴任する。2004年に株式会社FACTを設立。2007年3月に「MUSICA」を創刊した。2000年以降、3つの大型フェスの立ち上げに関わり、2014年からはロックフェス「VIVA LA ROCK」のプロデューサーを務めている。