スカパー!フェス特集 TOSHI-LOW(BRAHMAN、OAU)×鹿野淳(「VIVA LA ROCK」「MUSICA」) 対談 アーティスト、オーガナイザー、メディアそれぞれの視点で語る コロナ禍のフェスの在り方 / 今後のビジョン

信用するがゆえに信用しない

──「THINK of MICHINOKU」と「ビバラ」の初日は日程が被っていましたよね。

鹿野 実はその前にTOSHI-LOWから電話が来て「お前のフェスに当てなくちゃいけないことがあるから、仁義を通して連絡した」と言われて、「何?」って聞いたら「ミュージシャン同士で『アラバキ』をサポートすることにした」って。で、当日両方に出演するアーティストが何組かいて、ELLEGARDENの生形(真一)くんはうちのフェスにNothing's Carved In Stoneとして出てたんだけど、TOSHI-LOWが配信の中でいつもの如くうちのフェスに何か悪口言ってたときに「でも鹿野さんは、ちゃんとTOSHI-LOWから電話かかってきたと言ってたよ」と言われて、「しまった!?」みたいなことになっていて(笑)。

TOSHI-LOW 悪役としての俺の名声が下がってしまう(笑)。

鹿野 結局TOSHI-LOWのやってることはずっとアクションとメッセージなんですよね。2011年以降やってきたこと、今回の「アラバキ」のこと、「ニューアコ」のこと、全部がそうだと思うんです。

鹿野淳

──アクションとメッセージ、確かに。

鹿野 そこは僕らもそうありたいと思っています。やっぱり「チケットを売るため」のフェスやコンテンツだったら、作り手の気持ちは盛り上がらないんですよ。そうじゃなくて、スピリッツとエモーション、あとは単純に「最高に遊べる」というその感覚を全面に出していきたい。コロナ禍の中で、改めて「フェスってなんなのか?」とずっと考え続けたんですけど、やっぱり言葉で表すのはすごく難しい。どうしても薄っぺらくなっちゃう。だから自分の中で出た結論としては、これは説明するんじゃなくて、とにかく「やろう」と。「やる」ってことだけのためにがんばろうと思ったんです。

──「『ビバラ』を開催する」ということだけに注力しようと。

鹿野 だからこそ、来てくれる人に対しては「信用しているがゆえに信用しない」ことにしました。来てくれる人に対して感謝したいし、来てくれる人のことを愛してるから、その人たちの安全を自分たちが守りたい。そのためには、その人たちに全部を委ねるんじゃなくて、こっち側が徹底的にルールを作ろうと。逆に、アーティストの人たちは、通常のグルーヴでライブができない中だからこそ、現場の裏側の空気みたいなものをなるべく変えずに、「ひさしぶりだけどフェスってこういう感じだったよな」と思ってもらえることを意識しました。

──そうして開催された今年の「ビバラ」ですが、スカパー!では5日分が一挙に放送されます。各アーティストのライブはいかがでしたか?

鹿野 言いたいことがあるんだけど、それを言える場所がなかったアーティストたちにとって、やっとそれを言える場所を作れたことはすごくよかったと思ってます。あとは「爆音を鳴らす」ということが日常化してたアーティストにとって、それが日常じゃなくなって1年以上が経った中、それを鳴らす場所を作れたこともよかったです。この1年みんなが苦労して、特に大きいハコでライブをやってる人たちこそなかなか身動きが取れなくて、そういう人たちがひさしぶりにライブをやれたっていう。

TOSHI-LOW だからチバユウスケは白髪になっちゃったのかな(笑)。

鹿野 違うだろ(笑)、あいつはあれがカッコいいからいいんだよ。とにかく「ビバラ」に出演してもらうことによって、爆音を鳴らすことのカタルシスを取り戻すことができた。それはほぼすべてのアーティストに言えることだったと思うので、やってよかったなって。

左からTOSHI-LOW、鹿野淳。

「ビバラ」と「ニューアコ」、それぞれの“らしさ”

TOSHI-LOW 「アラバキ」とも「JAPAN JAM」とも違う、「ビバラ」らしさみたいのって言葉にするとなんなの?

鹿野 まずは参加しやすい。駅から会場まで2分だから、めちゃめちゃ便利。あとは屋内ってことかな。フェスの相対性として屋内フェスは女性のお客さんが野外フェスに比べて多い。それって野外フェスより参加しやすいということだと思うんだよね。それは数字に出ていて、だからこそ快適性のことはすごく考えてる。トイレの掃除を頻繁にするとか、そういうことも含めて。

TOSHI-LOW 都市型は女子型なんだ。

鹿野 結果的にそうなってることが多いと思うよ。

TOSHI-LOW じゃあ、女子人気が高いアーティストをわりと呼んでるの?

鹿野 そこはそうじゃないね、度外視してた(笑)。快適な都市型のフェスって「ロックとはなんなのか?」みたいなことを自分たちなりに提示するような在り方からは離れて、もっとグローバルな形のものになっていく傾向があるんだけど、そこは愚直に都市型のフェスで「ロックとはなんなのか?」を伝えていくことが、うちのメディアとしての存在価値なのかなと。「ニューアコ」はフェスの性質的にアウトドアと音楽の相性を考えてアーティストを呼んでいるの?

TOSHI-LOW そもそもアコースティック限定だから、そこに対応できる人じゃないと無理。で、普段エレキでやる人がアコースティックで悪戦苦闘するのが面白いというのもあるんだけど、続けていくことで、その人がアコースティックにどんどんハマっていく、その成長の度合いを見れるのも面白い。だから、毎年メンツをガラッと変えなくちゃいけないとも思ってなくて、変な話、ずっと同じメンツでもいいというか。

TOSHI-LOW

鹿野 フェスのブッキングの仕方っていろいろあるけど、TOSHI-LOWの場合は「仲間と祭りを開きたい」みたいなことが一番デカいの?

TOSHI-LOW BRAHMANとして対バンを呼ぶのとはやっぱり違うんだよね。「ニューアコ」の場合は、それまで室内で育ってきたミュージシャンが野外であたふたするところを見たいっていう、いじめ心も俺の中にはあるし(笑)。まあ、出演してくれる人たちと一晩一緒に過ごしたいっていうのはあるけど、仲間を区切ってるわけじゃないし、この10年でいろんな人とフェスで知り合って「ニューアコ来てよ」と誘ってみたりして、そういうのは楽しい。

鹿野 僕はこれまで2回行かせていただいたんですけど、一昨年バックエリアを歩いてたら、ひさしぶりに会ったアパレルのやつがいて「コーヒー飲んでってくださいよ」って、いっぱしのテントを立てていて。「お前こういう趣味あったの?」と聞いたら、「このフェスに感化されてこうなった」って。昨今のソロキャンプブームの影響とかじゃなくて、「このフェスに参加して、1年目は全然わかんなかったけど、だんだんわかってきた」みたいな人が多くて、ああいう感じはいいよね。

TOSHI-LOW だから俺らも「今年の目玉はこの人」みたいな、1回出てもらって終わりとは思っていなくて、「来年も出たい」と言われたらそれを鵜呑みにするというか。「来年はホテル取らないから、テント泊まってよ」みたいな、そういうのが楽しい。なんというか……共犯者っていうかね(笑)。「オーガナイザーとアーティストと客」じゃなくて、一緒にやってるから、そうなると責任も全員にあるってこと。そういうコミューン作りというか、共同体を作っているイメージ。一晩のイベントでパッと来てパッと帰るんじゃなくて、「あなたもこの村の一員です」みたいな、その場所で過ごすことで、そこの人間にしてしまいたい。そういう感覚があるかな。