スカパー!フェス特集 TOSHI-LOW(BRAHMAN、OAU)×鹿野淳(「VIVA LA ROCK」「MUSICA」) 対談 アーティスト、オーガナイザー、メディアそれぞれの視点で語る コロナ禍のフェスの在り方 / 今後のビジョン

いまだコロナ禍の収束が見えない2021年。全国各地で感染症対策を講じながらさまざまな音楽フェスが開催され、新たな時代における現場の在り方の模索が続いている。スカパー!では今年の春から夏にかけて行われたフェスの模様を順次放送中。実際に参加できた人はもう一度、参加できなかった人はスカパー!で各フェスの熱気を体験することができる。

音楽ナタリーでは、5月にYouTubeで生配信された「THINK of MICHINOKU」の実施を呼びかけ、9月には自身がオーガナイザーを務める「New Acoustic Camp 2021 ~わらう、うたう、たべる、ねっころがる。~」の開催を控えるTOSHI-LOW(BRAHMAN、OAU)と、同じく5月に「VIVA LA ROCK」初の5日間開催を無事成功させた「MUSICA」などを手がける音楽ジャーナリスト・鹿野淳を迎え、現代のフェスの在り方についての対談を実施。主催者として、アーティストとして、メディアとして、いかに現在の状況と向き合い、何を作り出そうとしているのか。「フェスとは何なのか?」を今一度考えるきっかけにしてもらいたい。

取材・文 / 金子厚武撮影 / 須田卓馬

コロナ禍のフェス開催

──新型コロナウイルス感染拡大の影響により、今年も多くのフェスが規模の縮小や開催中止を余儀なくされました。コロナ禍の中でフェスを開催することの意義について、お二人はどのようにお考えでしょうか。

TOSHI-LOW

TOSHI-LOW 俺は意義なんか考えてないもん。「New Acoustic Camp」はやりたいからやってることで、使命感でやってもいないし、変な話、質が悪くなったらやめちゃえばいいと思ってるから。もし社会情勢で中止せざるを得ない状況になったら、中止も選択肢の1つだしね。ただ、俺は性格が曲がってるんで「中止にしたほうがいい」と言われると、どうにか中止しなくてもいい方法を探し出そうとする。「ニューアコ」は街フェスじゃないっていう地の利もあるし、やれるならやりたいっていうだけ。

鹿野淳 去年ほとんどのフェスが開催されなかった中で、「ニューアコ」は数少ない開催したフェスの1つだったわけだけど、あれをやったあとで改めて、自分たちのフェスの意義とか、そもそものフェスの意義みたいなことは感じなかったの?

TOSHI-LOW フェスのオーガナイザーという意味ではあんまり変わらない。ただ、去年は仲いい人たちが出たじゃない? その人たちが「ひさびさに人前で歌った」と言っていて、そういう場を作れた意義はすごくあった。

鹿野 仲間のために場所を作れたという意義ね。

TOSHI-LOW そうそう。でもそれ以上の意味では「やったぜ」みたいな達成感もなければ、果たしてそれが正解だったのか……。もともと正解を求めてやってるわけじゃないし、意義みたいなことに関しては、今でもないっちゃないんだよね。

──鹿野さんはいかがでしょうか?

鹿野淳

鹿野 僕はアーティストじゃなくてメディア側の人間だし、「VIVA LA ROCK」と「ニューアコ」はフェスとしての構造も全然違うんだけど、何かを背負ったりしないというところは、同じ感覚でここまでやってきたつもりではあります。規模的にはわりと大きいフェスなんだけど、ほかのフェスとレースをするつもりはまったくないし、ロックとロックバンドが無邪気かつ無防備に遊べる場所を街の中に、新しいフェスとしてどうやって作っていくかをずっと考えてきたんです。ただ、正直去年の冬くらいから、ちょっと考え方が変わりました。それは今年の開催に対してだけなんだけど。

──それはどんな変化ですか?

鹿野 去年の冬フェスがあんなに中止になるとは思ってなかったんですよね。去年の冬からはいろんなエンタテイメントが少しずつ再開していくと思っていたけど、そんな甘い考えは脆くも崩れてしまった。そのあたりから春にやるフェスに対しての、特に業界の皆さんからのお声が強くなっていって、ダイレクトに言うと「出演したい」というお話がすごくたくさん来るようになったんです。僕はあれを「ビバラに出たい」じゃなくて、「冬フェスまでなくなっちゃって、春フェスにはなんとか出たい」という声だったと思っていて。

TOSHI-LOW 「『ビバラ』でもいっか」みたいな(笑)。

鹿野 そ。まあそれでも全然いいというか(笑)。逆に言うと、春フェスを開くってことが、皆さんにとってそれほど大きいことなんだと感じるようになったんです。冬はダメだったけど、次の春こそエンタテイメント再開の狼煙を上げるんだという、その思いをとても強く感じました。ただその一方で、チケットの売れるスピードは前の開催よりも遅かった。これはやっぱり、社会一般の気持ちというものが数字に出てるなと。「何がなんでもフェスをやるぞ」という音楽業界側の気持ちと、おっかなびっくりな参加者の気持ちと、両方が目の前で合わさりながら、カウントダウンしていったような、いつもとは全然違う進み方でした。

TOSHI-LOW チケットの意味が逆になっちゃったよね。昔だったら、チケットを買って、当日を楽しみにしながら待つわけだけど、今の情勢だとチケットを買っても「やれないかもしれない」という不安が付きまとうから、買い控えにつながっちゃう。

鹿野 正と負のベクトルというか、すごくいろんな思いを目の前で見ながら進めて行ったので、今までと同じ気持ちには当然ならなくて。大げさで申し訳ないですけど、何か1つ決めるたびに「お前はその覚悟ができてるのか?」と心の中で言い聞かせてました。

今はフェスの変わり目

──TOSHI-LOWさんとしても、音楽、フェス、エンタテイメント全般が止まってしまうことに対して危惧はありましたか?

TOSHI-LOW いや、俺は最初の緊急事態宣言が出たときに、これはもう簡単に元には戻らないと思ったし、完全な状態でフェスをやるのは2年は無理だと思ったの。「ワクチンが普及すれば」みたいな話もあるけど、最初にライブハウスが叩かれたわけだし、「対策してます」と言ったところで、いきなりライブに人がどっと戻ってくることはありえないなって。だから2、3年はかかるっていうことを頭に置いて、その中で何をしていけばいいかと、ずっと横道ばっかり見てる感じ。「次はできるだろう」じゃなくて、「どうせ同じにはできねえから、どういうやり方ならできっかな?」って、ずっとそういう考えで。

──長期戦になることを最初から覚悟していたと。

TOSHI-LOW 少なくとも「変わってしまった」と俺は思ってる。社会生活自体変わってしまったわけだから、音楽における今までの場所も当たり前のように変わると思っていて。もしフェスが復活するんだったら、新しい形にならざるを得ない。それは未来がないってことじゃなくて、ただ世界が変わったってだけなんだよね。もう少し言えば、コロナによって図らずも資本主義の限界みたいなものがめちゃめちゃ見えて、フェスにしたって商業的な部分はあるわけだから、やっぱり変わり目なんだろうなと。

鹿野 去年TOSHI-LOWが「ニューアコ」に関してのインタビューをnoteで受けていて、それにすごく感銘を受けたし、勉強させてもらったんだけど、その中で彼が「『ニューアコ』はフェスじゃなくて、キャンプなんだ」と話していて。コロナ禍になって、もう戻れない世の中に対して、自分たちのやってることが案外合致していることをどこかですごく察知して、“フェス”だと考えると開催は難しいけど、「ニューアコ」イズムを“キャンプ”を軸に翻訳していくと開催できると思ってやったんだなと思った。で、「逆にうちのフェスはフェスとして開催しないとな。そのためにはどうするべきか?」と考えるきっかけにもなって、とてもありがたかったんです。

左からTOSHI-LOW、鹿野淳。

──TOSHI-LOWさんの呼びかけで5月に実施された配信番組「THINK of MICHINOKU」の模様がスカパー!でオンエアされます。4月に「ARABAKI ROCK FEST.」の中止が開催直前に発表され、それから1週間も経たないうちに「THINK of MICHINOKU」の生配信が発表されましたが、当時の経緯を教えてください。

TOSHI-LOW あれは単純に腹が立ったから。フェスをやっている身としては、開催1週間前に中止せざるを得ない状況を作られてしまうっていうのはね。中止にしなきゃいけないときは中止にしなきゃいけないと思うし、町の了承を得られないのであれば開催はできないけど、あの梯子の外し方はねえなって。それで悔しいから何かやろうと思ったんだけど、イベンターを入れて救済イベントみたいなのをやっちゃうと、GIP(宮城のイベンター)にも迷惑かけちゃうかもしれない。でも勝手にアーティストだけで「バンド・エイド」みたいなのをやれば、迷惑かからないし、何か言ってくる人がいたら直接俺に言えばいい話だからね。それを狼(MAN WITH A MISSION)のタナカ(Tokyo Tanaka)に言ったら、逆ドミノ倒しみたいな、ドミノ起こしみたいなことになって(笑)。

──どんどん参加者が増えていったと(笑)。

鹿野 今、フェスに関していろんなことが起こっていて、やるフェスとやらないフェスがあるじゃないですか? そうやって二分化されて「『JAPAN JAM』と『VIVA LA ROCK』は開催したのに、『ARABAKI』はなんだったの?」みたいなことを言う人がいるけど、それは違う。ホントにね、それぞれなんですよ。開催する場所、自治体が違うだけで、相対することも全然違うし、オーガナイザーが何を守りたいのか、その考え1つでいろんなパズルが変わってくるんです。だから、やらなかったフェスが日和ったとか、弱かったのかって、それは全然違う。今年の開催はできなかったけど、それによって守られたものがきっとあったはずで、とにかく全部のフェスが違うんだっていう、それだけはちゃんとわかってもらいたいんです。