SKE48「恋落ちフラグ」特集 松井珠理奈卒業ソングMV撮影現場密着レポート&ソロインタビュー|最後に激白!松井珠理奈を紐解く20のキーワード

松井珠理奈を紐解く20のキーワード

01卒業を決めた経緯

卒業に関しては、「10周年のタイミングで」と当初は考えていました。つまり、今から2年くらい前ですね。理由としては私の尊敬しているたかみな(高橋みなみ)さんや宮澤佐江さんも10年目に卒業しているから。区切りがいいところで次のステップに進むのが、形としては綺麗だなと感じていたんです。

それともう1つあったのは、「後輩メンバーにSKE48を任せられるようになったときに卒業する」という考え方。こちらのほうが卒業理由としては大きかったかもしれないです。というのも、総選挙(「AKB48 53rdシングル 世界選抜総選挙」)で1位を獲らせていただいたあとに自分は活動を休ませていただきましたけど、SKE48はずっと続いていたじゃないですか。私がいなくても大丈夫なSKE48を見て、うれしくもあり、切なくもある思いでした……。「いつの間にか、みんなこんなに強くなったんだね」とホッと安心した部分もあります。

もちろん卒業を自分の中で意識し始めたと言っても、「じゃあ明日から辞めまーす」というわけにはいきません。そこはスタッフさんと相談しながら慎重に決めていきました。その中で「日本ガイシホールで卒業コンサートをやる」という案が出たんですね。ガイシはSKE48のメンバーが卒業するときによく使われていたし、私個人としてもすごく思い入れがある特別な会場で。結局、コロナの影響でガイシでのコンサートはなくなってしまったんですけど、その話が出たこともあり心が固まったのは確かです。

松井珠理奈

02ラストシングル

2月3日にリリースされる「恋落ちフラグ」が松井珠理奈にとってラストシングルということになります。正直に言うと、最後にこんな明るくて元気な曲が来るとは予想していなかったです。“卒業感”みたいなものは歌詞にもほとんどないですし。だから「めっちゃ明るいやん!」といういうのが聴いたときの第一印象でした。

だけど「これぞSKE48!」という感触はすごく強いので、最後にこういうタイプの曲でお別れするというのも私っぽいかなと思いました。しみじみと「もうサヨナラなんだね……」と言うわけではなく、あくまでも明るく力強い旅立ち。だって私の人生、ここで終わりじゃないですから。むしろここから新しいスタートと意気込んでいるわけですよ。私自身、なんらかの形で今後もSKE48に関われたらいいなと思っていますし。SKE48も松井珠理奈がいない新体制がここから始まっていくわけじゃないですか。だから湿っぽい感じで終わるよりは、このほうが前向きでいいと感じています。

一方でカップリングのソロ曲「Memories ~いつの日か会えるまで~」は思いっきり浸れる曲で、自分で作詞させていただきました。秋元康先生から「今後もソロでやっていくんだったら、自分で作詞をやってみるのもいいんじゃないの?」と提案していただいたんです。昔からのファンの方には「懐かしいね」と思っていただけるような、そして新しくファンになってくれた方には「そういうこともあったんだ」と知っていただけるような、そんなフレーズを入れてみました。「無邪気に登ったあの階段」という歌詞は「大声ダイヤモンド」のMVを意識したし、「オレンジ色」というフレーズはSKE48のカラーから。そして「サヨナラしたあとも好きでいてほしい」というのはグループを卒業するアイドルの偽らざる気持ち。みんな内心は不安に思っているはずなんですよ、「卒業しても本当に応援してくれるのかな?」って。そういう今の私のリアルな気持ちを投影してみました。

0312年の中で目撃したAKBグループの変化

松井珠理奈

12年も経てば、世の中全体が変わりますから。AKB48やSKE48も大きく変わったことは間違いないです。私が考える一番の違いは、昔の初期メンバーはお手本にする先輩がいなかったことですね。だから全部が手探りだった。自分たちで道を切り拓くしかなかった。ところが今の若手メンバーはAKB48やSKE48がどういうものなのか、きちんと把握したうえでオーディションを受けているわけです。そうすると「大ファンでした!」「握手会にも並んでいました!」みたいな子も多くなって、加入することがゴールみたいに見えるときもあって。でも、私は入ったらセンターを目指すべきだし、夢に向かって全力疾走するべきと思うんです。だからSKE48のメンバーには、常に奮い立っていてほしかったんです。

そもそもSKE48は体育会系というのが最大の特徴なわけです。そして「AKB48を超えたい!」というのが最初からの目標。バチバチした気持ちを忘れたら、それはもうSKE48じゃないんです。SKE48に入ってくるメンバーの中には「昔からAKB48の大ファンでした」と言う子もいます。だけど私はそこで「AKB48はライバルなんだから戦っていかなきゃダメなんだぞ」と発破をかけていました。たとえ古臭いと思われたとしても、そこはSKE48のすごく大事なポイントです。

04最年少エースとしてのプレッシャー

SKE48でデビューしたのが11歳のとき。それからすぐにAKB48のシングル「大声ダイヤモンド」でセンターを務めさせていただきました。当時は右も左もわからなかったので、意外にも緊張はしなかったんです。プレッシャーも感じなかったですし。それが怖いものなしの若さということなんでしょうね。今、同じような状況になったら「ダメ! 無理!」って怖気付いていると思います(笑)。とは言え、もちろん大変なこともありました。入ったばかりだったからダンスを覚えるスピードも遅かったし、「なんでSKE48のメンバーがセンターやってるの?」という世間からの冷たい視線もありましたし。そういった中、当時は私が最年少の小学生ということもあって、周りのお姉さんメンバーがめちゃくちゃ優しく接してくれたんです。私は姉妹がいないから、それがすごくうれしかったんですよね。心強かったです。

あれから12年……今冷静に振り返ってみると、大人はとんでもないことを仕掛けてくるんだなと驚きますね。自分のことながら、異常事態すぎる(笑)。だけど「神様は乗り越えられない試練は与えない」ってよく言うじゃないですか。「大声ダイヤモンド」のセンターを経験したからこそ、その後ちょっとやそっとのことで動じなくなった部分は大きいです。

05プロフェッショナル

松井珠理奈

プロのアイドルってどういうことなんでしょうね……どんなジャンルでも「あの人はプロ」と認められる存在はいるじゃないですか。1つ確実なのは、本当のプロフェッショナルって自分で自分のことをプロだなんて絶対に言わないんです。プロって周りに認められるものですから。それと同時にプロの方々は、自分に自信を持っている気がする。佇まいからして堂々としていて、オーラがあるんですよ。秋元先生も「根拠なき自信を持て」とよくおっしゃっていますし。この「堂々とする」というのは、実は私も昔から意識していたことなんです。単純に歌とダンスが好きというのもあるし、自分がSKE48を背負っているという気持ちもありました。自分が弱いところを見せちゃうと、SKE48全体がダメに思われてしまう。だから無理してでも自分を強く見せるように奮い立たせていた部分はあります。

ただ本当はそんな強い人間ではないんですよ、私は。ステージを降りた素の自分は……単なる甘えん坊の赤ちゃんかもしれない(笑)。ふにゃふにゃしていて、頼りないことこの上ないですから。後輩メンバーから「珠理奈さんはストイックでプロだから」みたいなことを言われることもあるんですけど、「いやー、そんなことないのに」っていうのが本音。なので今後ソロとして活動していくにあたって、そういう素の部分も出していけたらいいなと思っています。

06もしアイドルになっていなかったら……

アイドルになったからこそ経験できたことって、本当に数えきれないくらいたくさんあるんですよ。それと同時に自分がアイドルになったことによって、普通の中高生が経験するようなことを通っていないという面もあるんです。もしアイドルになっていなかったら、ゴリゴリのスポーツ少女になっていたでしょうね。SKE48に入る前は陸上をやっていて足はめちゃ速かったし、球技とかも普通に好きだったし。本当にスポーツが大好きなんですよ。それで見た目としては日焼けしまくっていたと思います。実際、デビューした頃の私は真っ黒でしたし。それと、カラオケにはしょっちゅう行くだろうな。母と一緒にカラオケに行くのがすごく好きなんです。

あとは、なんと言っても恋愛ですよね。学校の友達が手をつないで帰っているのとか見て「いいな」とか思っていました。もし自分に子供ができて、その子がアイドルになりたいとか言い出したら、「ある程度、人生を楽しんでからにしなさい」って言うでしょうね。「高校を卒業してからでもいいんじゃないの?」とか。私自身は「恋愛はいつでもできるから今は別にいいや」という考えだったから大丈夫でしたけど、必ずしも全員がそういう発想になるとは限らないですし。それに若い時の恋愛でしか学べないことって、きっとあるはずだから。誤解しないでいただきたいのは、私がアイドルになったことを後悔しているというわけではまったくないんです。SKE48を卒業したら、アイドルだから自制してきたことも楽しみたいです。

07自分の成長

松井珠理奈

とにかく歌って踊ることが大好きだったから、それを仕事にしたいというのが小さい頃からの夢でした。いざデビューしてみると、自分のこともさることながら、ファンの方の存在がどんどん大きくなっていったんです。特にSKE48のファンの皆さんは「ここ一番」というときの団結力がものすごいので、総選挙にしてもなんにしても「ファンの方に支えられている」という意識が強かったです。おそらく、これは愛知の県民性も関係あるんでしょうね。とにかく「地元を応援しよう!」というパワーが半端じゃないんですよ。この12年で、ファンの方との絆が強くなったことは私の財産だと思っています。

私自身は成長している実感はないんですけど、昔の映像を観ると恥ずかしくなりますね。特にダンスの面で。がむしゃらに踊っているのはいいんだけど、1つひとつの動きが雑なんですよ。「もうちょっと丁寧に踊ればいいのに」って思うし、メリハリも一切ない。要するに余裕がまったくないんです。ダンスの振り付けって、曲によってはフリーで踊るパートもあって。そういうとき、昔だったらワンパターンに同じ動きしかできなかったけど、今は公演やその日の気分によって臨機応変に変えることができるようになったと思います。ステージに上がってもどこかで冷静な自分がいるし、どうしたら観ている人に楽しんでいただけるか、そこを第一に考えられるようになりましたね。

08ジェラシー

ジェラシーがめちゃくちゃ強いんですよ、私。竹を割ったような性格とか言われますけど、全然そんなことないですから。握手会で自分のファンの人がほかのレーンに並んでいるのを見つけたりすると、めちゃくちゃやきもち焼きますし。だから私と付き合う人は、すごく面倒くさいでしょうね。それはあらかじめ言っておきます(笑)。自分が男だったら、松井珠理奈とは付き合いたくないですね。ちょっとほかの女の子と話しているだけで猛烈に嫉妬するでしょうし。こういうところは、もっと余裕を持ちたいなと思いますね。だけどアイドルという仕事をするうえでは、こういうやきもち焼きの性格が向いているのかもしれないです。そのほうがファンの方は喜んでくれるようなところがありますからね。

09後輩に託したい思い

私はあまり後悔するタイプではないんです。でも「やり残したな」と残念に思うことを挙げるとすれば、もっとSKE48のメンバーとわちゃわちゃして過ごしたかったです。私の場合はAKB48での活動もあったから、どうしてもSKE48でみんなと一緒にいる時間が少なくて。例えばSKE48って夏になるとバーベキューをしていたんですけど、それに1回も参加したことがないんですよね。外から見たら「そんなの大したことじゃないよ」って思うかもしれないですが、私としてはすごくうらやましくて。最近、ロケでメンバーと一緒にキャンプをしたんですけど、もう最高でしたね。「これがやりたかった!」って心の底からうれしかったです。

あと、自分の中では「気付いたら同期が1人もいなくなっていた」というのが実感としてあるんです。私が後輩に強く言いたいのは「同期との絆は大事だから、思い出をたくさん作っておいたほうがいいよ」ってこと。同期がいるってことは当たり前じゃないし、今、仲間がいるうちにいろんな経験を一緒にしたほうが絶対いい。何よりの宝物ですから。アイドルを辞めたあとでも絶対にプラスになるはずですし。

10私から見た秋元康先生

松井珠理奈

私の中で秋元先生って「じゃがりこが超好きな人」という印象が強いんです。秋元先生がいらっしゃるコンサートでは会場に控室が用意されていて、なんらかの都合で来られなくなったときでもそこにはじゃがりこがタワー状態で重ねられているから、「すごいな!」ってテンションが上がっちゃって。私はそれをこっそり持ち帰って、自分の楽屋で食べたりしていました(笑)。

秋元先生にはたまに相談もさせてもらいましたね。「SKE48でこんなことをやりたいんですけど」とか、私から提案させてもらう感じで。そういうとき、秋元先生は「周りのスタッフとよく相談しなさい」って言うんです。「自分も常に近くで見てあげられるわけじゃないから。まずは周りの人たちと連絡を密に取るように」って。あとは「生き急ぐな」って言われることも多かったです。「もっとこうしたいです!」「あれもやりたいです!」みたいなことばかり私が言っているものだから、慌てているように思われたんでしょうね。でも、止められないんですよ。閃いちゃうから。それで秋元先生にすぐ相談しちゃうんです。

そう言えば「珠理奈はプロデューサー気質だな」と言われたこともありました。私としてはその発言がうれしかったんです。誰もが認める偉大なプロデューサーの秋元先生にプロデューサー気質だと言われたことがきっかけで「プロデュース業か……そういう道もあるのかな」って初めて真剣に考えました。今後はそういった活動もできたらいいなという気持ちはあります。

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11. 牧野アンナイズム


2021年2月10日更新