Risa Kumonが語る最新シングル「FREE」の秘話、渡米のきっかけ、大いなる夢

Risa Kumonの最新シングル「FREE」がR&Bやソウルのシーンで注目を浴びている。

Risa Kumonは長崎県佐世保市出身の日英バイリンガルシンガーソングライター。デニース・ウィリアムスの名曲「FREE」をR&Bアレンジで歌唱して6月に配信リリースすると、その人気は国内のみならず海外の音楽ファンにも広がった。

音楽ナタリーではRisa Kumonに初インタビュー。音楽に興味を持ち始めたきっかけや渡米を決断した理由、最新曲「FREE」にまつわるエピソードを語ってもらった。

取材・文 / 秦野邦彦撮影 / 星野耕作

「天使にラブ・ソングを2」で受けた衝撃

──「FREE」、聴かせていただきました。素晴らしい完成度ですね。1976年にアメリカ人女性歌手のデニース・ウィリアムスが歌ったオリジナル曲が、見事に2022年によみがえりました。

ありがとうございます。70年代スイートソウルを代表する名曲ですね。

──リリース元のR2 RecordzはRISAさんご自身のレーベルでもあるんですね。

フロリダ出身のヒップホップアーティストでプロデューサーのロランディス“RORO”ラムジー(Rolandis "RORO" Ramsey)と2010年頃に始動して、本格的にレコードレーベルとして動き始めたのは2018年のことです。運営は大変な面もありますが、誰かにこうしてと言われてやるのではなく、自分たちがやりたい方向性にフォーカスするスタイルを貫いてます。

Risa Kumon

──もともと音楽を始めようと思われたきっかけはなんだったんでしょうか?

私の父がお花の事業をしていたので、ガーデニングしながらいろんな曲をかけていたんです。心地よいサウンドの空気感や波動を感じるのが好きで、物心がついたときから歌っていた気がしますね。それともう1つ、歌を始めたきっかけとして私の目のコンディションのことをお話しさせてください。今は弱視なんですけれども、幼少の頃一度失明して目が見えなくなったんです。そんなときに両親がピアノを習わせてくれて、音を聴くことに興味を持つようになってほしいとヒアリングのトレーニングをピアノの先生と一緒にやっていたんです。そこから音楽が私の中で一番好きなものになりました。

──そうだったんですね。

生まれ育った長崎県佐世保市はジャズが盛んで、私も10代の頃からジャズバンドを始めたり、高校生になると声楽を専攻してイタリア語でオペラを歌ったりしていました。どのジャンルも好きですが、中でも衝撃的だったのがゴスペルとR&B。「天使にラブ・ソングを2」という映画を観て、こんなにソウルフルな音楽があるんだって全身に鳥肌が立ちました。そこから出演していたローリン・ヒルのファンになって、ゴスペルのソウルフルな部分に魅了されたんです。

──本場アメリカに行きたい思いも強くなったわけですね。

はい。私の中では言語も含めカルチャーだと受け止めていて、日本にいただけではわからないことが絶対にたくさんあるから、もっと自分の中に取り入れたいと思って単身LAに渡ったんです。親が心配したので最初は3カ月間だけ向こうに行ってすぐに帰国して、またLAで3年くらい語学と音楽を学びながら現地の音楽家の人たちと一緒に活動したり、レコーディングさせていただいたりしていました。

──生で触れたアメリカはいかがでしたか?

想像していたのと一緒だった部分とまったく違う部分、どちらもありました。本当にいろんな民族、カルチャー、宗教の方たちがいらっしゃって、それぞれ「私はこのために生きている。このために音楽を奏でている。こういうバイブスが好きだ」という信仰や思考が違うんですけれども、一緒に演奏した瞬間いろんな色の花が咲く感覚は初めて体験するものでしたね。肌で音楽を感じる感覚とかグルーヴ感──同じジャンルの音楽でもアフリカ出身の方、南米出身の方、イタリア出身の方で全然テイストが違うのもすごく面白いなと思って。そんな思いをきっかけに音楽を作る際「ちょっと哀愁が欲しいよね」というときはロシア系のピアニストさんにお願いしたり、強いグルーヴ感やリズム感が欲しいときは南米のミュージシャンの方に曲をお願いするようになりました。常に決まった人たちと一緒にやるのではなく、料理で言えばハーブやスパイスを選ぶ感覚で、いろんなテイストのアーティストさんと一緒に作ってます。

──英語でコミュニケーションが取れないと難しいところですよね。

そうですね。でも私、最初はそんなに話せなかったんです。日本人だし、シャイだしって感じで現地のミュージシャンにも試されていて。

──試されるんですか?

シャイな人はけっこう試されるんです。どういうふうにリアクションするのか、ずっと見られてる感覚があって。私もそこで学んだんですけど、アメリカは自分から発しないと相手にわかってもらえない国なんです。なので、自己表現をできるようになったし、言葉で説明できなくても「こんな感じ!」って一生懸命伝えて(笑)。それで向こうも「オーケー、オーケー」って、私について来てくれたり。楽譜通りじゃなく、「こんな感じにしたいからちょっと歌ってみるね」「次はこんなリズム?」みたいなコミュニケーションの仕方がすごく好きです。

Risa Kumon
Risa Kumon

人生で最もエキサイティングなシーズン

──これまでどんなアーティストをカバーされてきたんですか?

アレサ・フランクリン、マライア・キャリー、ホイットニー・ヒューストン、ブライアン・マックナイト……けっこうソウル、R&Bが多いですね。ジャズだとサラ・ヴォーン、レゲエだとボブ・マーリーをちょっとR&Bみたいな感じにして歌ったり。それからシャーデー、アリシア・キーズ、ビル・ウィザースも大好きですね。

──ボーカリストとして挑戦し甲斐のあるアーティストばかりですね。マライアなんて非常に音域が広いですし。

挑戦的なものが多いですね。高校生のときに初めて人前でパフォーマンスしたのがマライアの「Without You」という曲で。その出来事をきっかけに音楽をがんばってみたいと火がついた気がします。

──プロデューサーのROROさんとの出会いについても聞かせてください。

日本に帰国後どこに拠点を置こうかなと思ったときに、半分日本、半分アメリカなカルチャーに惹かれてしばらく沖縄で音楽活動していたんです。イベントで歌ったり、ウエディングで歌ったり。ある日、沖縄はミックスの孤児の子が多いので、その子たちを元気にしようというチャリティフェスティバルの企画に参加したとき、オーガナイザーさんからゲストとして来た彼に会わせてもらったんです。プロデューサーとシンガーだし「何かコラボしようか」という話になり、コミュニケーションしていくうちにすごく相性がいいことに気付いて、曲をすぐ作ってパフォーマンスしました。彼はそれが初来日だったんです。2008年ぐらいかな。しばらくフロリダと行ったり来たりしながら、10年近く日本を拠点に活動しています。

Risa Kumon

──気が合ったのは、どういったところですか?

彼は「Risaと音楽活動をするようになったことはナチュラルとしか言えない。昔から知ってた気がする」と言ってます。彼はフロリダ出身ですけど私は行ったことないんです。出身が違っても、噛み合うところとか感じる温度とか、音楽をする目的が似ていて。アーティストに対して思うところも一緒だったりして。でも性格は全然違うんですよ。私はなんでもOKと思えるタイプですけど、彼は几帳面でこだわるタイプ。プラスとマイナス、真逆同士って感じで。

──昔から知っていたような相手との出会いって、なかなかないですよね。

だから彼と出会ったときは本当に自分が今まで生きてきた中で一番エキサイティングなシーズンでした。彼は私のいいところを引き出してくれるのがすごく上手で、それまでは自分がやりたいものをやっていたつもりだったんですけど、プロデュースしてくれたことでもっと輝きが増した感じがします。ボーカルスキルについても高い声より低い声のほうがきれいに出るということを引き出してくれたり。私を日本人という感覚じゃなくグローバルアーティストとして扱ってくれるので、すごくやりやすいです。あと彼は私にないリズム感覚を持っていて、グルーヴの出し方だったり、ほんのちょっと後ろにリズムを動かすだけで全然雰囲気が変わることだったり、発見の連続でした。2人とも曲を作るし、プロデュースもするから、一緒にレーベルを作ることは自然な流れでした。