2000年代のバンドシーン
seek PENICILLINさんは出会う前から、僕らはずっとファンとして雑誌やテレビで拝見していて。CDも買って聴かせていただいていたところがスタートです。
DAISHI 僕らがまだバンドキッズだった頃は、PENICILLINさんのメンバーのことを呼び捨てでしたから(笑)。もはや芸能人というか、遠い存在だったんです。
seek 実際にお会いしたのは、2004年頃で、そのときは雑誌主催のイベントだったかな。その頃って、まだ僕らも楽屋にきちんと挨拶に行って会話をさせてもらえるような感じでもなくて。
千聖 あの当時は雑誌とかメディア主催のイベントが中心で、そのメディアとはつながっているけど、バンド同士は関係が薄かったからね。そこはここ最近のバンド主導イベントとは、また違うんだよね。それに変な話だけど、1、2年違うだけでバンドの雰囲気も全然違ったから。一般人からしたら「長い歴史で見たら、全部一緒だろ」って感じみたいで、ついこの間も「PENICILLINってZIGGYと同じくらいのキャリアですよね」とか言われたし(笑)。そこで「全然違うよ!」って否定しても、10年の差があっても一緒にまとめられるので。それこそ、1年違うだけでメディアの出方も全然違いましたからね。しかも、Psychoが出てきたタイミングってヴィジュアル系シーンの盛り上がりがちょっと落ち着き出した頃だったじゃない。さっきの翔くんの話じゃないけど、「お、ニュータイプが出てきた。このパターンで攻めるんだ」って驚いた記憶があったかな。
DAISHI 実は、Psycho le Cémuの最初の衣装のヘッドギア、思いっきりHAKUEIさんからパクってるんですよ(笑)。今やから言えるけど、あのキン肉マンが付けとるようなヘッドギアですね。
千聖 そうだったんだ(笑)。でも、アプローチの仕方がちょっと違うから、結果的に全然違うものに見えるよね。この人たちの衣装を担当している会社と仲がよかったんで、いろいろ評判は聞いていたんです。ただ、あの衣装でどうやって楽器を弾くんだろうとは思っていた(笑)。
DAISHI ですよね(笑)。そういうつながりもあって、当時は千聖さんともちょこちょこお酒や食事の場でご一緒させてもらう機会もありました。
千聖 最初にDAISHIと飲むようになって、それからしばらくしてseekとも仲よくなったのかな。
seek その頃は僕らもまだ事務所に所属していて、そこからしばらくしてセルフマネジメントをするようになったんです。そんな中、千聖さんにはご自身のスタジオでのレコーディングを見学させてもらいましたね。自分たちだけで運営していく流れや情報を共有してくださったりとか、本当によくしていただきました。
千聖 さっきもちょっと話したけど、うちは出身地がバラバラなので、バンドとしての故郷がないんですよ。こういう故郷に錦を飾るフェスみたいなことはできない。自慢とかじゃなく俺は渋谷で育っているから、「いや、毎回ライブしてるけど」で終わっちゃうんだよね(笑)。
DAISHI それはそれでカッコいいじゃないですか!
千聖 いやいや(笑)。だから、姫路だったり木更津だったり名古屋だったりと、それぞれの郷土愛が地元の活性化につながるのがある意味うらやましくて。それこそ去年、「姫路シラサギROCK FES」に出たとき、Psychoの看板が姫路駅にあって、あれを見るだけでも「しっかり貢献してるなあ!」と思ったからね。
DAISHI 僕、昨年のフェス当日は喉のこともあって、会場にみんなよりもあとから入ったんですね。で、タクシーで会場に向かう途中、運転手さんが「昨日から普段姫路におらんような、けったいな女の子ばかりおるなあ。あれはなんや?」と言っていて(笑)。
千聖 そうやって、ほかの土地からファンが姫路に集まってくるわけだから、素晴らしいことだよ。
seek さっきのセルフマネジメントの話なんですけど、そこも時代によってけっこう形が変わっている気がしています。それこそ、lynch.が結成したタイミングくらいから、自分たちだけで運営していくバンドさんが増えたような気がするんですけど、そんな中でPENICILLINさんはまったく活動を止めることなく、「いつもライブやってるから、いつでも会いにきてね」と言えるのは本当にすごいことだと思います。
セルフマネジメントの方向性
千聖 ところでPsychoとlynch.はどんな接点があるの?
seek Psycho le Cémuとしてlynch.と出会う前、僕個人としては2007年頃にご一緒したのが最初です。バンドがスタートしたときからちゃんと軸を持って、自分たちで活動をしているのをすごいなと思って見ていた記憶があります。
DAISHI lynch.の活動の仕方を聞いたとき、ある意味ニュータイプだと感じたな。メンバー自身が戦略的だし、すごく地に足をつけてやられているところが特に。
晁直 もともとはメンバー3人(葉月、玲央、晁直)で始まって、最初はどこかの事務所に入ろうとしていたんですよ。でも、やっぱりやめて自分たちでやろうとなり。活動資金も少ないから支出を抑えながら、マネジメントはもちろん、デザインとか自分たちでやれることは全部自分たちでして。そこから、自分たちだけでバンド運営ができるとわかっちゃったから、音楽以外に関してもこだわるところは納得いくまでメンバーだけでやろうという精神になって、気付けばもう20年経ったわけです。とにかくメンバー全員こだわりが強いから、意見が合わなかったときにすり合わせをするのが本当大変ですね。
seek 全員が納得するまで、とことんやるんですね。
晁直 そうですね。誰かが折れたりしたら、それはよくないじゃないですか。誰かが喜んで誰かが泣いてっていうことを避けたいので、みんなが納得できる折衷案を出し合うという。
DAISHI バンドごとのルールも、もちろんあるでしょうしね。同じセルフマネジメントでも、うちは無理だと思いますよ。
“ジェネリックゴールデンボンバー”
seek 昨年の初回はいろんなスタッフや関係者の方々にサポートしていただいて成立したイベントだとは思うんですけど、自分たちが経験したことのない規模感のイベントを「0から100まで自分たちでやってみよう」というテーマがあったので、とにかく目まぐるしくて。自分たちがステージに出ているときだけが、唯一自由を感じられたほどでした(笑)。また、さっき言った武道館を経験したアーティストさんの話じゃないけど、その背中をいろんな形で見せてもらった2日間でもあったなと。
DAISHI 本当に、出演してくださった皆さんに感謝です。
seek 2日目、大トリのPsycho le Cémuの前に氣志團さんに出てもらって、その最後にメンバー全員でセッションをさせてもらったときは、客席の盛り上がりがピークになったんですよ。それはすごくうれしかったんですけど、そのあとにPsycho le Cémuとしてもう1回出ていくためにちゃんと気持ちを切り替えて、表情もキリッとさせて。25年やってきたバンドやけど、ここは試練というか挑戦だなという気持ちで、ステージに向かったのはすごく覚えてますね。
DAISHI 登場から僕らが出る最後のところまで、本当にストーリーがしっかりしていて、会場もピークに盛り上がったしね。そこからどうやって、さらに上を目指すのかというのは、Psycho le Cémuのメンバーみんなが考えてたんじゃないかな。
seek あと、翔さんがよくSNSに「氣志團万博」の舞台裏を載せていますよね。僕はあれを「絶対にバタバタしているはずなのに、すげえな!」と思って見ていたんです。なので、そういう姿勢を見習って、「姫路シラサギROCK FES」に来てくださった皆さんをちゃんとおもてなししたいという気持ちを持っていて。正直、昨年はちゃんとできていたかどうかはわかりませんけど、そういう精神をちゃんと大事にするイベントにしたいと考えながら、2日間を過ごしました。
綾小路 そう言ってもらえるのはうれしいですね。そもそも僕自身は友達が本当にいなかったんですよ。学ランを着ているバンドのシーンなんてないですし(笑)、デビュー前も自分たちのホームと言えるライブハウスも特にないわけで。だから、ライバルがいたり、しのぎを削り合ってそこから友情が芽生えて、お互いに大きくなってみたいな関係性のある周りのバンドがうらやましかったんです。僕らは2011年に初めて対バンイベントを年間3、40本やって、やっとそういう仲間たちが増えていって、その延長で「氣志團万博」をフェスとして始めたんですね。さっきseekがありがたい言葉をかけてくれましたけど、僕は相手に対して過剰にもてなしてしまいがちなだけなんですよ。友達になってくれたことがうれしくて、いらないって言ってるのに身を削って相手にプレゼントをあげて、気持ち悪がられて嫌われるみたいな。
seek そんな!
綾小路 (笑)。だから、去年はPsychoのフェスに呼んでもらえたことがうれしくて、できることなら出演日の3日前から姫路に入りたいなと思っていたくらい。結局スケジュールの都合で前日入りになってしまったんですけど、行きたかった姫路のお店をリストアップして、何軒も回りました(笑)。前夜にめちゃくちゃ満喫してからフェス当日を迎えまして、圧巻のライブになりましたし、締めもバッチリ決まって。その後、みんなでしっぽり飲みに行ったんですけど……。
DAISHI “ジェネリックゴールデンボンバー”の話ですね(笑)。
綾小路 そう、行ったお店で「ゴールデンボンバーさんですか?」って話しかけられて(笑)。ほぼほぼそんなもんですし、向こうは認めないでしょうけど、ゴールデンボンバーの始祖みたいなもんですから。それで、先輩バンド2組の共同作業でゴールデンボンバーっぽいサイン色紙を作って(笑)。
DAISHI そして、翔さんがゴールデンボンバーに間違えられたことがYahoo!ニュースになり(笑)。
一同 (笑)。
綾小路 僕ら全員がなんとなく、“メイクを落としたゴールデンボンバー感”があったんでしょうね(笑)。でも、そこから本当の意味で“姫路を知る夜”が始まるんですけど、それはまたおいおいお話しましょう。
DAISHI ナタリー向きじゃないですからね(笑)。
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