ポップしなないで|人生上々を信じて “総決算”の1stアルバム完成

「ドラムとピアノ」を突き詰める

──では新作の話を。アルバム「上々」を作るにあたって、どのようなことを考えていましたか?

かわむら かめがいさんとも相談したんですけど、初のフルアルバムだし、この5年間自分たちが積み上げてきたものを余すところなく出さないといけないなと思っていました。今までポップしなないでを聴いてきた人たちにも、これから聴いてくれる人たちにも、そして我々のためにも、総決算をしないといけない。そういうことをまずは意識していましたね。だから「エレ樫」も入っているし、「魔法使いのマキちゃん」も入っているし。

──本当に、今回のアルバムはこれまでのベスト盤的なニュアンスもある作品だと思うんですけど、結成された2015年以降、この5年間でポップしなないではどのように変化してきたと思いますか?

かわむら 我々が結成から変わりなくやり続けてきたことは、ピアノとドラムという“打楽器”を骨組みとして、その骨組みだけで曲をデザインしていくということです。それによってポップスを実現していくこと、言葉とメロディがメインの音楽を作ることが、ずっと一貫してやってきたことで。そのうえで、この5年間で自分たちが聴く音楽や、好きな音楽も変わってきたがゆえの変化が起こっていったんだと思います。具体的に言うと、結成当初は華々しいものを意識していたんですよ。どうしたら聴いた人に華やかな気持ちになってもらえるかに大きくウエイトを置いていたし、それによって「エレ樫」みたいな、コロコロと展開が変わっていく曲が生まれたんです。

──「エレ樫」が、ポップしなないでとして最初に作った曲だったんですよね。

かわむら(Dr)

かわむら そうです。そこから5年間を経て徐々に徐々に、もっと自分たちのミニマルなところを出したくなってきた。一時期、僕がデトロイトのハウスミュージックしか聴かなかった時期があったんですけど、そういう影響もあって、もっとリズムのデザインをシンプルにしたくなってきたんです。そもそもピアノってすごく華やかな楽器ですけど、ドラムも実はすごく華やかな楽器なんですよ。シンプルな楽器に見えて、いろんな音色があるので。ただ、そこをうまく抑えてタイトにしていくことを目指しました。それによって、もっと言葉のパワーも増えるんじゃないかという狙いもあったんです。そういうことを考えていたのが、「Creation」を作っていた頃ですね。そういった変遷の中で今、一番新しい自分たちの思考で作ったのが「上々」になるのかなと思います。(かめがいに向かって)合ってますよね?

かめがい 完璧です!

──かわむらさんの根本的な考え方として、ピアノは打楽器である、という認識がまずあるんですよね?

かわむら そうですね。僕としては、ピアノは「打つ」もの、打楽器として捉えていて。

かめがい ふーん。

かわむら そう感じてはいなかったですか?

かめがい うん、ピアノが打楽器だっていう感覚なんてなかった。でも、ピアノとドラムで一緒にドンっと合わせるのは楽しいよね。

かわむら そう、ドラムとピアノで合わせるのって、めちゃくちゃ楽しいんです。「ベースがいなくて、やりにくくない?」と言われることもあるんです。確かにベースという存在はバンドにとってすごく効率的なもので。ベースがあることはバンドの音を構成するために最短の道を行く方法だと思うんですけど、音楽は決して効率的であればいいわけではないので。僕らはあくまでも「ドラムとピアノ」の組み合わせを突き詰めていきたい部分があるんですよね。それによってすごく体感的というか、フィジカル中心の音で心地よくビートを感じ取りながら、同時に歌を聴き取ることができる……そんな、有機的な部分と無機的な部分のちょうどいいところを突けるんじゃないかっていう考えが、このバンドを始めた頃からあったんです。

全身で超傷付きながら、そのすべての傷を受け入れる気持ちで

──今のお話ですごく納得したのは、ポップしなないでの音楽にはすごく身体的な気持ちよさがあるなと思うんですけど、それは言葉においても言えることなんですよね。言葉が意味を失わないまま、身体的な快楽性に接続されるというすごく絶妙な現象が、ポップしなないでの音楽には起こっていると思うんです。

かわむら 言葉や歌を、体に染み込むように作りたいっていうのはあって。日本語だから日本人に向けてっていうことよりも、我々のメッセージが、リズムとしても意味としても、聴いている人の体に入っていってほしいんですよね。そういうことを考えながら作っている構成やサウンドデザインではありますね。

──この言葉と音楽のデザインこそ、かめがいさんが言う「つながり」を生み出す1つのファクターになっているんじゃないかなとも思います。ポップしなないでの音楽を聴いていると「この気持ちや感覚を自分は知っている」と感じることがあって。それも「意味がわかる」というよりは、「体感することによって、伝わる」という表現がしっくりくるんですよね。

かめがいあやこ(Key, Vo)

かめがい 例えばつらいことや悲しかったことって人によってさまざまだと思うし、いろんな形で誰の心にも迫って来るものだろうと思うんですけど、そういったものに対してのポップしなないでの歌詞って、わかりやすい失恋ソングとかではないんですよね。ただ、わかりやすくないからこそ、例えば「悲しい」という感情を取ってみても、失恋で悲しかったこと、仕事がうまくいかなくて悲しかったこと、大事なものをなくして悲しかったこと、いろんな場面から生まれる「悲しさ」に、1つの曲で触れることができたりすると思うんです。

かわむら 僕らはちゃんと残酷なことを言おうとはしているんです。それは、かめがいさんの歌に向き合う姿勢もそうだと思うんですよ。

かめがい うん。私は全身で超傷付きながら、そのすべての傷を受け入れる気持ちで歌っています。

かわむら 我々は見たくないことや普通だったら表に出さないことをちゃんと見ようとしているし、見たうえで、それを言語化しようとしている。ただ、これは勘違いされやすい部分で……さっき「生きづらい」という言葉を使いましたけど、僕らの音楽は、世間の一部の生きづらさを抱えている人のためのものではないんです。むしろ僕は、人は全員が全員、生きづらさを抱えているものだと思っているんです。例えばすごく成功されている芸能人の方や実業家だって、我々には想像の及ばない壮絶なつらさを抱えてることだってきっとあるわけですよね。社会と折り合いを付けるために口に出さないことって、誰にでもあると思うんです。それを1回吐き出して、そのうえで我々は、最終的に楽しくなりたいし、うれしくなりたいんです。それこそが音楽の宿命だと思うんですよ。ミュージシャンはそれを実現しないとダメだと思って、僕らは音楽をやっているんです。

──あくまでも楽しむこと、前を向くことが、音楽の宿命である。

かわむら そう。残酷なところを我々なりの見方でちゃんと見つめたうえで、どうやって前向きに、上を向いて生きていくのか? それを考えることは僕ら自身のためにもなることだし、それを形にするのがミュージシャンだと思うんです。