初めて誰かと会話した気持ちになれた
──そんなインディーズ時代を経てメジャーデビューアルバムがリリースされますが、過去曲のリアレンジ5曲と新曲1曲の構成ということで、あえて新曲だけで作らなかったのはどんな意図がありますか?
純粋にインディーズのときの曲を、きちんとした形で出し直したいと思ったんです。それはファンの人たちに対して、「これからがんばっていくよ」という意思表示でもあって。当時、アレンジに関してはやんわり決めたところもあったので、もう1回ちゃんと考え直すために、アレンジャーのゴンドウ(トモヒコ)さんにお願いして一緒に決めていきました。
──ピアノをベースにした「嫉妬しろよ」がシンセ中心の音色に変わってたり、新鮮な聴き心地になった曲も増えましたね。アレンジはどんなことを意識しましたか?
今までのよさをなるべく生かしつつも、次のステージに進むんだということが伝わればいいなと思っていました。たとえば、「元カノの成分」だったら、新たに弦楽器を入れて華やかにしてみたり。「23:13」は、もとは弾き語りだったんですけど、今回のアルバムでは、アコースティックサウンドの中に海外の音楽の空気感を含んだアレンジになりました。
──アレンジャーにゴンドウさんを迎えた経緯というのは?
ゴンドウさんがアレンジされてる、吉澤嘉代子さんの「残ってる」という曲が好きで。何人か候補の方がいらっしゃった中で、それもあってお願いしました。
──アレンジについてはゴンドウさんとどうコミュニケーションを重ねたんですか?
かなりお話させていただきましたね。私が「こうしてほしい」と言葉で伝えるのが苦手だったので、とにかく参考音源を持って行って「こういう感じでやりたいです」といっぱい伝えました。新人にしては自分のやりたいことをかなり言ってしまったと思います。
──じゃあ、ご自身の中でアレンジの明確なアイデアがあったんですね。
ありました。例えば「片瀬」という曲だと、これは孤独な女の子の歌なんですけど、「イントロに会話してる声とか心臓の音を入れたい」という話をして。
──どうしてそれを入れたいと思ったんですか?
この曲は自分の中で一番好きな曲なんですよ。
──ターニングポイントになった曲だそうですね。
はい。20歳のときに書いたんですけど、孤独な時期だったんです。さっきも言ったように、あまり人に対して心を開くこともなくて、海や空を見てもきれいだと思ったことがなかった。でも、ちょうどそのときに好きな人と神奈川県の片瀬江ノ島駅に行って、そこで見た海を初めてきれいだなと思えて。そう思えたことが何よりもうれしくて作った曲なんです。
──歌詞には“空の色が毎日違うことに気づいた”というフレーズもありますね。
それまでは空じゃなくて、部屋の中で天井ばかり見てたんですよ。イメージとしては、女の子が部屋で体育座りをしてるような感じですね。でも誰かが連れ出してくれて、自分の立ち位置が変わるだけで、こんなに見え方が変わるんだなと思ったんです。あと、ちょうどその時期に、友達が精神的な病にかかってしまい、会社を辞めてしまって。その友達は恋人と一緒に住んでたんですけど、当時その恋人がいつも会社帰りに花を1本買って帰ってきてくれるという話をしてくれて。「今、その花を飾るのがすごく楽しみなんだよね」と言ってたんです。
──それが自分と重なった?
そう。この歌はその女の子に捧げたいと思ったし、自分にとっても大切な曲で。だから、イントロに人の話し声を入れたのは、きれいなものを見てきれいだと思えたことで、初めて誰かと心から会話したような気持ちになれたからで、心臓の音は“生きてる”ということを表現したくて。
──大げさかもしれないけど、「これが生きてるってことなんだ」という発見でもあった?
はい。初めて瑞々しい気持ちになれたんですよね。
「元カノの成分」は未練の曲じゃない
──今作にはご自身の代表曲「元カノの成分」も収録されます。歌詞の「男は元カノの成分で 8割型出来てるらしい」という部分は、作家の燃え殻さんの言葉がきっかけで書いたそうですね。
燃え殻さん、すごく好きなんです。この曲を作ったのは、梨帆という名義で活動していた頃なんですが、「行けたら行くね」というミニアルバムを制作する中で、締め切りに追われていて。そのときに読んだ燃え殻さんの記事に感銘を受けて、面白半分で書いたんです。まさかあとでレコーディングすることになるとは思わなかったから、奇跡みたいな曲ですね。
──結果として、それがミュージックビデオも含めて話題になっていったわけですね。
そうですね。この曲のMVは、大森靖子さんのMVをよく撮られてる映像監督の二宮ユーキさんにどうしても撮ってもらいたくて。それでお金もないのに、ただ好きという気持ちだけで二宮さんに長文のメールを送りました。最初はスケジュールが合わなくて難しそうだったんですけど、ここで引き下がるわけにはいかない!と思って「どこにでも行くのでお願いします!」と頼み込んだら、「じゃあ、この日だけ空いてるから」と引き受けてくださって。曲がリリースされた当時はそんなに話題になっていなかったんですけど、徐々に聴かれるようになりました。
──ご自分では、この曲が受け入れられた理由についてどう思われますか?
私が今まで書いてきた歌詞よりもポップだし、引っかかりやすさはあるのかなと思います。本当に偏見にまみれた歌詞じゃないですか(笑)。でも、これぐらい偏っていたほうが聴いてくださる人たちの間で議論になるんだなと思いましたね。
──あと、この曲では恋人同士の関係性を歌っているけれど、どんな人でも、家族、友達、先生、同僚、尊敬する人といったいろいろな人の成分を吸収してできあがっていますよね。そういう意味では、けっこう普遍的なことを扱った歌だなとも思うんですよ。
そうですね。この曲は元恋人に対して書いたわけじゃないんです。付き合った人を思い出したときに、その人のお父さんとお母さんの顔とかも浮かんできて、「あ、今あの人にはもう新しい彼女がいるけど、それ以前にいろいろな人の言葉、環境、哲学だったりが入ってるんだな」と思って。そこに私の成分が残っていなかったとしてもよくて、でももし残ってたら面白いなと思ったんですよね。
──梨帆さんとしては未練の曲ではないんですね。
はい。YouTubeのコメントには「元カノなんていなくなればいい」と書いてくれた人もいて、それはそれで「こんな曲を書いて申し訳ないな」と思ったりもしたんですけど(笑)。でも深く聴いてくれる人の中には、聴くと考えさせられたり、不思議な感情になると言ってくれる人もいて。自分が思ったことが伝わってるんだなと、うれしくなりましたね。
好きな人の全部を知りたい
──新曲の「リリー」は、今作の中ではいちばん疾走感があるロックですね。
この曲だけゴンドウさんではなく、keebow(北原裕司)さんというインディーズ時代からずっと一緒にやってきた方の編曲ですね。もともと「おしゃ家ソムリエおしゃ子!」というドラマのために、初めて私自身ではない主人公の目線で書いた曲なんです。その主人公はすごく明るい性格だったから疾走感や潔さが欲しくて、2分くらいの短い曲にしてみました。
──好きな人が持ってる物や着ている服、住んでいる家、本棚まで触れてみたいという感情が歌われていますね。
まさにその通りです。元になったドラマが、主人公が好きな人の部屋に行って、無印良品の製品が並んでたら「自分のことをおしゃれだと思ってる系男子だ」みたいに斬っていくコミカルなお話だったんですよ。本棚にビジネス書しかない人だったらワーカホリックかなとか、哲学とか純文学の本だったら自分の世界を持ってる人なんだろうなとか、いろいろあると思うんですね。でも、本当に好きな人に対しては、最初にその人の本棚を見るというより、その人に惹かれたうえで何を好きなのかを知っていくことのほうが多いんじゃないかなと思ったんです。
──そういう人物の描き方は「元カノの成分」にも通じる気がします。「元カノの成分」は、周りの人の影響がその人を形作るという視点だったけど、「リリー」は持ち物や読んできた本がその人を作るという発想だと思うので。
自分が書いた歌詞なので、近い感覚は出ていると思いますね。私、人のことを好きになると、それは男女問わずなんですけど、その人が生まれたときから今に至るまでの全部を知りたいタイプなんですよ。普段何してるかとか、どんな本を読むのかとか、その服どこの?みたいなのとか。それを自分の中に取り入れて、自分らしさにするのが好きなんですね。そういうこともあって、「元カノの成分」や「リリー」が生まれたんだと思いますね。
「表現家」でありたい
──今回のアルバムには梨帆さんが17歳から現在の22歳までに作った曲が収録されていますが、人間としての変化がリアルに表現されましたね。殻に閉じ籠もっていた時代から外の世界に興味を持つようになって、自分とは違う価値観を受け入れられるようになっていくという。
振り返ると、私は人に対して否定的な考え方を持っていたのかもしれません。「こんな人にはなりたくない」「こういう人は嫌だ」みたいな。でも今は「そういうこともあるよね」というふうに思えるようになってきたと思います。正直、「黒いエレキ」や「嫉妬しろよ」みたいな曲を今書けと言われたら、たぶん書けないと思うんです。昔の曲を好きだと言ってくれる人もいるとは思うけど、私はこれからの自分がどんな曲を書くのか、すごく楽しみなんです。私の曲は、私の人生と深くつながっている曲ばかりなので、このアルバムを通して、私がどういうふうに生きてきたかを感じてもらえたらうれしいなと思います。
──自分が変わっていくことが怖いと思うことはないですか? それこそ10代の頃に持て余していた孤独感や、ヒリヒリした焦燥が表現の中から失われていくというのは。
もちろん失われたものを惜しむというか、あのときの感覚がもっとあればなとも思います。でも「黒いエレキ」「元カノの成分」「嫉妬しろよ」を書いていた10代の頃は、生きること自体もつらかった。つらいときのほうが曲は書けるけど、それは西片梨帆の寿命を少しずつ縮めている感覚だったんですよね。でも20代になって「片瀬」ができて、自分の興味に愚直になることで、生きること自体がすごく楽しくなったんです。それに、たぶん私の根源にあるものは変わらないと思ってます。もしかしたらまたどん底にいくかもしれないけど、それはそれでいい曲が書けそうな気がするし。そういうサイクルで生きていくのかなという感覚はありますね。
──冒頭でも「私は変わらない」と言っていましたが、これからメジャーフィールドで活動していく中で、アーティストとして変えたくないものはなんでしょう?
絶対、自分にしかできないことをやるということですね。誰かにやらされてる感とか、動かされてる感は、見てる人にドキドキや感動を与えられないと思うんです。自分主体じゃないと意味がない。だからこれからの創作でも、自分の意志でやり続けるということは貫きたいです。
──ちなみに、Twitterのプロフィール欄にはご自分のことを「表現家」と書いてますよね。シンガーソングライターや歌手ではなく、どうしてこの言葉に?
音楽は全力でやっていくんですけど、近いうちに、お金をためて、服飾の専門学校に行きたいと思ってるんですよ。自分がどんな洋服を作るのか、興味があって。
──え、これからですか?
はい、これからです(笑)。漠然とではあるんですけど、美大に入りたいという夢もあるんです。最終的に戻ってくるのは絶対に音楽なんですけど、自分の中では表現=音楽というより、表現=自分という考えがあるので、その時々で自分が作りたいものが変わってくるんです。
──服飾の勉強をすれば、自分で着る衣装をデザインしたりもできそうですね。
そうなんですよ。ZINEもそうですし、舞台の脚本を書いたこともあるんですけど、それもやりたいと思ったからやったことなので。たぶん私は作ることに関して、いろいろなところに興味が散らばってるんですよね。だから、「表現家」なのかなと自分では思っています。
次のページ »
私を作った6冊の本