三阪咲が配信作品「I am ME」でソニー・ミュージックレーベルズよりメジャーデビューした。
「I am ME」は「私が私らしく“今、歌いたい楽曲”を届けたい」というコンセプトのもと制作された4曲入りの作品。これまでの楽曲の作詞は三阪自らが手がけてきたが、本作ではASOBOiSMや麦野優衣が三阪の思いを汲んで英語を織り交ぜた歌詞を綴り、海外のクリエイター陣が作編曲を担当している。「I am ME」で三阪が表現したかった“私らしさ”とは。アーティスト活動を始めるきっかけとなった幼少期を振り返りながら、記念すべきメジャーデビュー作品についてじっくり語ってくれた。
取材・文 / ナカニシキュウ撮影 / 梁瀬玉実
ダンス、ピアノ、ギターとの出会い
──音楽ナタリー初登場ということで、これまでの簡単な振り返りから始めさせてください。まず、三阪さんは幼少期からダンス、ピアノ、ギターを習っていたとのことですが、それぞれどういうきっかけで?
まずダンスを始めたきっかけとしては、小学校のときにアフタースクール(※学童保育の1つ)があって。そこでテニスをやる子とかいろいろいる中で、私はダンスを選んだんです。
──それは、全員が参加するクラブ活動みたいな感じ?
そうです。外部から先生が来てくれて、全員が週に1回何かをやるみたいな。そのときの先生が別でやっているダンススクールに「もし気になるんだったらおいで」と言ってくれたので、友達と一緒に通うようになってヒップホップやタップダンスを習っていました。
──なるほど。ピアノとギターに関しては?
ピアノはお母さんの影響で、物心がつく頃には当たり前のように弾いていましたね。気付いたら記憶の中にピアノがあった、みたいな(笑)。ギターに関しては、お父さんが学生時代にバンドをやっていたので家にギターが眠っていたんです。それを急に引っ張り出して弾いていたのを見て、「弾いてみたい!」と思ったのが最初です。それが小学校5年生くらいだったと思います。
──ご両親が音楽をやられていた影響で、楽器とも自然に触れ合ってきた感じなんですね。
はい。最初は独学でした。小6か中1くらいのときに定期的にレッスンを受け始めました。
──聴く音楽としては、どういうものに触れてきました?
ちっちゃい頃は、お父さんが好きで聴いていたコブクロさんとか宇多田ヒカルさん、Superflyさんを聴いていて。最初に「こんなふうになりたい」と思ったのは小学生のときに大阪城ホールで初めてライブを観たSuperflyさんです。
──歌に力強さのあるボーカリストに惹かれていた感じなんですね。
歌うこと自体は子供の頃からずっと好きだったんで。そこから、自分でも好きな音楽を見つけて聴くようになっていきました。洋楽でも歌い上げる感じのカッコいいアーティストさんが好きで、ジェシー・Jさんとかシーアさんとかをよく聴いてましたね。
──なるほど。三阪さんの歌を聴いていると「英語うまいなー」という印象を受けるんですが、帰国子女だったりするわけではないんですよね。
英語、しゃべれないんですよ(笑)。普通に洋楽がずっと好きだっただけっていう。
──シンプルに聴いてきた音楽によって培われたものであると。
そうですね。洋楽に限らず、それこそSuperflyさんの英語詞の歌い方だったりとか、日本語が英語に聞こえるような感じにも知らず知らずのうちに影響されているかもしれないです。
小6で始めたライブ活動
──歌手を目指すことを決意したきっかけを教えてください。
さっきお話ししたダンススクールの先生の紹介でダンス&ボーカルのスクールに通うことになったんです。そこで「ダンスだけじゃなく、ボーカルも習えばレッスン料が半額になるよ」と言われて(笑)。それで歌も習い始めたのが小学5年生、11歳のときですね。本気で「絶対に歌手になる」と決めたのはもうちょっとあと、中2か中3くらいのときだったと思います。
──ライブ活動はいつ頃始めているんですか?
小6ですね。ダンス&ボーカルスクールに移った直後くらいに、全員参加の歌のコンテストで賞をいただいたんです。それで「もしかしたら歌、向いてるんじゃないかな」と思い始めて、レッスンを受けながら誘っていただくライブにも出るようになっていきました。当初はライブハウスでの活動が中心で、中3のときに路上ライブをしっかりやっていた感じです。
──なぜ路上でやろうと?
ライブハウスだと、「観に行きたい」と思ってくれた人にしか来てもらえないじゃないですか。もっと不特定多数の人に観てもらいたくて。「ここで路上ライブをしていいよ」と決められている場所が地元にあるんですけど、そこに出るためにはオーディションに通らないといけなくて。そのときにオリジナル曲が必要だったので、初めてオリジナルを作ったんです。
──そんなふうに活動を続けて、三阪さんは着実にファンを増やしてきました。現在、メジャーデビュー前の時点ですでに各SNSのフォロワーが軒並み10万人を超えていますが、この現状はどのように受け止めていますか?
中3のときに「音楽チャンプ~歌うま日本一決定戦~」(テレビ朝日系)という歌番組に出演させていただいたんですけど、そのテレビ出演を機にファンの皆さんが過去の路上ライブの映像を一斉にYouTubeやTikTokに上げてくださって。それがきっかけで、TwitterやInstagramのフォロワーもどんどん増えていきました。
──ファンの皆さんが自発的にプロモーション活動をしてくれたと。
そうなんです。それがなかったら、こんなにたくさんの人に観てもらえるようにはなってないかもしれない。本当に皆さんのおかげですね。ありがたいです。
──なんでそんなことになってるんでしょうね?
なんでなんでしょう(笑)。でも、ライブなどではなるべくステージ以外でもファンの方とコミュニケーションを取るように意識しています。物販に立ったりとかもっと“人と人”として接したい気持ちがあるんで、その結果かもしれないですね。
メジャーデビューだけが目標ではなかった
──そして今回、ソニー・ミュージックレーベルズからメジャーデビューすることが決まりました。メジャーデビューにあたっての心境はどんな感じですか?
もちろんうれしいんですけど、ここだけを目標にしていたわけではないというか。メジャーだからどうこうという感覚よりは「あのステージに立ちたい」「あのイベントに出たい」というライブへの思いのほうが強いですね。そういう意味では、メジャーだから立てるステージというのもあると思いますし、インディーズではできなかったことができるようになるのは楽しみです。
──アーティスト・三阪咲の人生設計においては、必ずしもメジャーデビューが必須項目ではなかったと。
最近は特に、誰がメジャーで誰がインディーズかという境目が曖昧ですよね。TikTokで流行ってる曲は、広く知られているけどメジャーレーベルからリリースされているわけでもなかったり。私は「いい音楽を作って、いい歌を歌う」ということに重きを置いているので、ある意味メジャーもインディーズもそんなに大きくは変わらないと思います。
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三阪咲の新しい形ができた