運も自分の力でつかみにいける
──5曲目「ストロボ」は高揚感のあるサウンドと、チャンスをつかむ瞬間を歌った前進力のある歌詞が印象的です。
これまでソロではこういうアッパーで明るい曲がなかったので、ライブの即戦力になると思ってます。歌詞については、自分の経験を振り返って書きましたね。今みたいな立ち位置で活動させてもらえるようになった最初のきっかけとか、自分が選んだ場所とか、誰と一緒にやるかとか、そういう巡り合わせは運に左右されていたなと。
──そうなんですか。
とはいえ、運がたまたま自分のところへ舞い込んだときに、見逃さずにパっとつかめたのが何より大きかった気がします。運をつかんだあとの努力はみんなするんですけど、その前の“つかもうとする努力”をしていない人が多いと思っていて。
──つかもうとする努力、ですか?
「運がよかった」の本当の意味が、あまり伝わっていない気がするんですよね。運がいいというのは、それまでずっと目を見開いていて、ピカっと光った瞬間にガッとつかむこと。つまり「運を見逃さないこと」と「運をつかむこと」の両方ができてないとダメなんですよね。そのためには「いつでもつかみに行くぜ」と準備した状態でいることが大事。その姿勢でい続けるのはつらいし、あきらめてしまいたくなるんですけど、憧れの土俵に立つためには常に準備体制でいる必要がある。「あの人は運がいいよね」と言う人は、やみくもに手を伸ばして、たまたまつかんだだけだと勘違いするんです。でも、それは違う。もちろん全部ではないけど、運も自分の力でつかみにいけるんです。だからこそ「目をちゃんと見開いていないとダメだよ」というメッセージを「ストロボ」に込めました。
──運=光を表す言葉はさまざまある中で、「ストロボ」と名付けた理由はなんでしょう?
チャンスというのは柔らかい光だったり、明るく照らされているイメージではないんですよね。閃光のようにパッと訪れるもの。その一瞬を表すためにタイトルを「ストロボ」にしました。
──いつか訪れる光を待つためには、どういう心構えでいるといいんでしょう?
我慢もそうですし、「このまま、うまくいかなかったらどうしよう」という恐怖心と戦う気概も必要。中でも一番の大敵は、どんどん“萎んでいく”ことなんです。
──萎んでいく?
「あいつはいいよな……」「どうせ俺なんか」と夢を萎ませてしまうこと。「必ずチャンスは訪れる」と思いながらずっと目を見開いておく心構えが、運をつかむ、光をつかむうえで大事だと思います。
──萎みそうになっているときは、どうやって食い止めるんですか?
いろんなやり方があると思っていて。「夜半の銃声」で歌っている「飛び込む勇気を待つより 足を踏み外せ」というのも、萎まないための1つの方法。あとはとにかくトライし続けるってことですかね。いろいろ考えちゃうと何もできなくなっていくので。とにかく最初に大事なのは“ガムシャラ”でいること。
自分が言いたい放題言ったわがままを、みんなの力を借りて形にしてもらった
──今作のラストを飾るのはバラード曲「君とのこと」です。夏の夕焼けを思わせるシネマティックな世界観で、EPの締めくくりにぴったりだと思いました。
この曲は「今の俺は、昔の記憶をどこまで思い出せるかな?」と考えたのがとっかかりになっていて。それは形や写真に残っているような記憶ではなく、“日常という名”の宝箱を開けたときに、ようやく思い出せるようなこと。何気ない場面なんだけど「うわ、懐かしい!」となる瞬間があるじゃないですか。それを自分の記憶と向き合って形にできたら、すごくいいなと思ったんです。「泳ぎ疲れたあと 耳の奥で溶けた 生温かい 夏の終わり」というフレーズで歌が始まりますけど、俺は田舎育ちで夏休みにはよく川で泳いでいたんですよ(笑)。泳ぎ疲れて家に帰ったあと、3時間後ぐらいに耳の中に溜まっていた水が温かくなって出てくる、みたいな。
──ありましたありました!
歌詞を書きながら、そういう些細なことを思い出して。「ああいう経験って、子供の頃だけだよな」って懐かしんでいたら、どんどん昔の情景が浮かんできました。畦道しかないよう場所で遊んでいたら、遠くからウィーンとスクーターの音が聞こえるとか。普段だったら絶対に思い出さないであろう記憶と向き合いながら書いて、最終的に甘酸っぱい恋愛の歌詞に仕上げました。
──今言った「遠くで聞こえた スクーターの音と 風と 恋心」の歌詞は、バイクじゃなくてスクーターなのがいいですよね。
そうそう! なんかね、言葉ひとつでどこまで自分の過去を思い出せるか、どこまで聴く人の記憶と歌詞を重ねられるかが大事なんです。それで10代の前半の頃ってバイクじゃなくて、自転車とかスクーターが身近にあったよなと思って。
──大きなイベントとか決定的な名場面ではなくて、日常の何気ない時間って戻れないからこそ今になってキラキラして見えますよね。
ね! 本当に貴重な時間だったんだなと思います。あの頃は何も考えずに過ごしていて。学校が終わるまでめちゃめちゃ長いし「早く大人になりたい、もう学校に行きたくないな」って、そういうことばかり考えながら日々を生きていた(笑)。今考えると、その時間はすごく貴重だったなって。大人になったからこそ、思い出したくなるような淡い記憶がいっぱいある。うん、人生はうまいことできてるなと思いますよね。
──僕も早く1日が終わればいいとか、早く学校を卒業したいと思っていて。1日1日をまったく噛み締めていなかったです。
そうそう、そうなんですよ!
──当時は子供でいられる時間を噛み締めていなかったんだけど、今になって味がしてくるといいますか。「めちゃめちゃ甘酸っぱいじゃん」と気付きます。
ははは、そう! あのときに噛み締められた人なんて、たぶんほとんどいなくて。今になったらね、「バスケをやっていてよかった」「野球やっていてよかったな」とか、大人になって感謝できるようになるけど。当時は「練習がつらいから早く終えて、アイスクリームを食べたいな」と思ったりしてね(笑)。日々と向き合っていない時間が多かったけど、本当に大切な時間だったなと思います。
──最初に「このEPはテーマが特にない」と言いましたが、マオさんの人生観や哲学が多分に注入されているように思いました。
うん、確かに。ソロの曲は自由に“自分が自分が”で作っているからこそ、過去の記憶もそうですし、泥臭いことも、リアルに怒っていることも全部を出せていると思います。それが誰かにとっての気付きになったり、がんばるスイッチになったり、逆にストップをかけるきっかけになったり、“誰かにとっての銃声”のような1枚になればいいなと思ったからこそ、「夜半の銃声」と名付けたところがあります。
──ちなみに共同プロデュースのnishi-kenさんやアレンジャーの杉原亮さんは、マオさんにとってどんな存在ですか?
nishi-kenさんはライブでも長年ご一緒しているし、ソロが始まってからもずっと見てもらっているので、nishi-kenさんがいない状況は想像できないですね。アレンジャーの杉ちゃんもそうで、杉ちゃんがいてくれないと俺の音楽は成り立たないです。バンドメンバーに関しても、全曲のレコーディングに参加してくれているので、このメンバーがいないとEPは作れなかった。ソロでよくあるような「自分が全部を構築して、何もかも1人でやりました」ということからはかけ離れているんですよね(笑)。自分が言いたい放題言ったわがままを、みんなの力を借りて形にしてもらったのがこの「夜半の銃声」なんです。
ショッピングモール巡りで知ったこと
──EPリリース後の7月12日には「MAO TOUR 2025 -夜半の銃声-」が始まります。
ちょうど1年ぶりのツアーなんですけど、いい意味で何も考えてないですね。メンバーもスタッフも、本当に素晴らしいチームなので安心してます。自分のコンディションを不安視していた時期もありましたけど、今は不安よりもファンの子1人ひとりと見つめ合いながら歌いたいし、楽しみのほうが何倍も増していて。2025年の夏をどれだけ楽しんでやろうかなという気持ちでいっぱいです。
──来年にはソロデビュー10周年を迎えますね。
キリはいいんですけど、数字はあまり意識してないですね。シドで積み上げてきたものがある一方で、ソロは好きなことを全部やらせてもらっているので、これから先もそういうスタイルなのかなって。
──ソロ活動を始めたことでの気付きや変化はありますか?
シドと比べると、明らかにファンのみんなとの距離が近いですね。俺の場合は「シドでこれはやれないだろう」ということをやっていきたくて。音楽性や歌に関しては、シドでも十分いろんなことやらせてもらっているので、その点では満足しているんです。でもシドが大きい存在だからこそ、ファンのみんなとは少し距離があるし、近付くのが難しい部分が多い。ソロではその距離を縮められるのが楽しいし、活動するうえで大きいところです。
──特に印象に残っていることは?
ソロデビューをしたときにライブでショッピングモールを回ったんですけど、それは自分がシドのボーカル・マオとしていろんな人に持ち上げられていたと気付いたからなんです。そんな持ち上げてもらったところから飛び降りて、「自分の足で歩きます」みたいな(笑)。それをしたくなった理由は、今となっては衝動だったとしか言いようがないけど、本当にやってよかったなと思うんですよ。「スタッフのみんなは、こんなに大変なんだ」「ライブのたびにこんながんばっているんだ」と知ることもできた。周りが見えるようになったのも大きかったですね。
──当時はファンの皆さんも、ショッピングモールのステージという近距離でマオさんを見れる日が来るとは想像していなかったと思います。
うんうん! それをきっかけにハマってくれた子もけっこういて。あのときのイベントはめちゃくちゃ大変だったけど、新しい出会いにもつながったし、「ソロでもがんばっていこう」と励みにもなっていて。やってよかったなと思います。
──これから先のソロ活動については、どのように考えていますか?
シドという母体があるので、その隙間で楽しいことをいっぱいしたいなって。そういうノリで音源を作らせてもらっているのは、ちょっと申し訳ないですけど(笑)。本当にそういう感じなんですよね。楽しいことをいっぱいやって、関わってくれているスタッフもファンのみんなも楽しんでくれていたら一番いい。なんと言っても、自分が楽しめていないと誰も楽しくないと思うので、まずは自分が楽しむことが重要ですね。
──ソロツアーが終わったら、11月にシドのツアーも始まります。本当にギュウギュウにスケジュールを詰め込まれていますよね。
はははは。そうやって熱が上がっていく感じがいいですよね。
──ご活躍を拝見していると、年々バイタリティが増しているように見えます。
歌えなかった時期があったからこその爆発というか。今は「思う存分やってやるぜ」と楽しい時間を過ごしています。
公演情報
MAO TOUR 2025 -夜半の銃声-
- 2025年7月12日(土)千葉県 KASHIWA PALOOZA
- 2025年7月19日(土)埼玉県 HEAVEN'S ROCK さいたま新都心 VJ-3
- 2025年7月26日(土)愛知県 ElectricLadyLand
- 2025年8月2日(土)福岡県 久留米ウエポン
- 2025年8月3日(日)福岡県 久留米ウエポン
- 2025年8月9日(土)大阪府 Yogibo META VALLEY
- 2025年8月23日(土)東京都 WWW X
- 2025年8月24日(日)東京都 WWW X
プロフィール
マオ
10月23日生まれ、福岡県出身。2003年に結成されたロックバンド・シドのボーカリスト。2008年にメジャーデビューし、「モノクロのキス」「嘘」「ANNIVERSARY」などのヒット曲を生み出す。シドの楽曲ではほぼすべての作詞も担当。2016年よりソロプロジェクト「マオ from SID」を始動し、リリースやライブを重ねる。2024年5月にマオ名義による1stアルバム「habit」、2025年7月に1st EP「夜半の銃声」をリリースした。2025年7月から8月にかけてライブハウスツアー「MAO TOUR 2025 -夜半の銃声-」を行う。