LMYK|私もあなたも1人じゃない

シンガーソングライター・LMYKが、8月11日に新曲「0(zero)」を配信リリース。9月8日に同曲のシングルCDを発売する。

ドイツ人の父、日本人の母を持つLMYKは、大学進学のため単身で渡ったニューヨークにて音楽活動を開始。ジャネット・ジャクソンやマライア・キャリーなどの作品を手がけた世界的音楽プロデューサーチーム、ジミー・ジャム&テリー・ルイスにその歌声を見出され、帰国後2020年11月に、ジャム&ルイスプロデュースの1stシングル「Unity」でメジャーデビューを果たした。「Unity」から約9カ月ぶりの新曲となる「0(zero)」は、テレビアニメ「ヴァニタスの手記」のエンディングテーマとして書き下ろされた楽曲。音楽ナタリーでは、今回が初登場となるLMYKに、自身のこれまでの歩みやルーツ、そして前作と同様ジャム&ルイスとタッグを組んで制作された「0(zero)」の制作経緯などについて語ってもらった。

取材・文 / 渡辺裕也

生き甲斐に気付いたきっかけ

──まずは現在に至るまでの音楽観の変遷を教えてください。LMYKさんは過去にどんな音楽に触れ、音楽家を志すようになったのでしょうか?

音楽は幼少期から人並みに好きで、小さい頃は親が好きな曲やテレビから流れてくるJ-POPをよく聴いてました。ピアノとドラムを習っていた時期もあるんですけど、本格的に曲作りを始めたのは大学生のときですね。自分で曲を書き上げていくにつれて、どんどん音楽が好きになっていきました。

──ドラムはいつ頃習っていたんですか?

小学3年生のときですね。私はじっとしているのがあまり得意ではない子供だったので、ドラムだったらいっぱい動けて楽しいかもしれないと思ったんです。それで自分からドラムを叩きたいと言い出して習い始めました。

LMYK「0(zero)」ミュージックビデオより。

──ほかにも何か触れていた楽器はありますか?

姉がギターを習っていたので、私も高校生の頃からギターを手にとるようになりました。小さい頃から何かを想像したり、何かを作ることが好きだったこともあって、コードを3つほど覚えた時点で、それに歌詞やメロディをつけてみたり。

──作詞作曲は高校生の頃から始めていたんですね。

はい。ただ、当時それを披露することはなかったんです。小さい頃から歌うことはずっと好きだったんですけど、どちらかというと私は人前に出るのが苦手なほうだったので。友達と行くカラオケを除けば、誰かの前で歌ったことはほぼなかったし、ましてや歌手になるなんて思ってもみませんでした。

──歌うようになったのは、何かきっかけが?

ニューヨークの大学に行っていた頃、だいたい週に1曲のペースで曲を書いてたんですけど、あるとき友達とオープンマイクのイベントを観に行ったら、自分の好きなことをマイクを通して自由に表現している人がたくさんいて。その光景を見ていたら自分も表現したいという気持ちが自然と芽生えていって、自分もオープンマイクに参加して人前で歌うようになりました。そうする中で、音楽は自分の中に溜め込まれてきたものを表現できるアウトレット(捌け口)だと気付いて。「音楽を作りたい」という思いが一気に強くなっていって、いつの間にか「音楽は私の生き甲斐だな」と感じるようになりました。

ラジオから流れるエミリー・サンデーに背中を押され

──LMYKさんは、どういった音楽に影響を受けてきたのでしょう?

高校生の頃は玉置浩二さんの曲ばかり聴いていました。玉置さんのライブ映像もよく観てましたし、それこそギターの弾き方も真似してみたり。彼の音楽からあふれ出すエネルギーが、すごく胸に刺さったんです。

──ということは、高校生や大学生の頃はギターの弾き語りをメインに?

そうですね。ニューヨークでは自分の書いた曲をアコギで弾き語りすることもありました。当時は歌い方も今とは違って、路上でマイクなしで歌うことも多かったので、けっこう声を張るような歌い方だったんです。それがLogicとMIDIキーボードを使って部屋で曲作りをするようになっていくうちに、歌い方も声を張り上げない、ウィスパーな感じに少しずつ変わっていきました。

──なるほど。ちなみにニューヨークを進学先に選ばれた理由は?

高校生の頃にニューヨークを訪れたことがあって。そのときに見た街並みや、そこで暮らす人たちのエネルギー、すべてが衝撃的だったんです。私はそれまで日本で暮らしてきて、外見から日本人として扱われない経験もしてきたので、ニューヨークの多様性がとても居心地よく感じられて。そのときにもう直感的に決めたんです。「またここに来る」って。

LMYK「0(zero)」ミュージックビデオより。

──大学ではどのようなことを学んだのですか?

入学前の時点では何を勉強したいのか、しっかり決められていなかったんです。漠然と何かを作って人に提供したいとは考えていたんですけど、当時はそれが音楽だとは思っていなくて、例えばカフェとかやりたいなって。それでビジネスの学科を選んで、会計学や簿記の勉強をしていたんですけど、あまり得意ではありませんでした。アイデアを生んだり、ディレクションしたり、何かを作ることのは好きなんだけど、詳細にビジネス的なことを考えるのは苦手なんだと自覚してからは、そういうことはなるべく避けたいと思うようになりました(笑)。

──高校生までは日本でJ-POPに親しんできたLMYKさんですが、ニューヨークに渡ってからはどんな音楽を好むようになりましたか?

向こうでは車で移動することが多かったので、ラジオから流れてくるアメリカのポップスをよく聴いてました。中でも印象に残っているのは、エミリー・サンデーの「Read All About It」。まさに「私は歌いたい」という歌詞の曲なんですが、そこで歌われていることすべてに共感しましたね。あの曲が自分の背中を押してくれたように思います。

──ニューヨークで過ごした時間がご自身の人間性や芸術性に深く影響しているんですね。

そうですね。大学に入るまでの私は、例えば「これを言ってはいけない」とか「場の空気を読まなきゃ」とか、そういう考え方に縛られていたところがあったし、自分の殻に閉じこもってしまうところもあった。だからニューヨークという街の自由さや、そこで触れた音楽や人にはすごく影響を受けていると思います。年齢的にもちょうど自分自身が形成される時期でもあったので、ニューヨークで過ごした7年間は本当に大きかったですね。