ゼリ→が12月18日に新作ミニアルバム「+×(plus times)」をリリースした。
1999年にシングル「おもちゃのピストル」でメジャーデビューした4人組パンクロックバンド・ゼリ→。彼らは情熱的な楽曲と過激なパフォーマンスを武器にロックファンの心をつかみ、2008年11月に解散するまでにシングル11枚、オリジナルアルバム7枚をリリースした。そして現在、YAFUMI(Vo)とKAZUKI(G)はピアノロックバンドLAID BACK OCEANのメンバーとして活動している。
約11年の空白期間を経て、ゼリ→はメジャーデビュー20周年を迎えた2019年7月に活動再開を発表。“YAFUMI 単独反抗”と銘打ち、YAFUMIの単独プロジェクトとして2020年の年末までの期間限定で再始動した。音楽ナタリーでは、YAFUMIになぜ1人でゼリ→として活動を再開したのか、どういう思いで「+×(plus times)」を制作したのか、じっくり語ってもらった。
取材・文 / ヤコウリュウジ 撮影 / 後藤倫人
ゼリ→を終わらせるために
──ゼリ→が再始動を発表してから約4カ月(参照:ゼリ→が期間限定で活動再開、ベスト盤リリース&赤坂ワンマン決定)、東京・マイナビBLITZ赤坂で行われた再始動後初のライブ「ゼリ→ 20th Anniversary Live "BAD PHILOSOPHY"」を終え、新作ミニアルバム「+×(plus times)」も完成しました。現在の率直な心境はいかがですか?
ゼリ→を終わらせるという気持ちが強くて、「ゼリ→ 20th Anniversary Live "BAD PHILOSOPHY"」をやったあとは「終わりへ進んでいっているな」という気持ちになると想像していたんですけど、意外と「楽しいことが始まったな」という心境になりました。それは予想してなかったですね。
──「ゼリ→ 20th Anniversary Live "BAD PHILOSOPHY"」では全国から集まったファンに大熱狂で迎え入れられ、YAFUMIさんが率直な思いを語る姿も印象的でした。
あのライブは思ったより……ゼリ→の歴史において、自分が納得のいくものになったかもしれない。ライブ自体の完成度とかそういうことじゃなくて、やるべきことだったなと。やっぱり、ここにたどり着くまでにいろんな葛藤がありましたから。
──では、改めてゼリ→が再始動に至った経緯を教えていただけますか?
昨年、解散してから10年というタイミングでゼリ→のスタッフとひさしぶりに会う機会があったんです。全然別の件で会ったんですけど、流れで「ゼリ→をもう一度やる気はないの?」と聞かれて。俺はLAID BACK OCEANがあるから、やる気はなかったんです。
──それまで、そういった気持ちは抱かなかったんですね。
ただ、その人がたまたまある大きなバンドの復活に関わっていて、「アーティストのポテンシャルが高いときに、過去のものは動かすべきだ」と感じたということを聞いて、そういう視点もあるのかと気付き、KOHEI(Dr)に連絡をしたんですよ。「もし、俺がゼリ→をもう一度やると言ったらどうする?」って。そうしたら、即答で「やる!」と。俺は10年間、LAID BACK OCEANをやってきたし、ゼリ→への未練みたいなものが浄化されたところがあったんだけど、いろんな意味であいつはそのままだったんです。もちろん、あいつは絶対に許されない罪を犯していて、その償いはしたとしても、一生背負って生きていかなければいけない。だけどあいつは今、音楽関係ではない仕事をがんばっていて、その中でこんなにすぐ答えが出せることを知ったとき、「その気持ちを終わらせてやりてえな」と感じたんです。それと同時にゼリ→というパンクバンドを始めてから20年後、俺が何を歌うのか、何が歌えるのか、それを自分でも知りたくなった。そこから、KAZUKI(G)とYUTARO(B)にも声をかけて、まずは4人で話し始めたんですよ。
──それはいつ頃だったんですか?
昨年の8月ですね。リハに入って、ああだこうだ言いながら話したんですけど、ある社会的なルールの都合上、なかなか前に進めない、どうしようもない出来事があって。だからゼリ→を復活させない選択肢も生まれたし。ただ……いろんなヤツのいろんな立場を考え、「20周年のこのタイミング、1人でやるわ」とメンバーとスタッフに話をしたら、「それもゼリ→らしいし、YAFUMIらしいかもしれないね」と言ってくれて。
バンドってなんだろう?
──再始動を発表した際、YUTAROさんはSNSに「自分は一切関係ありません」という投稿をされていて、ファンの間でも波紋を呼んだじゃないですか。
あれは誤解を生みましたよね、まあYUTAROらしいと思います(笑)。どこまで説明するのかは難しいけど、「金のためにやってる」とか「俺が暴走して、みんなの大事なゼリ→を動かしてる」ということだけは違うと言っておきます。まあ、俺がメンバーの気持ちを裏切ってまでやるヤツじゃないというのは、俺の20年を見てきたら大体わかるだろうけど。そこだけは伝えたくて、「ゼリ→ 20th Anniversary Live "BAD PHILOSOPHY"」のときにも話しました。
──ただ、1人で背負うことが決まってから、考えるべきことは増えたんじゃないですか?
ホントにこの1年、「バンドってなんだろう?」とずっと考えてきました。バンドのよさって絶対にあるから。メンバーの心はバラバラで離れているけど、ビジネスとして一緒にステージに立っているバンドもいるわけで。今回はメンバー4人が話し合い、そうしようと決めて、俺1人でステージに立ってる。「どっちがバンドなんですか?」と聞かれたとき、捉え方次第だと思ったりもしていて。
──誰か1人が勝手にバンドを動かすことはあったとしても、みんなで決めて、1人がバンドを動かすというのはあまりないケースですよね。
試行錯誤しながら再始動に向けて進めているとき、「STAY DREAM」という曲ができたんですよ。あの曲が、今回の俺の行動を読み解く指針になるんじゃないかと思って発売より先にミュージックビデオで公開しました。そうしたら、言葉で巧みに説明するより、みんなに伝えることができた感覚もあって。音楽が表現物やカルチャーとして残っていくのは、こういうことがやれるからなのかなと思いましたね。
──しかしながら、YAFUMIさん1人で再始動すると決まったとき、それもゼリ→らしいなという結論になったのは、すごく頷けるんですよ。簡単に言ってしまうと、ゼリ→は異彩を放つ、もっと言ってしまえば、変わったバンドだったわけじゃないですか。
端的に言うと、そうですね(笑)。
──デビュー当時は髪の毛を逆立てて、スタッズが付いた服に身を包み、日本語でパンクロックを叫んでいましたが、20年前におけるパンクのメインストリームはHi-STANDARDを中心とした英語詞。そういった流れの中、異なることをやって、メジャーというフィールドにも飛び出して。自分たちの感覚を優先して突っ張っていた印象があります。
確かに、今回のこともその延長線上なのかな。デビュー以来、世話になっていたレーベルを離れて、自分たちで事務所を立ち上げて、いろんなことを5年ぐらいやってみて、またデカい会社と契約して。仕組みを知って、それを自分でコントロールしていくのが好きだし、それこそがパンクロックだと思ってやってきましたからね。もちろん、4人でやりたかったんですけどね。それがバンド本来の形だとは思うから。
パンクロックをやりたい
──ゼリ→はわがまま放題のティーンエイジャーが大人になっていくように、サウンドとしてはパンクロックからもっと広義なロックにシフトしていきましたよね。再始動を決めたとき、サウンドはどのタイミングのゼリ→のイメージだったんですか?
そこは本当に悩んだし、考えたところでした。ゼリ→の歴史は「FIRE ARROW」(2008年4月発売の7thフルアルバム)で終わってるんですけど、8枚目のアルバムを作るくらいの気持ちでやるのか、それとも別のところから始めるのか。ただ今回は4人でやってないわけで、新しいことをするんだったら、ゼリ→の冠がいらないんじゃないかという思いもあって。
──そういうことであれば、完全なるYAFUMIさんのソロプロジェクトとしてできますしね。
そこで先ほど話した、ゼリ→をやろうとした2つの理由に戻ります。1つは、KOHEIの気持ちを終わらせたかったこと。もう1つは、メジャーデビューから20年後の今、俺がゼリ→というものを掲げたとき、何をやるのか知りたいということ。そこでやっぱり、パンクロックをやりたいと感じたんです。ここで俺があえて口にするパンクロックというのは、1つ先へ進む魔法としてのパンクロックなんですよね。パンクロックバンドのライブを観に行ったら、帰りにちょっと強くなった気がして「明日、やれるかも!」という気持ちになったりするみたいな。まあ、過去を遡れば「そんなふうにくくるな」と言ってた時期もあったけど(笑)、俺が多大なる影響を受けた魔法としてのパンクロックを掲げさせてもらって、何を言いたいのか、何を言えるのか、自分が知りたかったことをやってるんですよ。
──そうなると、どのゼリ→の歴史からも始めてないような。
そうですね。アイキャッチとして、鋲ジャンを着たり、そういうわかりやすさは表現してるんですけど、俺的にはゼリ→のどの地点からも再スタートしてない。それはなぜかと言えば、1人でやってるから。これが4人だったら、全然違うものになったと思いますよ。
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まずはKOHEIと向き合いたかった