平野友里「MusicBox」特集|ゆり丸の波乱万丈なアイドル人生を振り返る1万字インタビュー (2/3)

とにかくステージに立ち続けた

──話を時系列に戻しますが、ソロ第1期がオリジナル曲を封印することになって以降、振り出しに戻っても活動を止めなかったですよね。

準備期間を設けて楽曲を用意して、という選択肢もあったと思うんですけど、当時の自分はライブをし続けることに精一杯で、カバーでもなんでもいいからとにかくステージに立とうとしていました。マグロみたいに止まったら死ぬと思っていたんです(笑)。みんなに忘れられちゃうのが怖かったんですよね。それに、ソロ第1期もカバーから始めたので、また最初からがんばればいいやと思っていました。

──今回のアルバムに収録された「サンデーモーニングが終わる前に」はその頃の楽曲です。レコライドとのコラボユニット・レコ丸の曲で、制作した佐々木喫茶さんが「自由に歌っていいよ」と言ってくれたんですよね。

神様かと思いました。もう、宝物すぎます。この曲がなかったらステージに立ち続けられなかったかもしれないです。これはダメなことだと思うんですけど、私、当時バイトしていたカラオケ館でインストを録音して、それを使ってカバーをやっていたような状況だったんですよ。何も知らなかったので、全部が手探りでした。

平野友里

──なんというハードな状況(笑)。そんな時期を経て、涼川菜月さんとのオリジナルメンバーによるTAKENOKO▲が再結成される流れになります。

確か、なちあ(涼川)とプロデューサーのだいきさんとひさしぶりにごはんを食べに行ったんですよね。そこからの流れで1日限定で復活しようと提案されたのがきっかけでした。その準備を進めているうちに、2人から「やっぱりもう一度ちゃんとやってみよう」と言われたんです。自分も不完全燃焼だったので、「またがんばりたい」と思いました。最初の解散が決まった当時は、大人の選択とはいえ、なちあとだいきさんには申し訳ないことをしたなと思ってます。解散が決まった直後は、なちあとひと言も話せなかったですし、1回も目を合わせてもらえなかったくらいだったんですけど(笑)、また円満に活動できてよかったです。

──ちなみに1回目のTAKENOKO▲解散後、涼川菜月さんが清 竜人25に入ったときはどう見ていたのでしょうか?

心からうれしかった反面、「自分はこれからどうしよう」という気持ちがありました。個人的にも憧れだった「COUNTDOWN JAPAN」に清 竜人25さんが出演した頃、私は進んでいた次のプロジェクトがなくなっちゃったのもあって、余計にどん底でした。お風呂で泣いた記憶があります。私はすごく嫌なことも気付いたら忘れているタイプなんですけど、こうして改めて話すとどん底な思いも経験してきたんだなと(笑)。

──それが巡り巡って、お互いを認めてTAKENOKO▲を再結成したというのはいい話ですよね。

ただ、TAKENOKO▲を改めて始めて思ったのは、2013年頃のコンセプトとか方向性を2018年にやってもウケないということで。難しかったです。

──シーンの変化もあっただろうし、高校生がジャージを着てめちゃくちゃ動き回っていたのを、20代に突入した2人が同じようにやったとしても、まったく同じにはならないわけで。

私たちは大人になってないつもりだったけど、大人になってたんだなと実感しました。高校生のときみたいな自由奔放なMCができなくなってました。お互いにちゃんとしちゃった(笑)。ソロ活動を経て、MC含めて全部自分で成立させないといけなかったので、それでちょっと成長できていたみたいです。

──第2期のTAKENOKO▲は精度の高いものを目指していましたよね。

確かに、歌もダンスもちゃんと意識してましたね。なちあは最初から歌もダンスもうまかったんですが、私はもともとダンスを習っていたのもあって、アイドルになりたての頃は歌よりダンスを重視していたんです。でもソロになって、歌に説得力がないとダメだなと学びました。それでTAKENOKO▲も自然と歌もダンスも意識する方向に行ったんですけど、お互いに変化を感じていたこともあって、話し合って再び終止符を打つことになりました。

アポカリはオアシスみたいだった

──ゆり丸さんはその後、すぐにAPOKALIPPPSに加入します。

アイドルを辞めるつもりはなかったけど、どうしようかなとは思ってました。なちあはメリーメリー♡ファンファーレさんでの活動が決まってたんですけど、私は何もなかったので。もし、だいきさんがAPOKALIPPPS加入の話をつなげてくれてなかったら、ソロで活動していたかもしれないです。

──APOKALIPPPSに入ったことも今回のアルバムにつながりますよね。グループのメンバーだったでか美ちゃんが「辞書ほしい」の作詞を手がけていますし。

でか美ちゃんに出会えたことはマジで大きいです。やってきたことが無駄じゃなかったというのは自分の人生で証明できていると思います。当時のアポカリはオアシスみたいで、ただただ楽しかったですね。

──アポカリはアイドル経験者の集まりで、酸いも甘いも経験してきた戦友のようなメンバーたちだからか、お互いの距離感もよかったですよね。

わかり合えることも多かったですし、家族みたいな感じでした。

──そういう集まりだったからライブのペースもゆったりしていたけど、ゆり丸さんが入ったことで活発化していきました。

新入りなのにめっちゃ言っちゃったんです(笑)。「もっとやりたいです。せっかくやるなら上を目指しましょう」って。

──年間200本の修行は伊達じゃないですよね。ライブし続けることが体に染み付いているといいますか。

病気かも(笑)。今でも1週間とか空くだけで不安になっちゃうんですよ。なんかやってなきゃいけないって。

──結果、アポカリのライブは増えたわけですが、ゆり丸さんは加入して1年ほどで、SZWARCでの活動も開始します。どれだけライブをやるんだと驚きました。

ははは。SZWARCをやると決めたのは、声をかけていただいたときに、今まで自分が経験したことないジャンルだから挑戦してみたい気持ちもありました。それに、アポカリはライブの数が増えたとはいえ、メンバーそれぞれが忙しいユニットなので、どこかを目指して活動するという空気でもなかったんですね。なので、自分やアポカリをもっと知ってもらおうという気持ちでSZWARCを始めることにしました。

平野友里

──そこでのラップ経験もソロ作に生きてくるんですよね。そしてようやくソロ第2期の話になってきます。当初は1日限りの企画だったのが、「もうちょっとやってみよう」という考えに変わり、やがてAPOKALIPPPS改めあぽかりっぷすから卒業、SZWARC改めSZWARC NEVERからも卒業し、完全にソロへ舵を切ることになりました。

アポカリに関しては、本当に楽しかったんですけど、楽しいだけじゃダメだと思ったのが1つと、メンバーを次々に送り出していって、次は自分かなと思っていたので卒業を決めました。SZWARCは何度もあった方向転換がきっかけかもしれないですね。音楽は好きだったんですけど、自分は浮いちゃってると感じる部分もあったので。でも、SZWARCをやったことも今に生かされています。ラップへの理解度みたいなものはSZWARC以前と以後では全然違うので、やれてよかったです。

人の縁で助けられています

──ソロ第2期の曲はどんな流れで増えていったのでしょうか。

10周年のときにいくつかまとめて作ったんですけど、まずは喫茶さんの曲は欠かせないと思ってお願いして、三浦太郎さんも第1期からお世話になっていた方だったので頼みたいと思いました。それと、自分の1つの転機になったと思うのが、「あんせむ」と「I LOVE IDOL」を作っていただいたGORIさんと出会ったことだと思ってます。GORIさんに出会えたことで、「Happygirl」を書いてくれたGabiさんにも出会えたり、いろんな人とつながっていきました。

──GORIさんとはどのように出会ったんですか?

CDをリリースしてくれているミラクルボックスという会社を義理の叔父が手伝っていて。ソロ活動をまた始めるとき、私に運営のノウハウがなかったので、相談したら協力してくれました。それで、おじさんとGORIさんが知り合いだったんですね。人の縁で助けられています(笑)。

──なんと親族の協力まで! 人との縁を丁寧に拾っていくのがゆり丸さんらしいなと思います。

ただ、アルバムに参加してくれた方の中で、Yo-Heyさんとはもともと関わりがなかったんですよ。でもソロになってから、頼むことはタダということを学びました(笑)。お願いしたい方のインスタとかにDMを送っていく中で、Yo-Heyさんは返事をくださったんです。私はLE SSERAFIMの宮脇咲良ちゃんが好きでよく動画を観ているんですけど、たまたま関連動画として坂道AKBの「国境のない時代」のミュージックビデオが出てきて。その曲を聴いた瞬間にめっちゃカッコいいと思ったんです。「私もこの人に曲を書いてもらいたい」と思って、SNSアカウントを調べて、DMしました。

──誰かを通してじゃなくて、自分で行動したんですね。

カバーを多くやっていた経験があるからこそ、オリジナル曲へのこだわりが強かったんです。10周年はファンのみんなへの感謝の日でもあったので、披露する曲の数をある程度そろえたかったという思いもあります。それと、私がそうやっていろんな人に頼むのも、でか美ちゃんがきっかけなんです。例えば先日の「でか美祭」でもそうでしたけど、自分のお祭りなのに「今日の演者さんで推しとか好きな人見つけた?」って周りの人の話をするじゃないですか。私も周りの人を大事にしてきたつもりだったんですけど、でか美ちゃんを見たら、自分なんかまだまだだと思ったんです。自分が出会ってきた人、これから出会う人との縁をもっともっと大事にしようという考えになりました。

平野友里

──これまたいい話ですね。

私、小さい頃から人見知りで、自分から新しいお友達に話しかけに行くのが超苦手だったんですよ。でも、ソロ第2期あたりからマインドが変わったと思います。以前はプライベートとして遊ぶ友達もいなかったくらいなので。仲間の尊さみたいなのを教えてくれたのはアポカリですね。TAKENOKO▲ももちろんですけど、当時はまだ子供だったので。昔はアイドルの友達を作るなとスタッフさんから教えられていたし、もし作ったら悪い道に誘われると思っていたのかもしれないです(笑)。いまだにアイドルの人とか関係者さんに、「ゆり丸さんはもっと怖い人だと思ってました」ってよく言われます。

──真面目でストイックなイメージはありました。遊んだり休んだりすることにちょっとした罪悪感を感じてしまうタイプというか。

そこはずっと自分の課題ではあったんですけど、私は平野友里とゆり丸の違いをあまり意識せずに活動してきたんですね。オンのつもりではいても、プライベートとさほど変わらない。そのおかげでアイドルを続けてこれたのかもしれないですが、今はそれじゃダメだという壁にぶち当たっているんです。人前ではもっと演じなきゃいけないのかなと思っていて、新人のような悩みを抱えています(笑)。