約1400人の応募者が集まったオーディション「DEEMO THE MOVIE 歌姫オーディション ~令和歌姫プロジェクト~」のグランプリ受賞者であるHinanoが、2月23日にメジャーデビュー作品「nocturne」をリリースした。
表題曲「nocturne」は、オーディションの審査員も務めた梶浦由記が作詞作曲した新曲で、2月25日公開の映画「DEEMO サクラノオト -あなたの奏でた音が、今も響く-」の主題歌。Hinanoは当時14歳という年齢でオーディションのグランプリを勝ち取り、映画のエンディングを飾るこの曲を歌い上げている。本特集では、幼少期からアーティストになるために一直線に歩んできた彼女の生い立ちやメジャーデビューを果たした今の心境、そしてこれからの夢について語ってもらった。
取材・文 / 倉嶌孝彦撮影 / 星野耕作
歌うまキッズに憧れて習いごとをすべて辞めた
──Hinanoさんのことを初めて知る読者が多いと思うので、まずはその生い立ちから伺います。音楽に関する記憶の中で、一番古いものはなんですか?
小学2年生くらいのとき、お母さんにオーケストラのコンサートに連れて行ってもらったのが最初ですね。初めてちゃんとした音楽のコンサートに触れたのでよく覚えています。
──取材前にいただいた資料にも書かれていましたが、音楽に関してはお母さんの影響が強いんですよね?
はい。お母さんが音楽大学を卒業していて、初めてのオーケストラのコンサートもお母さんの友達がクラリネット奏者だったから観に行ったんですよ。お母さんは今、学校で音楽の先生をしています。
──Hinanoさんが具体的にアーティストを目指すようになったきっかけは?
テレビで「歌うまキッズ」みたいなコーナーがあって、それを観たとき。私も「あ、これになりたい!」と思ったんです。でも最初はお母さんから音楽の道に進むことを反対されてしまって……。人一倍努力しても結果が出ないこととか、音楽の道の険しさを嫌というほど知っていたから、私が「アーティストになりたい」と初めて言ったときは反対していたんです。
──結果として、Hinanoさんはこうしてアーティストとしてデビューするわけですよね。どこかのタイミングで、お母さんが応援してくれるようになったんですか?
反対はされたけど、そのあともずっと歌が大好きで、テレビを観ながら、お風呂に入りながら、いろんなところで歌い続けていたんです。そうしたらある日、お母さんが「ほかの習い事をすべて辞めるくらいの覚悟があるなら、音楽を習っていいよ」と言ってくれて。ゴルフとか体操教室とか、英語とかいくつか習い事をしていたんですが、それを全部辞めてボーカルスクールに通うことを許してくれたんです。
──そもそも教育熱心なご家庭なんですね。
いろいろ習わせてもらってましたけど、音楽を習えることがうれしくて、ほかを辞めることに悔いが全然なかった(笑)。
──習い事としての音楽はどうでしたか?
バラードが大好きで、習い始めるまではバラードばかり歌っていて。でもボイトレ教室で月に1回カラオケコンテストみたいな催しがあって、そこでロックとかいろんなジャンルに挑戦することになったんです。それまでバラードばかり歌っていたので最初は「こんな勢いのある曲、歌えるわけない!」と思っていたけど、いざやってみたらどの曲も歌うのが楽しくて。いろんな音楽に触れる中で「こんな歌い方をしている人もいるのか」という気付きもありましたし、ボイトレに通うようになってからもっといろんな音楽を知りたいと思うようになりました。
──プロフィールにはミュージカル鑑賞も趣味として書かれていますね。好きな映画もミュージカル作品が多いですし。
歌だけじゃなく、踊りや手の振りを交えながら感情を込めるミュージカルにもすごく興味があって。今通っているのが演技やダンスも教えてくれる学校なので、歌だけじゃなくて体を使った表現も学ばせてもらっています。ミュージカルに夢中になったのは学校に入ってからなのでまだ1年くらいなんですが、いつかミュージカルに出たいと思うくらい今は大好きなエンタテインメントの1つです。
自分に嘘をつく歌だけは歌いたくない
──Hinanoさんは映画「DEEMO THE MOVIE 歌姫オーディション ~令和歌姫プロジェクト~」のオーディションでグランプリを獲得したわけですが、オーディションに応募したきっかけを教えてください。
ちょうどオーディションを受ける少し前に、当時通っていた養成所を離れることになって、気持ちがかなり落ち込んでいた時期に「DEEMO」のオーディションを見つけたんです。正直に言うと、オーディションに応募した当初は「DEEMO」というゲームのことを全然知らなくて。それでも何者でもない自分がどこまで通用するのか、力試しでいいから受けてみようという思いで受けてみたのがこのオーディションでした。それと、オーディションがコロナ禍でも気軽に応募できるよう「KARASTA」というアプリと連動していて、そこから参加できたのも大きかったです。自粛期間でボイトレの回数も減ってしまったし、現場で受けられる形のオーディションも減ってしまって、自分がどこに目標を持って向かえばいいのかわからなくなりそうになる瞬間があって。でもオーディションがあったからずっと練習することができて、私の場合は自粛期間で歌に向き合う時間がむしろ増えました。
──オーディションのドキュメンタリー動画など観るに、Hinanoさんはかなり練習を重ねるタイプですよね。
歌を本気で始めるときにお母さんと「毎日練習する」って約束していたんです。少なくとも1日2、3時間は必ず練習するようにしていますし、日によっては「歌いすぎ」と言われるときもあります。
──親子としての関係のみならず、アーティストとして師弟関係にあるような存在なんですね。
私もお母さんも我が強くて練習中にケンカみたいになることもあるから、師弟と言われると照れくさいところもありますが、お母さんがいなかったらオーディションに受からなかったと思います。練習するとき、隣にお母さんがいてその都度アドバイスをしてくれるんです。1曲歌って、アドバイスをもらってもう1回歌う……というのをずっと繰り返していて。この繰り返しが自分の自信につながっていると思います。
──選考の一環として、梶浦由記さんの「暁の車」を歌う動画が公開されていますが、デビュー曲である「nocturne」も含めて梶浦作品との相性がものすごくいいなと感じました。
ありがとうございます。でも審査員や楽曲を書く方が誰かはそこまで意識していなかったんです。私が思っているのは自分に嘘をつく歌だけは歌いたくないということで。今の話を聞いて、自分の歌を崩さずに挑んだオーディションが、梶浦先生のオーディションだったのは私にとって幸運なことだったのかもしれないな、と思いました。
──オーディション中、Hinanoさんが手応えを感じた瞬間はありましたか?
「1次審査くらいは受かりたい」と思っていたけど、それ以降は手応えとかも全然感じていませんでした。審査員の方と対面で歌う2次審査はものすごく緊張していたし、3次審査のときは朝から声がうまく出なくて、高音で裏返ってしまうくらいコンディションがよくなかったんです。もうダメだと思ったんですけど、審査の会場に着いたら声が出るようになって、歌い始めたら裏返ることもなくそのまま歌い終えることができて。
──結果としてその3次審査の結果を受けて、グランプリに選ばれたわけですよね。グランプリを獲得したときの気持ちは?
実はあまり実感がなくて(笑)。グランプリを獲ってから1年くらいは上の空な感じでした。新型コロナウイルスの影響もあって、映画公開のタイミングに合わせてデビューも遅くなってしまったから、最近ようやく実感が湧いてきました。