原田知世「原田知世のうたと音楽」特集|14歳の少女が駆け抜けた40年、うたと音楽の軌跡に迫る

原田知世のオールタイムベストアルバム「原田知世のうたと音楽」が10月5日にリリースされた。

今年でデビュー40周年を迎えた原田。ベストアルバム「原田知世のうたと音楽」には、彼女がまだ14歳の少女だった1982年7月発表のデビュー曲「悲しいくらいほんとの話」をはじめ、「時をかける少女」「天国にいちばん近い島」など自ら主演を務めた映画作品の主題歌、アーティストとしての才能が開花するきっかけとなった鈴木慶一(ムーンライダーズ)のプロデュース作、1990年代中盤の音楽シーンで一世を風靡したスウェディッシュポップサウンドが印象的なトーレ・ヨハンソンによるプロデュース作、近年パートナーを組んでいる伊藤ゴローのプロデュース作、3月にリリースされた最新アルバム「fruitful days」の収録曲と、彼女の歌手としての全キャリアの中から厳選された30曲がレコード会社6社の枠を超えて収録されている。音楽ナタリーでは本作の発売に合わせ、原田に初インタビュー。40年のキャリアを振り返ってもらいつつ、音楽活動におけるターニングポイントや、彼女が見据えるこれからについて話を聞いた。

また特集の後半には、原田に歌詞提供の経験があり、彼女の40周年公演への出演も決定している土岐麻子のインタビューも掲載。同じアーティストという立場から“歌手・原田知世”の魅力を解説してもらった。

取材 / 臼杵成晃文 / 下原研二撮影 / 笹原清明
ヘアメイク&スタイリング / 藤川智美(Figue)

いつしか音楽活動がホームになっていた

──まずは40周年おめでとうございます。……と口にしてみて驚きましたが、40年ってすごい数字ですよね。

中学生が50代になったと考えるとすごいですよね(笑)。今回のベスト盤を出すにあたってこれまでリリースした曲を改めてチェックしたのですが、何十年ぶりに聴いた曲もあって楽しかったです。

原田知世

──40年間のディスコグラフィを改めて確認してみたのですが、シングルが32枚、オリジナルアルバムが21枚、これにカバーアルバムやpupaの作品も加えると本当にすごい枚数で。女優業と並行して音楽活動をしている方はほかにもいますけど、両方の活動がこれだけコンスタントに続いていて、作品をこれだけの枚数出しているのは普通じゃないなと。

確かにこの40年を振り返ってみると、コンスタントに作品を出せていて、とてもありがたいです。女優はいただく仕事だけど、音楽は自分のほうで「じゃあ来年はこんな感じにしよう」とイメージを作ることができるから、それが自分の道筋になっていたように感じます。女優業とのバランスを見ながらやってこられたというか。

──原田さんは女優業においても定期的にマスターピースと呼べるような代表作があるので、なおさら両方の道が常に並行して進んでいる印象があります。単純にデータだけで見ると「すごいバイタリティだな」と思うんですよ。でも当の原田さんからは「バイタリティにあふれてます!」みたいな雰囲気を全然感じない、ずっと穏やかなムードを携えていらっしゃるのが本当に不思議で。

正直、私自身は何枚リリースしたのかよくわかっていません(笑)。ただ女優のお仕事もたまたま話題になるような作品が定期的にやってきて、そこにタイミングが合っているだけで、本数で言うと女優業をやっている人の中だとキャリアに対して少ないタイプだと思います。だから年代によってファンの層がわかりやすく違っていたりもして。最近だと「あなたの番です」というドラマの影響で高校生くらいの若い女の子がライブに来てくれるようになりました。そういう姿を見るととても不思議な気持ちになるし、40年経つといろんなことがあるなと思いますね。

──原田さんの中で、自分は音楽家であるという意識はどの程度ありますか?

伊藤ゴローさんと出会ってからは、小さなライブハウスから大きなホールまでいろんな場所でライブを経験して、関わってくださるミュージシャンの方々もほぼ一緒なので、いつの間にか音楽の現場がホッとする場所になっているというのはあるかもしれません。女優の仕事はバーッと集まって撮影して解散したら同じメンバーで会うことがほとんどないですけど、音楽の場合は1つの曲をずっと歌っていけるでしょう? 自分から付き合いを長くもできる仕事というか。だから音楽がいつしかホームのように感じる場所になったのかなと今は思います。

今となっては愛おしい少女時代

──原田さんがデビューした頃は、歌手活動をする女優さんが多かったですよね。中には本人の意向とは無関係に「歌わされていた」という人もいたと思うのですが、原田さんはそのあたりどう考えていたんですか?

私はデビュー時からお芝居と音楽がセットだったので、それが普通のことだと思っていました。でも今振り返ってみると、来生たかおさんだったり、ユーミン(松任谷由実)さんだったり、そうそうたる方々に曲を書いてもらっていることのすごさを改めて実感します。単純に一緒にやったということじゃなくて、そこに力を入れてくれる大人たちがたくさんいたんだなと。

──活動初期のことで言うと、ドラマ「セーラー服と機関銃」の主題歌として「悲しいくらいほんとの話」、映画「時をかける少女」の主題歌として「時をかける少女」を歌ったように、あの頃はお芝居と音楽がセットになっていましたよね。10代の自分が映像として残っているというのは、どういう気分なんでしょうか。

40年が経って当時を振り返ることができるのは本当に貴重なことですよね。今あの頃の歌声を聴くと、歌うということに対してとてもまっすぐに向き合っていたんだなと思います。自分のことではあるんだけど、すごくがんばっていたんだなと今となっては愛おしくもあります(笑)。

──「恥ずかしい、見たくない、聴きたくない」みたいな気持ちは?

その時期はもう越えました。思春期から変化しようとしているときは「自分の子供時代のアルバムを人に見せないで!」みたいな感覚の恥ずかしさがあったんですよ。でも、ここまで来ると「ありがとうございます」という気持ちで。あの頃の自分に「こんなに素晴らしい曲をいただけてよかったね」と言ってあげたい。

原田知世

ターニングポイントとなった鈴木慶一との出会い

──原田さんの活動において、初期はいわゆるアイドルという扱いだったと思いますが、3rdアルバム「PAVANE」(1985年11月発売)ではすでにビジュアルや全体のトーンなど揺るぎない世界観がすでに確立されているというか、あの作品で提示されていたヨーロピアンクラシカルなテイストは今の作品にも受け継がれているように感じます。そして鈴木慶一さんプロデュースの「GARDEN」(1992年8月発売の10thアルバム)は、いわゆる「“時かけ”の原田知世」からの脱却を感じましたし、このときボーカリストとして何かをつかんだんじゃないかと想像しているのですが、いかがでしょうか?

それまでは女優として歩んできたイメージを大事にしつつ曲を作ってくださる方が多かったし、私自身も10代は映画のイメージで活動していたところがありました。でも、歳を重ねる中でなんとなく自分自身が変化している感覚があって、そんなことを考えていた頃に慶一さんと仕事でお会いして、その頃に発表されたソロアルバム(1991年11月発売「SUZUKI白書」)をいただいたんです。なんというか、勘ですよね。「この人と何かやったら絶対に新しい部分を引き出してくれるはず」って、単純にそれだけでお願いしました。

──なるほど。原田さんの作品にはそれ以前にも、ユーミンさんや大貫妙子さんといった慶一さんと世代の近いアーティストが参加していましたけど、慶一さんは中でも先鋭的で普通じゃない音楽家というか(笑)、そういうイメージがあったので、当時2人の組み合わせを見たときは意外だったんですよね。

そうですよね(笑)。アルバム制作は、まず慶一さんが私のことを知るために「好きな言葉と嫌いな言葉を書いてください」みたいなやりとりから始まりました。雑居ビルの中にある小さなスタジオに入って、最初のベーシックなプリプロダクションのところからいつも一緒にいて。慶一さんに「この音は好き?」「この響きはどう?」と質問されるんですけど、それまでは完成した曲をいただいて歌うという流れだったから、やったことのないことばかりなんですよ。それで「音楽はこうやってできあがっていくんだ」と勉強しながら一緒に作っていったのが「GARDEN」でした。あのアルバムは私の声の素材だけをイメージしてすべてが作られているので、自分の中では“原田知世の歌”に一旦区切りができた感覚があって。デビュー作のような気持ちで取り組んでいたし、「『時をかける少女』『私をスキーに連れてって』の原田知世だから買ってみよう」ではなく、純粋に音楽が好きな人たちに出会うことを一番の目標にしていました。実際にそういった人たちに受け入れられ始めたのは、慶一さんとの制作からですね。

原田知世

──「デビュー作のような気持ち」というのは、なんとなくわかる気がします。

今になって「さよならを言いに」(「GARDEN」収録曲)を聴くと、すごく難しい曲なんだけど、「悲しいくらいほんとの話」の頃の、何も背負っていない伸びやかさみたいなものが乗っているように感じるんです。これは最近気が付いたことなのですが、原点に戻っているというか。だから慶一さんは、素材を生かすことを本当に大事にしてくださっていたんだなと思います。さっきお話した「新しい世界を見せてくれそう」という勘はその通りでしたし、私の音楽活動において大きなターニングポイントになりました。

──慶一さんとは今でも親交があるんですか?

慶一さんは「GARDEN」でご一緒してからずっとライブに来てくださるし、節目のタイミングには必ずそばにいてくれているんですよ。「アップデートされた走馬灯」(2022年3月発売の21thアルバム「fruitful days」収録。鈴木は単独で作詞を、高橋幸宏とのTHE BEATNIKSで作曲を担当した)の制作でひさしぶりにお会いしたときに、「近況を教えて」と言われたのでいろいろと文章にまとめてお渡ししました。この曲の歌詞はその文章をベースに暗号化したような内容だから、音源を聴いても元の文章は想像できないと思いますが、私はその中にこの何年もの間変わらない慶一さんとの心のつながりみたいなものをたくさん込めていて。音楽だけでなく、人生においてもとても大事な存在です。