愛知・名古屋発のロックバンド・ガラクタが12月3日に1stアルバム「Toy BOX」を発表し、ユニバーサルミュージックからメジャーデビューを果たした。
2022年結成のガラクタは、はる(Vo, G)、ちゅうじょう(Dr)、ひろと(B)、こた(G)からなる4ピースバンド。“SNS+恋愛”をテーマにした等身大な歌詞とポップなギターロックサウンドを武器に、徐々に活動の場を広げている。彼らにとって初のフルアルバムとなる「Toy BOX」は、ドラマ「令和の三英傑!」の主題歌「あくびがうつる」やドラマ「低体温男子になつかれました。」のエンディング主題歌「キミに似合うワタシ」、初期曲「アイラブユーが足りないの」「タカラモノ」の再レコーディングバージョンなど全12曲で構成されている。
音楽ナタリーでは本作の発売を記念してメンバー4人にインタビュー。メジャーデビューをファンに報告した今年9月の地元名古屋でのライブの感想、バンド結成の経緯、「Toy BOX」に込めたこだわりや制作を通して得た気付きについて、大いに語ってもらった。
取材・文 / 天野史彬
地元・名古屋で報告したメジャーデビュー
──ガラクタは今年9月22日にバンドの地元である名古屋のライブハウス・DIAMOND HALLで開催したワンマンライブの中で、メジャーデビューを発表したんですよね。反響はいかがでしたか?
ちゅうじょう(Dr) その日はメンバー全員の家族も来てくれていたんですけど、ライブが終わってすぐ、楽屋挨拶でみんなが「おめでとう!」と言ってくれました。あと、個人的には過去イチで友達からLINEとDMが来ましたね(笑)。うれしかったです。
はる(Vo, G) メジャーデビューを発表したときの動画を見返すと、お客さんの声量がすごいんですよ。
ちゅうじょう すごかったね。3日に1回は見返しちゃう(笑)。
──(笑)。当日のライブの出来栄えはどうでした?
はる やっぱり地元なので、バンドを結成してからずっと「DIAMOND HALLでワンマンをしたい」という気持ちがあって。あの場所でメジャーデビューを発表できたのはめちゃめちゃうれしかったです。セットリストも名古屋で応援してくれた人たちに喜んでもらえるような曲順を意識しました。僕らは3年前の9月22日に初ライブをして、その日を結成記念日にしているんですけど、3年前と今年の9月22日を比べると全然違いますね。3年前はただただ「自分たちが音楽を聴かせている」って感じだったけど、今はお客さんと一緒に演奏している感覚がある。
ひろと(B) そうだね。この3年で「バンドからお客さんに、お客さんからバンドに」という循環がちゃんと生まれるようになったなと思う。
気付いたらスタジオに入ってた
──音楽ナタリー初登場ということでバンドの基本的な情報にも触れておきたいのですが、ガラクタはそもそもどのように結成されたんですか?
ちゅうじょう 僕とひろとは中学と高校が同じで、一緒に軽音部でバンドをやっていて。そのときに「学校の外でもバンド組みたいよね」という話になって、Xでボーカルを募集したら、はるさんが連絡をくれたんです。そのあと、はるさんの友達のこたくんが加入しました。
はる それまで僕は弾き語りの動画をインスタに上げていたんですけど、ある程度演奏を観てもらえるようになった頃に「バンドを組みたいな」という気持ちが出てきて。そんなときにSNSでボーカルだけを募集しているツイートを見かけて、「自分から発信してメンバーを探すより早いな」と思ったんです(笑)。普段はあまり勢いで行動するタイプではないけど、そのときは気付いたらDMを送っていて、気付いたらスタジオに入っていましたね。
──初めてスタジオに入ったときの感触はどんな感じでした?
ちゅうじょう 活動を本格的に開始したときのギターはこたくんなんですけど、はるさんと初めてスタジオに入ったのは前任のギターがいた頃で。そのときは確かMr.ふぉるての「偽愛」をコピーしました。はるさんはずっとアコギでやっていたから、アンプの使い方もわからないような状態だったよね。
はる そう。まだシールドのつなげ方もわからなくて。最初のスタジオの感想としては「こんなバカデカい音が鳴るんだ!」って感じでした。そこから、オリジナル曲を作り始めて1曲完成したときに、すごい達成感というか「これがバンドか」という実感があったんです。そのタイミングで、僕はバンドをやっていく決意をしたと思う。
──最初に作ったのはどの曲ですか?
はる 「見栄っ張り」という曲なんですけど、バンドで曲を作ったのも初めてだし、自分で作詞作曲をしたのも初めだったから、新鮮で。いまだに曲作りで手こずったときは、そのときの自分の気持ちを思い返したりします。あのときは、全部が初めてで、わからないことばかりでした。ちゅうじょうとひろとは年齢的には2個下なんですけど、2人は軽音部での経験があるし、後輩からバンドのことを教えてもらっていることにちょっと悔しさもあって(笑)。あの頃はがむしゃらでしたね。
目標は武道館っしょ
──こたさんは、3人の中に入っていく形でガラクタに途中参加することになった、ということですよね。
こた(G) はい。僕はそれまでいろんなバンドを転々としていたんですけど、「これだ!」と思えるバンドはなくて。でも、ガラクタは誘ってもらった時点で、はるの歌声がいいなと思ったし、「ラブレター」という曲を聴かせてもらったときに「いい曲だけど自分が入ったらもっといいアレンジができる」と感じました。最初の段階から「このバンドならいける」という、それまでやっていたバンドとは違う手応えがあったんです。ガラクタには目指すところに向かっていく勢いがあったし、「こういう曲を作りたい」というこだわりが強いバンドだなと感じました。それに「売れたい」って気持ちも強かった。初期の頃からやる気は……たぶんあったよね?
はる・ちゅうじょう・ひろと あった!
ちゅうじょう こたくんと初めてスタジオで合わせたときに、バンドの目標を聞いたら「武道館っしょ」って即答されたのは覚えてる。「おお、じゃあ一緒にバンドやるか」って。同じ熱量だったのがデカいですね。
──ひろとさんは当時の熱量はどうでした?
ひろと もちろん熱量はありましたけど、そもそも僕は中学の頃からほとんど、ちゅうじょうとしかバンドをやったことがないんです。だから、屍になるまでちゅうじょうとバンドをやろうかなって。ちゅうじょうがいれば、僕もそこにいるって感じです。
年齢関係なく響く歌詞を
──ガラクタというバンド名が素敵だなと思うんですけど、どのように付けられたんですか?
ちゅうじょう ガラクタという言葉には「使い物にならないもの」みたいな意味があるけど、裏を返すと「誰かにとっては輝いている宝物」でもあるのかなと思うんです。僕らもそういう音楽を作れたらなって。誰かにとって宝物になるような音楽を届けられたらいいですよね。
──ガラクタというバンド名と、はるさんが描く歌詞の世界観がとてもフィットしているように感じます。はるさんが書く曲の主人公の多くは、思いが報われていなかったり、置いてけぼりにされていたり、決して楽しいだけの環境にいるわけではないけど、それでも主人公たちがガラクタの曲を通すと愛おしく見えてくる。それに置いてけぼりにされていても、自分の中に強い思いを抱えていることの尊さが伝わってくるんです。はるさんは、このバンドでどんな曲を書きたいと思っていますか?
はる 僕はいろんな年代の方にガラクタの曲を聴いてもらいたんですよ。例えばアルバムの最後に入っている「タカラモノ」という曲は、自分が子どもの頃のことを書いていて。どんな年代の人も記憶をたどって何かを思い出せるような、そのくらい鮮明な言葉を目指していつも歌詞を書いています。
──バンドによっては、「まずは同世代だけで盛り上がりたい」という思いで活動する人たちもいると思うんですけど、はるさんは、いろんな世代の人の記憶に通じる曲を作りたいんですね。
はる 「同世代に届けたい」という気持ちはもちろんあるんですけどね。だから歌詞にSNSのことを書いたりもするし。でも「タカラモノ」を作ってライブで演奏したときに、4~50代のライブハウスの店長さんが「ものすごく刺さった」と言ってくれたことがあって。初めてお世話になるライブハウスだったんですけど、その店長さんは歌詞についてすごく深堀して聞いてくれたんです。それから「届けたいのは同世代だけじゃない」と考えるようになりました。
「タカラモノ」はどう生まれた?
──「タカラモノ」はいつ頃作った曲なんですか?
はる バンドを始めて3、4曲目に作った曲ですね。当時は「BUMP OF CHICKENのような物語性のある曲が1曲欲しい」と思って作ったんですけど、今振り返ると、書くのにすごく時間と気力を使いました。
──ほかの皆さんは「タカラモノ」のデモを聴いたときどう思いました?
ひろと それまで作ってきたほかの曲とは違う温かさがあると思いました。はるさんの実体験を歌詞にしているからか、デモの段階から言葉もメロディも、めちゃくちゃ温かい感じがして。
こた 僕は「この視点で歌詞が書けるんだ!」と思いましたね。
はる おもちゃの視点だからね。
こた そう、あまりない視点だから印象的だった。
ちゅうじょう 歌詞に合わせて、ドラムもメリハリを付けてストーリー性を意識したのをすごく覚えています。
──曲のアレンジは、はるさんの歌詞の世界観に合わせていくことが多いですか?
ちゅうじょう うん、そうですね。
はる ただ、最初から「こうしてほしい」と具体的な指示はしないようにしています。歌詞を読んで各々が感じ取ったものを楽器で表現してくれたらいいなって。
ちゅうじょう はるさんのデモにドラムを付けて返したら、「全部違う」って言われることもありますけどね(笑)。
はる そういうときはズバッと言います(笑)。
音楽の目覚め
──皆さんがどのように音楽やバンドに目覚めたのかも聞きたいんですけど、まず、ひろとさんはどうですか?
ひろと 兄が幼稚園の頃にピアノをやっていて、その影響で僕もピアノを始めました。だから初めて触れた楽器はピアノなんです。中学に入ってベースを触るようになるんですけど、ピアノは基本的には自分1人でやる楽器じゃないですか。でも、バンドはそれぞれ役割があったうえで、1つのものを作る。それがめっちゃ楽しいんだっていうことに気付いて。聴いてきた音楽としては、小学校の頃に父親の車で遊びに行くことが多くて、車内でよく流れていたのが東京事変や宇多田ヒカルでした。
こた 僕はSEKAI NO OWARIが大好きで、小学生くらいの頃までセカオワ以外の音楽をあまり知らなかったんです。何かあればYouTubeでセカオワのミュージックビデオを観てたし、人生の大事な場面にいつもセカオワがいてくれる感覚があって。そんな生活を送っていたら「セカオワの曲をギターで弾けたら楽しいだろうな」と、ふと思ったんです。それがギターを始めたきっかけでした。近くに住んでいた仲のいい友達がアコギを持っていたので、その友達にギターの弾き方を教えてもらいながら練習して。で、中学2年生のときに友達とバンドを組んだんですよ。当時通っていた塾に防音の地下室があったので、先生に「授業がない時間、ここでバンド練習をやらせてくれないか」と頼み込んで。
はる その話、初めて聞いた(笑)。
こた うん、初めて言った(笑)。その塾にアンプを運び込んで、僕とギターを教えてくれた友達、ベースの3人でバンドを始めました。実際にデカい音を出してみたら「音を合わせるのってこんなに楽しいんだ!」と思いました。今振り返ると、そんなことやらせてくれる塾、ほかにないんじゃないかと思いますけど(笑)。
ちゅうじょう 僕は小学校の頃、兄におさがりのウォークマンをもらったんですけど、そこにRADWIMPSの曲が入っていたんです。当時はそれがRADWIMPSの曲だとも知らないまま、とりあえず「いい曲だな」と思いながらウォークマンに入っている曲を聴いていて。それから中学生に入って、部活発表会で先輩がドラムを叩いているのを見て、「めちゃくちゃカッコいいな!」と思ってドラムを始めました。高2くらいまでは、正直バンドが好きというよりはドラムが好きという感覚だったんですけど、徐々に人とセッションするのは楽しいんだなって気付いて。そこから自分でバンドをやることにも前のめりになっていった感じでしたね。
──ちゅうじょうさんから見ると、ずっと一緒にいるひろとさんはどんな存在なんですか?
ちゅうじょう 唯一、中学生の頃から一緒にセッションをやっていた相手だし、高校の部活だけで終わるのも寂しいなって。だから今も、ずっと一緒にバンドをやっています。
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BUMP OF CHICKENの音楽が寄り添ってくれた

