GAKU-MCのソロデビュー25周年を記念したアルバム「Master of Ceremonies」がリリースされた。
本作のタイトルはGAKU-MCが生業としている“Master of Ceremonies”、つまりMCのこと。タイトルも含めデビュー25周年にふさわしいと言える今回のアルバムには、彼自身もファンであるセカイイチの岩崎慧(Vo, G)と初めてタッグを組んだ「Under the same sky」、盟友のRHYMESTERを客演に迎えた「フライヤー feat. RHYMESTER」などの楽曲にライブ音源5曲を加えた全17曲が収められている。
音楽活動のみならず長年サッカーにも情熱を注ぎ、最近はトランペットやフルマラソンも始めたGAKU-MC。53歳となった今でも、彼は何事にも臆することなく挑戦を続けている。そんなGAKU-MCに近況や「Master of Ceremonies」の制作秘話を聞くと、彼の人生観が見えてきた。
取材・文 / 森朋之
今一度認知していただきたいこと
──ニューアルバム「Master of Ceremonies」、堂々としたタイトルもそうですが、内容もソロデビュー25周年にふさわしい充実作だと思います。前作「立ち上がるために人は転ぶ」(2020年6月発売)以来、4年ぶりのフルアルバムですが、手応えはどうですか?
サボっていたつもりはまったくないんですけど、気が付いたら4年経ってしまいまして。その間にコロナ禍があって、人生を振り返るというか「この仕事でよかったんだろうか」みたいなことを考えた人もたくさんいると思うんですよ。僕もそうで、スケジュールは全部飛びましたし、「不要不急」と言われると「うーん、そうだよね」と。「自分たちがやっていたことに意味はあったんだろうか?」と自問自答の日々だったんですが、その中で抽出したものを元にして制作を始めたんですよね。結果、これまでよりも自分の内面と照らし合わせながら曲を作ることができたのかなと。
──「Masters of Ceremonies」とはズバリ“MC”のことですが、MC、ラッパーとしての自分を見つめ直す期間でもあったのでは?
そうかもしれないですね。さっき「堂々としたタイトル」とおっしゃってましたけど、確かに自分でも「バーン!と言ってしまったな」と思うし、背筋が伸びるというか、後戻りできない、進んでいくしかないという気持ちもあって。僕は1992年にEAST ENDでデビューして、1999年にソロになって、そこから25年経って。ラップミュージック、ヒップホップが世の中に認知されてない頃に、「どうにか聴いてほしい」と思って音楽を始めたんですよ。今はラッパーが武道館や東京ドームでライブをやっているし、それはうれしくもあり、「自分ももっとやれるんじゃないか」という思いもあったり。そんな中で、GAKU-MCと名乗っているにもかかわらず、MCとしての自分を打ち出したことはあんまりなかったなと思ったんですよね。アコギも弾くし、トランペットも始めましたけど、「芯はラッパーなんだ」と皆さんに今一度認知していただきたいという思いで、このタイトルにしました。
ダメ出しされることが減ってくるけど
──1曲目の「Under the same sky」には、セカイイチの岩崎慧さんが編曲で参加しています。ゴスペル的な要素が反映され、オーディエンスと一緒に歌えるような楽曲ですね。
僕自身もセカイイチのファンで。改めて彼らの音楽を聴いて、「こんな感じでやってみたい」とこちらから提案させていただきました。デモ音源は僕のアコギとラップで作って、その後、岩崎くんとやり取りして。特にサビのメロディに関しては「もっとこうしたほうがいい」という意見を何度ももらったんですよ。いつもだったら「絶対これでいいんだ」と言っちゃうところなんですけど(笑)、せっかく岩崎くんと一緒にやるんだから、どんどんディスカッションしたほうがいいなと思って。制作を通して、自分の中の新しい扉が開いた感覚がありましたね。この年齢になるとダメ出しされることも少なくなるので、いい経験になりました。
──「どこにいたって同じ空 君と繋がっていたい」という歌詞のテーマを具現化したミュージックビデオも素晴らしいですね。GAKUさんが世界中を旅して、いろいろな国や地域の人たちとの交流している映像が使われているという。
いいですよね! すべて僕が行った場所というわけではないんですが、実際に訪れたときの映像もたくさん使われているので。僕、何度か「ピースボート」に乗って旅したことがあるんですよ。乗船客を相手にライブしていたんですけど、そこで出会った若者の中に、ニューヨークに渡って、映像ディレクターになった若者(横峯誠悟)がいるんですよ。その青年から「GAKUさんの曲を自分の映画に使わせてください」と連絡があって。その映画(『糸』)が今年の「横浜国際映画祭」で正式招待短編作品に選ばれたんです。そんなご縁があって、今度はこっちから「MVを作ってくれない?」とお願いして。「ピースボート」で旅行しているときの映像が多いんですけど、今年、僕がキャンピングカーでツアーを回ったときに撮ったものも入ってて。自分にとってもエモーショナルな作品になりましたね。
──「Under the same sky」というフレーズにさらに説得力を与えるMVだと思います。
この曲の詞を書いたときは、もっと身近な人を想像してたんです。例えば家族に対してもそうですけど、僕が仕事で別の街にいても、同じ空でつながってるんだぞっていう。でも、このMVを観たときに「人種や国を超えてつながることができる」というメッセージにもなりうるんだなと、逆に自分が教わった部分もありますね。
──この4年間、戦争や紛争など、信じられないような出来事が起きて。そんな状況で「Under the same sky」に込められたメッセージはとても大事だと思います。
「どうにかならないんだろうか」と思うこともあるし、自分としてはこういうポジティブなメッセージを発信して、少しでも皆さんの元気につながったらいいなと思ってます。
フライヤーはめちゃくちゃ大事
──「フライヤー feat. RHYMESTER」も、このアルバムの大きなポイントになっていると思います。RHYMESTERとのコラボレーションはかなりひさびさですよね。
RHYMESTERの「ウィークエンド・シャッフル(feat. MCU, RYO-Z, KREVA, CUEZERO, CHANNEL, KOHEI JAPAN, SU, LITTLE, ILMARI, GAKU-MC, SONOMI, PES, K.I.N, 童子-T)」(2006年リリース)以来かな。その前に「Return of Funky Grammar」(RHYMESTERが1995年に発表)、「チョコレートシティ feat. RHYMESTER」(EAST ENDが2003年に発表)という曲があって。ひさしぶりでしたけど、ずいぶん楽しかったですね。アルバムに入っている「自由奔放」という曲がキーになってるんです。コロナ禍の時期、夜中になんとなくSNSを見てたら、RHYMESTERが「MTV Unplugged」に出演するというニュースが目に入ってきて。普段だったら「やったじゃん!」と思うんだけど、そのときは悔しい気持ちが先に来てしまったんです。素直に「おめでとう」と言えないのはなんでだろう?と考えてる中でできたのが「自由奔放」でした。「2番をRHYMESTERに歌ってもらいたい」と思って、「やってくれませんか?」とお願いしに行ったんです。そしたら「だったら最初から一緒に作ろうぜ」と言ってくれて、それが「フライヤー feat. RHYMESTER」という曲になりました。
──制作はどんなふうに進めたんですか?
トラックはこっちが作って、「どういう曲にしようかね」なんてテーブルで話して。そのうち思い出話になったんですよ。僕と宇多丸が渋谷のタワーレコードの壁にライブのフライヤーを貼ってたら、警察官に怒られた……みたいなすったもんだがあったんですけど、当時の自分たちにとって、フライヤーはめちゃくちゃ大事だった。
──インターネットもSNSもない時代に、ヒップホップに興味を持っている人に告知するためにはフライヤーしかないと。
フライヤーがすべてでした。お手本がなかったですからね、僕らの場合。フライヤーの作り方も誰にも教わってないし、ライブの運営とかも含めて、すべてが手探りだったので、本当にめちゃくちゃ一生懸命やってましたよ。
──そんな時期から交流があるRHYMESTERは、GAKUさんにとってどんな存在ですか?
そうですね……デビュー前からの友人で、今も音楽を続けているのはたぶんRHYMESTERだけなんですよ。ラップを初めて人前で披露し始めた時期を一緒に過ごしたし、同志であり、友達であり、ライバルであり、尊敬するミュージシャンであり。「フライヤー feat. RHYMESTER」のレコーディングのあと、「どうでした?」というコメント動画を撮ったんですけど、「健康でよかった」みたいなことを言い合ってたんですよ(笑)。僕らが健康なこともそうですけど、観に来てくれるお客さんが元気でいてくれるのが一番だよねって。
──GAKUさんやRHYMESTERの世代が先導してくれたからこそ、今の日本のヒップホップシーンがあるのは間違いないと思います。
そうですよね。そこは胸を張っていいんじゃないかなと思ってます。
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