ドレスコーズ|演劇に目覚めた志磨遼平が考える、新たなロックンロールの姿

「みんなー! すごいの見つけたよ!」

──ツアー「dresscodes plays the dresscodes」のみならず、ドレスコーズのライブでは毛皮のマリーズ時代の楽曲もよく披露しています。志磨さんはこれまで制作してきた楽曲をとても大切にしていますね。

僕の場合は、人を驚かせることが好きなので。観ている人が驚いてくれるのであれば、古い曲でも演奏したいんですよね。

──現在のドレスコーズはどんどんメンバーが変わるため、同じ楽曲でも大きくアレンジが変わります。その日しか観ることのできないプレミアムなスタイルも、ドレスコーズならではの魅力だと思うんです。

そうそう。だからドレスコーズは「実験場」みたいな感じ。演奏する人が変わることによって、今まで作ってきた楽曲がどのように変化するのかをみんなの前で実験する、いわば公開実験のような側面もありますね。

志磨遼平

──こういった1曲ごとの実験からさらに規模を拡大し、ライブ1公演を使った実験となったのが「dresscodes plays the dresscodes」と言えるのかもしれません。

なるほど。やっぱり、演劇の魅力や奥深さにはすごく嫉妬したんですよ。それをどうにか自分のものにして、バンドに持ち帰りたかった。いろいろ勉強していくうち、架空のストーリーに楽曲を紐づけることで「この曲は今回のライブのために作られたんじゃないのか?」と錯覚させることができる演劇の“魔法”がわかって、すぐに「みんなー! すごいの見つけたよ!」って伝えたくなりました(笑)。

“見立て”が存在することの面白さ

──「dresscodes plays the dresscodes」では物語の案内人、マック・ザ・ナイフ、マックの恋人ジェニーの3役を志磨さんが演じていますが、それぞれのキャラクターを象徴するアイテムが出てきます。例えば案内人は本、マックは花束、ジェニーは口紅ですね。さらに案内人とマックの関係をつなぐ指名手配書、マックとジェニーの関係をつなぐ電話があり、こういったギミックもとても印象的でした。

志磨遼平

ご明察です。演劇って、“見立て”が存在する面白さがあるんです。例えば「三文オペラ」は20世紀初頭のロンドンが舞台で、ステージ上にいるのは俳優ではなく当時を生きていた人たちである、っていう体でお客さんは鑑賞しますよね。そのルールをハッキリさせるべく、今回なら最初から本を持って現れることで「生の言葉ではなくセリフであること」を理解してもらったり、途中から口紅を塗ることで「今からこの人は女性なんだ」と見立ててもらえるよう工夫したつもりです。

──今回のライブでは3役すべてを志磨さんが演じましたが、志磨さんが1人の登場人物だけを演じる、という方法もあったかと思います。その手段は構想にはありましたか?

実は去年出したアルバム「平凡」とそのツアー「the dresscodes 2017 "meme" TOUR」で、僕が1人の架空のキャラクターを演じるっていうのはやってるんですよ(参照:志磨遼平、“無敵のファンクギャング”なドレスコーズで彩る新木場の夜)。

──真っ白なスーツを着た「平凡さん」ですね(参照:ドレスコーズ志磨遼平が髪バッサリ&フォーマルスーツで「平凡」に)。

「三文オペラ」に参加する前から、僕が演技を始めていたのは不思議なもので。呼び込んだのか呼ばれたのか、その頃から演劇シリーズは始まってたんでしょうね。その前のアルバムが「オーディション」だし(笑)。

もう手放しでは褒められない、ロックンロールの現状

──また「dresscodes plays the dresscodes」では志磨さん以外のバンドメンバーがまったく客席を見ず、黙々と演奏している点も特徴的です。ほかのロックバンドのライブではなかなか観られないようなスタイルでした。

ロックと演劇の大きな違いって、観客と演者の間で互いの存在を認識するかどうかで。ロックのライブはバンドとお客さんが同じ空間にいて、「今、私たち同じ空気を吸っているんだ!」って喜びこそが一義であるのに対し、演劇は観客も演者も目の前にはいない体でやるもので、お互いが別の空間にいる。だから観客は絶対に役者に干渉してはいけないんです。その関係が非常にうらやましくて、今回はメンバーに「お客さんは絶対見ないで!」ってお願いしました。お客さんと絶対コンタクトをとらないことで、客席と舞台の間に壁を作ると言うか。

──演劇内で描かれる世界と現実世界の間に境界を作る、いわゆる「第四の壁」ですね。

そうそう! 第四の壁を作って、それを必要に応じて開けたり閉じたりするわけです。

──今回のライブスタイルは、新たなライブの表現方法について考えるきっかけになると思いました。志磨さんは「the dresscodes magazine」で、CDやレコードといった作品は楽曲やアートワークを通し、リスナーが考える余地を作ることができるけれども、ライブになると「楽しかった」「みんなとひとつになれた」など、シンプルな感想しか生まれなくなってしまうことに危機感を抱いているとお話ししていました。今回の演劇型のライブは、いわゆるスタンダードなライブスタイルに対するアンチテーゼ、1つの答えにもなっているように感じたんです。

志磨遼平

うんうん。自分はもはや、ロックンロールを手放しで褒めることができなくなったんです。ロックンロールはプリミティブでありつつ、すごく挑戦的で、危険で、ロマンチックなものであるべきなんですよ。僕はその要素をすごく愛しているので、何十年も前のアーティストの存在感やパフォーマンスをトレースするようにロックに溺れたり、喜んでいる人を見ると、とても言いようのない気分になるんです。僕もかつてそうだっただけに、ステレオタイプなロックンロールを「ずーっとありがたがっていいんだろうか」と思うようになって。ロックンロールの精神として、古いものを重宝するのはむしろ反ロックンロール的ではないかと。なんとかこのロックンロールっちゅうものを、感動と興奮はそのままに、解釈をさらに深められるものにしたかった。それが僕のやりたいことで、いつも意識していることでもありますね。