DEZERT千秋ソロインタビュー|「ヴィジュアル系に呪われてる」過激な言葉の裏にあるシーンへの深い愛情

今年精力的なライブ活動を展開しているDEZERTが、6月17日から全国ツアー「DEZERT LIVE TOUR 2023“きみの脊髄と踊りたいんだっ!!”ツアー」を開催。そして9月23日には一連のツアーを締めくくるワンマンライブ「DEZERT SPECIAL LIVE 2023 -DEZERT-」を東京・LINE CUBE SHIBUYA(渋谷公会堂)で行う。

昨年6月に東京・日比谷公園大音楽堂(日比谷野音)でのワンマンライブを成功させたほか、SORA(Dr)がオーガナイザーを務めた12月の東京・日本武道館でのライブイベント「V系って知ってる?」でも強烈な存在感を放つなど、ヴィジュアル系シーンの中心的バンドになりつつあるDEZERT。音楽ナタリーでは千秋(Vo)に話を聞き、2011年の結成から現在に至るまでを振り返ってもらいつつ、アーティストとしてのスタンスの変化をたどった。

取材・文 / 森朋之

間違いではなかったと信じたい

──DEZERTは2011年に結成されましたが、当時ヴィジュアル系シーンでどんな活動をしようと思っていたんでしょうか?

俺にとってヴィジュアル系は青春だったんですよ。高校の3年間ずっと聴いていたし、モラトリアムじゃないけど、その延長線上でバンドを始めて。ただ、まだ若かったですから、バンドで生活することに関してはまったく考えてなかったと思います。将来に対する漠然とした不安とかコンプレックスを掻き消すために青春をしてたって感じ。まあ、つまりはよくわかってなかったです(笑)。

2012年当時の千秋のビジュアル。

2012年当時の千秋のビジュアル。

──当時のインタビューでは、よく「とにかく自分たちがやりたいことは絶対に曲げない」とコメントしていました。そのためには多少、周りに迷惑をかけるのもしょうがない、と。

やりたいことは、今も別にないんですけどね(笑)。極論を言うと“バンドをやり続けること”自体が一番やりたいことなので。「バンドをやりたい」というのは具現化されたけど、たぶん深層心理的には「バンドって続かないよね」と思ってたんでしょうね。しかも俺らは事務所に入れるようなタマではなかったというか、大人に全然好かれなくて(笑)。あとね、人のことを見下してたんだと思います。「なんで俺よりバカな人間にマネジメントされないといけないんだ」と思っていたし、ライブハウスの対バン相手も、パッパラパーなヤツらばかりで。すごい下のレベルの話ですけど、「この中では俺が一番音楽について考えている」と思ってたし、周りに迷惑かけたり、何か言われたとしても「関係ない。好きなようにやるよ」という感じでしたね。ただ、ちょっとずつバンドがステップアップしていく中で、有能な人が現れてくるんですよ。どうやって音楽を届けるか緻密に考えている人だったり、すごいボーカリストだったり、めちゃくちゃうまいギタリストだったり。やっぱり人との出会いはデカいですね。

──リスペクトできる人たちとの出会いによって、考え方も変わってきた?

人とぶつかることで、この10年の間にいろんな心境の変化があって……。もともとは変わりたくなかったけど、変わらざるを得ない状況がいっぱい出てきたという感じかな。それがよかったのかどうかはわからないですね。もしかしたら間違った選択もあったかもしれないけど、人って結局、「あの失敗があったから、今がある」とかって正当化しちゃうじゃないですか。失敗なんかしないほうがいいに決まってるんですけどね、ホントは。

──バンドが10年以上続いて、観客動員も伸びているんだから、間違いではなかったのでは?

そう信じたいですけどね。去年、メンバー同士でインタビューし合う企画をやったんですよ。けっこう楽しみにしてたんですけど、メンバーの闇を知ったというか。「実はあのとき、辞めようと思ってたんだよね」みたいな話もあって、「え、そうなの?」みたいな(笑)。もしかしたら自分が気付いてなかっただけで、バンドが崩壊する危機があったのかもしれないですね。

DEZERTの物語は始まっているし、戻る場所はない

──その後リリースやライブを重ねてコンスタントに活動していましたが、「最高の食卓」(2016年1月発表のアルバム)から「TODAY」(2018年8月発表のアルバム)までは2年半のインターバルがありました。この期間はかなり悩んでいたそうですね。

メンタル的には地獄でしたね。バンドがどうとかではなく自分の心がバラバラだった時期です。10年間ずっと厳しいんですけど、その2年間は本当にきつかったです。自分たちでマネジメント会社も経営していたし、音楽のことだけではなくて、メンバーやスタッフに対する責任も感じていて。自分の作ったものでいろんな人の生活を潤わせないといけないっていう。いろんなことに“お金”を考えるようになってしまってイライラしてしまってましたね。

──そのシリアスな時期はどうやって抜け出したんですか?

まだ抜け出してないかも(笑)。ずっと「俺が一番正しい」と思ってたけど、いろんな人の意見が耳に入ってきて、自分に自信を持てなくなって。5年くらいバンドをやってると、お客さんが作り出してくれたイメージだったり、像があるんですよ。当時はまだインディーズの下っ端でしたけど、それでも「イメージ通りにやらないと」「客の期待を超えないといけない」みたいなことを考えていて。自分のポテンシャルよりも高いものを目指していたので、当然、うまくいかなくて。すごくイライラしてましたね。メンバーに対しても、お客さんにも。

──ライブの観客に対してもイラついてた?

そういうときもありました。めちゃくちゃなライブをしてましたよ。今思うと「ノリ悪いんだったら、帰れ」みたいなスタンスというか。一見、尖っててカッコよく見えるかもしれないけど、現場は地獄みたいなときもけっこうありました。「あの頃ライブハウスに来てた子たちは、どう思ってたんだろうな」と気になりますね。周りの人もいろいろ言ってくれたけど、意見をうまく取捨選択できなくて、自分に合ったやり方を選べなかったんだと思います。考えすぎて、音源も出せなくなって。音楽を作るのは金がかかるんですけど、どんどんCDの販売ではペイできなくなってきて、リリースしても自分たちの首を絞めるだけだった。わかったのは、自分はマネジメントに向いてないということですね。このままだと自分のいいところがなくなる気がして、活動のやり方を見直しました。

──なるほど。アルバム「TODAY」のリリースタイミングでMAVERICK(L'Arc-en-Ciel、MUCC、シドなどが所属する音楽プロダクション)に移籍しましたが、その頃はヴィジュアル系に対してどんな印象を持っていましたか?

俺らは当時ちょっと距離を取ってたんですよ。ヴィジュアル系のイベントにもそんな多くは出なかったし、心の底ではちょっとこのシーンに嫌気が差していたのかもしれません。それでも当時、俺らをイベントに誘ってくれたのはMUCC先輩ですね。ただ、俺の中ではMUCCはヴィジュアル系というより、ロックバンドに近いイメージを持ってました。

──MUCCは当時、ヘヴィロック、エレクトロなどを取り入れながら激しく進化していて。ロックフェスにも積極的に出演し、存在感を示していました。

そういう先輩に気にかけてもらっていたのはありがたかったです。しかも上からではなくて、同じ目線で話してくれた。ただ、アドバイスに関してはうまく取り入れられなかったんですけどね。そもそもMUCCもメンバーによって考え方が違うんで(笑)。

──結局は自分たちでやり方を決めなくてはいけなかった、と。

そうですね。自分の人生は誰かのマネをしたり、憧れの対象に近付くことでオリジナリティを作ってきたんです。つまり本当に新しいものを作れる人間ではないんです。そのことを認めたとき──もちろん残念だったけど、ようやく先に進めるようになったんです。DEZERTの物語はすでに始まっているし、戻れる場所はない。だからこの場所を命がけで大事にしようと決意しました。そのことに気付いてからはバンドを続けることに迷いはなくなったけど、そのためにも変わらないといけないと思い始めて。それが2018年に出した「TODAY」につながったというか。

──「TODAY」はポップな要素が加わり、DEZERTにとってターニングポイントと言える作品になりました。意図的に変化を呼び込んだアルバムなんですね。

今思うと「変わらなきゃ」よりも「強くならなきゃ」という感じだったかも。例えば歌がうまくなることもそうだし。自分が強くなれば、周りの人が共感してくれなくてもイライラしなくなるし、メンタルも安定するのかなと。ただ、「TODAY」を出した直後はなかなか思ったような結果が出なかったんですよ。まあそんな簡単に人は変われるものじゃないですよね。

千秋(撮影:西槇太一)

千秋(撮影:西槇太一)

ライブが苦手

──2019年にリリースされたアルバム「black hole」も「TODAY」に続き音楽的な振り幅が広がった作品でしたが、千秋さんはのちにインタビューで「“こうしなくちゃいけない”という意図が感じられて、あまり好きではない」と言ってましたね。

「black hole」はアレンジもほぼ全部僕が作ったデモ音源のまま出したんですよ。そのせいか「俺の音楽センス、いいでしょ」みたいなイヤらしさを感じてしまって。「なんでこんな凝ったアレンジにしてんの? ウザ。もっとストレートでいいのに」とか(笑)。「音楽的だよね」と言ってくれる人もいるから、一概には言えないんですけど。まあ、いつも反省というか、文句があるんですよ、俺は。「TODAY」に対しても「ここまでシンプルにしなくてよかったのに」とか思っちゃうんで(笑)。

──アルバム「black hole」を引っさげた全国ツアーはコロナによって中止になり、その後ライブがまったくできなくなりましたが、コロナの時期はどんな思いで過ごしていましたか?

もちろんすごく大変でしたけどそんなに不安にはならなかったですね。

──え? どうしてですか?

何もしなくてよかったんで(笑)。プレッシャーがないというか、自分でも愚かだなと思うんですけど、「みんなが苦しんでるんだから、別にいい」と思っちゃったんですよ。自分たちだけライブができないんだったら苦しいだろうけど、みんな同じなんだから、別によくない?っていう。「ずっとこのままでいい」とは思わなかったけど、酒も飲みに行けなかったし、毎日規則正しく生活してました。

──ほとんどのミュージシャンはつらい日々を送っていたと思いますが、千秋さんは違ったと。

やろうと思っても何もできなかったんで。「ライブする」って言うだけでさまざまな意見が飛び交うし、曲だけ出すのも違うし、結局、何もしないというのが一番よかったんじゃないですか。実際、ほとんど何もしてなかったんですよ。ちょっと機材をそろえたりしましたけど、曲もあまり作れなくて。「コロナが明けたら、どういう感じで出ていこうかな」って考えるくらいで(笑)。

──ということは、ライブができる状況になってもうれしくなかった?

なんで無理矢理ライブしなくちゃいけないんだろう?と思ってました(笑)。そもそも“ライブバンド”という言葉がすごく嫌いなんですよ。ライブバンドじゃないバンドって、何?って話じゃないですか。バンドはライブが基本なので。MCで「俺ら、ライブバンドだから」って言ってる人を見ると、普通のことを言ってるとしか思わない(笑)。

──確かに(笑)。

あと「ライブが苦手」という気持ちがずっとあったんですよ。ライブの準備は楽しいんだけど、当日は本当に憂鬱になることが多くて。だって、若いときと違って、このキャリアならいいライブをするのが当たり前じゃないですか。バンドを始めたばかりの頃は、お客さんに「好きならついてこい。嫌いだったらどっか行け」と言えたんですよ。まあ、そんなこと言うのもどうかと思うけど(笑)、若い頃はそういう余裕があった。でも、今は違うんですよ。例えば1000人の前でよくないライブをしてしまったら、その中の何人かがネガティブキャンペーンを始めて、ディスアドバンテージを受けてしまう。要は自分たちの損につながるんです。これまでの経験上、「このレベルまではやれる」とわかってるんだけど、それ以上のものを見せないといけないし、その日にしか起きないハプニングも生かさなくちゃいけない。そのプレッシャーは、すごくしんどかったですね。正直今年の1月にしたTDCホールまでそういう気持ちはあったと思います。でも今はただその日をどう楽しもうかなって思えるようになりました。ウチのバンド、開場後のBGMがずっとThe Beatlesの「Yesterday」なんですよ。何十回も流してきたから、だんだん嫌いになってきました(笑)。ビートルズすごく好きなのに。声出しOKになったことも、特に何も思わないです。「別に歌ってもいいけど、だから何?」って。

──お客さんは楽しいでしょうけどね。

その点だけですね。実際声を聞いたらうれしくなっちゃいましたけどね(笑)。