どうしても劇場版とアニメシリーズを差別化したかった
──新たに公開されたアニメシリーズ全18話の内容やコンセプトについても話を聞かせてください。制作の工程としては、アニメシリーズを制作したあと、それを編集して劇場版2本にするという流れだったそうですね。
アニメシリーズはかなり原作準拠で、母艦が大爆発したあとの世界も描かれているんですけど、原作をそのまま映像にしようとすると、そこだけで1時間かかるくらい密度なんですよ。だから尺の都合で描写を省略しつつも、違う世界線の主人公2人が普通に会社員をやっているという描写は絶対入れたくて。原作はある意味、それを描くために10巻近く費やしたようなものだったし、制作側も最初から原作準拠で作りたいという意向だったので、しっかり描かれています。ただ、アニメシリーズを観た人みんなが疑問に思うだろうことがあって。
──なんでしょう?
「なんで1話じゃなくて0話から始まるんだ」「なんで門出の父親の物語から始まるんだ」ってみんな思うんじゃないかと。実はあれは僕が言ったんですよ。劇場版とアニメシリーズをどうしても差別化したくて。劇場版がアニメシリーズの後半をただカットしただけのものになってはいけないという気持ちがあったから、劇場版のラストは原作と違う終わり方になってるんですけど、さらに差別化を図りたかった。そのためには母艦が爆発したあとの「8.32」と呼ばれている世界の話を後付けみたいに加えるだけじゃなくて、その要素をアニメシリーズの最初に入れようと。そうやって別作品にしないと、僕は劇場版を観た人に対して申し訳が立たないと思った。ただ時系列が混乱するので、あんまりよくない構成だったかもしれませんが。
──映画で描かれていないシーンで始まるのは衝撃的でよかったと思います。
そうだったらいいんですけどね。まっさらの状態で観たときに、ずっとオッサンしか出てこなかったら観るのやめちゃうんじゃないかと。このサブスク時代にオッサンしか出てこないって一番ダメなやり方じゃないですか。1話切りされちゃう危険性もある。ただ、それでも僕は別物にしたかったんです。
──アニメシリーズは、ほかにも劇場版で描かれていない原作のシーンが数多く盛り込まれていますね。
主人公2人の友達の亜衣ちゃんが同級生の男の子と浅草デートする話とか、おんたんの兄のヒロシがSNSでつながった女の子と接触する話とか、あとは主人公たちのエピソードとまったく切り離された“プロ弱者”の話が入っていますね。僕はあの話が原作で一番好きなんです。「デデデデ」という作品は、簡単に言うと群像劇で、主人公たちだけにフォーカスするのではなく、その世界自体を箱庭的に描いていきたかった。だから、あの“プロ弱者”の話は、ある意味、原作でやりたかった本質の部分だし、そういう意味でもアニメシリーズは原作の意図をかなり汲んだ内容になっています。
──なるほど。
でも1カ所だけ僕の考えと違うところがあって。原作とアニメシリーズでは、おんたんと門出がロボットに乗ってるんじゃないかと思われるシーンがあって、さらにそのロボットが破壊されるシーンが描かれるんですが、アニメシリーズは2人が実際に乗っているような描写もある一方、原作では実際に乗っているかどうかには一切触れていないんです。僕が原作を描いているときに決めていたのは「主人公の2人は絶対に殺さない」ということだったから。もちろん原作に描かれてない部分は、僕に頭の中に何かボンヤリあったとしても、そこで描かれていることがすべてであって、どう受けとってもらってもいいんですが。
──その部分は確かにマンガの方が曖昧でしたね。
なぜアニメシリーズに描写が追加されているかというと、娘が死なないと門出の父親であるノブオがあの世界に絶望して別の世界線に移動する動機がなさすぎるんですよね。それは確かに原作を描いているときからツッコまれるところだと思っていたんですけど、僕はすごく薄情な人間なので、娘がどこかで生きていても、再会する可能性が低いなら別の世界に行っちゃうなと思っていた。だから主人公の2人が傷付いている描写に抵抗はしたんです。可哀想じゃないですか。でも、観た人がどういう感想になるのかは興味があって。せっかく映像を作ってもらうわけだから、まったく同じものを再現するのではなく、ちょっと違うのもいいと思いますし、人によって好きなバージョンもバラバラだったりもするので、施策としては興味深いかなと思います。それぞれの感想を聞いてみたいです。
原作者は映像化にどこまで関われるか
──アニメの制作を振り返っての感想を教えてください。
原作者が映像作品にどれだけコミットするかは、いろんなケースがあるんですけど、僕はアニメ化が初めてだったということもあって、限界までフルコミットしてみるっていう方向性だったんですよね。それで最終的に作曲までやることになったんですけど、そういう意味でやりきった感はありますし、どこまで原作者が映像化に関われるかというのは体感としてよくわかりました。今は原作者の意向はかなり尊重してもらえるんですけど、なんでもかんでも言えるわけじゃないじゃない。そのへんの線引きみたいなところも自分はわりとできるタイプなので、無理なところはしょうがないし、争うよりもお互いの妥協点を探して着地点を見つけていくほうが明らかに建設的だと思いました。そういう意味で、関わり方としては満足してます。
──難しかった点はありますか?
簡潔に言いますけど、やっぱり自分はマンガ家で、特に絵にこだわりがあるタイプなんです。 だから自分が一番こだわったのは作画の部分で、マンガとしてのこだわりとアニメの制作の都合が衝突しちゃうケースもあるんだなと思いました。やっぱりアニメならではのキャラクターのデフォルメや省略の仕方があって、それは長年培ってきたアニメ文化の中でできあがったフォーマットなので否定しませんけれども、外野の人間としては、ほかのやり方もあるんじゃないかと思っちゃう部分はあったし、外部の刺激を入れないとテンプレ化して停滞しちゃうんじゃないかということも思いました。それで自分がただ指示して直してもらうよりも、自分が入っちゃったほうが効率がよさそうだったので、作画にも携わらせてもらったし、修正もけっこう入らせてもらいましたね。でしゃばりすぎて嫌がられてんだろうなと思いつつも。
──前章の公開時にまだまだ作業が残ってると言ってましたよね(参照:幾田りら×あのちゃんを浅野いにお絶賛「この組み合わせ以上のものはない」)。
結局、後章の公開を1カ月延期しましたからね。それで延期したにもかかわらず、もともとの公開予定日にも作業していて。みんなデッドラインのギリギリまでやっていて、僕も24時間体制でメールを確認していました。やはり、これからもマンガ原作のアニメがたくさん作られていくわけですから、その中でなるべくいいものにするにはどうしたらいいかってことを考えるべきだし、自分は原作者の立場から「こういうことはできたよ」とか「これはできなかったよ」という事例をほかのマンガ家に伝えられるような実体験が欲しかった。アニメーションは今回が初めてでしたけど、実写化はこれまで3回やってるんですよ。そっちは今回ほど制作には関わってないんですけど、大きなトラブルがあったかと言うとまったくなく。できあがったものを観るだけで、なんだったら原作よりいいなって思っちゃう感じだったんですよね。そう考えると、やっぱりアニメーションは実写とは全然別物で。改めてすごくいい経験でした。
──本当に細部までこだわり抜いて制作されたんですね。
普通、原作者はここまで見ないだろというところまで見ましたね。さっきもちょうど海外版のポスターのデザインのチェックとかの話をしていて、ここまで関わっちゃったからには見れるものは全部見るという感じです。その流れで言うと「SHINSEKAIより」のジャケットは僕が描いていて。原作者が描いたら原作者チェックはいらないので、好きにやらせてもらいました。このジャケットについては、キャラクターのイラストをドーンと載せる案もあったんですけど、そうするとアニソンっぽすぎるし、やっぱりあのちゃんと幾田さんのディスコグラフィにキャラクターの顔が大きく載るのは変だよなと思って。なるべくキャラクターが見えないように全力でちっちゃく、さりげない感じにしてます。サムネイルが並んだときに見栄えがいいように、雰囲気を壊さないようにという僕の勝手な気遣いです。
プロフィール
浅野いにお(アサノイニオ)
1980年9月22日茨城県生まれのマンガ家。1998年デビュー。代表作に「おやすみプンプン」などがある。これまで「ソラニン」「うみべの女の子」「零落」が実写映画化されており、2024年には「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション」がアニメ化された。小学館「ビッグコミックスペリオール」にて「MUJINA INTO THE DEEP」を連載中。
浅野いにお/Inio Asano (@asano_inio) | X
ano
「SHINSEKAIより」について
anoというよりかはおんたんとして歌を吹き込むことを意識しました。幾田さんと交互に歌ってて、聴いているとデデデデの世界に一瞬で引き戻される感覚になる曲だと思いました。歌詞や言葉のニュアンスが浅野いにお先生節が効いてて魂が抜けて宙に舞う感覚にさせてくれます。
「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション」について
まさに青春のような体験でした。自分が送れなかった平凡な学生生活を疑似体験してるかのようで、何カ月もかけて声を録りましたがどんどんその平凡な日常が崩れていく感覚に美しさを感じて、とにかく今この瞬間を抱きしめたくなるそんな作品になりました。
プロフィール
ano(アノ)
2020年9月に「ano」名義でソロアーティストとしての音楽活動を開始。2022年4月にNetflixアニメ「TIGER & BUNNY 2」のエンディングテーマ「AIDA」でTOY'S FACTORYよりメジャーデビューし、同年11月にはアニメ「チェンソーマン」第7話のエンディングテーマ「ちゅ、多様性。」が大きな話題になった。2024年に公開された映画 / アニメシリーズ「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション」では中川凰蘭を演じ、劇場版前章の主題歌として「絶絶絶絶対聖域」を発表した。
幾田りら
「SHINSEKAIより」について
音楽を通じてデデデデの世界を見事に表現してくださり、その中で門出として歌うことに少し緊張感を感じながらも、心を込めて歌いました。
「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション」について
何が起こるかわからないからこそ、その瞬間にどんな自分でありたいか、どう生き抜くかを深く考えるきっかけとなりました。さらに、この一度きりの人生で何を大切にして生きていきたいのか、今まで以上に明確に実感できたことが私にとって大切な経験となりました。
プロフィール
幾田りら(イクタリラ)
2000年9月25日生まれ、東京都出身のシンガーソングライター。YOASOBIのボーカルikuraとしても活動している。2021年7月に公開された細田守監督映画「竜とそばかすの姫」で声優に初挑戦。2024年に公開された映画 / アニメシリーズ「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション」では小山門出を演じ、劇場版後章の主題歌として「青春謳歌 feat. ano」を発表した。