Creepy Nuts|しこたま場数を踏んできた俺らのフレックス「Case」

その姿を各メディアで見ない日はないほど八面六臂の活躍を見せるCreepy Nuts。彼らにとって3年半ぶりのフルアルバムとなる新作「Case」は、まさに自分たちが置かれている状況を如実に表した作品として完成した。

音楽ナタリーではR-指定、DJ 松永にインタビューし、前アルバム「クリープ・ショー」以降の出来事や、変化を伴った「Case」の制作秘話などについて話を聞いた。

取材・文 / 高木“JET”晋一郎撮影 / umihayato、orz_____rio 写真レタッチ / hiroyabrian

今歌っとかなあかん11曲

──フルアルバムという単位で言うと、今作は「クリープ・ショー」以来3年半ぶりとなりますね(参照:Creepy Nuts「クリープ・ショー」インタビュー)。

Creepy Nutsワンマンツアー「Case」大阪城ホール公演よりR-指定。(Photo by umihayato / Retouch by hiroyabrian)

R-指定 はい。ただ、自分としては毎年アルバムを出してる感覚やったんですよね。

──確かに「曲数や構成でミニアルバムとかEPとかって括られるけど、気持ちとしてはいつもフルアルバムを作っている」と、リリースのたびに話していますよね。

DJ 松永 だからオリコンとかのリリースに対する評価のシステムを変えないといけないね。

R-指定 ホンマですよ。苦労はどんな作品でも一緒なんやから。オリコン爆破計画立てるか(笑)。

DJ 松永 「オリコンの次はBillboardだ!」って(笑)。

──なんで無駄に物騒な発言を(笑)。

R-指定 アルバムやEPのリリースは、自分たちのそのときの現状報告なんですよね。「今どう思ってる」「何を感じてる」「どういう作品を作りたいか」っていうことに対してのラッパー、DJ、トラックメイカーからの回答というか。だからそこには進化の過程も詰めたいと思ってるし、言葉の密度やボリュームはその時々で変わると思うけど、その報告は1年に1回はしたいということで、だいたい年1のリリースは続けてきていて。それに去年からの1年は武道館でのワンマンをはじめ、アーティスト活動以外の方向でもとにかくいろんなことをやらせてもらって。

──松永さんは「東京オリンピック2020」の閉会式にも登場していました。

Creepy Nutsワンマンツアー「Case」大阪城ホール公演よりDJ 松永。(Photo by orz_____rio / Retouch by hiroyabrian)

DJ 松永 ヤバいっすよね。閉会式に出るなんてそれまで何ひとつ予想もしてないし、兆候すらない(笑)。ほかにも想像するのもおこがましいようなありがたい経験とか景色を見させてもらって。自分という人間が経験するにはできすぎてるし、ちょっとありがたすぎる。1年単位で本当に想像がつかないことが起きていて、それに対していろんな人に助けてもらってるというのは、本当にありがたい状況だと思いますね。

R-指定 そういったさまざまな変化や、変わっていった状況、精神的な部分でも物事の捉え方や考え方が変わった部分を含めて、今歌っとかなあかん曲をピックアップしたら、今作の11曲になったんです。

──冒頭であえてアルバムという単位で切り取ったのには理由があって。というのも「クリープ・ショー」と「Case」では、本当に意識や物事の捉え方が変わったことが作品として表れていると思ったんですよね。例えば「クリープ・ショー」で言えば、「ぬえの鳴く夜は」や「俺から退屈を奪わないでくれ」は、Commonの「I Used to Love H.E.R.」方式というか、ヒップホップを別の何かになぞらえて、ヒップホップについて書くという構成であり、それはクリーピーの作品では多く見られたけど、今回でそういったヒップホップを何かになぞらえるってことはしてないなと思って。それから「顔役」には「俺から退屈を奪わないでくれ」につながるリリックがあるけど、内容的にはプレイヤー側からのアピールであり、もっと直接的な表現になっていますし。

R-指定 確かに。「顔役」の場合は自分も当事者なうえで、各々が持ってるヒップホップ観と自分のヒップホップ観の違いがあることを前提にして、それでも肩を並べて戦える、戦ってきた経験があるという書き方をしています。だからヒップホップを何かに例えたりとか、自分とヒップホップの距離感みたいなことは、今回は明確にはテーマにしてないです。自分とヒップホップの距離は一生考えると思うし、もはや病気なんですけど(笑)。その距離を昔はもっと考えていたし、距離感に悩んだり、どうコントロールするかに腐心してたと思う。そしてそれをどうひねって表現するかを考えていたけど、今回はもっとテーマ性が明確ですね。それはどの曲も。

──それはラブソングで「愛してる」と言ってしまうような直截さとは違うんだけど、かと言って作品構造を何重にもひねるようなことはあまりしていないですよね。

R-指定 例えたり隠したりすることに重きを置いてはいないですね。それは自分としても作っていて面白い部分だし、自分の武器でもあると思うんですが、今回はそこにこだわってはいないですね。だからデジタルタトゥーのことを歌うから「デジタルタトゥー」、15才のときの感情をテーマにしたから「15才」(笑)。

──直球どころか剛速球すぎてすごい(笑)。

R-指定 その意味でもテーマに対してギミックを詰め込むよりも、言い回しや表現力の部分に重きを置いたし、表現と真正面で向き合ったんですよね。だからより“地肩”で勝負したアルバムだと思います。そうなったのは……自信ってことなんかなあ。「クリープ・ショー」から3年半の間に、とにかくリリックを書きまくってきたし、ラッパーとしても数々の経験をさせてもらったという自負がある。その中で自分の表現とか視点に自信が付いてきたのかなと。だから真正面で物事を切り取っても、それがオモロいもんになるっていう自信も付いたんだと思う。

Creepy Nutsワンマンツアー「Case」大阪城ホール公演より。(Photo by umihayato / Retouch by hiroyabrian)

ついに普通のライブができるようになった

──リスナーとしてもそれは作品を通じて感じたし、3年半の一番の変化は“自信”じゃないかなと思います。タイトルからしても「クリープ・ショー」は80年代のホラー映画からのタイトルの引用だったけど、今回は「Case」というシンプルなタイトルになっていて。そこで思うのは「クリープ・ショー」というタイトルを付けたのは、一面では「こういったマニアックな引用が自分たちはできるし、それをわかってほしい」という、一種の承認欲求でもあったのではと思うんです。リリックの引用だったり、作品の複雑な構成という部分も、単純にそれが楽しいということに加えて、「自分たちはちゃんとヒップホップIQあります」という承認欲求だったんじゃないかなって。

DJ 松永 ああ、なるほど。

──でもこの3年半は承認されまくりな期間だったわけで。

Creepy Nutsワンマンツアー「Case」大阪城ホール公演よりDJ 松永。(Photo by umihayato / Retouch by hiroyabrian)

DJ 松永 ハハハ。そうっすね。ありがたいことで。

──だから承認を求めるような構成をする必要がなくなったし、「Case」のようなシンプルなタイトルを付けることに不安はなくなったんじゃないかなと。

DJ 松永 なるほどなー。いろんな表現の引用やサンプリングは今回もあるけど、基本はガッツリ自分の内から出てくるものになってるかもね。

R-指定 デビュー作の「刹那」から「クリープ・ショー」の時期までは、「わかってくれ」っていう内容が特に多かったと思うし、自分の存在証明をするような表現が多かったと思いますね。その意味では、確かに今回は知ってもらっていることを前提に書いてるかもしれない。「俺、ここにあり!」っていう感情は変わらないんだけど、その表現が「ご存知だとは思いますが……」っていう状態からしゃべり出すというか。

──「Lazy Boy」が特にそうですよね。この曲って、クリーピーをまったく知らない人にとっては完全にどうでもいい内容で(笑)。

R-指定 ワハハ。そうや(笑)。

DJ 松永 俺たちを知らない人にとっては、「知らねえ奴らの知らねえ忙しい1日」(笑)。しかもそれをいきなり自慢してくるっていう。

R-指定 知らんやつに「寝てないわー」って言われても知らんよな(笑)。

──でも、この曲が成り立つのは、ストーリーの構築性の高さもあるし、クリーピーを知ってる人の母数が桁違いになったという前提にもよるわけで。

DJ 松永 それで言うと、ライブの構成や進め方が本当に変わったもんね。昔はイチからの説明で入って、フリースタイルして、スクラッチして、っていうヒップホップを知らない人にもわかってもらえるようなセットリストを念頭に置いていて。

──2016年の「DISK GARAGE presents 震撼コンパ:Creepy Nuts / lyrical school / Y.I.M」は本当にそういう構成だったし、フェスや対バンのような場所では特にそうでしたね。

DJ 松永 当時は普通に曲から始まるライブをやってみたいって話してましたからね。

R-指定 ハハハ! あったなー。ターンテーブルルーティンとか聖徳太子フリースタイルの時間なしで、曲だけで構成したセトリを「男の曲だけリスト」みたいなこと言ってて(笑)。

DJ 松永 それが普通なのに(笑)。だけどクリーピーが認知され始めたら、自己紹介や自分たちのアートフォームを説明してから始まるっていうのがどんどん野暮になってきて。それで曲からライブを始めてお客さんが沸いたときに「ついに普通のライブができるようになった」ってうれしかったもんね。

R-指定 「よふかしのうた」を出す前ぐらいからライブのやり方が変わってきて、それぐらいから自分たちのフレックス(成功経験を自慢する表現)を描くような曲も増えていって。

DJ 松永 「生業」ができたのが大きかったよね。

Creepy Nutsワンマンツアー「Case」大阪城ホール公演よりR-指定。(Photo by orz_____rio / Retouch by hiroyabrian)

R-指定 うん。「生業」や「板の上の魔物」、「グレートジャーニー」みたいな、金銀ジャラジャラのフレックスじゃなくて、俺らはしこたま場数踏んで、いろんな場所に呼ばれて、音楽の腕っぷしをどんどん上げてるよ、ってことが作品に落とし込まれるようになった。そして「かつて天才だった俺たちへ」で、自分の話なんだけど、もっとその幅の広い、開けたリリックを書けるようになり、「Case」に至ったって感じですね。「俺より偉いやつ」なんかは特にその流れにあると思う。

──個人的には「グレートジャーニー」も大きかったと思います。あの曲こそ「俺はこう思ってる」っていう自分の自意識ベースじゃなくて、「俺はこういう景色を見てる」という客観的事実にウエイトがあったと思うし、“自意識の拡張”じゃなくて、経験や行動も含めた全身性のある“自己の拡張”が「Case」の肝だとしたら、それは「グレートジャーニー」に直接つながっているのかなって。

R-指定 自己を書ける人っていうのは、とんでもないバックボーンや生い立ちがあったり、リアルから逸脱しないぐらいの“盛り”も込めた語り口が必要だったと思うんです。でも、どうしても自分にはその風呂敷はないと思ってたし、逆に内側にこそ書くことがたくさんあるだろうということで、自意識をテーマにすることが多かった。でも内側をずっと書いてきた結果、その外側にもいろんな経験や成長が付いてきて、それを客観的に書くだけでもアートとして成立する楽曲が作れるようになったというのはありますね。そして、そういうことが書けるようになったというのも、ラップだけやってきたラッパーの成り上がり物語として、自分にとってはフレックスでもあるんですよ。