阪神・淡路大震災を風化させず語り継ぐこと、被災地の支援活動を行うこと、神戸の魅力を伝えることをテーマに、2005年から兵庫で開催されている入場無料のチャリティイベント「COMING KOBE」。初代実行委員長である松原裕氏が4月に腎細胞がんのため39歳の若さで死去したが、5月に開催された「COMING KOBE19」は大盛況のうちに幕を閉じた。そして12月23日には兵庫・神戸国際会館 こくさいホールにて「松原裕 お別れの会」が行われる。
音楽ナタリーでは、「COMING KOBE」2代目実行委員長を務める風次、「COMING KOBE」がバンド活動の転機になったという平井拓郎(juJoe)と林隆宏(シリカ)にインタビュー。3人の出会いの経緯や「COMING KOBE」でのエピソード、松原氏との思い出などを語ってもらった。
取材・文 / 酒匂里奈 撮影 / Viola Kam(V'z Twinkle Photography)
「GOINGKOBE'06」のオーディション
──まず風次さんと平井さんの出会いについて教えてください。
風次 平井はまだThe DARARSとして活動していたときに出会ったかな。
平井拓郎(juJoe) はい、僕が「GOINGKOBE'06」の出演オーディションを受けて。
風次 オーディションは書類選考とライブ選考があって、書類選考中にThe DARARSの音源を聴いて「変なバンドおるな、観たいな」と思ってライブ選考に呼びました。実際にライブを観たら、やっぱり変で(笑)。「俺の体に必要なのはアルカリイオン水」とか、ひたすらアルカリイオン水について歌っていたんですよ。
平井 そうですね。アルカリイオン水の曲ばっかり歌ってました(笑)。今思うとメッセージ性がないバンドでしたね。そしてオーディションの結果は結局ダメだったんですけどね……。
風次 でもそのオーディションをきっかけに、music zoo KOBE 太陽と虎の公演に出てもらうようになりました。その数年後には「COMING KOBE」にも出演してもらって。
平井 いろいろとありがとうございます。でも僕は風次さんと初めて会ったとき、「ライブハウスの人って怖いな」という印象を受けてました。
風次 俺からしたらそっちのほうが怖かったわ! 当時は体育会系でパンチが効いてるバンドマンが多い中、平井は文化系でヤバそうなタイプやなと思った。家で爆弾とか作ってそうな感じ。
平井 いやいやそんな。風次さんはなんか得体の知れない怖さがあったんですよね。その頃自分がまだ未成年だったということもあるかもしれませんが。
風次 そうかあの頃はまだ大学生か。
平井 はい。当時はまだ松原さんも、“神戸のエンペラー”みたいな感じではなかったですよね。
風次 そやな。ただのチャラいやつみたいな感じやったし、むしろちょっと嫌われていたくらいのイメージ。松原が「COMING KOBE」をやり始めたときに、「偽善だよね」「自分がやりたいだけでしょ」という雰囲気もあったし。
「COMING KOBE19」で泣いた
──風次さんは、林さんとの出会いは覚えていますか?
風次 誰かが企画したライブイベントかな?
林隆宏(シリカ) そうですね。でも当時は、風次さんとガッツリ絡んだことはあまりなかったですね。
風次 そうやね。松原がシリカを担当してたし、当時の林がめちゃくちゃ尖ってたから。
林 僕自身はそんなつもりなかったんですけどね。
風次 松原に対してもちょっとからかう感じで接してたというか、喧嘩腰で向かっていってたよな。
林 そういえばそうでしたね(笑)。ライブハウスにいる松原さんに向かって、「何してんの? 仕事は?」ってよう聞いてましたね(笑)。
風次 まあ俺は外から見てて面白かったけど。
林 風次さんとガッツリ絡み始めたのはわりと最近ですね。
風次 うん。「力貸してください」と言われたのが、シリカが本格的に活動再開した「COMING KOBE19」のタイミングからかな。ベースとドラムが脱退したのはいつやったっけ?
林 2012年です。「COMING KOBE19」では、復活の舞台ということもあったし、帰ってきたんやなあとしみじみ思ったら、まさかの演奏中に感極まって泣いてしまいました。あとでいろんな人にいじられましたけどね(笑)。
風次 もともとシリカはパインフィールズからリリースしてたけど、メンバーが脱退してから数年はけっこう疎遠になっていて。林以外のメンバーはうちの会社で働いてたりして交流があったけど、林は基本的には頼ってこんタイプやから。でも俺はシリカがめちゃくちゃ好きやったから、気にはしてたんです。そしたらある日突然林から「メンバーも入ったので、飲みに行きませんか」と連絡がきて。林の性格を考えて、「そんなん言うなんて絶対おかしい!」と思って(笑)。それでとりあえず明石まで林の弾き語りのライブを観に行ったんです。
平井 明石まで行ったんですか!
風次 行った行った。結局ライブのあとに飲んだものの本題にはそんなに触れず、起きたら誰もいなくて俺は明石に取り残されてた(笑)。そういうこともあったけど、そのあとにちゃんと「力を貸してください」と言われて、「COMING KOBE19」で復活の場を設けました。
シリカ復活のきっかけ
平井 僕と林くんとは、なんだかんだ会ってない期間が長くて。電話とかはしてたんですけど、実際に会ったのはこの間の対バンライブ(6月に兵庫・Event-hall RATで開催されたライブイベント「シリカ presents『2019年シリカまたバンドやります』」。そのときに5年ぶりくらいに会った気がする。The DARARSで活動してたときは、シリカと対バンはしていたけどなかなか距離が縮まらなくて、牽制しあっていた感じでした。
風次 確かにこの前平井から「けっこう2人でしゃベってる」という話を聞いて、意外やなと思ったもん。
平井 一気に距離が近付いたんですよね。
林 そうやね。
──何かきっかけがあったんですか?
平井 何かしらの愚痴でした(笑)。その愚痴の方向性がかなり近くて。それからシリカが活動休止してるときに、「いつバンドやるん?」みたいな電話を僕がしていて。
林 ちょうど1年くらい前に平井くんが電話をくれたんですよ。その頃から心のどこかにバンドのことが頭に引っかかるようになってきて。バンドの活動再開を決心するのに、平井くんの電話はけっこう大きかったですね。
無料だからこそ価値を与えられる
──平井さんは、風次さんや松原さん、「COMING KOBE」から学んだことはありますか?
平井 僕、本当に「COMING KOBE」とは関わりが深いというか、「GOING KOBE」のときにボランティアスタッフとして参加したこともあるんですよ。そのあとThe DARARSとして「GOINGKOBE'06」のオーディションに落ちて、その後2011年に結成したQOOLANDとして出演させてもらって。2018年に解散するまでは毎年出させてもらってたんちゃうかな。
風次 うん。出てると思う。
平井 ひと通りステージは経験させてもらったし、トリもやらせてもらったし、アルカラとKEYTALKに挟まれるタイムテーブルのときもあったし。「COMING KOBE」や松原さんから学んだことは本当に多いですね。QOOLANDで活動しているときにクラウドファンディングの企画を3、4回やったり、juJoeでは無料で1stアルバム「juJoe」を配ったり。CDの無料配布は、「COMING KOBE」を観て「お金取らんからこそ、人に価値を与えられんねんな」と思ってやろうと思ったんです。あと松原さんはブログをむっちゃ書いていて、文章で伝えることの大切さも学びましたね。実は今僕も450日くらい連続で、ほぼ毎日ブログ書いていて。でもこれだけ言っといてなんですけど、実は松原さんとは全然仲良くなくて、ほぼしゃべったことないレベルなんです(笑)。芸風が違ったというか。
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