BIGYUKI「John Connor」インタビュー|AIとの対話の先に見た肉体性と、ニューヨークで見つけた“日本人らしさ” (3/3)

“AIジャズ”みたいな言われ方をしても全然いいんですよ(笑)

──YUKIさんのInstagramを見ていると、ドラマーのジャリス・ヨークリーとのライブ演奏がよくアップされていますね。そのときはパッドを叩いて演奏していますけど、あれが現在の核になるスタイルなんでしょうか?

そうですね。ジャリスと初めて演奏したのは2020年、コロナ禍の最中だったホセ(・ジェイムス)のレコーディングイベントなんです。初めて演奏したときに、なんでこいつは俺が音楽的に行きたいところが全部わかるんだろうと感じました。自分がすごく好きだった、例えば2000年代のディアントニ・パークスとか、クリス・デイヴとか、ゴスペルジャズを経たうえでのエレクトロニックミュージックに人間の身体を使ってアプローチするところも近い。彼の発想は、パッドを使ったり、ループを組みながら演奏するんじゃなくて、ほんとに無骨にドラムを叩いてビートの新しい可能性を探すことで、それ自分とすごく合うんです。このあと、俺のフルアルバムがもうすぐ完成するんですが、それはたぶん「Greek Fire」や「Reaching For Chiron」のような初期のアルバムに近くて、本当のバンドサウンドが核になってるんですよね。

──そこにAIは関係ないのですか?

関係ないですね。別に自分の中で分けたわけではないんですけど。前のアルバム(「Neon Chapter」)は、自分の中でがっちり組んだプロダクションにすごく憧れがあるからライブ音楽では成し得ない音の厚みが欲しいなと思って作ってたんですけども、バンドサウンドも最強だなと思ったんです。

──プロダクションへの興味を失ったわけではないですよね。

全然ないです。ただ結局、俺は身体を使って表現したいんです。演奏していて本当に自由になれるのは、身体を使って、ある種の呪術的というか、高揚した先にある領域に行ける瞬間なんです。そこに行くためには、俺の場合は身体を使うしかないんじゃないのかなと思って。自分の好きなアーティストを見ると、みんなすごく肉体的なんですよね、DJであっても。

──肉体的だけど、衝動だけではなくて、自分で絵を描くような設計図がありますよね。

そうですね。自分はその設計図があります。機材の種類、置き方から、左手と右手のコーディネーション、リズムの感じ方とか。そのうえで、AIで音楽をやっている。“AIジャズ”みたいな言われ方をしても全然いいんですよ(笑)。でもそう言われたときに、それを説明する責務は自分にあるなと思っていて。AIを使いこなすには、最終的に自分が身体を使って、その音楽表現を飼いならせないといけないと思います。

BIGYUKI

BIGYUKIがニューヨークで見つけた“日本人らしさ”

──やはりミュージシャンが使いこなすことができるかどうかですよね。ちょっと話が逸れるのですが、先日YUKIさんとお会いした現場に、美術家のシアスター・ゲイツも来ていました。シカゴ出身の彼は、以前から日本で陶芸を学び、日本の民藝にインスパイアされた「アフロ民藝」の展示や音楽活動でも知られています。ブラックカルチャーを根底に持ちながら日本との接点も探る彼の活動を通して、自分も日本のことを振り返る契機になったのですが、YUKIさんはニューヨークを拠点に活動を続けている中で、日本や日本的なものを意識することはありますか?

日本的なものについて思慮を重ねたことはないんですけど、自分が三重育ちなので「そこに和の象徴、伊勢神宮っていう神道の神社があるんだよ」とアメリカ人に話をすると、「あれ、日本って仏教じゃないの?」って聞かれるんです。だから「仏教も伝わって来たけど、両方とも多神教だから結局共存できた」と説明をしたりしますね。そんなやり取りをしていると、日本は外から来た影響を取り込める懐の深さはあるんだろうなと思うんです。手塚治虫の「火の鳥」を読むと、神道の神様と仏教の仏様がケンカする話とか、そういう描写がありますよね。「排他的で独自の進化を経た変なもの」というよりも、「もともと外から来たものを取り入れて生まれた新しいもの」のほうが、もしかしたら日本っぽさなんじゃないのかな。自分がアメリカに渡ってブラックミュージックと出会ったときも、そのコミュニティが受け入れてくれて、懐の深さに救われたんです。それと同じように、自分も新しいものを受け入れて、内包しながらどんどん進化していきたい。その感覚が日本人らしさなのかなと思ったりしますね。

──海外の人が日本のものを発見することが近年多いですよね。音楽でも、日本のジャズ、シティポップ、環境音楽のように、日本人が忘れてたり、関心が薄くなっていたりした音楽を海外の人が発見する。そういうものの魅力って、日本にいるだけだと気が付かないと思うんですが、YUKIさんは何か身近に感じているんじゃないでしょうか?

こういう話をパトリック・バートリー(サックス奏者)としてました。彼はたぶんそんじょそこらの日本人よりも日本のカルチャーのことに詳しいし、研究もしてるんです。例えばニューヨークだと、いろんなバックグラウンドを持った人間が狭いところにいっぱいいる。お互いがお互いをどういう人間なのかも、どういう危険をはらんでるかも知らない。そんな状況でそれぞれ自分を表現しながら、絶妙なバランスを保ちながら共存していく感覚がニューヨークのような都市部にはあるんです。それを英語ではスリック(Slick)って言うんですよ。日本語だとなんだろう、「カッコいい」なのかな? 日本の感覚だと、ニューヨークはみんな自由に自己表現してるように見えるけれど、実際には表現しながらもギリギリのところで共存していて、アンサンブルが完全に崩壊することはないんです。緊張感を保ちながらもずっと続いていくのが、すごくクールでカッコいい。でも日本は、例えばビバップをものすごく完璧に演奏する面がありながら、完全フリーの絶叫ノイズみたいなものもあり得る。そこがほかの国と違うんじゃないかとパトリックと話してたんですよ。俺が思う日本人って、すごく集中してゾーンに入ったときに自分をすごく飛躍できるんです。それがアートたり得るんじゃないかって。

──その飛躍はYUKIさんにはないんでしょうか?

たぶんスリックなほうに行きたいし、自分はけっこう真面目なんじゃないかなと思ったりもするんです。けど、壊れてしまうかもしれない怖さというか、何しでかすのかわかんない怖さを内包できたら、もっと表現に幅が広がる。他人のライブを観ていて、次の展開が想像できちゃうと、すぐに飽きちゃうんですよね。「こういうものなんだろうな」と思っちゃう。だから常に何かしら裏切られたい。その裏切られ方も、テイストフルであってほしい。だから、そういう怖さを自分にも内包したいなと思ってて。その怖さっていうのは、もしかしたら日本人が持っている何かなのかもしれません。

──微妙なバランスで、振り切れそうで振り切らないギリギリのところでやる感じですか?

嫌なふうに解釈されるかもしれないけど、アートの中でそういう表現ができるからこそ、普段はまともな人っていますよね。アートは人間の本当の狂気も表現できる。アメリカにいて、例えばR&Bを演奏しながら自分を極限まで持っていくことはあまりないんですけど、自分のバンドで演奏するときには、どこまで自分が壊れられるかに挑んでいるところがあります。白目剥いてよだれ垂らしながら絶叫するような精神状態に入れるか。ただし、ちゃんとそこから戻ってきて、ストーリーとして成立させるのが俺の責任だと思ってます。

公演情報

BIGYUKI「YAMASTE JAPAN TOUR 2026」

  • 2026年5月14日(木)大阪府 梅田CLUB QUATTRO
  • 2026年5月15日(金)東京都 渋谷CLUB QUATTRO

<出演者>
BIGYUKI with Randy Runyon & Jharis Yokley

プロフィール

BIGYUKI(ビッグユキ)

神戸出身のキーボーディスト / 作曲家。高校卒業後にアメリカのバークリー音楽大学に入学してジャズの理論や演奏法を学び、在学中からセッションプレイヤーとして活躍。その後はニューヨークに活動の場を移す。2016年には大手ジャズ専門誌「JAZZ TIMES」の読者投票キーボード奏者部門でハービー・ハンコック、チック・コリア、ロバート・グラスパーと並んで4位に。2016年に発売されたA Tribe Called Questの最後のスタジオアルバム「We Got It From Here…Thank You 4 Your Service」、および同年リリースのJ・コールのアルバム「4 Your Eyes Only」に参加し、いずれの作品も全米アルバムチャート1位を獲得。2017年にデビューアルバム「Reaching For Chiron」をリリースした。近年はAwich、椎名林檎、新しい学校のリーダーズなどとのコラボレーションでも話題を集めている。