あゆみくりかまき|みんなに感謝、みんなにサチアレ!!! ファンキー加藤、Kuboty、PABLO、TEAM SHACHIからのコメントも

あゆみくりかまきが6月19日に東京・EX THEATER ROPPONGIで行われるワンマンライブをもって解散する。3月にこのニュースが発表されると、SNSでは瞬く間にその情報が広まり、解散を惜しむ声が次々と書き込まれた。

2010年代のアイドル戦国時代に “関西の森”からやってきたあゆくま。クマであることとロックサウンドを武器に、2015年3月にメジャーデビューを果たす。しかし同年末にメンバーを乗せた車が事故に遭い、念願だった「COUNTDOWN JAPAN」のステージを断念。その後はCDセールスや集客に頭を悩ませながらも、またぎ(あゆみくりかまきファンの呼称)たちに支えられ、がむしゃらに活動を続けてきた。

2020年、新型コロナウイルスの流行を受けライブ活動をストップしたあゆくまは、改めて自分たちの将来と向き合い、解散という道を選んだ。くりかまきにあゆみが加わって7年という記念日5月5日にリリースされるラストシングル「サチアレ!!!」は、活動を支えてくれたまたぎにあゆくまが贈る希望に満ちあふれた作品。このインタビューではシングルに込めた思いはもちろん、あゆくまとして活動してきた7年について3人にじっくり語ってもらった。

また後半にはあゆくまの事務所の先輩であるファンキー加藤、あゆくまのバンドメンバーとして知られるKubotyとPABLO、ほぼ同時期に活動を始め、2016年にはイベント「何でこんな感じなんですか?ねーtion」でツーマンライブを行ったTEAM SHACHIが選んだ思い出の1曲と届いたコメントを掲載する。

取材・文 / 清本千尋 撮影 / 曽我美芽

あゆくまが大好きだからここまで続けてこれた

──あゆみくりかまきが解散という発表を受けて言葉を失いました(参照:あゆみくりかまき解散が決定、ラストライブはEX THEATER ROPPONGIで)。でも新型コロナウイルスが流行して、ライブが軒並み中止になったときに最初に「大丈夫かな?」と思ったのがあゆくまだったので、「やっぱりか……」というところもあって。

まき ホンマですか。

──ナタリーであゆくまにインタビューをするのはこれで7回目なんですが、これまでもずっとまたぎへの熱い思いを3人から聞いてきましたし、ライブでもまたぎと一緒に歌って踊っている姿が印象的なグループだったので、あゆくまからライブを取り上げてしまったら、それは果たしてあゆくまが本来やりたい活動なのかなと。

まき ああ……ありがとうございます。ライブができなくなってしまったというのは大きな理由ですが、それより前から解散という2文字はちらついていたんです。シングルやアルバムを出すたびにリリイベやワンマンをやってきたんですけど、セールスの数字や集客が伸び悩んでいたんですね。それでもライブでまたぎと会える喜びがあったからここまで続けてこられたんです。そんな中、コロナでライブができなくなって、改めて3人それぞれの将来を考えたときに、今のあゆくまの速度は見合わなかったというか。

あゆみくりかまき

──それぞれのライフプランを考えたときに、現時点であゆくまはもう少し上まで行っていないといけなかった?

まき そうですね。自分たちの実力不足もあって、目標としている場所までたどり着けなかったんです。それで昨年コロナになって足を止められたときに、3人でグループを続けるかどうかについて改めて話し合って、あゆくまはそろそろ終わりにするべきだと話がまとまって、チームや事務所の社長と何度も話して10月に「2021年6月19日に解散しよう」と決めました。

──あゆくまは途中であゆみさんが加入したり(参照:3人体制のくりかまき、「あゆみくりかまき」に)、クマの姿から人間の姿になったり(参照:「熊魂はずっとこの胸に」あゆみくりかまき、ツアーを終えて熊から人間へ)、交通事故に遭ってライブができなくなってしまったり(参照:あゆみくりかまき、交通事故で年内のライブ出演急遽キャンセル)、多くのターニングポイントがあったグループですよね。でもたくさんの逆境を乗り越えて7年続いてきたので、コロナ禍もきっと乗り越えてくれるのではないかと期待していたんです。3人とも話し合ったときには同じ気持ちだったということですが、くりかさんはいつ頃から解散を考えていましたか?

くりか

くりか 1、2年前くらいからですかね。自分たちのために解散したほうがいいんじゃないかと思い始めたのは。でもやっぱりまたぎの顔を見ると踏ん切りがつかなくて、突っ走ってきたんです。コロナで一度立ち止まって3人で話し合う機会があって、そこでやっと前を向いて解散という選択ができた。

まき 私だけかもしれないけど、くうちゃんとあゆの人生を背負っているという気持ちもあったんです。だから歩みを止めちゃいけないと思っていたし、ありがたいことに2人も私と同じようにあゆくまが大好きだからここまで続けてこれた。人生の半分くらいあゆくまのことだけを考えて生きてきたので、解散なんて冗談でも口にすることはなかったんです。それなのに3人が同じタイミングで「ここで終わりにしよう」と思えたことがすごいなと思います。

解散を発表してから

──解散を発表したニュースは大きな反響がありました。これだけ惜しむ人がいて、解散という決断を後悔しなかったですか?

まき 解散を発表する前は「本当にこれでいいのかな」「発表したら解散するしかなくなるな」って不安だったんですけど、発表したらもう後戻りはできないので吹っ切れましたね。Twitterでエゴサーチもしたんですけど、温かいメッセージがたくさんで「こんなにあゆくまは愛されてたんやな……」って。「武道館目指すって言ったじゃん!」とかそういう厳しい意見もあるのかなと思っていたのに、みんなの「あゆくまが大好き」という気持ちがあふれていたんですよね。皆さんに気にかけてもらえているときに終われるなんて自分たちはホンマに幸せやなと思いました。

くりか 「今までずっと一緒にいてね」とか「武道館まで付いてきてね」とかずっと言い続けてたのに解散という選択をしたので罪悪感もあったんです。日々またぎのみんなからの愛を感じていたからこそ、悲しませてしまうことが怖かった。でもまたぎはみんな「もちろん悲しいけど、この選択をしたあゆくまに最後まで付いてくよ」とか「あゆくまが決断したならちゃんと受け止めるよ」って言ってくれて。それですごく救われたし、これまでもらった愛を返せるように解散まで全力で突っ走ろうと強く思えました。

あゆみ

あゆみ 私は解散を発表してからは全部シャットアウトして過ごしていました。またぎを裏切ってしまったことがつらくて、怖くてSNSを見れなかったんですよね。くうちゃんから「あゆ大丈夫?」ってLINEが来たり、まっちゃんが一緒にいてくれて徐々に落ち着いてきたところで、マネージャーさんから「大丈夫だから見てみろ」って電話がかかってきたんです。道端で恐る恐るTwitterを見たら、またぎからの温かい言葉にあふれていて号泣してしまいました。今すぐにバイバイじゃなくて、ラストシングルも出させてもらうし、ライブもさせてもらえるんだから気持ちを整理しなきゃと思いましたね。解散を前向きに考えられたのは、チームあゆくまがいたからです。

──1月から2月にかけて行われた東名阪ツアー「ボクらの熊魂2021~BLACK & WHITE VALENTINE TOUR~」は、解散が決まった中でのツアーでした。またぎは解散を知らず、単純にひさびさのあゆくまとの再会を喜んでいたと思います。

くりか マスクをしたまたぎが笑顔で楽しんでくれている姿を見たら、「ごめんね」という気持ちになって涙が止まらなくなって……終わってから本当に申し訳なかったなと反省しました。まっちゃんも泣いてたよな。

まき バレンタインがファイナルだったんですけど、「MILLION」っていう「あなたに会えることが一番」っていうメッセージを込めた曲を歌ってるときはダメでした。

ももクロのライブで見えた希望

──2015年にメジャーデビューしたあゆくまですが、改めてここまでの自分たちの活動を振り返ってみていかがですか?

まき 3人の共通認識なんですけど、2015年発売の「心友フォーエヴァー」が1つのターニングポイントだったかなと思っていて。「蜜蜜蜜」(2015年発売)から次の「心友フォーエヴァー」でロックに振り切って、アイドルのあゆくまが好きだった層と少し距離ができてしまったんじゃないかなって。その頃から私の煽りも攻撃的になって「お前ら跳べ!」ってずっと叫んでて、リリイベではおじいちゃんおばあちゃんがたくさん観ているときまでそんな感じだったんです(笑)。今振り返ると周りが見えていなかったなと思います。そのあとクマから人間になって、2016年発売の「旅立ちの唄」で「NARUTO-疾風伝-」のエンディングをやったりもしたんですけど、なかなか集客は伸びずで……。「再生回数100万回達成します!」みたいな、またぎとした約束が1つひとつ守れなくなって、不安な中で活動していましたね。

──音楽性の変化も含め、ルックスもクマのアイドルから人間になるという大きな変化もありましたよね?

まき そうなんですよね。でも2018年にももクロさんのイベントに出させてもらって、そこでモノノフ(ももいろクローバーZファンの呼称)さんたちがあゆくまを気に入ってくれたんです。それ以降、ももクロさんのライブでまたぎになってくれた方たちもライブに来てくれるようになって、「ここからまたがんばろう!」と気を引き締めて「大逆襲」というアルバムをリリースしたんです。そのときに見つけた “HAPPY ROCK”という言葉と音楽を武器にここまでがんばってきたという感じですね。

──「心友フォーエヴァー」は、またぎには人気の曲だと思いますが、大衆受けはしなかった。それでもあゆくまはしばらくラウド路線の曲が続きますよね。

くりか あゆくまとしてもほかのグループとの差別化を図りたかったんですよね。アイドルが「心友フォーエヴァー」みたいなゴリゴリのロックをやっているというギャップを作りたかったんです。

まき

まき 「私たちはアイドルじゃねえ!」みたいな反骨心を持ってパフォーマンスしていた時期もありましたからね。いやいや、あゆくまはアイドルなのに、なんならクマだったのに……って今では思います(笑)。でもなんかあの頃はとにかくナメられたくなかった。昔の自分に声をかけるなら「無理せんでそのまんまでええんやで」って言ってあげたい。

──あゆみさんは当時を振り返ってみてどうですか?

あゆみ 私はもともとアイドル志望ではなかったので、「蜜蜜蜜」以前の曲より「心友フォーエヴァー」以降の曲のほうが好きなんです。だから当時は自分の好きな曲を好きなだけ歌えてうれしかったというか、やりたいことができてたんです。でもそれが「蜜蜜蜜」以前に付いていたファンの皆さんが求めているものではなかったと気付いたのはもっと先のことでした。

──2017年発売の「ゴマスリッパー」はかなりポップなロックチューンでした。

くりか ももクロさんきっかけでまたぎになってくれた人は、こういう振りコピが楽しい曲が好きみたいで好評でした。次の「絆ミックス」という曲が振りコピ曲ではなくて、コールを入れて楽しむ曲だったんですけど、そこでもまたぎとのギャップができてしまった気がしています。あゆくまがまたぎのことを理解できてなかったなって反省しました。最近はまたぎが楽しめるように振り付けを変えたりとかもしていたんですけど、当時は「なんで思うようにならへんのやろ」って思ってましたね。