浅井健一ソロアルバム「OVER HEAD POP」インタビュー|湧き出る“ポップ”をそのままに (2/2)

「赤いタンバリン」を聴いてどう感じるのかな

──ギターの録音に関してもお聞きしたいんですが、本作では曲によってL側でソロを弾いていたりR側にリードが用意されていたりと、いろいろと異なります。これはどこまで意識的に行っているんですか?

それはエンジニアに任せてるんだわ。今回はエンジニアが4人関わってるんで、どこにどの楽器を置くとかそれぞれの好みもあるんじゃないかな。全部お任せだから、いろんなパターンが出てきたんだろうね。

──そこに関しては、浅井さんから指示やリクエストはなく?

たまにすることもあるけど、今回に関してはなかったね。

──ギターの弾き分けに関しても、ベーシックなリフやバッキングを固めてから、さらに異なるフレーズを重ねていく形かと思います。そこも考えて弾き分けるのではなく感覚的にやっているんでしょうか。

そうだね。最初にみんなで「せーの」で録るんだけど、普段のギターのダビングはそこからワンクッション置いて自分の部屋でゆっくり録っていて。ただ、今回はレコーディングの時間があまりなかったんで、スタジオで録ったあとにすぐ1週間ぐらい篭りっぱなしでダビングしていくっていう作業だったかな。

──ポップさを表現するという意味では、前作までにあったようなアコースティックギターやピアノの音を用いることもできたと思うんです。

そうかもしれないね。ただ、今回はもっとシンプルにやりたくて。3人でできることに徹した結果、こうなったんだと思うよ。

浅井健一

──そういう意味では、リスナーが持つ浅井さんのパブリックイメージに近いサウンドでもあるのかなと。

ああ、3ピースのシンプルなサウンドね。それはあるかもね。

──かつ、全体的にポップでスイートで、ちょっとセンチメンタルな香りもある。きっとこういう浅井健一を待っていた人もたくさんいたんじゃないかなと思います。

そうだといいね。一番シンプルな形で最高の1枚ができたと思っているから、そういう人にも気に入ってもらえるんじゃないかな。

──タイミング的に、ちょうどBLANKEY JET CITYの楽曲がサブスク配信開始されたあとというのもありますし。より親和性が高いんじゃないかという気がします。

そうだね。ただ、俺は昔の自分の歌い方が必死になりすぎていたと感じることも多々あって。だからあんまり聴けてないかな。

──そうなんですね。浅井さんは過去に作ったご自身の作品を、あとから振り返ったりしないんですか?

もちろん振り返ることはあるし、大好きな曲もあるけど、「これはちょっと」っていうのもあって。例えば「もうちょっとソフトに歌えばよかったな」とか。だけど、当時は「ソフトに歌おう」とかそんなことまったく考えてないからね。

──その年齢ならではの表現ってありますもんね。

そうなんだわ。

──そこがリリース当時若かった自分に刺さったというのもありますし。でも浅井さんと同じように年齢を重ねてきたからこそ、今は「OVER HEAD POP」で表現されている音がよりリアルに刺さるんです。

ありがとう。俺も今はこういう表現のほうが好きだな。

──ちなみに、なぜこのタイミングでブランキーの楽曲配信が決まったんですか?

本当にたまたまだよ。夏前くらいにブランキーの元マネージャーから連絡があって「サブスクで解禁するからよろしく」と。もちろん「全然いいよ」ってことでOKしたよ。俺自身はサブスクは使ってないんだけど、どういうものなのかはわかっているし、そのマネージャーもブランキーのことが大好きで大事に思ってくれているんで、俺は全部を任せて「がんばってやってください」っていうことで。だから、俺はほとんど関わってないんだよね。

──何か狙いがあってこのタイミングになったというわけではないと。

そう、たまたま。ライブでも昔からブランキーの曲はやってるし、すごい盛り上がるんで、なんかうれしいよ。ライブはみんなですっごくうれしい気持ちになるのがすべてなんだなと最近はより思うな。自分の作ったすべての曲の中から自分が選んで、最高を目指して毎回挑んでますね。

──例えば、フェスのような場で初めてブランキーの楽曲を聴いた若い世代がサブスクで音源を探そうとして見つからない、ということがこれまでたくさんあったと思うんです。そういう意味でも、この配信を通じて後追い世代にも扉が開かれたんじゃないかなと。

まあそうだよね。今までそういうことを考えたことはなかったけど。でもどう思うんだろうね? 例えば「赤いタンバリン」をライブで聴いた人が、サブスクで昔のブランキーの「赤いタンバリン」を聴いてどう感じるのかなって。

──僕らが当時受けたように、今の若い子たちにも同じような衝撃があったらうれしいですし、そこから今回のアルバムにどんどんつながっていってほしいですよね。

その通りだね。

前を向いていかないといかんよね

──アルバム発売数日後には新たなツアー「OVER HEAD POP TOUR」が始まります。

前のツアーはノンアルバムだったから、全然違うものになると思うよ。もちろん前回は前回で盛り上がったんだけど、今回はポップなアルバムがあるし、最高のツアーにしようと思う。

──ニューアルバムの曲以外に、過去の楽曲でどういうものが選ばれて新曲と混ざり合っていくのかもすごく楽しみです。

そうだね。どの楽曲をやるかは本当に悩むところで、今日も朝からそれを考えてたところだから。ただ、みんなが何を聴きたいかとか考え始めると収拾がつかなくなるんで、最終的には自分がやりたい曲を選ぶつもり。

浅井健一

──楽しみにしています。浅井さんも気付くと今年の12月で……。

60歳。今のところ健康だけど、びっくりだよね(笑)。

──ここ数年、浅井さんと同時代に活躍したアーティストや大先輩方が急逝するニュースが続いているので、本当に健康でいてほしいなと思っています。

ありがとう。でも、寂しくなっちゃったね。

──個人的なイメージですが、浅井さんは常に前を見ている印象が強くて。だからこそ、これまでのご自身の音楽活動や過去を意識的に振り返ることがあるのかなと。

意識的かどうかわからんけど、やっぱりこういうインタビューの場面で振り返らされるよね(笑)。

──そうですよね(笑)。

普段は自分からはあんまり振り返らんからね。さっき別のインタビューでもチバ(ユウスケ)くんが死んじゃってどう感じてるかと聞かれて、「めちゃめちゃ寂しい」って話したけどさ。ほかにも「あのときはああだったよね」とか、いろんな話を振り返ることになるじゃない。でも過去にとらわれても仕方がないんで、もう前を向いていこうよっていう。今回の「けっして」もそういう歌だしね。もちろん振り返ることが大事なときもあるけど、最終的には前を向いていかないといかんよねっていう。そんだけのことだね。それはいつの時代の誰にとってもそうでしょ。

大事なのは想像力

──では、60歳を迎えて以降の音楽人生については今どう考えていますか?

なるようになる。自然に任せるよ。もちろん音楽はずっとやるつもりだけどね。でも、このツアーが終わったらちょっと絵を描こうかなと思ってる。絵を描くの、すごく面白いんだわ。今まで音楽はめちゃめちゃ作ってきたじゃん。絵もけっこう描いてきたけど、まだ音楽ほどは作ってないと思うんだよね。

──音楽に関してはこの三十数年、コンスタントに楽曲を発表していますもんね。

たぶん500曲ぐらいは作ってきたんじゃないかな。音楽も絵も、両方とも大事なのは想像力なんだわ。音楽は楽器とアンプ、絵はキャンバスと筆と絵の具があって、そこからその人の想像力で自由に作るっていう。同じだよね。ただ、絵は目に見えるけど聞こえないじゃん。音楽は聞こえるけど目に見えない。

──それぞれ生み出しているものの形は違うけど……。

作るときはやっぱり痛みみたいなものがあって、それはどっちも同じだね。

──浅井さんは何十年も曲を作り続けていますが、今でも産みの苦しみや痛みって感じるんですか?

痛みって言ったらオーバーだけど……要は機嫌が悪くなる(笑)。レコーディング中は家族とかに対して、ちょっと機嫌が悪いと思うよ。ずっと音楽のことを考えてるからね。ある部分の一節が出てこない状態とか、やっぱりフラストレーションがどこかにあるんだと思う。

──音楽にしろ絵にしろ、60歳になるまで没頭できることがあるって素敵なことですよね。

みんな違うんかな……君は何に没頭しているの?

──僕はこういう仕事をしているのもあって、文章を書いているときが一番没頭しているかもしれません。浅井さんほどではないですが、「ここにうまく収まる言葉はほかにないか?」と悩むことも多くて。でもなんだかんだでその過程も楽しんでいますし。

文章を書くことも創作だもん。それがうまくできたときはうれしいよね。

──そうですね。自分の色というのもあると思っていますし、特に50歳を超えてからは先のことも考えながら、できるだけ長く続けたいなと思っています。

何事もそうだけど、長く続けるんだったらNo.1にならないと。だからNo.1のライターさんを目指さないとね。

──最後にこちらが素敵な言葉と勇気をいただきました。ありがとうございます!

浅井健一

公演情報

Kenichi Asai Autumn Tour

  • 2024年10月12日(土)栃木県 HEAVEN'S ROCK Utsunomiya
  • 2024年10月19日(土)静岡県 LiveHouse 浜松 窓枠
  • 2024年10月20日(日)長野県 ALECX
  • 2024年10月26日(土)岡山県 YEBISU YA PRO
  • 2024年10月27日(日)京都府 磔磔
  • 2024年11月2日(土)宮城県 darwin
  • 2024年11月4日(月・振休)北海道 小樽GOLDSTONE
  • 2024年11月9日(土)福岡県 DRUM Be-1
  • 2024年11月10日(日)宮崎県 LAZARUS
  • 2024年11月16日(土)愛知県 中日ホール
  • 2024年11月17日(日)大阪府 ユニバース
  • 2024年11月22日(金)東京都 EX THEATER ROPPONGI

プロフィール

浅井健一(アサイケンイチ)

1964年生まれ、愛知県出身のミュージシャン。1991年にBLANKEY JET CITYのボーカル&ギターとして、シングル「不良少年のうた」とアルバム「Red Guitar and the Truth」でメジャーデビューを飾る。数々の名作を残し、2000年7月に惜しまれつつ解散。その後、SHERBETSやJUDEなどさまざまな形でバンド活動を続け、2006年7月にソロ名義では初となるシングル「危険すぎる」、同年9月に初ソロアルバム「Johnny Hell」を発表した。2016年5月に新たなソロプロジェクト・浅井健一 & THE INTERCHANGE KILLSを始動し、2017年3月にアルバム「METEO」を発表。2021年4月には約1年半ぶりのソロアルバム「Caramel Guerrilla」をリリースした。同月末には浅井とUAが中心となって結成したバンド・AJICOを20年ぶりに再始動させ、その後楽曲リリースやツアー開催など精力的に活動を続けている。2024年10月に約3年半ぶりのアルバム「OVER HEAD POP」を発表した。