ガールズアイドルグループ・24emotionsが8月29日に東京・WWW Xで初のワンマンライブ「圧倒的逆境を乗り越えろ! ~初ワンマンライブで奇跡おこせミラコー~」を開催する。
GACKTからAKB48まで数々のアーティストに携わってきた鮫島巧が、本気でアイドルをプロデュースしようと2022年に設立したAXY entertainment。24emotions、通称“にーよん”は、この事務所が送り出す最初のグループだ。オーディションで数百人の中から研修生として選ばれたメンバーが半年ほどかけて厳しいレッスンを積み、その中から抜擢された5人が今年3月にステージデビューを果たした。
6月に公開されたオリジナル楽曲「Miracle Mirror」のミュージックビデオでは、5人が王道のアイドル衣装を脱ぎ捨て、ガールズクラッシュ感あふれるビジュアルに。大幅なイメージチェンジに挑んだ結果、YouTubeでの再生回数が50万回を突破するなど国内外から大きな反響を獲得した。アイドルらしいかわいらしさ、J-POPならではのキャッチーなメロディを意識しつつ、プロデューサーチームが得意とするEDMとロックをミックスさせたサウンド、それに合ったハイレベルなダンスをメンバーとプロデューサーが一丸となって突き詰めている。しかし、その一方でライブの集客面で壁にぶつかり、目前に控えるWWW Xワンマンが大きなハードルになっていることも事実だという。音楽ナタリーではメンバー5人と鮫島プロデューサーへのインタビューを行い、グループの成り立ちやオーディションを受けた経緯、初ワンマンへの思いなどを聞いた。
取材・文 / 真貝聡撮影 / 佐々木康太
新しいスタイルのアイドルを作りたかった
──まずはグループの成り立ちから教えていただけますか?
鮫島巧 これまで僕は自身のアーティスト活動から芸能事務所の運営まで、この業界で25年間戦ってきました。しかし、コロナ禍以降はイベントができなくなったり、スタッフの人員削減をしなければいけなくなったり、以前とは状況がガラッと変わりまして。自分が40代になったのもあり、シフトチェンジをするいいタイミングだなと思ったんです。それで真っ先に思い浮かんだのが、これまでやったことのないチャレンジをするということ。そこでこれまでもパートナーとして一緒に仕事をしてきたプロデューサーやインベスターに声をかけて、AXY entertainmentという音楽事務所を立ち上げました。目標は新しいカルチャーを作ること、アジアを制覇するコンテンツを作ることの2つ。どんなジャンルで戦っていこうか考えた結果、まずはアイドルグループを作ることにしました。
──鮫島さんはロックシーンで活躍されてきた方なので、アイドルグループを作られたことは意外に感じました。
鮫島 未知の領域のほうが、新しいクリエイティブができると思ったんですよね。パートナーのプロデューサー陣はバリバリアイドルをプロデュースをしてきた人たちなので、十分勝機はあるだろうと。ただ懸念点もあって、当初、人集めの段階では自分の名前を表に出せなかった。僕はGACKTさんの仕事も続けてましたし、鮫島巧という名前が出てしまうと、どうしてもそっちにも影響が出てしまう。なので、素性を明かさず、ひっそりとオーディションの募集をかけました。
──応募は集まりました?
鮫島 名前を出せない分、ホームページのクオリティを高くすることと、怪しいオーディションに見えないように細心の注意を払いました(笑)。結果として300人ほどの応募がありまして、毎日面接をしつつ、SNSでいろんな子をチェックしてはスカウトのDMも送りまくって。そんなこんなで、大勢の中から20人が最終候補に残り、そこから鬼のように厳しいダンスレッスンが始まりました。半年ほどみっちりトレーニングをして、それを勝ち抜いたのがこの5人です。時系列としては、去年8月に会社を立ち上げて、今年1月にデビューメンバーを決めて、2月にデビュー曲のミュージックビデオを撮って、3月にMVの公開と同時に関係者に向けたショーケースを開催して、毎月MV撮影とレコーディング、6月に1stアルバム「Time 2 Shine 4 Us」の配信リリース……と、とにかくすべてを急ピッチで進めていきましたね。
紆余曲折を経て受けたオーディション
──メンバーそれぞれの経歴と、オーディションを受けたきっかけも聞かせてください。
ピースフル・ユラ 私は小学1年生から中学3年生までクラシックバレエを習っていました。将来はバレエダンサーを目指していたんですけど、身長とかいろんな問題があって、ほかのジャンルのダンスに切り替えたんです。高校生になってK-POP系の養成所に通い始めて、オーディションもたくさん受けましたが、なかなかチャンスをつかめなくて。気付いたら高校3年生になっていました。大学生になるにあたって、夢はあきらめて学業に専念しようと思っていたら、お母さんに「せっかくだから、最後に何か受けてみれば?」と言われて新たにオーディションに応募しました。
──どうしてAXYを選んだのでしょう?
ユラ 巧社長がおっしゃった通り、ホームページがめちゃくちゃしっかりしていたんですよね(笑)。そのうえ、プロジェクトの内容も緻密で「ちゃんとしてる事務所だな」と感じたんです。あと、先にレッスンしている子たちの練習風景の動画を観て、すごく志の高い子たちが集まっていることが伝わってきたので「ここなら自分の夢を叶えられる」と思って応募しました。
セレニティー・クルミ 私はアイドルに憧れて、小さい頃からダンスと歌を習っていました。中学卒業のタイミングで「芸能事務所を作るから、一緒にやらない?」と声をかけてくださった方がいて、最初は地下アイドルとして活動していたんです。だけど運営がうまくいかず、メンバーも脱退して、1年も経たずに解散してしまって……その後は普通に高校生活を過ごしていたんですけど、やっぱり歌って踊る夢を捨てきれなくて、そんなときにオーディションのスカウトメールが来たんです。それはAXYではなくて、違う事務所からだったんですけど。そこでまたレッスンをがんばっていたものの、今度はデビュー間際で話が白紙になってしまって。そしたら知り合いのプロデューサーさんから「AXYのオーディションを受けてみないか?」と声をかけてもらって、巧社長とお会いしたんです。「ここだったら本当にデビューできるかもしれない」と思ってラストチャンスのつもりで応募しました。
アメイズド・ハルナ 私は3歳からダンスをやっていて、ゆくゆくはダンサーになることを目標に活動していました。17歳のとき、通っていたスタジオの先生から「ダンス&ボーカルグループのオーディションがあるから受けてみない?」と誘ってもらって、ありがたいことにデビューすることができたんです。だけど喜んでいたのも束の間、いろんな問題が起きて半年で解散して。再びスタジオに通う日々が続いて、20歳になったタイミングでダンスのインストラクターになったんです。それで生計は立てられてはいましたが、やっぱりアーティストになる気持ちを捨てられなくて。韓国のグループのオーディションも受けて、最終審査までいったものの、コロナで企画ごと白紙になっちゃいました。
──再び振り出しに戻ったと。
ハルナ 「ああ、またダメだった」と思っていたら、AXYからスカウトのDMが来たんです。それもちょっと奇跡的だったんですよね。普段は1通1通チェックしないんですけど、メッセージボックスを覗いたとき、そのDMが1番上に来ているタイミングで。試しにオーディションのホームページを見たら気持ちが動いたんです。プロデュースに対する理念が丁寧に書いてあって。これがアーティストを目指す最後のチャンスだと思い、巧社長とお会いしました。そして会社の成り立ちや将来の展望を直接聞いたときに「私の居場所はここだ」と思いました。
スーパーハッピー・サクラ 私は高校1年生のとき、オーストリアに1年半ほど留学をしていて。当時ドイツ語を話せず、どうにかしてお友達と仲よくなる方法はないかなと思い、地域の合唱団に入りました。教会で歌ったり、会場を借りてコンサートをしたりして「言語がわからない人同士でも、歌うだけで心が通じるんだ」と感動したんです。あとはホームレスの方の前や、難民キャンプにも出向いて歌ったんですけど、私たちの歌を聴いて涙を流してくれる方がたくさんいて。「国境を越えるってこういうことなんだ」と身をもって知りました。
──それが歌の原体験なんですね。
サクラ はい。そのあと留学を終えて、大学に進学するタイミングで上京しました。一時期は別のアイドルグループで活動していましたが、コロナで思うように活動ができなかったり、周りの友達が就活しているのを見たりして、「このまま夢を追い続けていいのか」と年齢的なことも含めてすごく悩んだ末に、アイドルになることをあきらめました。それでウェブマーケティングをしたり、YouTuberさんと一緒に企画を作ったりするコンサル系の会社で働き始めたんですけど、自分の信念を持って動画を発信しているYouTuberさんを間近で見たことで、私も発信する側になりたい、と触発されたんです。何より「音楽の夢をあきらめたままで、私は後悔しないのか?」と自分自身に問いかけて……やっぱり私は歌うことをあきらめられなかった。それでアイドルとかボーカリストのオーディションを調べまくって、一気に十数件ほど応募しました。偶然にもその中で最初に受けたオーディションがAXYで、ほかにも面接の予定があったんですけど、巧社長とお話をさせていただいて、AXY以外はすべて辞退しました。「ここでがんばりたい!」と思ったんです。
クリティカル・サキ 私は大学進学のタイミングで、初めて真剣に進路のことを考えました。子供の頃から少女時代さんやKARAさんとか、とにかくK-POPが好きで、自分も歌って踊りたいと思ったんです。それで歌手を目指すため、音楽の専門学校に通うことにしました。主に歌を習いながら、ときどきオーディションを受けていたんですけど、結局何の結果も出せずに卒業を迎えて。そのあとは友人と一緒にライブ活動をしたり、オーディションを受けたりしていたんですけど、コロナ禍で活動が一切できなくなってしまい。でも音楽への熱は冷めなかった。それで、とあるアイドルオーディションに合格したんです。でもデビューできて喜んでいたら、プロデューサー陣とメンバーがケンカして活動を終了することになってしまって……ちょうどそのタイミングで「AXYって事務所のオーディションがあるから受けてみたら?」という話をいただいて今に至ります。
──話をお聞きすると、それぞれ紆余曲折を経て、絶好のタイミングでオーディションを受けたんですね。
クルミ 運命的なものをすごく感じました。
ハルナ 巡り合わせを感じるよね!
鮫島 ほかにも運命的な出来事が重なりました。AXYのインベスターの何人かはもともと音楽業界の人ではないのですが、芸能の事業を新しく始めて、その事務所にクルミがいたんです。僕が事務所を立ち上げようと思ったタイミングで話をしに行ったときに、ちょうど彼らもプロデューサー探しに行き詰まっていると聞いて「新しいグループを作るので、所属している子をみんな預かりますよ」という話になり、クルミにもオーディションを受けてもらいました。僕に話してくれた次の日に、avexのプロデューサーに相談するつもりだったらしいんですけど、「巧さんにお願いしたいです」と言ってくれて。1日ズレていたらクルミとも会えなかったし、彼らとも出会っていなかった。そういう運命的な出来事の連続で、24emotionsは誕生しているんですよね。
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こんなにも数字が上がらないのか