中年女性2人の人生の流れを感じられた第2話
──1話についていろいろ語っていただきましたが、一番お好きなエピソードはやはり1話ですか?
1話ももちろん好きですが、どれか1つを選ぶなら2話です。2話はほかの話に比べると割とマイルドで心温まる話なんですが、登場するキャラクターの描写にとても胸を打たれました。
──2話は、学生時代からの友人同士で一緒にラーメン店をやってきた中年女性2人の確執が描かれる話ですね。
第2話「秘伝のレシピ」
依頼人の夏(ナツ)は人気ラーメンチェーン店の女社長。学生時代の親友・林貞(リン・ジェン)とともに開いた小さなラーメン店・林夏麺館を長年2人で協力しながら大きくしてきたが、ある日、厨房担当の林貞が店の看板メニューのレシピを夏に教えないまま店を去ってしまう。夏は裏切った林貞がその味を売りに新たに独立することを恐れ、レシピを入手してほしいと依頼するが……。
そのゲストキャラクターの女性2人の関係性を、若い時代だけでなく、中年になって以降もしっかりと描いたのがフレッシュに感じました。少し批判的に聞こえるかもしれませんが、日本のアニメに登場する女性キャラクター……というと圧倒的に10代か20代前半の若い女子が多いですよね。それもあって、女性の描き方の幅が狭まっている面もあるように感じることも多くて。もちろん日本のアニメでも中年以降を描く作品がないわけではないですが、メインキャラとして重みを与えられることは少ない。しかし「時光代理人」の2話では女性2人が若いときに出会い、一緒に仕事をしてきて女性差別に晒される場面もさらっと挟みつつ絆を深めながらも、歳を重ねていくうちにすれちがう……という、リアルな重みのある人生の流れをしっかり描いていました。そういう流れをアニメで観られたのがとても新鮮でしたね。本作のように「青春時代」を特別視しすぎず、大人時代をちゃんと豊かに描く作品をもっと観たいですよ。視聴者にとっても人生は中年以降のほうが長いわけですし!
──「時光代理人」はおじさんやおばさんのゲストキャラも多いですよね。
はい。主人公2人は現代的なキャッチー&スタイリッシュなデザインで素直にカッコいいんですが、一方で中年の男女など「普通」のサブキャラの造形もかなり考えられていると感じます。それは「(ふだんアニメで光が当たらないような)現実社会で起きていることや現実で生きる人をしっかり描けばアニメは面白くなる」という作り手の信念の表れでもあるんだろうなと。
──2話についてですが、あそこまでストレートなハッピーエンドな話も少ないですよね。ほかにも男女の恋愛がテーマの6話もハッピーな終わり方ですが。
番外編 第6話「手合わせ」
内気な少年・劉思文(リウ・スーウェン)は上級生に絡まれていたところを、欧陽(オウヤン)という少女に救われる。頼もしい欧陽に一目惚れした劉思文はその場で思わず告白してしまう。時が経ち、大人になった劉思文は欧陽に結婚してほしいと告げ、彼女の父に許しをもらいに行く。だが、結婚を認めてもらうためには武術の達人である欧陽の父との手合わせで勝たなければいけなかった。何年も手合わせに挑むも欧陽父の秘技の前に負け続けた劉思文は、ひょんなことから知り合ったリンに、わずかな望みを託す。
深刻な5話の後にいきなりユルめな(笑)話がきたので意表を突かれました。
──本国では番外編の5.5話として配信されたものだそうです。
6話、かなり好きですよ。あえて古臭い話運びで、ずいぶん古典的な男女恋愛話だなーと油断して観てたんですが、キャラがだんだん年老いていく後半は「そ、そこまで……」と戸惑いつつも、謎の感動がありました。6話のラストで「物珍しい題材を探すのではなく、ありふれた題材を非凡なものへと変える。」という写真家エドワード・ウェストンの言葉が引用されますが、まさに古典的ラブストーリーという「ありふれた題材」を、2話とも通じますが中年から老年期まで掘り下げることで「非凡な物語」に磨き直しています。これが本作に通底する姿勢なんでしょうね。
文化も政治体制も違う国に住む人のことに思いを馳せる
──2話の2人以外で印象に残っているゲストキャラクターはいますか?
7話から始まった子供が誘拐される話の、犯人のおばさんが妙に印象強いです。あのおばさん、明らかに悪人なんですが、「中年女性」であることはことさらに強調されず、不思議なほど女性蔑視(ミソジニー)的な要素が薄いようにも感じて、フラットな描き方だなと。男とか女とか関係なく、こういう悪い奴、人生を間違えた奴っているんだろうな……という変な生々しさがありましたね。2話で中年女性のキャラを丁寧に描いていたからこそですが、本作の女性描写の幅広さを示す一例とも言えます。
第7話「消えた息子」
人気のミルクティー店を切り盛りする李亮(リー・リャン)夫妻。店は繁盛し忙しく働く李亮夫妻だったが、息子の豆豆(ドウドウ)は遊びたい盛り。母親に遊んでくれとせがむ豆豆に父親の李亮はスマホを渡し、外のテーブルでおとなしく見ているようにうながす。しばらく時間が経ち、ふと外に目をやるとそこにいるはずの豆豆の姿はなく、スマホだけがテーブルに置かれていた。豆豆が失踪してから3年、なんの手がかりもなかったが、写真の中に入れる人がいるとの噂を聞きつけた李亮は時光写真館を訪れる。
──確かに例えばあの犯人が男であっても、問題なく成立するような話だったと感じます。
この作品はそうしたバランス感覚が秀逸なんです。7話でいうと、冒頭の母親が追い詰められていくシーンは強烈でした。繁盛している小さなミルクティー店で働いている母親に、子供が「ママ、ママ」と構ってもらいたがる。それだけの地味な場面なんですが、何かが今にも崩壊しそうな、とんでもない緊迫感がありました。母親は忙しすぎてつい子供をないがしろにしてしまい、それが誘拐事件という悲劇につながってしまう……というつらい場面なんですが、その描き方のバランスが絶妙です。放置されるのは子供としてはつらいし、傍から見れば不用心にも思えるけど、その緊迫感ある描写で「お母さんもいっぱいいっぱいなんだよ……!」という母親への共感も呼び覚まして、どうにもやりきれない感情が残る。だからこそラストは心温まるわけですが。そうした複雑な味わいを成り立たせる絶妙で繊細なバランス感覚は、本作最大の美点です。
──ここまでは割とジェンダー的な話が多かったですが、「時光代理人」はそのほかにも時事的なネタや社会問題にも触れられるのがユニークです。例えば中国における都会と地方の極端な格差であるとか。
「時光代理人」で地方格差の問題はかなり執拗に描かれますよね。都会と地方の間にはどうしても超えられない壁があって、ひとたびそこに囚われると簡単に覆せない……という、まさに現実的な問題だと思うんですが、そうした部分も決して美化せず描くし、田舎の人々や景観も理想化せずに描写していて、妙にリアルな迫力を生んでいます。それでも愛すべき人々だし、景観が失われたら悲しい……という塩梅もうまい。少し話がずれますが、「羅小黒戦記」で私が大好きなのが、主人公のシャオヘイと師匠のムゲンが街を歩くシーンなんです。あそこでは中国の普通の人々の生活や動作がさりげなく、でも実はかなり丁寧に描かれる。そのシーンがあってこそ、シャオヘイの心変わりや終盤の展開が活きるんです。「時光代理人」でも、中国で暮らすそれぞれ悩みや問題を抱えた普通の人々が数多く描かれます。中国は文化・政治体制など、日本と違う点も多いので「近くて遠い国」のように感じる人は多いかもしれませんが、当然ながら人々には普通の生活があり、私たちと同じように日々悩んだりしているんだ……と体感できる意味でも、アニメの力は大きいんじゃないでしょうか。
──ぬまがささんが描かれる生き物の解説にも時事的な要素を盛り込むことがありますよね。そういった部分で「時光代理人」にシンパシーを感じますか?
私の作品と比べるのは畏れ多いのですが(笑)。私が時事ネタやパロディを好むのは、興味を引くフックになるという現実的な理由もあるんですが、読み手と同時代を生きている感覚が味わえて楽しいから、というのも大きいかもしれません。もう少し掘り下げると、私の動物図解はあくまでエンタメとはいえ、「動物ってかわいいよね」とか「癒されるよね」だけでは済ませたくないなと。例えば動物や人間を脅かしている環境問題のような、いま確かに存在する「現実」と接続させたいという思いは強いです。時事ネタとかもその一環と言えなくもないかも……。「時光代理人」のようにエンタメと現実の接続が巧みな好例を見ると、1人の作り手として感銘を受けるし元気も湧きますね。