「ラスボス少女アカリ」ジャンプTOON屈指の人気作をライターのレビューで深堀り

ジャンプグループによる縦読みマンガアプリ・ジャンプTOONが今年5月に創刊され約半年。現在その連載作として多くのファンを獲得している作品の1つが、「ラスボス少女アカリ~ワタシより強いやつに会いに現代に行く~」だ。同作は「新米オッサン冒険者、最強パーティに死ぬほど鍛えられて無敵になる。」の岸馬きらくと、酒ヶ峰あるのタッグで制作されている。

「ラスボス少女アカリ」のどんなところが読者を惹きつけているのか。コミックナタリーではマンガライター・小林聖によるレビューを通し、その魅力を掘り下げていく。

文 / 小林聖

今っぽい異世界ものの爽快感と、クラシカルな王道少年マンガらしさの融合

1万年もの間誰にも倒されることのなかった魔王・アヴァロンが、自分を倒せる存在を求めて別の世界に転生。転生した先はモンスターが現れるようになった現代世界で、アヴァロンは自殺した少女・アカリの体を借りて無双していく。

最高難易度のダンジョンのラスボスとして生まれたものの、誰にも倒されることがなかったアヴァロンは、自分を倒す存在に出会うため別世界に転生する。

最高難易度のダンジョンのラスボスとして生まれたものの、誰にも倒されることがなかったアヴァロンは、自分を倒す存在に出会うため別世界に転生する。

アヴァロンが体を借りることになった女子高生・アカリは服毒自殺を図ったばかりだった。

アヴァロンが体を借りることになった女子高生・アカリは服毒自殺を図ったばかりだった。

あらすじを追うと、いわゆる転生ものの王道作品という感じだが、本作の魅力は今っぽい異世界ものの爽快感と、クラシカルな王道少年マンガらしさが融合しているところにある。

誰が読んでも気持ちいい、高水準な王道展開

「ラスボス少女アカリ」の第一の魅力は何といっても爽快感だ。

アヴァロンが体を借りることとなったアカリは、モンスターを倒すハンターとしての能力が絶対的な価値を持つ世界で、その才能に恵まれなかった少女。それゆえにハンター学校でバカにされ、苛烈なイジメを受けて自殺してしまった。そんなアカリに入れ替わったアヴァロンは、強烈な力でイジメをしていた相手を一掃し、スクールカーストの頂点に立つ名家の令嬢をも軽くひねってしまう。

この手の展開は言ってみればベタだ。はじまった瞬間から読者全員が先の展開を予想できるし、わかっているからこその面白さもある。そして、そういう王道中の王道展開を飽きずに読ませるのは難しい。下手にやればただ見飽きた話になってしまうのだが、本作にはグッと引き込むパワーがある。

人の持つ可能性を説くアカリ。

人の持つ可能性を説くアカリ。

1つはアカリをはじめとしたキャラクターの魅力だ。アカリはかわいらしい見た目と誰も寄せ付けないほどの強さというギャップを持つキャラクターだが、内面的な魅力も大きい。圧倒的な強さを持つ魔王として生きてきた彼女は、精神的に達観したところがあり、屈折したところがない。絶対的な強者ゆえの傲慢でもあるのだが、立ち向かってくる人間をバカにするようなところがなく、明るく導いていくようなところすらある。子供と楽しそうに遊ぶ、まるでごく普通の人間のような姿を見せる場面もあったりする。このキャラクターがあるからこそ、彼女がどんなふうに勝っていくかを見届けたくなるのだ。

敵として戦うキャラクターたちも多彩だ。まさにテンプレクズという感じのいじめっ子や倫理観ぶっ壊れ系の邪悪キャラ・間島純平といった胸クソキャラもいれば、学園一の実力者ながら意外とおバカでかわいいお嬢様・間島華南、ミステリアスな秋山瞬など、惹きつけられるキャラクターもいる。胸クソ系を叩き潰す爽快感だけでなく、バトルを経てアカリとどう関わっていくかが楽しみになる人物が多数登場するのだ。

そして、バトルシーンも気持ちよさが詰まっている。縦読みマンガはスマホなどをスクロールして読んでいく形式なので、従来の横読みのマンガの見開きのように物理的に大きなコマが使いづらい。バトルの迫力を出したり、空間の広さを演出するには、工夫が必要になってくる。

「ラスボス少女アカリ」は、そういった縦読みの特性の中で爽快感のあるアクションを作っている。例えば第6話、電撃系の能力を操る間島華南が、大技・エレキギドラを放つ場面。電撃で作った巨大な竜の姿自体もケレン味があるが、そのワンシーン前に挿入された、華南が作り出したのであろう竜を見上げるアカリのさりげない1コマこそが、この大きさや迫力を引き立てている。同じく第6話で技を放つ前にワンモーションを入れて、寄りのアングルでも動きがわかりやすいようにしてあるシーンなども、縦読みならではの演出だろう。

裏主人公・間島華南たちの熱血少年マンガ展開

そんな爽快感溢れる「ラスボス少女アカリ」だが、もう1つの魅力がある。王道少年マンガのエッセンスだ。

本作の主人公はアカリなのだが、物語を駆動する原動力は意外と彼女ではなかったりする。「ラスボス少女アカリ」ではさまざまな敵役が現れるが、それは自分を倒せる存在に巡り合うことが目的のアカリにとって、本当の意味で敵というわけではない。例えば、アカリが最初に叩きのめすいじめの犯人たちは、転生前の少女・アカリにとって許せない相手だが、アヴァロンにとってはそれほど因縁があるわけではない。その後対峙する間島純平も、圧倒的に邪悪な存在だが、やはり彼を本当に憎むのはその妹・間島華南だ。

この作品では、支配構造や格差、いじめといったところと結びついた敵が次々と現れる。だが、アカリはその当事者というより、神視点に近い存在として関わっている。理不尽な世界を変えたいと願っているのは、華南をはじめとしたこの世界の普通の人間たちなのだ。

絶対的な強者であるアカリに立ち向かう華南。

絶対的な強者であるアカリに立ち向かう華南。

特に華南は裏の主人公といっていい。登場時は高慢な学園の支配者といった印象の彼女だが、心の内では兄・純平には絶対にかなわないという無力感を抱えている。ハンターとしての能力は、生まれつきの才能がほとんどを決めてしまうからだ。そんな彼女が、アカリと出会うことで才能の限界を超え、諦め悪く戦うようになっていく。その姿はまさに王道少年マンガ的だ。

アカリを中心に見れば無双系。だが、華南たちを中心に見れば泥臭い努力と根性の王道少年マンガ。このハイブリッド感が、本作を読んでいて熱くなってしまうポイントだ。

世界の謎と絶対的ラスボス・アカリの行く末も気になるポイント

さて、そんな本作にはさらに1つ、物語を牽引する要素がある。世界の謎とアカリの行く末だ。

現時点での物語の中心は、人間社会の戦いだ。モンスターが現れるようになったことで国家をも超える力を持ったハンター協会や、才能と力で理不尽がまかり通る社会に、絶対的な力を持たない人々が抵抗していく、その姿がメインといっていい。

アヴァロンを生み出した神。絶対の信仰の対象である自分をアヴァロンに倒させることで、アヴァロンを究極のラスボスとして世界に君臨させた。

アヴァロンを生み出した神。絶対の信仰の対象である自分をアヴァロンに倒させることで、アヴァロンを究極のラスボスとして世界に君臨させた。

だが、そんな中でより大きな謎も見え隠れしている。アヴァロンを「絶対的なラスボス」として作り出した神の存在や、アヴァロンが住んでいた世界とアカリたちの世界で同じような体系の魔法・スキルが使われていること、突如としてモンスターやスキルといったゲームのような存在が現れたことなど、この世界の成り立ちに関わる要素がちりばめられている。進んでいった先に、一体どんな秘密が待っているのかというのが、気になるポイントだ。

そして、何より気になるのはアカリの行く末である。前述のとおり、アカリの目的は「自分を倒す存在に巡り合うこと」だ。最強のラスボスとして生み出されたアカリ=アヴァロンは、全力で戦うことができないどころか、あまりの強さに挑んでくる者すらいなくなったことに絶望して異世界へとやってきた。

それは、変わらない世界に飽きたというより、本気でぶつかり合える存在がいない孤独さからの行動に見える。だからこそ、アカリは華南のように、諦めの悪い、限界を超えようとする人間を育てようとする。それは、単純に自分を倒す人間を育てたいというだけでなく、一種の友情にも思える。

絶対的な力を持つアカリは、すでに完成されたキャラクターのように見えるが、実は本当の自分の望みがなんなのか、つかみきれているわけではない。「全力で戦って負ける」というのももちろん願いだが、なぜそう願うのか、彼女が本当に見たいもの、手に入れたいものはなんなのかは、実はわかっていないように思える。

物語の最後、彼女は本当に誰かに倒されるのだろうか。だとしたら、誰にどんなふうに、何を語って倒されるのか。

無双系作品のフォーマットを踏襲しつつ、最後は倒されることを目指すというトリッキーな構造の本作が、戦いの先でどんな結末へ向かうのか、気が早いが今から気になっている。