14世紀の食事とは? 謎のお菓子・ディブスの正体は? 歴史グルメマンガ「バットゥータ先生のグルメアンナイト」作者&歴史料理研究家の止まらない“歴メシ”トーク! (2/2)

作中のおすすめ料理は? 一般的だったのはなんの肉? 当時の食生活に迫る

──魅力的なキャラクターたちとともに、本作のもうひとつの主役といえば食べものです。

遠藤 登場する料理はどうやって調べているんですか?

 「大旅行記」にだいたい書いてあるんですよね。この本は注釈が本当にすごくて、本編よりも注釈のほうが長いくらい! 注釈を読むと知りたいことはだいたい書いてあります。

──「バットゥータ先生のグルメアンナイト」に登場する料理の中でオススメのものはありますか?

 やっぱりタジン(2巻・第14夜)ですかね。ぜひ作ってもらいたいと思ったので、タジンは材料もちゃんと書いておきました。

遠藤 コリアンダー、フェンネル、玉ねぎ……。それまでは完成品だけが出てきたのに、ここだけ急に材料と工程が詳しく描かれています(笑)。私もこれは作ろうと思いました。

──フェンネルはセロリで代用できるという親切なアドバイス付き(笑)。

 急に作る人目線に(笑)。

「バットゥータ先生のグルメアンナイト」2巻第14夜より。
「バットゥータ先生のグルメアンナイト」2巻第14夜より。

「バットゥータ先生のグルメアンナイト」2巻第14夜より。

──ここにも書かれていますが、1000年前の人も食べていた料理だというのが、ロマンティックですよね。

遠藤 千夜一夜物語の原型が作られた頃の時代です。もう少し前の8世紀に活躍したハールーン・アッ=ラシードの頃ですよね。

──いわゆる帽子型のタジン鍋っていうのはこの頃はまだなかったのでしょうか?

 諸説あるんですけど、なかったのではないかと思います。出土されてないだけかもしれませんが。

──料理を再現してみていかがでしたか?

 美味しかったです! ただ、それぞれの材料の分量がわからないので、自分好みの味付けにしました。そうそう、そこを遠藤先生に聞きたくて。この頃の歴史書って、レシピの分量がどこにも書いてないですよね?

遠藤 バットゥータ先生の本にはないですね。14世紀から15世紀のマムルーク朝の料理書「優れたものの宝庫」と、13世紀のバグダード料理書「キターブ・アッ=タビーハ(料理の書)」は写本で残っていて、英語に翻訳されています。私もちょこちょこ参考にしています。大元は10世紀後半のアッバース朝宮廷の料理書で、それが広がって後世のイスラム世界の料理に受け継がれました。だけど詳しい分量が書かれてるものもあれば、まったく書かれていないものもあります。だから私が再現するときは美味しく再現することを最優先にして、現代風に調整しているんです。「○人前」とかもほぼ書いてないんで、作ってみたら実は16人前だった、なんてこともありますよ(笑)。

──この頃の料理の特徴というのはどんなところにありますか?

遠藤 デーツ(※)ですね。もう基本です。

※デーツ…ナツメヤシの実

 日本のしょうゆみたいなものだと思います。

遠藤 デーツ文化圏ですね。バットゥータ先生はエジプトでデーツのことをめっちゃ書いてます。

 あのあたりはもう全体的にデーツ、デーツ、デーツです。

──タンパク質を何から摂るかというところに文化的な特徴が強く出ると思うのですが、このあたりだと肉はやはり羊ですか?

遠藤 「バットゥータ先生のグルメアンナイト」でもトカゲ肉やダチョウ、ガゼルなどなど、肉料理のバリエーションは出てきますけど、やっぱり羊ですね。

遠藤氏が作った羊の煮込み。「キターブ・アッ=タビーハ」より。

遠藤氏が作った羊の煮込み。「キターブ・アッ=タビーハ」より。

遠藤氏が作った肉とデーツのごま油煮。「優れたものの宝庫」より。

遠藤氏が作った肉とデーツのごま油煮。「優れたものの宝庫」より。

 白石あづささんの「世界のへんな肉」を参考にしつつ、一生懸命探しているんですが、実際には9割方、羊を食べているんです。

遠藤 中世ヨーロッパになると鶏肉がけっこう出てくるんですけどね。レンズ豆と煮込んだり、ソテーしてオレンジソースをかけたり。白鳥や雉、青鷺にクジャクは、中世の宴の席によく登場します。

──皆さんご存知の通りイスラム文化圏では豚がタブーです。一番コストパフォーマンスの高い肉として世界中で重宝されているのですが。

 豚肉を生食したときに死ぬ人が多かったからではないかということが言われていますね。

遠藤 余談ですが、イスラム圏のオスマン帝国では豚は嫌悪された存在で全く出てきませんが、それ以前のビザンツ帝国までは肉類の供給の大部分を占めていたのは豚肉でした。古代ローマの伝統では、豚肉とするところを「肉」と書いてすませていて、肉=豚肉だったんです。それが、オスマン帝国になった瞬間に豚が消えます。

 豚も食べていたんですね!

遠藤 豚、羊、あとヤギとかですね。でもオスマンに変わって突然豚が消えてしまったっていう。それはそうなるだろうなとも思うのですが、不思議ですよね。

──1巻第1夜に登場するお菓子、ディブスも気になります。

 想像で描きましたが、これはもうマジでわけがわからない謎のお菓子で、詳細な作り方や材料が不明なんです。

「バットゥータ先生のグルメアンナイト」1巻第1夜より。
「バットゥータ先生のグルメアンナイト」1巻第1夜より。

「バットゥータ先生のグルメアンナイト」1巻第1夜より。

遠藤 そうなんですよね。料理書に載っていればいいんですけど、料理書の名前と「大旅行記」に出てくる名前が一致しているとは限らない。

 そうなんですよね。

──お菓子や砂糖はこの頃貴重品だったのでしょうか?

遠藤 砂糖はアラビア半島では主に医療用として使われていたんですよね。アラブ・イスラム学者の佐藤次高さんの「砂糖のイスラーム生活史」によると、砂糖きび栽培が8世紀半ばにエジプトで、10世紀にイラクからシリアへと拡大し、砂糖の精糖業も活発になっていきました。中世イスラム世界で急速的に広まった「新顔」であり、純度の高い甘味料でした。先に紹介した料理書の砂糖が精製されてうまく作られていたようです。レシピにもたしか、デーツの甘みだけでなく、砂糖を加えているものが多かったように思います。一般市民も砂糖の甘みを楽しんでいたのでは。

 カイロには砂糖工場があったらしいですよね。

──作品中に登場する料理は庶民の料理なんでしょうか?

 いや、違います。かといって宮廷料理というほどでもなく、それに近いもの……もてなし料理が多いですね。お祭りのときなどには食べていたのでしょうけど、普段はほとんどパンに干し肉、スープみたいな感じです。

遠藤 タジンも典型的なもてなし料理ですね。

 料理を作るのはたぶん妻・母なんですけれども、1から料理を作るというよりかは、家にかまどがないので、外にパンを焼きに行って、おかずや肉を買って帰るとか、そういう感じですね。

──現代でイメージする炊事とはちょっと違いますね。味の感覚っていうのも、当時の人と今の人とは違ったでしょうから、そこも面白いですよね。

遠藤 現代でも日本の美味しい料理と中近東の美味しい料理ってまた違いますよね。「美味しい」の新たな引き出しを開いてもらえるといいかなと思います。

 いちごのショートケーキも、背脂マシマシのラーメンも、それぞれどっちも美味しいですもんね。

遠藤 そう。美味しさっていっぱいあるので、それを再現料理から見つけて楽しんでもらいたいです。

遠藤氏の話を真剣に聞きながらメモを取る亀。取材現場は勉強会のような雰囲気に。

遠藤氏の話を真剣に聞きながらメモを取る亀。取材現場は勉強会のような雰囲気に。

「当時の道徳感から現代人に説教するマンガがあってもいいかな」

──そもそもこの連載をスタートしたきっかけは?

 秋田書店に持ち込みをしたら、編集さんが「面白いですね」って言ってくださって、そのまま連載化されました。タイトルは全然違ったんですけれども、もうほとんどこんな感じです。

──亀先生は大学では理系だったとお聞きしたんですけど、本作で描かれるような歴史への興味っていうのは、大学の専攻とはまったく別のところから芽生えたものなんでしょうか?

 大学でいろいろと行き詰まっていた時期に、ちょっと逃避に近い感じで、図書館で塩野七生さんの「ローマ人の物語」を読んでいたら、それがすごく面白くて、そこからですね。歴史に関する本をたくさん読むうちに、当時の人が書いた本が翻訳されて今でも読めるということを知って、たとえは「ガリア戦記」なんかを読んだわけです。そうすると昔の人も現代人とほとんど変わらないなって感じて、すごく読みやすかったんですよね。

──歴史上の人物が生身の人間として立ち上がってきたんですね。同時期に趣味でマンガを描いていらっしゃったそうですが、それも歴史ものですか?

 そうですね。今見るといろいろ恥ずかしいのですが……。

遠藤 「歴史系倉庫」っていう亀先生のサイトがあって、これが2016年に書籍化されて「歴史系倉庫 世界史の問題児(クズ)たち」という本になったんですけど、当時、歴史系の人たちはみんな読んでいましたよ。

亀のデビュー作「歴史系倉庫 世界史の問題児(クズ)たち」。 ©︎PHP研究所

亀のデビュー作「歴史系倉庫 世界史の問題児(クズ)たち」。 ©︎PHP研究所

 そんなことはないと思うんですけど(笑)、あれを面白いって言ってくださった方たちのおかげで今あるという意味では、本当にすごく大切な作品です。今見ると粗が気になりますが……。

──こちらがデビュー作なんですね。

 そうなんです。サイトを見てくださった編集さんが「本にしませんか」って声をかけてくださって。

遠藤 1つひとつのエピソードが面白いですし、今の亀先生にもつながるピリッとした毒というか、批評性があります。

 たとえば現代人は現代の価値観で「奴隷は駄目だ」って言いますよね。それは確かにそうなんですが、当時の文化的背景や文脈を考えたら、そんな簡単には断罪できないんです。自分の中にはそういう歴史の文脈の無理解に対する強い怒りがあるんですよね。

──現在から一方的に見るのではなく、その当時の人間の視線を無視しないでほしいということですか?

 そうですね。私は当時の人間に憑依して描いたりしてるから、そのぶん、そこにいる人として、突然「奴隷なんて絶対やめよう!」みたいなこと言ってる人が出てきたら、「お前だって奴隷に支えられてるのに何を言ってるんだ!」みたいな気持ちになってしまって、納得いかないわけです。

「バットゥータ先生のグルメアンナイト」1巻第1夜より。

「バットゥータ先生のグルメアンナイト」1巻第1夜より。

──歴史上の人物目線になるんですね。

 まさにそんな感じですね。当時も「奴隷制反対!」というようなことを言う人もいたと思うんですけど、それはアナーキーな異邦人としての発言になるはずです。「おかしなこと言うやつがいるな」みたいな文脈だったらいいんですけど、それを正義として描くのはおかしいのではないかと。遠藤先生もそんなふうな憤りはありませんか?

遠藤 ちょっと趣旨が違うんですが、歴史に対する憤りとしては、たとえばマリー・アントワネットが「パンがなければお菓子(ブリオッシュ)を食べればいいじゃない」と言ったというような有名なエピソードがありますが、あれはもう事実ではないと否定されていますよね。仮にそうしたことが自分の身に振りかかってきたら、まったくの別人の発した言葉が自分の言葉として広まって、悪い噂が流されるのであれば、それはちょっときついなと思います。歴史上の人物が誤った通説のせいで後世の人々からネガティブに見られているのであれば、それは不愉快極まりないし怒りを感じるところはあるかもしれません。

──歴史を描くうえで現代的な価値観とのすり合わせは難しいところですよね。読むのは現代の人ですし。

 もちろん、現代的な価値観を挿入することがすごく大事なときもあると思うんですよ。子供向けの本では、やはり残酷でシビアな当時の歴史を、いきなり原液のまま飲ませる必要もないとは思いますし。ケースバイケースだとは思うんですけど、当時の人間になりきって、当時の道徳感から現代人に説教するマンガがあってもいいかなと考えています。

──彼女ら・彼らはもうしゃべれないのだから、じゃあ私が当時の価値観を代弁してやる、という。

 そうですね。法律に違反しないことであれば基本的に行動は自由であるという感覚は、現代人にとって安心できるところがあるじゃないですか。それと同じように昔の人たちは真剣に神を信じていて、神のルールに従ってさえいれば、自分は自由に生きることができると思っていたわけですよね。似たようなものなんです。だから「神様なんているわけがない」と、頭ごなしに現代人が否定する権利はないと思うんです。

──そういった価値観もこの作品には反映されていますか?

 反映してますね。リタを救うのは、神から独立して自立した存在としての人間ではないですよね。神と共存する形であるはずです。だって14世紀の人なんだから。現代において「自由な女性」というキャラクターを描くときに、いきなり法律を破って暴れる女性を描いたりしないじゃないですか。やっぱりそこにはそういう感覚がありますね、私の中では。

「バットゥータ先生のグルメアンナイト」1巻第3夜より。
「バットゥータ先生のグルメアンナイト」1巻第3夜より。

「バットゥータ先生のグルメアンナイト」1巻第3夜より。

「どうしようっていうくらい超楽しいんです」

──歴史は面白い。本当にそのことが言いたいという本ですよね。

遠藤 亀先生はよく調べられて、毎月原稿落とさずしっかりやられてますよね。すごいことだと大感服しています。調べて、インプットしつつ、アウトプットして……。

 正直いっぱいいっぱいです。「天幕のジャードゥーガル」のトマトスープ先生と仲よくさせていただいてるんですが、あの人は超人です。ほんとにすごい。たぶん「ゴールデンカムイ」の野田サトル先生とかもそうだと思うんです。

遠藤 それもそうですが、亀先生の描く世界が毎月載っていることは読者として本当にうれしい限りです。

 最近、ディテールが一番面白いと気づいてしまって、そこをちゃんと描こうとすると大変なんですけど、できる限り心がけてはいます。ほんとに大変なんですけどね……。

──でも、すごい楽しんで描いていらっしゃるのが伝わってきます。

 本当ですか。どうしようっていうくらい超楽しいんです。こんなに楽しいってことは、読者を置いてけぼりにしているんじゃないかと怖くなるくらい!

──おふたりでぜひコラボイベントもやっていただきたいですね。

遠藤 それ面白いですね。当時の音楽もかけて。

 もしディブスの正体がわかったら教えてください(笑)。

──本日はありがとうございました!

左から亀、遠藤雅司氏。

左から亀、遠藤雅司氏。

プロフィール

(カメ)

世界史をマンガで紹介するWebサイト「歴史系倉庫」を書籍化した「歴史系倉庫 世界史の問題児(クズ)たち」で2016年に商業デビュー。「レキアイ! 歴史と愛」「まんが 偉人たちの科学講義 ―天才科学者も人の子」といった世界史がテーマの作品を中心に手がける。2022年11月に、月刊ミステリーボニータ(秋田書店)にて「バットゥータ先生のグルメアンナイト」を連載開始した。

遠藤雅司(エンドウマサシ)

歴史料理研究家。世界各国の歴史料理を再現するプロジェクト・⾳⾷紀⾏を主宰し、多数の料理イベントを開催。著作に「歴メシ! 決定版」(晶文社)、亀が表紙を手がける「食で読むヨーロッパ史2500年」(山川出版社)などがある。また「歴メシ! 決定版」を原作としたBS松竹東急にて放送のドラマ「À Table!~歴史のレシピを作ってたべる~」の料理を監修した。その他、十駒マコト「Fate/Grand Order 英霊食聞録」(KADOKAWA)で食文化と料理を監修。明治の食育サイト「偉人の好物」でも監修を担当した。