「銀魂 3年Z組銀八先生 とぅぅぅんん!!」“いつもの「銀魂」”感じる小ネタの密度やアレンジによる新たな魅力を解説

空知英秋「銀魂」を原作とした小説「銀魂 3年Z組銀八先生」。10月からは「銀魂まるちばーすアニメ『3年Z組銀八先生』」としてTVアニメも放送されているこの作品のコミカライズ「銀魂 3年Z組銀八先生 とぅぅぅんん!!」の連載が、ジャンプTOONでスタートした。

ファンにはおなじみの作品である「銀魂 3年Z組銀八先生」のコミカライズはどのような内容になっているのか。「いつもの『銀魂』」らしさを作るネタの密度と原作小説をアレンジしたことによって生まれた新たな魅力をライターのレビューによって解説する。

文 / 小林聖

異例尽くしで、とびきり「普通」なコミカライズ作品

異例尽くしの作品。「3年Z組銀八先生」を紹介しようとするとそんな言葉がぴったりになる。

「銀魂 3年Z組銀八先生 とぅぅぅんん!!」カラーカット

「銀魂 3年Z組銀八先生 とぅぅぅんん!!」カラーカット

同作の始まりは、もともと赤マルジャンプ2004年SPRING(集英社)に掲載された「銀魂」の番外編読み切りだった。それがその後、「銀魂 3年Z組銀八先生(以下「銀八先生」)」という新たなノベライズ作品になり大ヒットする。マンガのノベライズ作品、特にジャンプのノベライズレーベル・JUMP j BOOKSは多くのヒット作を出してきたが、その中でも2006年の1巻刊行から数え20年近くシリーズが続き、現在までに10巻もの巻を重ねた「銀八先生」は異例の存在と言える。

さらにこの10月からはTVアニメが放送され、そして逆輸入のような形でタテ読み形式のマンガとしてコミカライズまでされるのだ。そんな異例中の異例のような作品は、コミカライズでもさまざまな魅力があるが、何より驚いたのはその「普通さ」だった。ここで言う「普通」というのは平凡という意味ではない。「銀魂」としての「普通さ」だ。

「いつもの『銀魂』」らしさを作る小ネタの密度とアレンジを加えて生まれた魅力

スピンオフにしろ小説版のコミカライズにしろ、原作から離れて作られる作品は、少しずつ手触りが変わる。「銀八先生」も、原作小説はマンガ原作も手がける大崎知仁が担当しているし、コミカライズはこれまたJUMP j BOOKSの人気作品「おいしいコーヒーの入れ方」をマンガ化する際にタッグを組んだ青沼裕貴、雀村アオが携わっている。「銀魂」のキャラクターが高校教師や生徒となっているという、設定からしても原作と違った世界だ。

3年Z組の担任・坂田銀八。高校教師にふさわしくない性格と風貌だが、なぜか生徒に一目置かれている。

3年Z組の担任・坂田銀八。高校教師にふさわしくない性格と風貌だが、なぜか生徒に一目置かれている。

にもかかわらず、違和感なく読める。世界観だってまったく違うのに、おなじみのキャラクターたちが次々と騒がしく登場する場面だけで、「あ、いつもの『銀魂』だ」と思えるのだ。

それは、「銀魂」のキャラクターの強さや世界観の懐の深さももちろんあるだろう。何か金に困ってそうなマダオや、理不尽気味にキレる妙、流れ弾に当たる桂などが出てくるだけで一気に「いつもの」世界に入っていける。縦にスクロールしていくことで「銀魂」おなじみのキャラクターたちが次々に現れる第1話扉のカットだけでもワクワクさせられる。絵柄も違和感を感じることがない。

だが、それだけでなく会話やギャグのテンポがきちんと「銀魂」らしい濃密さと軽快さになっている。これが大きい。小説版を手がける大崎知仁は、マンガ原作やノベライズに加え、吉本新喜劇の脚本なども手がけている。原作小説からして、お笑い好きでありプロでもある大崎の手腕が光る作品と言える。

そのうえで、コミカライズ版では「銀魂」のマンガシリーズとしてより魅力的になる細かなアレンジが加わっている。

例えば第1話冒頭、新八をはじめとした3年Z組の面々が紹介されていく場面。世界観とともにたくさんのキャラクターを紹介しなくてはいけない、ともすれば平坦になりがちなパートだが、ここからして濃密になっている。朝イチから早弁をする神楽やそれを狙うキャサリン、土方とくだらないケンカをする沖田など、いかにも彼女・彼ららしい姿が次々描かれる。

早弁をするキャサリンと神楽のやり取り。
早弁をするキャサリンと神楽のやり取り。

早弁をするキャサリンと神楽のやり取り。

小説版をベースにしつつアレンジを加えてあるのだが、小技が効いているなと思うのがキャラクター紹介部分の肩書きだ。ここで「留学生 神楽」といった今作での設定を紹介しているのだが、新八は「平凡メガネ」と軽くディスられている感じになっていたりと、「銀魂」ファンならクスリとしてしまう小ネタを詰め込んできている。細かいところだが、小説からマンガにするにあたってこういう脱力感のある小さいボケを加え、限られた画面の中にできるだけネタを詰め込もうとする濃さとサービス精神が、この作品の「銀魂」らしさを作っている。

マンガだから生きるアクション含みのギャグ

小説版からのアレンジはこうした細かい部分だけではない。かけあいも追加したり変えられている部分がたくさんある。

例えば沖田が土方のスマホで勝手にマッチングアプリをやっていたり、原作小説の会話の続きのような展開を描いていたり、さまざまなシーンに手が加わっている。マッチングアプリをはじめ、今っぽいネタを入れ込んでいるあたりもいかにもオリジナルの「銀魂」がやりそうなことだ。近年のスキャンダルを引用した「それをいじる?」という際どいネタもある。原作刊行時にはデビューしていなかった芸能人のパロディなども盛り込まれ、原作小説を読んでいる人でも、新作ネタとして楽しめるうれしさもある。

原作小説発売時にはなかったマッチングアプリというワードが登場するなど、アレンジが加えられている。

原作小説発売時にはなかったマッチングアプリというワードが登場するなど、アレンジが加えられている。

コミカライズだからこそと感じるアレンジも多い。第3話でさっちゃんこと猿飛あやめが登場するシーンもそのひとつ。原作小説ではシンプルに着席した状態で登場するが、コミカライズでは天井から急に現れる。原作マンガではおなじみの特徴を踏まえたアレンジだが、おそらく小説だと天井から現れる描写は少しまどろっこしくなる。絵で表現するマンガだからテンポよく、インパクトや面白さが出せるシーンと言えるだろう。

猿飛あやめの登場シーン。原作では席から立ち上がるだけだが、コミカライズにあたり多くの加筆がされている。
猿飛あやめの登場シーン。原作では席から立ち上がるだけだが、コミカライズにあたり多くの加筆がされている。

猿飛あやめの登場シーン。原作では席から立ち上がるだけだが、コミカライズにあたり多くの加筆がされている。

コミカライズではこうしたアクション、動きを入れた新展開が数多くあり、「銀魂」らしいドタバタ感を際立たせている。妙のアッパーで吹き飛ぶ近藤などは、実家のような安心感があるし、投げつけられたチョークが鼻にぶっ刺さる新八はたぶん見たことないはずなのにどこかで見たことがあるような気すらしてしまう。

大幅なアレンジというのでなくても、新八に襲いかかるクラスメイトのワンカットなど、表情やポーズだけで笑える場面も多い。「銀魂」は会話劇的な魅力も大きいが、やはりアクションによって生まれる笑い、楽しさも多い。桂が描いているエリザベスの落書きの怖さや、ジャンプ作品をパロディしたハタ校長の顔芸など、コミカライズ版には絵だから表現できる魅力が詰め込まれている。

エリザベスの落書きをする桂。

エリザベスの落書きをする桂。

「DEATH NOTE」の夜神月を思わせる顔のハタ校長。

「DEATH NOTE」の夜神月を思わせる顔のハタ校長。

銀時の大人としての魅力も光るのが「銀魂」

「銀八先生」が踏襲している「銀魂」らしさはギャグ部分だけではない。

密度の濃いギャグや漫才的な会話は「銀魂」の大きな武器だ。だが、同時に「銀魂」は熱くなったり泣けたりする活劇であり、人情もののような手触りがある。

全員一科目でいいから80点を取るという校長の指示に対し嘆く生徒たちに銀八先生は何を語るのか。

全員一科目でいいから80点を取るという校長の指示に対し嘆く生徒たちに銀八先生は何を語るのか。

学園もののスピンオフというと、本編から離れた日常ものになることも多いが、「銀八先生」は本編さながら、銀時たちのカッコよさ、優しさが垣間見られる物語になっている。時に描かれるアクション的な場面や、そのときの表情もコミカライズで見えてくる新しい魅力だ。

もともと「銀魂」は少し珍しい少年マンガだ。オリジナルの銀時は、天人と呼ばれる宇宙人たちに負けた攘夷志士である。普段はちゃらんぽらんだけど、心の奥にはさまざまなものを抱えている。それは単にギャップの魅力というだけでなく、ままならないこと、挫折を知っている人間の魅力でもある。ジャンプをはじめとした少年マンガは、少年の成長や葛藤を描くことが多いが、「銀魂」の銀時はそういう葛藤をすでに経験し、最初から大人としてできあがったキャラクターとも言える。

改めてそれを思うと、銀時が先生というのは自然なことにも思える。オリジナルでも、彼の役割は、新八たちに背中を見せることだった。クソだらしない大人としての背中も含めて。

いい加減だけど頼りになる、めちゃくちゃだけど強くて優しい。でもやっぱりシリアスになっても決まらない。そんなちょっと抜けたカッコよさもちゃんと描かれているから、「銀八先生」は「普通の銀魂」として読める。それはとびきりすごい「普通」だと思う。