音楽ナタリー PowerPush - SHEENA & THE ROKKETS

ロックンロールを愛し続けた家族の35年間

SHEENA & THE ROKKETSが6年ぶりのニューアルバム「ROKKET RIDE」をリリースしたことを記念し、ナタリーでは鮎川誠(G, Vo)へのロングインタビューを敢行。新作についてのエピソードや、東京・日比谷野外大音楽堂での21年ぶりのワンマンライブについて聞きつつ、バンド結成の経緯、YMOとの出会い、子育てをしながらの音楽活動、阿久悠やウィルコ・ジョンソンとの交流、シーナ(Vo)の大病からの復活など、35年間におよぶバンドの歴史を振り返ってもらった。

取材・文 / 橋本尚平 インタビュー撮影 / 佐藤類

 
mixiチェック

東京でしかロックが育たない日本の状況に反発心があった

──結成35周年ということで、今回のインタビューではこれまでの歴史を振り返りながらいろいろなお話を聞かせてください。まず、サンハウスを解散してシナロケを結成した流れから教えていただけますか。

昔は今のようなライブハウスはなくて、バンドはダンスホールという場所で演奏してたんです。夕方に店が開いてから店が閉まるまで、踊りに来る人のために音楽をノンストップで生演奏する。バンドが交代するときも音を絶やさないために、演奏しながらメンバーが入れ替わっていくっていう独自の文化があったんですね。

──今のDJの役割を生演奏でやってる感覚ですよね。

鮎川誠

ですね。だからバンドはお客さんのリクエストに応えるように、あらゆる音楽に対応できなくちゃいけない。基本的にオリジナル曲などやってもお客さんは喜ばないんですね。でも海外では新しいロックを新しい形態で聴く流れが生まれてた。アートロックとかサイケデリックロックとか名前が付いて、スタジアムに何万人と集まるコンサートになった。そしてアメリカでウッドストックが開催されて、映画になって日本にも入ってきたら、それを観たロックファンたちはもうダンスホールには戻れんやったわけですね。リクエストされて人の音楽をやるのはロックを感じない、もっと新しい音楽をやりたい、ってことで顔見知りが集まって作ったのがサンハウスです。あと、当時はロックのルーツってことでブルースへの興味がすごく大きくなってて。例えばLed Zeppelinは最新のラウドなエレクトリックサウンドでブルースをたどってる。そういうものにすごく刺激を受けてサンハウスをやってました。

──なるほど。

70年代になると日本語のロックという新しい潮流ができて、音楽のジャーナリズムもロックを応援してくれるようになったんです。で、はっぴいえんど、サディスティック・ミカ・バンド、キャロルとか東京のバンドにひと通り声をかけたあと、次は地方のバンドにも声をかけてくれるようになって。それまでミュージシャンは東京に行かないとレコーディングの環境もないし、たくさんの人に観てもらえるチャンスもないし、イコール、デビューするチャンスもなかった。でも73~4年くらいから状況が変わった。センチメンタル・シティ・ロマンスは名古屋から動く気はないらしい。金沢でもめんたんぴん、北海道でもスカイドッグ・ブルース・バンドが地元で自分たちの好きな音楽を無理なく追求してる。

──あー、そういえばそうですね。

サンハウスも東京に住居を移すのに全然興味がなかったんです。The Beatlesはリバプールで大きくなった。The Doorsはロサンゼルスに、The Velvet Undergroundはニューヨークにいる。メンフィスにはBooker T. & the M.G.'s。みんないろんな街の土壌を吸収して大きくなったのに、日本のロックは東京でしか育たないのかってことに反発心を抱いたというか。そんな流れの中でサンハウスもテイチクレコードから75年にアルバムを出したんですけど、結局長続きしなくてね。原因はいろいろあるけれど、ブームが去ったらレコード会社はすぐに次のニューミュージックブームに行っちゃった。サンハウスはオリジナルメンバーが2人抜け、3人抜け、一旦解散しようってことになったんです。で、僕はそれまでツッパってた「博多でロックやるんだ!」っちゅうのを取り下げることにして、「とにかく音楽を続けたい、東京で勝負かけんと」って、作曲やレコーディングの仕事をするために上京したんです。

スタジオに遊びに来たシーナがレコーディングジャック

──そのときシーナさんは?

鮎川誠

子供と北九州の実家にいました。サンハウスがもうすぐ終わるくらいの頃、僕らに双子が生まれて、シーナの親から「一緒にこっちで暮らさんか」って優しく誘ってもらって居候してたんです。でも僕が未練タラタラでいたら、「このまま音楽から足を洗ったら悔いが残るやろうから、思い切って東京でやってみんとわからんぞ」「子供たちは俺らが見とっちゃるけえ、東京行ってこい」って、シーナの親父がお尻を叩いてくれたんですよ。

──ずいぶん理解のある親というか。すごい話ですね。

うん。カッコいい親父で。「『ビールスカプセル』のアンタのギターは最高ばい」「奈良(敏博)さんの赤ちゃん抱くようにして弾くベースは最高ばい」「菊(柴山俊之)さんの歌い方は日本にはほかにないばい」って、サンハウスをすごい応援してくれて。

──その後シーナさんもバンドに参加することになったのはどうしてですか?

シーナが実家で暇にしてて「私も遊びに行きたいよ」っちゅう感じだったんで、北九州から東京のスタジオに呼んだんです。そしたらシーナがそのとき歌ってたシンガーを見て「あの人、息継ぎが全然ロックと違うね」「アタシのほうが歌うまいみたいよ」とか言い出して。シンガーがシーナのところに来て「あなたのほうが向いてるみたい」って言うて、そのままシーナがレコーディングをジャックしてしまった。

──それはすごい(笑)。もともとシーナさんは歌の経験があったんですか?

いや、シンガーではなかったし、バンドの経験もないです。でもサンハウスを作った年から僕とシーナは一緒にいたし、最高の音楽を語り合える仲間でもあり、いつも曲を作るときにそばにいた人だから、最高の相棒だと思ってた。ただ「一緒にバンドをやろう」なんちゅう話は1回もしたことないし、夢にも思ってなかった。シーナはその後もレコーディングに付いてきたんだけど、3日くらい経ったときに、タクシーの中で「アタシのレコードが作りたい」って言うたんですよ。それで決まったんです。「俺がしたいことはこれだ」と思った。全然縁もゆかりもない人に、俺のルーツもなんもわからん人に俺が作った曲を歌ってもらうより、俺の一番の仲間、シーナが歌うのが一番いいと思ったし、そのためにこれからがんばろうと思った。

──それがシナロケの始まりだったわけですね。すぐにライブ活動を始めたんですか?

一旦2人で九州に帰って、78年の夏に3度目に東京に来たときに新宿LOFTで初ライブをやりました。まだSHEENA & THE ROKKETSって名前じゃなくて、そのとき僕らを手伝ってくれた仲間に「鮎川誠&ミラクルメン」って名前で勝手にブッキングされとって(笑)。「ミラクルメン」っていうのはエルヴィス・コステロの曲名から取ったんです。当時はイギリスでニューウェイブが一番燃え上がってた時期で、僕が素通しのメガネをかけてたから「日本のエルヴィス・コステロ」ってことになって、ようわからんけどもそれにちなんだネーミングやったと思う。

ニューアルバム「ROKKET RIDE」 / 2014年7月23日発売 / SPEEDSTAR RECORDS
ニューアルバム「ROKKET RIDE」
初回限定盤 [CD+DVD] / 3780円 / VIZL-697
通常盤 [CD] / 3024円 / VICL-64191
CD収録曲
  1. ROKKET RIDE
  2. Ride the Lightning
  3. 太陽のバカンス
  4. Baby Love
  5. ROCK FOX
  6. 電撃BOP
  7. Madness City
  8. I'm So Glad
  9. 夢にしか出てこない街
  10. 素敵な仲間
  11. 風を味方に
  12. ロックンロールの夜
初回限定盤DVD収録内容

初となるレコーディング・ドキュメントが収録される他、2014年5月2日鮎川誠生誕66年祭ライブ「GOLDEN66」から厳選された最新のライブ映像も収録予定。

SHEENA & THE ROKKETS「シーナ&ロケッツ 35th ANNIVERSARY“ROKKET RIDE TOUR @野音”」
2014年9月13日(土)
東京都 日比谷野外大音楽堂
SHEENA & THE ROKKETS(シーナアンドザロケッツ)

元サンハウスの鮎川誠(G, Vo)が妻のシーナ(Vo)とともに結成したバンド。1978年10月にシングル「涙のハイウェイ」でデビュー。その後、YMOのメンバーの協力のもと、1979年10月に2ndアルバム「真空パック」をリリースし、その後も「ユー・メイ・ドリーム」「ピンナップ・ベイビー・ブルース」など数々の名曲を発表する。デビューから30年以上が経った現在も、シーナのパワフルでコケティッシュなボーカルと鮎川誠の熱いギターパフォーマンスは、多くのファンの支持を集めている。現在は鮎川、シーナ、奈良敏博(B)、川嶋一秀(Dr)の4人で活動中。2014年7月に6年ぶりのニューアルバム「ROKKET RIDE」をリリースし、同年9月には21年ぶりの日比谷野外大音楽堂ワンマンライブを予定している。