ナタリー PowerPush - POLYSICS
祝!バンド結成15周年 1000本ライブの裏側に迫る
祝・POLYSICS結成15周年&ライブ1000本!
脇目も振らず突っ走り、山あり谷ありのバンドヒストリーを辿ってきた彼らの節目は、彼ららしいお祭りアルバム「15th P」でにぎやかに盛り上がろうではないか。
この「15th P」は、友達ミュージシャン総勢67人がケチャしまくる「友達ケチャ featuring 友達」を始め、ゲストアーティストが多数参加した高濃度のナンバーがずらりと並ぶ異色作。さらに、ハヤシヒロユキ(G, Vo, Syn, Programming)が作った初めてのオリジナル曲であり、15年間ライブの定番であり続けたポリの代表曲「Buggie Technica」の4度目の新録バージョンも収録され、盛りだくさんのお楽しみアルバムとなった。
さらに彼らはアルバム発表直後の3月3日に、結成以来1000本目のライブも敢行する。もはや止められない勢いに鼻息も荒いハヤシが語るPOLYSICSの軌跡。4年前の2008年に行った「ハヤシが振り返るPOLYSICSの10年史」と併せてお読みください。
取材・文 / 小野島大
15年もやるイメージなんてなかったですよ
──おめでとうございます! 15周年! ライブ1000本!
ありがとうございます! あっという間でしたよ。小野島さんと初めて会ったのも14年ぐらい前?
──「1st P」(1999年2月25日)が出た頃に初めて取材して、下北沢CLUB Queのライブ(1999年3月20日)を観たんだから、ちょうど13年ですね。
まだインディーズ時代だもんね。確か俺ら、バンド結成して2回目の取材だったんですよ。
──お互い13歳トシをとった(笑)。付き合い長いね、そう考えると(笑)。結成当初、15周年記念のインタビューを受けるような立場になるとは想像してましたか?
ねえ! 15年もやるイメージなんてなかったですよ。そんな先のことなんて考える余裕はなかった。
──その場その場を燃焼することしか考えてなかった。
本当にそうでしたよ。今日はライブハウスで何して遊ぼうか、ぐらいの。
──結成当初はそういう遊び感覚みたいなものが強かった。
うん。同級生で組んだバンドだったし。中高生ぐらいになるとカラオケボックス行ったり、ボウリングやったりして遊びの幅が広がるじゃない? そんな感じで「バンドやんない?」って始めたから。
──バンドはカラオケやボウリングと一緒だったと(笑)。
そうそう(笑)。「それ面白そうじゃん」みたいな。特にそのとき誰も楽器なんてできなかったから。「オレ楽器できないよ」「大丈夫だよ、オレ打ち込みやるからライブハウスで遊んじゃおうぜ」ぐらいのノリで結成したバンドだから。だからどんな曲をやるかうんぬんより、今日はどうやって観る人をびっくりさせようか、しか考えてなかった。
初ライブの高揚感はすごかった
──最初のライブのこと(1997年3月4日 / 新宿JAM)は覚えてますか?
覚えてますよ。確か高校の卒業式の前日だったんですけど。そのときってトップバッターだったから、入り時間は遅くてよかったんですよ、夕方4時ぐらいで。でも新人だし初ライブだし、早めに行って先輩に挨拶しなきゃいけないんじゃないかと思って、12時ぐらいにJAMに行ったんですけど、開いてなくて(笑)。ギターとDAT持って、あたりをウロウロしてましたね。で、入ったら入ったで結局誰とも喋らなかった(笑)。リハーサルの仕方もわからなくて、みんな「ベースくださーい」とか(P.Aエンジニアの人に)言ってるけど、俺らも言ったほうがいいのかな、なんて(笑)。だからそんなことよりも、とにかく自宅で作ってきたシーケンスが大音量でライブハウスのスピーカーから出た時の高揚感というか興奮はすごかったですね。
──最初のライブはどういういきさつで実現したんですか。
うち実家がクリーニング屋なんですけど、そこのお客さんにバンドマンがいて、その人に「どうやればライブハウスに出られるんですか?」って訊いて(笑)。で、JAMを紹介してもらってデモテープ持っていったんですよ。そのときステージ衣装を着ていったら異様にウケて(笑)。
──自宅から衣装着て直接行ったの?
そうそう(笑)。そのときはまだツナギじゃなかったですけど。紹介してくれた人は、初期THE JAMみたいなモッズバンドをやってて。いわゆるアンダーフラワー(1990年代から活動するギターポップ系インディーズレーベル)系の。その人もニューウェイブが好きで、いろいろ聴かせてくれたんですよ。DEVOのレコードもその人に聴かせてもらった。
──じゃあ恩人ですね。
うん、そうして出られるようになったんだけど、遊びで始めたといえ、バンドはちゃんとやろうと思ったんですよ。ただオレ以外誰も楽器ができなかったし、オレも練習なんてしなくていいやと思ってたから(笑)。バンドはやりたいけど、でもみんなと遊ぶ気持ちは忘れたくないなと、そういう感じでやってました。
──それは今もPOLYSICSに通じる姿勢かもしれませんね。カヨちゃん(Syn, Vo, Vocoder)は最初はメンバーじゃなかったんだよね。
そう、彼女は最初はお客として来てくれて、1年経った1998年3月3日の新宿JAMから加入したんです。
お客さんの反応がいきなり熱狂的に
──その頃いろんなバンドと共演したと思いますが、どんなバンドが印象に残ってますか?
そうですねえ、これ初めて言うんですけど、ハゲ&パスタ(1990年代末の東京ニューウェイブシーンで活動していたバンド)は初めて「負けた!」と思いましたね(笑)。ツナギを着てDEVOがモチーフのバンドなんですよ。
──ポリと同じじゃないですか。
そうなんですよ!(笑) もうね、ハチャメチャなバンドで……その人たちも帽子かぶってたんですけど、帽子に電飾がついてたんですよ! それで負けたと思いましたね。悔しかったなあ(笑)。その翌年に解散しちゃったんですけどね。
──音楽よりも電飾が気になったと(笑)。その頃は、まあ楽しく騒げればいいって感じですかね。
そうですね。お客さんのことなんて全く考えてなかった。
──その頃、特に印象に残ってるライブは?
1998年8月6日に新宿LIQUIDROOMでやったライブですね。pre-schoolやGYOGUN REND'Sとやったやつ。これは自分にとってとても大きかった。メンバーチェンジがあり、カヨやスガイっち(Dr)が入ってバンドの態勢が整ってきた頃。マスピー(初代マネージャー)と出会って、彼にいろんな人を紹介してもらった中にpre-schoolがいて、親しくなって、彼らが主催するライブに出させてもらった。それがこれだったんです。僕、最初はリキッドでやるのが目標で。初めて大勢のお客さんの前でやったんです。そしたら動員がドーンと増えて。やってることは全然変わってないのに、お客さんの反応がいきなり熱狂的になって。ロックバンドみたいだなあって(笑)。そうするうち「CD作らないか」って言われて。それまで自分のやる音楽なんて自分が楽しければいいと思ってたし、(客には)伝わらないだろうと思ってたからね。でもミュージシャンになりたいって気持ちはずっと持ってたし、お金を払って来てくれるお客さんがいる以上は、ちゃんとしたものをやらなきゃと思ってたから、矛盾してるけど(笑)。だからリキッドのライブの頃からですね、これはがんばらなきゃと思うようになったのは。
──ミュージシャンにならなかったら、今頃何やってたと思う?
どうだろう……考えたこともないけど、実家のクリーニング屋やりながら、片手間にバンドやってたんじゃないですか(笑)。
──実家を継ぐって話になってたの?
そうです。でもやっぱり親には理解してもらいたいから、ある日ライブのビデオを見せたんですよ。でも気付いたら寝てて(笑)。せいぜい20分ぐらいの長さなのに、それですら持たないんだっていう(笑)。
──すごく寝付きがいいご両親だね(笑)。
本当に興味なかったんだなあって(笑)。
CD収録曲
- Buggie Technica 2012
- ありがTOISU!
- Mix Juice featuring TAKUMA(10-FEET),橋本絵莉子(チャットモンチー)
- ムチとホース
- 明るい生活 featuring 徳井義実(チュートリアル)
- 友達ケチャ featuring 友達
- MECHA-MANIA BOY featuring Mark Mothersbaugh(DEVO)
- 1.2.ダー! featuring 小島麻由美,ユウ(GO!GO!7188/チリヌルヲワカ)
- 783640 featuring 三柴理
初回盤DVD 収録内容
- Rocket (Music Clips)
- Pretty Good (Music Clips)
- Moog is Love (Music Clips)
- Shout Aloud! (Music Clips)
- Young OH! OH! (Music Clips)
- How are you? (Music Clips)
- Let’s ダバダバ (Music Clips)
- カジャカジャグー (Music Clips)
POLYSICS(ぽりしっくす)
ハヤシ(G, Vo, Syn, Programming)、フミ(B, Syn, Vo)、ヤノ(Dr, Vo)からなるニューウェイブロックバンド。1997年、高校生だったハヤシを中心に結成。1999年にアルバム「1st P」をインディーズからリリースし、独自の音楽性と過激なライブパフォーマンスで人気を集める。2000年にキューンレコードからメジャーデビュー。2003年にはメジャー1stアルバム「NEU」をアメリカでリリースし、初の全米ツアーも実施するなど海外での活動も本格化させる。2010年3月には初の日本武道館公演を実施し、初期メンバーのカヨ(Syn, Vo, Vocoder)がこのライブを最後にバンドを卒業するが、約4カ月間の充電を経て復活。以降は3ピースバンドとして活動中。バンド結成15周年を迎える2012年に記念アルバム「15th P」をリリースするほか、ライブも精力的に行い2012年3月に通算1000公演を達成する。