ナタリー PowerPush - PLAGUES
8年ぶり活動再開! 深沼&後藤が明かすバンド秘話
1990年代より国内ロックシーンの中核を担う存在として活躍し、2002年に活動休止を発表したPLAGUESが、8年間の沈黙を破りまさかの活動再開。2010年5月の復活ライブを経て、新録2枚組アルバム「OUR RUSTY WAGON」をリリースした。
この作品は、当時の楽曲28曲+新曲2曲の計30曲を再レコーディングした“リテイク”ベストアルバム。活動後期に脱退した岡本達也(B)に代わり、ベーシストとして林幸治(TRICERATOPS)が参加し、当時のサポートメンバーだった堀江博久がキーボードを担当。代表曲の数々が基本的なアレンジはそのままに、新たなサウンドで生まれ変わっている。
ナタリーではこの復活を記念してPLAGUESにインタビューを実施。突然の活動再開の真意、そしてアルバム制作に至る経緯について、深沼元昭(Vo,G)と後藤敏昭(Dr)の2人に、たっぷり8年分語ってもらった。
取材・文/大山卓也 インタビュー撮影/中西求
活動休止と再開の理由
──まず直球の質問から伺いたいんですが、今なぜPLAGUESを再開させようと思ったんですか?
深沼元昭(Vo,G) 「いつかはやんないとな」っていうのは思ってたんですよ。もともとはっきりした理由があって休止したわけでもないし、とりあえずちょっと休もう、みたいな感じだったから。
後藤敏昭(Dr) 最後のライブはタワーレコードのインストアだったけど、その日ライブ終わった後も普通にボウリングとかして遊んでたしね。
深沼 俺は別の仕事があって、そのボウリングには行けなかったんだけど(笑)。そんな感じで、ただバンドとして活動がなかったっていうだけで、休止するときも全然いつものまんまだったから。
後藤 まあ、よく考えればおかしな話なのかもしれないけど。
深沼 結局そのまま8年経ってしまったっていうね。もし本当にPLAGUESとしてやるべきことがあったらやってたと思うけど、それが出てこないから新しい活動はしなかったっていうことで。だから今回活動再開したのは、そろそろやろうかなって思っただけ。あんまりカッコいい理由が思いつかないんだけど、ほんとそれだけなんです。
──周りのスタッフに活動再開を急かされたりはしなかったんですか?
深沼 なかったですね。もし激しく言われてたらわかんなかったけど(笑)。
後藤 「じゃあやる」って言ってたかも(笑)。
──ということは、PLAGUESの活動休止は明確なきっかけがあったわけではない?
深沼 うん、ただPLAGUESはやっぱりずっとライブをやってたからさ、一瞬そのサイクルから離れてみたいっていうのはあったと思う。やっぱあれだけライブやってると、そこに適したものっていうか、ライブで盛り上がる音楽を作ろうって方向にどうしてもなっていくから、そこからちょっと離れてみたかったって気持ちはあったかな。
──その後のMellowheadの活動を見ているとすごく納得できますね。
深沼 別の筋肉使って音楽やりたいっつうか。どうしてもフィジカルな感じになってくからね、ライブやってくと。
後藤 ずっと同じ流れで10何年やってたんで、そういう欲求は少しずつ溜まってたのかもしれない。クリエイティブではあるんだけど、それだけを続けていくっていうのもね。
──実際PLAGUESの後期は2人とも外部の仕事を多く手掛けていましたよね。
深沼 うん、(岡本)達也が抜けてから2人でずっとやってたけど、当時はちょうど俺も後藤もプロデュースとか他の仕事もいろいろやり始めたりして。PLAGUES以外にやれること、やってみたいことが増えてきた。で、そういうのをPLAGUESに持ち込むよりは、それとは違う受け皿に一旦放出したほうがいいんじゃないのっていう気持ちはたぶんあったと思う。
後藤 やっぱり「PLAGUESはPLAGUESであってほしい」っていう自分もいたんですよ。「PLAGUESがあんまり変わっていっちゃうのもどうなのかな」って思ったりして。
深沼 2人とも同時期にそういう、いわゆるバンドサウンドとは別な音に傾倒していって、でもそれをそのままやったら、みんながPLAGUESに期待するものとは変わっていってしまうし、自分自身もPLAGUESのカラーは好きだからそれを変えたくはなくて。とはいえミュージシャンとしてはどうしてもね(笑)。
──で、2人で相談して休止を決めたと。
後藤 いや、特に相談はしてないですけどね。「PLAGUES今後どうする?」とかそういう話は基本的にしてない。
深沼 とりあえず一旦ちょっと休もうかっていうぐらいだったから。
──契約みたいなものは?
深沼 アルバム1枚分残ってたから、それで「イスカンダル」(レアトラック集)を出して。でもあのアルバム用に一応新曲作ってレコーディングもやったしね。最後のライブの後で結局まだレコーディングしてる。
後藤 うんうん、してる。
深沼 そのレコーディングしてるあたりで、活動休止の話は一応したんだったかな。
──実際に休止してみてどうでした? 感慨のようなものはありましたか?
深沼 20代になってからずっとPLAGUESをやってきて、やっぱり人生懸けてたっていう感じはあったからね。1つのバンドがオリジナルアルバム8枚、9枚出すっていうのは、もうほんと人生だから。聴いてきた人にとっても人生の一部だし、俺たちにとってもバンドしかないっていう感じだったし。それが途切れたときにいろんなものが出てくるもんだなとは思いましたね。
DISC 1
- ヴィルヌーヴに憧れて
- ニューホライズン
- プルメリア・レイ
- ライド・ライド・ライド
- ワンダー・ワンダー
- スピン
- ブルーズ・フロム・ザ・バスルーム
- 最後のハイウェイの夢
- シトロエン幻想
- ファントムガルシア最後のレース
- ハイビスカス
- すれちがうだけ
- リアル・シング
- どうしようもない世界、寛容な僕ら
- スープ・アップ・バグ
DISC 2
- 凱旋門
- ハッピー・プレイス
- フローズン・ビーチ
- シルバー・チップス
- グッド・ムーン・ライジング
- 音速の箱庭
- ヘイ・ミスター・ドリーマー
- トゥモロウズ・ソロウ
- 1000マイルの彼方で
- グライダー
- まっぷたつの僕
- カリフォルニア・ソロウ・キング
- トランキライザー・ガン
- ワンダリン
- 錆びたワゴンは旅路の果てに
PLAGUES(ぷれいぐす)
深沼元昭(Vo,G)、岡本達也(B)、後藤敏昭(Dr)の3人により1990年に結成。1993年にインディーズより2枚のアルバムをリリースし、1994年にアルバム「シナモン・ホテル」でメジャーデビュー。1996年発売のメジャー3rdアルバム「センチメンタル・キック・ボクサー」がスマッシュヒットを記録する。翌1997年には日比谷野外大音楽堂ワンマンを含む全国16都市のツアーを成功させるが、その年の12月に岡本が突然バンドを脱退。その後は深沼と後藤の2人バンドとして活動を続けるも、2001年5月のインストアライブを最後にバンドとしての表立った活動を停止し、2002年2月に活動“休暇”を発表した。
約8年間の沈黙を経て、2010年春に突如活動再開を宣言。サポートベーシストに林幸治(TRICERATOPS)を迎え、5月に都内ライブハウスにて復活ライブを行った。また、このメンバーで当時の楽曲を再レコーディングしたベストアルバム「OUR RUSTY WAGON」を8月にリリースした。