ナタリー PowerPush - OVERGROUND ACOUSTIC UNDERGROUND

TOSHI-LOWが語る 震災、音楽、自分の変化

歌っていたことが間違っていなかったって実感してる

──「夢の跡」っていう言葉は、どうやって出てきたんですか?

インタビュー風景

これは5分くらいでできた歌詞が元になっていて。最初に、1分の曲を作ったの。「ビスコ」のCMのため……って言ったら変だけど、どうせ30秒くらいしか使われないなら、少し多めに作って、箭内(道彦 / 「ビスコ」のCMや今作のジャケットデザイン、ビデオクリップなどを全面的にプロデュースした)に振ってみようと思って。そういうのをやったことがないから面白そうだなと。3分とか5分とかにまとめなくていいから、思いつくフレーズだけスタジオで書いて、そのままパッと歌った。で、ダッセエなって思ったわけよ。

──らしくはないですよね。

うん。「夢の跡」って言葉は、実はBRAHMANとかでも使ってはいる言葉だけど、また使い方が違うというか。

──今、この曲について思い返してみてどうですか?

響き方は違うよね。そして歌っていたことが間違っていなかったって実感してる。堂々と歌っていいんじゃないかなって。

得意なことで、音楽をやることで人の支えになること

──複雑な心境かとは思いますけど、TOSHI-LOWさんにとって、震災後に歌っていく理由がはっきり見えたところはあるのでは?

すごくそれはある。もちろん、震災に遭った方々には申し訳ないと思うけれど、このことで気付かされたことはあって。人間としても、音楽をやる者としても、突き動かされる何かがあるというか。ただ、いろいろやってるけど、別にボランティアの活動家になりたいわけじゃないから。

──TOSHI-LOWさんは、お菓子やお米を集めるなど、音楽家以外の活動を行いながらも、こうやってCDをリリースしたり、被災地にライブに出向いたりもしてますよね。それは、音楽の役割を実感してらっしゃるからですか?

インタビュー風景

今の段階で一番自分が得意なのは、米集めではないから。音楽をやることで人の支えになるっていうことは、一般の人よりも俺の得意なことだから。たぶん、さっき言ったスナックのおじさんたちではできないことだと思う。歌がうまくてもできないことはあるわけで。だから、それは俺だけじゃなくて、バンドやっている人や音楽を生業にしている人が、みんなできることだと思う。だけど、やらない人もいるじゃない。それを否定するわけじゃないけど、やらない理由はあんまりわからない。誰もがこういう状況を喜んではいないだろうけど、ただ始めから自分たちのことを無力化しすぎている。「音楽は何も救えない」とか「こんなくらいしかできないんですけど」って。それは、やってから言えばいい話で。みんな自分を守ることばかりで、自分を過小評価している気がする。「こんぐらいしかできなくて」って言うけど、こんぐらいって誰が決めるの? それは自分が決めることじゃないと思うんだよね。音楽って元々そういうもので、自分が「こんぐらいでしょ」って言っても、結局は受け手のものじゃない? それを、変な話、厚かましくやっているのが我々で。その音楽を望んでる人ばっかりじゃないじゃん。フェスとかでやるとわかるけど。だから、選ぶのはステージにいる人間じゃない人なのに、それをなんで最初から決めつけるんだろうって。

──確かにそうですね。また、その得意な本業に加えて、物資を集めることもやってらっしゃいますよね。

いや、俺はそういう音楽以外のことも得意なんだよ。人生を楽しむことに関しては枠を作ってないから。ミュージシャンだから格闘技やったら格闘家に勝てない、とか思ってないもん。「バッカ野郎、バンドマンが一番強えんだよ」って思ってるし。だからプロの人とスパーとかもするし。ま、ボッコボコにヤられるけどさ。でも「バンドマンだけど、カッコいい親父にもなりたいし、カッコいい漢にもなりたい」って思いはあるわけよ。ところが、今までだとそれが見えてなかったんだよね。例えばバンドって歴史が浅いじゃない? パンクなんか30年くらいでしょ。俺たちがちっちゃいときに見ていたパンクの人には、子供がいなかったわけじゃん。だけど今は、バンドマンも人間なんだから家庭があるって考えれば、バンドやってるからこうじゃなきゃいけないっていう固定観念なんてひとつもない。だから、なんでもできるし、むしろ自分が持っている“音楽”っていうバックボーンとは違うものを発信できるし、むちゃくちゃやりやすい。

──確かに、バンドをやってるのも、家庭を持ってるのも、全部自分自身なわけですもんね。

インタビュー風景

そうそう。でも、今までの俺は、そういうのをおこがましいと思っていたところがあって。こうして十何年も音楽だけで食べてこられたことに罪悪感があって、街で土方作業してる人の横とか通ると嫌だったのよ。俺ももう一回土方やろうかなとか、いろんなことを考えて。でも今はそれをすべて取っ払えるようになった。自分の活動をオープンにして、堂々と音楽でお金をもらって、それも役に立てたいと思ってるし。後ろめたいことはなくなったから、すげぇ元気だし、アイデアいっぱい沸くし。なんでみんな批判ばっかり恐れているんだろうって。

──オープンになれたのは震災後ですよね?

もちろんもちろん。隠す必要がなくなったわけだから。今までは、家にいるときとスタジオにいるときとライブのときの顔が違ったけれど、今は全部自分だって思っているし。だから変な話、インタビューも校正しないで100%使ってもらってかまわない。内々な話とかないから。

ミニアルバム「夢の跡」 / 2011年6月1日発売 / 1600円(税込) / TOY'S FACTORY / TFCC-86353

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CD収録曲
  1. 夢の跡
  2. gross time ~街の灯~
  3. coffee stain
  4. wisp
  5. pilgrimage
NOFRAMES PRESENTS
meet in the park

2011年7月10日(日)
東京都 日比谷野外大音楽堂
<出演者>
EGO-WRAPPIN' / OVERGROUND ACOUSTIC UNDERGROUND
チケット一般発売:2011年6月4日(土)

New Acoustic Camp

2011年10月15日(土)・16日(日)
山梨県 道志の森キャンプ場
早割チケット発売:2011年6月11日(土)

OVERGROUND ACOUSTIC UNDERGROUND(おーばーぐらうんどあこーすてぃっくあんだーぐらうんど)

BRAHMANのメンバー4人とスコットランド系アメリカ人のMARTIN(Vo, Violin, G)、KAKUEI(Per)の6人から成るアコースティックバンド。TOSHI-LOW(BRAHMAN)とMARTINを中心に、2005年6月に結成される。2005年にオムニバス盤「The Basement Tracks-10YEARS SOUND TRACK OF 7STARS」に初音源「Dissonant Melody」を提供し、2006年に1stアルバム「OVERGROUND ACOUSTIC UNDERGROUND」にてデビュー。「FUJI ROCK FESTIVAL '06」や「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2006」をはじめとする各地のロックフェスティバルに出演し、多くの観客を魅了した。

その後もBRAHMANや個々の活動と並行し、定期的なライブツアーを実施。また2007年にミニアルバム「all the way」を、2009年にフルアルバム「New Acoustic Tale」をリリース。さらに2010年には、10月に道志の森キャンプ場(山梨県)にてキャンプイベント「New Acoustic Camp」を実施し、成功に収めた。2011年6月、新作ミニアルバム「夢の跡」を発表。