三浦透子|声がここまで連れて来てくれた、透明から始まる物語

女優・三浦透子が1990年代のJ-POPの名曲をアコースティックカバーした企画アルバム「かくしてわたしは、透明からはじめることにした」で歌手デビューを果たした。5歳で役者としての活動を始めた彼女は近年、映画「陽だまりの彼女」「私たちのハァハァ」、ドラマ「鈴木先生」「時をかける少女」などに出演する一方、自身が出演していない映画「ロマンス」のエンディングテーマや「ミノン全身シャンプー」のCMソングを担当したことでも話題となった。その柔らかくも凛とした響きを持つ声への評価も高い彼女が歌い始めるまでにはどんなストーリーがあったのか。「あんまりバレたくないし。こそこそ、しれっと生きていたい」と言う彼女が、アルバムタイトルに「かくして」という言葉を使うに至った経緯とは。

取材・文 / 永堀アツオ 撮影 / 草場雄介 ヘアメイク / 藤垣結圭

収録曲 / オリジナルアーティスト
  1. 君が思い出になる前に / スピッツ
  2. Time goes by / Every Little Thing
  3. Precious Memories / globe
  4. 遠く遠く / 槇原敬之
  5. Hello, my friend / 松任谷由実
  6. いかれたBaby / フィッシュマンズ
  7. 東京 / サニーデイ・サービス
  8. 未来へ / Kiroro
  9. はじまりは今 / エレファントカシマシ
三浦透子
「かくしてわたしは、透明からはじめることにした」
2017年3月29日発売 / USMジャパン
三浦透子「かくしてわたしは、透明からはじめることにした」

[CD]
2376円 / UICZ-4382

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声で参加しようっていう感覚でアルバムを作った

──カバーアルバム「かくしてわたしは、透明からはじめることにした」が発売されましたが、今どのようなお気持ちですか?

本当に出たんだなあって(笑)。なんか変な感じです。

──(笑)。変な感じというのは? うれしさではない?

うれしいです。うれしいですけど、カバーだし、今回は周りの人にここまで連れて来てもらってる要素のほうが大きかったんで、ちゃんと愛着が湧けばいいなと思ってたんです。でも全然湧きますね。手触りとかも含めて、CDってすごいですね、やっぱり(笑)。いろいろ打ち合わせした中で、私は今回声で参加しようっていう感覚でアルバムを作ったんですね。最初にこの企画のお話をもらったときに、カバーでいくっていうことと、30代の方が昔聴いてた曲や聴きたい曲を入れたいということをスタッフさんがおっしゃっていて。なら私が選ばないほうがいいんじゃないかなと。「周りの人はどういう歌を私に歌ってほしいと思うんだろう」っていうところに興味があったので、そういう意味も込めて選曲はお任せしたんですよ。スタッフさんとの雑談の中で「私はこういう音楽を聴いてます」っていうお話をしたんですけど、その雑談にしか“私”という存在はないと思うんです。

──選曲に関して強い自己主張をしたわけではないんですね。

そうですね。アルバムに入っているフィッシュマンズとサニーデイ・サービス、エレファントカシマシはすごく好きで聴いてたんですけど、まったく聴いたことのない曲もあって。それもまた面白かったんですよね。レコーディングに臨むときも、ある程度聴いてきた自分が好きな曲をさらに聴き込んで歌ったものもあれば、全然聴いたことない曲だから、逆に原曲を聴かないでデモで上がってきたものだけを聴いて歌った曲もあるんですよ。ある意味、初めてだからできる、ちょっとした無責任さもあったと思うんですけど。その過程の全部が、さっき言った愛着につながってるのかなって思います。

三浦透子

声は武器になるのかもしれない

──これまで音楽とどんな付き合い方をしてきたかをお伺いしたいんですが。

振り返ってみると意外といろんな曲を聴いてたんですけど、私自身は正直、そんなに音楽と近い距離にいた感覚がなくて。小さいときはダンスをやっていて、小学生の頃はThe Black Eyed Peasとかミッシー・エリオットとかを聴いてました。

──ヒップホップやダンスミュージックですよね。

そうなんですよ。あんまり歌を聴くという感覚じゃなくて、ダンスでかかってる曲を聴いてたんですね。周りには歌手を目指してる子も多かったので、好きとか嫌いとかっていうことではなく、歌手=歌って踊る人っていうイメージがあったんですね。でも、中学生になった頃から、自分が聴いてきた曲と私の声に合う曲っていうのが必ずしも一致しないんだってことをなんとなく感じ始めて。普段しゃべってる声と近いような歌い方ができる曲の反応がいいということがわかって、「あ、声は武器になるのかもしれないな」みたいなことを意識し始めたんだと思います。でもその声を生かす、武器にする場所を音楽にしようとは考えなかったです。役者をやってたんで。

三浦透子

歌を出すっていうことはまったく頭になかった

──中学生というとドラマ「鈴木先生」に出演していた頃だから、芝居のことしか考えられないですよね、きっと。

CDを出すっていうことはまったく頭になかったですね。それよりも、自分の声がちゃんとコントロールできるようになれば、お芝居に絶対生かせるなと思っていて。歌を上手に歌えるようになろうっていう意識ではなくて、声のコントロールができるようになったらいいかなって。息の量や声自体のボリュームの変化、裏声なのか地声に近いかで、お芝居の印象も変わると思うんですよ。で、周りの人の反応とかをちょっとずつ意識し始めて、けっこう自分の声を録って聴いたりもしてたんですよ。

──それは芝居における技術の一環として?

そうですね。そういう中でナレーションのお仕事とかをもらえるようになってきたりして。ナレーションをしていると、すごくわかりやすく自分の出す声と聴いてる声が違ったりして。「こういう印象でやってほしい」とか、「ここはもう少し明るく」とか「ここはもう少し客観的な感じで」とか、声に対しての具体的な指示があるので、そういう指示に対してコントロールすることは意識してました。

──ナレーションの仕事を始めて自分の声をより客観的に聴くようになって。でも、まだ歌いたいっていう気持ちにはなってないんですよね。

歌が武器になるというより、あくまでも役者として武器になると思ってましたね。歌手というラインに立ったら特別うまいわけではないと思っていて。だからお芝居やってる人の中で歌が歌える人を探していたら、私は人よりも少し前に出れるんじゃないかなっていう意識ぐらい。歌いたいという気持ちはありましたけど、役として歌いたいという発想にしかならなかったですね。

三浦透子