アンタッチャブル柴田のスクールJCA特別授業|お客さんを笑わせた瞬間の感動に敵うものはない

アンタッチャブル柴田のQ&A

Q.本当に芸人の仕事をしていいのか葛藤があります。

A.舞台で笑ってもらえる以上の感動はない。

これは間違いなく言えるけど、どんなに気持ちよく仕事して楽しい現場だなと思っても、舞台に立ってお客さんを笑わせた瞬間の感動に敵うものはない。これはもうとんでもないよ。初めの頃はクスッとでも笑ってもらえると「ああ、ウケた」と思ってうれしいんです。そのときに出るアドレナリンがすごい。それですべてを断ち切ろうという人は多いと思う。何よりも幸せな瞬間を1回味わっちゃってるから、「あの感覚をまた味わいたい」となる。

Q.柴田さんはどのように今のツッコミを確立したのですか?

A.板を踏んでりゃ、そうなってくる。

JCAに入ってから、ツッコミの練習はしてきたけどね。「この部屋の中のものに100個ツッコんでみよう」って。たとえばこの机に対して「白いな!」って言ったとする。この先「白いな!」って言うことは絶対あると思うよ。コウメ太夫を見たときとかね(笑)。練習していれば、なんでもないことも笑いに変えられるくらい上手になる。引き出しはたくさんあったほうがいい。他人としゃべる経験値を積むのも大事じゃない?

Q.漫才、コント、ピン芸の中で、自分はこれで行こうと決めた瞬間はありますか?

A.俺は頭から漫才って決めてた。

楽だから(笑)。ライブでなんにも用意しなくていい。お金もかかんない(笑)。

スクールJCAのオープンキャンパスの様子。

アンタッチャブル柴田インタビュー

ライブで経験値を積めたことが今の自分に生きてる

──特別授業おつかれさまでした。柴田さんが今日のようにスクールJCAで講師をされる機会は、これまでもあったんですよね?

本当にレアですけど。年に1回あるかないか。

──普段はどんな授業をされているのでしょうか?

アンタッチャブル柴田

だいたいゲームをしています。ボケチームとツッコミチームにわかれて、最初にボケた人や最初にツッコんだ人が勝ち抜いて、最後に残った人が罰ゲーム、みたいな。お笑いは突発的なことへの瞬発力が重要なので。ゲームをやりながら、最初にボケるのが恥ずかしいとか、前に出てきて面白くないボケを言っちゃうとか、それに合わないツッコミを言っちゃうとかが体験できる。生徒の間に差が出てくるし、生徒自身も「こいつ、すげーな!」と如実に感じると思う。それをみんなで楽しめたらいいかなという授業です。

──ネタのアドバイスはされますか?

授業としてはやらないけど、「ネタを見てほしい」って言われることはあります。人力舎は入り口としてネタの練習をする事務所、ネタに強い事務所だと思ってます。

──そもそも柴田さんはなぜJCAに入学したのでしょうか?

僕らのときは東京に養成所がなかったんです。最初に作ったのが人力舎。中学生から芸人になりたくて、でも「高校に行かないと東京に行かせない」って親が言うからとりあえず高校だけは卒業して。知り合いのいとこの役者が、たまたま芋洗坂係長と仲よしで、芋洗坂係長に「人力舎っていう事務所にJCAっていう養成所があるよ。そこ入ってみる?」って言われて、その鶴の一声でJCAに決めたんです。係長にこないだお会いしたときもお礼を言いました。恩人です。

アンタッチャブル柴田

──意外なつながりですね。入学する前、JCAや人力舎にはどんなイメージがありましたか?

ほかの大きい事務所なら名前を聞いたことあるけど、お笑い事務所というものは正直よくわからなかったです。今みたいにネットがないから、オーディション雑誌で調べるくらいしか方法がなかった。「そこに入らないと漫才はやれないのかな?」って思ったり、「誰かの弟子になれるのかな?」っていう淡い期待を抱いたりしてました。今ほどお笑いの養成所が流行りじゃなかったし、「ダメならよその事務所に行こう。楽しかったら続けよう」くらいの感じでした。

──実際に入ってみて、いかがでしたか?

学校に通うことが楽しかった。みんなでワイワイして、そのワイワイしたものを舞台に持っていって。養成所には稽古場があって「使っていいよ」なんて言われるから「ありがとうございまーす!」なんて言って稽古して。先代の社長はライブが好きで「とにかく“板”だけは用意してやれ」っていう方だった。月のライブ本数はまわりの事務所よりも多くて、それが今も伝統として引き継がれて6日連続ライブ(=「バカ爆走!」)をやってます。そういうところで経験値を積めたことは今の自分に生きてると思います。

「こういう世界に入ったんだ」と気づかせてくれる

──以前東京03の皆さんに話を聞いたとき(参照:「スクールJCA特集 東京03インタビュー」)、柴田さんと同期の豊本さんが「アンタッチャブルはすごく授業に出ていましたね。ほぼ皆勤賞じゃないかというくらい」とおっしゃってました。

ほぼ皆勤賞でしたね。僕はJCAのすぐ近くに住んでたので、家にいてもすることがないから来てたという感じです(笑)。すごいのは山崎ですよ。あいつは埼玉に住んでいたので。朝10時には埼玉から必ず来て、校長と一緒にタップ踏んでました(笑)。1回タップの音が部屋の中から聞こえてきて、ドアを開けたら先生と山崎がマンツーマンで向き合ってタップやってたんですよ。ドア閉めましたもん。「入れないよ!」って(笑)。

──それだけ真剣だったんでしょうね。

相方・山崎とスクールJCAの校長が一緒にタップを踏んでいた場面を振り返るアンタッチャブル柴田。

来ない日もあったけど、僕も山崎もほぼ授業に出てました。もしかして何か身になるのかなとは思ってましたし。

──タップの話が出ましたが、それ以外にJCAで学んで身になった授業や体験などはありますか?

JCAに入って得するのは、お笑いの入り口にまず足を突っ込んでみて「舞台に多く立てる」とか「ネタを作ってみることができる」とか「相方を作れる」ということだと思うんです。授業で細かい技術を教えられても、経験値のない最初のうちはまだ気づかないことが多いんじゃないかなと。

──そういう環境に身を置くことがまずは大事なんでしょうね。

だから生活はもちろん激変します。お金の面でもそうだし。1カ月や2カ月かけて作ったネタが1個もウケないで終わることもある。自分の職業が全面否定される感じになるわけですよ。笑いを取って初めて芸人だから。そうなったときにいろいろとつまずくこともあるんですけど、「こういう世界に入ったんだ」っていうことにバシバシ気づかせてくれる。スクールのときは技術がないから苦しい部分しかないと思う。「あ、楽じゃねえな。想像と違うな」って。でもそんな環境の中で、笑いが取れてお客さんが満足した顔で帰っていくってなったら、それはもう快感ですよね。

東京03飯塚さんはアンタッチャブルにハマってた

──「スクールのときは技術がないから苦しい部分しかない」とおっしゃいますが、JCA2期で柴田さんより1つ先輩の東京03飯塚さんはアンタッチャブルの漫才について「完全にできあがっていた」とおっしゃっていました。

できあがってないですって! 飯塚さんはそうやって言ってくださるんですけど、全然そんなことないですよ。僕らなんかネタも書かないし、アドリブばっかだし。「俺、これ勝手に本番に言うから、本番までにボケを考えておいて」って山崎に言って、本番まで何を言われるのか知らないですよ。できあがってたなんてとんでもない。飯塚さんはアンタッチャブルにハマってたんですよ(笑)。

──柴田さんは最初からツッコミ志望だったんでしょうか?

全然です。僕はボケです。山崎と組んで仕方なくやってるだけです。今でも戻れるものならボケをやりたい。僕のほうがよくしゃべってたし、見た目もそうだし、自分が進行したほうがいいのかな、っていう空気があってツッコミをやりました。山崎とずっと一緒にやっていくとも思ってなかったですし。当時は山崎も僕も18歳で「お前たち2人とも18歳だから、誰も組んでくれる人いないんだったら組めば?」ってまわりの人に言われて組んだ感じです。

──最初にお客さんの前で山崎さんと漫才をしたときのことは覚えていますか?

覚えてます。僕らはライブでトリをやらせてもらって。今考えると笑いの量はたいしたことないんですけど「クスッ」っていうのがあって、それだけでもガッツポーズ。もちろんスベってる数のほうがはるかに多いですよ。でも不思議とスベったときのことは覚えてないです。最初のライブで「よし、あの笑いが起きた部分のボリュームをもうちょっと増やしてみよう」っていう目標ができました。そのとき作ったネタがたまたまよかっただけかもしれないですけど。ウケたうれしさがスベったことよりも思い出に残っています。

──では最後にお笑いナタリーの読者、特にお笑い芸人を志している方にメッセージをお願いします。

人力舎に入るなら単願、一本勝負がいいですよ。ちょっとでも楽しそうだなとかお笑いを学べそうだなという雰囲気を感じるなら、あなたは人力舎に向いてる人です。そういう人を受け入れる事務所だし、そういう人に最適な事務所だと思います。戦うばかりではなく、遠回りでも将来的に高いところにいようねっていう事務所。遠回りするけど、遠回りしたぶんいろんな景色を見て、いろんなところに立ち寄って備えをしてから、そこにたどり着けたほうが失脚しないよねって(笑)。直進だけが人生じゃない。人力舎は、高いところに行っても落っこちない事務所です。

アンタッチャブル柴田