向井秀徳にとってライブ映像作品とはなんなのか? ZAZEN BOYS初の日本武道館を振り返りながら語る (2/3)

映像作品はライブの追体験にはなり得ない。でも映像ならではの表現ができる

──映像作品としてのライブドキュメンタリーというのは、向井さんにとってどういうものなんでしょう?

ライブドキュメンタリーというものの中には、名作がいっぱいありますよね。ただ、映像作品というのは、ライブの追体験にはなり得なくて、独特な表現だと思うんです。こう、映像でステージ上の空気感を捉えようとする。演奏する人をアップで撮る。実際のライブの現場では、そこまで肉薄することはできないんですよ。でも、カメラによって、非常にクローズなところまで近付けるっていうのは、映像ならではの表現ですよね。今回の映像作品でも、相当アップがありますからね。これは──ちょっとやめてほしいよね。

──自分自身としては?

ええ。昨日の試写会でも、目を逸らしましたよ。だから、私としてはチラ見にしかならないんです。中にはきっと、「もっとアップで撮ってくれや」と思う人もいるんでしょう。「私のここの部分を、もっと見せてあげてよ」と。そっちのほうが多いのかもしれないね。でも、そういうことを考え出すと、永遠のジレンマとでも言いましょうか、変な構えが入ってしまうと思うんですね。「この公演は映像に記録して、作品として残す」ということになると、変な自意識が働いてしまう。人によっては、自分は顔の右側が自信があるからっていうことで、演奏中にずっと左を向いてたりね。お客さんからしたら、「この人、今日はえらく横向いてるな」と。そうやって不自然になってしまうわけですよ。これはね、永遠の戦いですよ。ただ、私自身が意識しているかというと、ほとんど意識はしてないんですけどね。どの角度から撮ろうが同じだろうがっつってね、もうわかってますからね。私としては、「アップはちょっと、勘弁してほしい」と思ってしまうんですけども。

──試写会で映像を拝見させていただきましたけど、本当にもう、眼鏡が熱気で瞬間的に曇るところまでクリアに映ってましたね。

そういう意味ではね、今は家庭用のモニターも非常に精巧なクオリティですから、ファンの方にとってはうれしいかもしれないですよね。細胞組織の中にまで入ってくような気持ちになれるんではないか、と。ただ、自分自身としては「そんなに寄らないでくれ」と思ってしまうわけですね。

向井秀徳(Vo, G)

日本武道館公演で使ったプロっぽい小技

──これは公演当日にも感じたことですけど、武道館で公演をやるからといって特別大きな仕掛けを用意するわけでもなく、いつもの「MATSURI SESSION」と地続きにある、シンプルな舞台構成でしたね。

そうですね。それで言うと、映像作品になって初めて気付いたこともあるんです。例えば、公演中の照明をどんなものにするか、照明のオペレーターの人たちとは事前に打ち合わせをして、プランを組み立てていったんです。昨日の試写会で、非常に物語性がある照明だなと思いましたね。

──本番中はステージに立っているから、自分たちの姿は映像にならないと見えないわけですもんね。

今回の武道館公演は1部と2部に分かれているんですけど、最初はもう、非常にシンプルな灯りですわ。何も動かないし、ただ照らしている。そこからだんだん展開していって、日本武道館の空間の広がりを演出するような照明になっていく。これはもう、非常にプロっぽいなと思いましたね。

──プロですね。

非常にプロっぽいね。その照明の感じは、今回の映像作品でも感じられると思います。非常にタイトなサイズ感といいましょうか、本当に武道館でやっているのか、普段ライブハウスでやっているのとそこまで違いはないんじゃないかというふうにも見えるんだけれども、そこからどんどん全貌が見えてくる。世界が広がっていく。そういう作りになってますよね。

──確かに、1部から2部へと進んでいって、だんだん見え方が変わってくるというのは、映像作品として見返したときに改めて感じました。

やっぱり、日本武道館公演となると、普段のライブとは違う状況になるから、いろいろ考えたわけですよ。2部構成にするとして、セットリストをどうするか。曲によってはアレンジを加えるわけですけど、「この何小節かだけカットする」と、そういうアレンジをけっこうしましたね。セットリストの流れにテンポ感を出したいということで、何小節かをカットして、次の曲につなげていく。そういう小技をプロっぽく使ってますよね。

向井秀徳(Vo, G)

1部と2部の間のブレイクタイムを単純なる休憩時間にはしない

──武道館公演では、舞台にスクリーンが設置されていましたよね。ただ、第1部の終盤に演奏された「ポテトサラダ」までは一切使われていなかったから、「あ、今日の公演、スクリーンが用意されてたんだ?」と、公演が始まって1時間以上経ってから気付きました。

LEDスクリーンを用意していたから、自分たちの姿をリアルタイムで映すことはできたんです。スクリーンに姿が映し出されると、後ろのほうの客席の人にとってはありがたいですよね。ただ、LEDのスクリーンというのは、ちょっと時間軸がずれるんだね。「ポテトサラダ」での“ビヨンビヨン”については、武道館でやると何やってるかわからないだろうから、あの曲だけはスクリーンを使いました。

──あの“ビヨンビヨン”(腕や足を引っ張ると伸縮する、金髪レスラーのゴム人形)は、2022年のNUMBER GIRLの解散ライブでも持ち出されていましたけど、あれはいったい……?

あれは不死身の男よ。伸ばしてもよみがえる。そこに私は敬意を払って、紹介したいわけだ。

東京・日本武道館公演「ZAZEN BOYS MATSURI SESSION」の様子。(撮影:菊池茂夫)

東京・日本武道館公演「ZAZEN BOYS MATSURI SESSION」の様子。(撮影:菊池茂夫)

──武道館公演は1部と2部の間にブレイクタイムが設けられていて、その時間に佐内正史さんの写真がスクリーンに映し出されて、「公園には誰もいない」という曲が流れてましたね。

「永遠少女」という曲のミュージックビデオを作るときに、佐内さんの写真を使いたいという話になったんです。どういう写真を選ぶかっていうのは、佐内さんと話し合いをするわけですね。決して「永遠少女」という曲の説明ではなく、あくまでZAZEN BOYSの世界と佐内正史の世界が重なり合うことにしたいということで、佐内さんに写真を選んでもらった、と。

──それであのミュージックビデオができあがったわけですね。

ええ。私にとって、その2つの世界の風景の重なり方が、非常にナチュラルであると思えたんですね。今回の武道館公演は途中でブレイクタイムを設けると決めてましたけど、それを単純なる休憩時間にするのではなく、シーンチェンジとでも言いましょうかね、そういう場所を設けたわけです。そこに佐内さんの風景がすっと入り込んでくると、移り変わりとしてはきれいなんじゃないかと思って、ああいう形になったんですね。佐内さんの写真と、「公園には誰もいない」という曲が合わさると、あの時間帯にはふさわしいだろう、と。あれは本当に、いいブレイクタイムになっていると思う。

──公演当日は、佐内さんの写真を見ていたいと思いながらも、「ここでトイレに行っておかなければ」と泣く泣く席を立ったので、Blu-rayでじっくり観ることができてうれしいです。

そうね。「気付いたら、膀胱がパンパンだ」と。「武道館前に飲みすぎた」と。そういう人たちは、あそこで手洗いに行ってもらうしかなかったわけですけども。物理的に、時間が長いからね。そういうインターミッションを設ける必要があったということです。演奏がずっと続いて、心地よい緊張状態が続いていたところに、ちょっと気持ちを変化させる場所でもありますね。